覚悟
力は衰えていない。再び、いや新たに求められた事で寧ろ上がったのか……。だが、むかつくような邪悪さ、じりじりと迫る圧迫感、それらは落ちついたように感じる。
今はそれで良い。少なくとも椿姫であれば止められる。もう少しだ。僕は境生と青葉を背後にし、少しずつ呼吸を整えた。その時のために。
「信じてもらえませんか……」
もう少しで。
「哉来君!」
突如、境生の声が背中に当る。
哉来、居るのか?
「哉来君、そこに居るのだろう? お母さん、もう白い上履きじゃなくても良いって言ってるけど、君は普通の上履きに戻すかい?」
椿姫へと変容を遂げる白塗りの奥、階段の影に何かが――見えない。僕には彼がよく見えなかった。
「ああ、哉来君、君は……」
砂漠の中で、宇宙の片隅で……唯一の目印を失った旅人は何を思うだろう。
「白以外には戻さないよ。僕はようやく完全になったんだ」
「イヤアアアアッ」
届かない、彼にはもう届かない。
「哉来君っ! その目は……」
無駄だ、もう無駄なんだ。彼はもう連れていかれてしまった、渡らされてしまった。
眼球を白に染めた彼の目には一体何がうつるというのだ。光りを遮断し、闇の世界に行った彼に何が聞こえるというのだ。
「哉来っ!」
五月蝿い、五月蝿い! どこからか聞こえる雑音がやけに煩わしかった。
「そんな、どうして! 私がそこまで追い詰めてしまったの! 哉来!」
「落ちつくんだ、青葉さん!」
誰かの腕が、僕の横で蠢く物体に重なった。
白く細い……足――人の足――そう、人の足だ。
境生が僕の横をすり抜けて哉来に近づこうとした青葉の足を掴んだのだ。
はだけたスカートから青葉の足が覗く。白くて、細い――艶かしい足。
「せ、先生!」
生きている。僕らは人なのだ。青葉も僕も先生も、そして哉来も。
「青葉さん! あれは全ては妖怪の仕業です!」
「哉来、哉来、哉来っ!」
境生が青葉に引き摺られる。
僕は青葉の正面にまわりこみ、体全体で彼女を抑えつけた。
狂気が彼女を支配していた。彼女の細い体のどこにこんな力が……。今は哉来も椿姫も構っていられなかった。椿姫――
「青葉さん! あれを退治すればすぐに元に戻ります!」
叫びが、言葉が青葉の心を捉えた。
「や……くる……」
境生が最後の楔を打つ。
「退治さえすれば、哉来君は元にもどるのです。あなたのせいではない。そう――全ては妖怪のしわざなのです」
信じてもらえますかと聞いた境生に、青葉は泣きながら従った。
「信じます、信じます! だから哉来を……」
繋がった、のだろう。青葉と椿姫は完全に結ばれつつあった。
「後はわれらにお任せください!」
力強く言った境生の横で、僕も一つの覚悟を決めた。
痣が灼ける。椿姫は倒せない、少なくとも僕には無理だ。だけど――
決意が僕の焦点を椿姫に合わせる。
僕の黒い瞳にうつった椿姫は――完全に白塗りだった。