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願い  作者: はー
絡みつく世界
34/38

捏造

「椿姫をご存知だそうですね」

 優しい声だった。柔らかな日差しの中で、そう、緑溢れる公園が良い。僕は本を片手に彼の話を聴くのだ。

 だが今の状況はそんな願望さえ空虚なものにする。妄想は所詮妄想だと言う現実を突き付ける。

「彼女が自分の子どもの血で染めた着物を着ようとした件もご存知ですか」

 青葉は小さく頷いた。

「では、何故彼女がそのような事をしようとしたかは知っていますか」

「それは……知りません」

「彼女は自分の子供を愛していたのです」

 青葉は困った様に頭を擡げた。僕が青葉なら同じくそうしただろう。そんな事は聞いた事が無いし、文献にも載っていない。椿姫は子供の血で着物を染めようとしたはずだ。だいいち、今更椿姫を説明したところでもう遅い。いわくをゆがめる事で、一体何の効果があるのか。彼女は既に憑りつかれた後だし、もっと言えば、既に縁も切れている。そんな僕の危惧をよそに境生は続けた。

「この家には妖怪が居ます」

「……椿姫ですか? でもそれは関係のない事です。全ての原因は私にあるのですから」

「いえ、ここに居る妖怪は椿姫ではありません。いや、そもそも椿姫は妖怪ではない」

 それは確かにそうだった。しかし、椿姫が妖怪かどうかなど関係無い。怪異にとっては『いわく』こそが大事なのだ。妖怪、言い伝え、昔話、いや都市伝説だって怪異の元へとなり得る。想いの力こそが糧なのだ。キッカケなど何だってかまわない。

「妖怪は名と姿が与えられてこそ妖怪たりえます。だが椿姫は妖怪として語られていたのではありません」

「目的?」

「ええ、椿姫の言い伝えに登場する人物はどれも全てれっきとした人間です」

「はあ……」

「かといって人間の怨念、幽霊の話でもない。別にうらめしや~なんてエピソードはありませんからね」

「確かにそれはそうですね。それではただ単に惨い仕打ちをした人の話、でしょうか」

「逆です。全くの逆。椿姫に隠された目的、それは『母と子の愛』です」

「母と子の愛……」

「そうです。彼女は妾に殺されそうになった我が子を守ったのです。まあ良くある後継者争いですね。妾を殺したのは事実ですが、それは白鉛を塗るなどの生温い手段ではない。小柄を手に――それこそ必死だったと思います」

 この人は一体――僕は境生が何を言おうとしているのか理解できずにいた。青葉も同じだった思う。ただこの緊迫した状況の中で集中していたのか、境生の話は驚くほど耳に入ってきた。

「もちろん彼女は自分が処罰される事も承知してました。しかしそれでも我が子を守りたかった。愛していた。そう、今のあなたの様に」

「そう、なのですか……ですが先生、私は……」

「まあ、最後まで聞いてみてください。お嫌ですか?」

「いえ……ただ申し訳無いと……」

「それは気にする事ありません。僕は聞いてい欲しいのです」

「……分かりました」

「ありがとうございます。それでは……この地はそう、元々は『白塗り』という妖怪のテリトリーだった。人を白く塗る妖怪です。椿姫ではありません。先ほども言ったように椿姫は妖怪ではないですからね。ただの人だ。一方、妖怪、彼らは語り継がれる事でその役目を果たしてきました。白塗りの場合は単純です。白く塗る、いや塗られるのには注意しろ、つまり白鉛の毒から身を守れという示唆がその役目ですね。何故直接的な言い方をせず妖怪などとぼやかしたのか。それは簡単です。当時、白鉛は高貴な身分でなければ使用することなど無かった。高価でしたからね。さて高貴な身分な方たちが白鉛を悪用するでしょうか。答えはイエスです。残念ながら人の子である以上、悪いことを考える輩もいたようです。だが、それを認めるわけにはいきません。何故なら自分たちが高貴であると思っているからです。高貴ということは、浅ましい行為とは無縁でなければならなかったからです。だから白塗りという妖怪を創り、下劣な行為に当て嵌めた。自分たちが浅ましい行為をしているのではない、これは妖怪の仕業なのだ、とね」

 ここまで一気にしゃべると境生はふと一息ついた。僕には境生の言っていることが何となく理解できたが、青葉に理解できているかは疑問だった。

「また別の説もあります。白鉛の毒性は弱く、長年使用してようやく死に至る程度でした。だから逆に、普通の人、つまり一般庶民ですね、高価な化粧品に縁のなかった庶民には、その毒性が判然としなかった。庶民にも使用人などを通して高貴な人たちの生活が漏れ聴こえるものです。特にこの時代はね。そして巷間には、化粧をすれば、つまりは贅沢をしている人ほど、何故か弱っていくという事象が広まった。これは庶民にとっては矛盾ですよ。何故贅沢をしてるのに、ってね。結果、良く分からない現象として認知されてしまったのですね。白鉛は怪しいけれど確証は無いってところでしょうか。その曖昧さの隙間に生まれたのが白塗り、という説です」

「白塗り……」

「そうです。僕はどちらかが正解、というよりも両方が原因であっても全く不思議ではないと思っています。いずれにせよこの地に白塗りという妖怪はゆっくりと、しかしながら深く根付いた。これは間違いなさそうです。そんなところに椿姫が誕生します。勿論、普通の、人間の椿姫です。やがて彼女は成長し、そして死を迎えます。人間ですからね。普通に死にます。ただ生前、彼女は息子を身体を張って守った事があり、死後、母子愛の代表として語り継がれるようになります。これは美談としてかなり一瞬ににして広まった様ですね。おそらく当時、そういった話が求められていた環境にあったのでしょう。腕の良い講談師が居た可能性もあります。ただ、どういった話で語られたのか、残念ながらその内容までは今となっては分かりません。いえ、分からないようにした人達が居た、と言い換えましょう」

「誰かが母子愛を伝えないようにした?」

「そうです」

「母子愛を伝えてはいけない理由……私には思いつきません」

「そんなに難しいことではありません。母子愛というより、美談を伝えてはいけなかったのです。当時、この土地をおさめていた豪族、畠山小連にとって変わろうと、周辺の幾つかの豪族達の間で泥臭い争いが起こってます。そんな時に椿姫の美談が広まれば、これは周囲の豪族にとってはありがたくない話です。民衆の反発は避けられませんからね。また、椿という花は魔除けの効果があると言われていた。ちなみに首が落ちるなどといういわれば近代からです。この美談に加え魔除けとまで言われると、畠山氏の後釜を狙う豪族達はどうにかしてこの話を揉み消さなくてはいけない。そこで彼らは話の解体、そして再構築を行った。椿姫の行為から理由をそぎ落とし、現象、つまり殺しという枠だけを取り出し、別の理由、自分たちに都合の良い理由をはめ込んだ。息子を殺そうとたくらんでいた妾から息子を守った行為は、実は椿姫が誰かを殺したかった、そしてたまたま妾が近くにいたので殺した、と言い換えられ、椿の紅は妾の返り血、更には息子の血へと変換されました。椿姫の行為も、名前も全て貶めようとしたのです」

「ひどい……」

「ええ、ひどい話ですが効果は絶大でした。民衆たちにとってそのような悪魔、いえこの時代ですから妖怪、のような人間たちに治められるより、新しい豪族たちのほうがまだマシだと思わせる事が出来たのです。だが、それを面白くないと思う第三者がいたのです」

「第三者……」

「そうです。ようやく本家本元の妖怪、白塗りのご登場です。怪異としての地位を確立してた白塗りにとって、椿姫という新たな脅威の存在は一大事だったのですね。まあ簡単に椿姫にとってかわられ、ましてや消えてしまいそうになるくらいですから、白塗りの方も元々大した影響力を持っていたとは言えないでしょう。それでもやはり白塗りとしては面白くない。この頃、既に白塗りは人格を持っていたのですね。人格を持つというのはつまり、それを信仰していた人が居たと言う事です。そこで信者達は考えた。このままだと白塗りは消えてしまう、どうすれば白塗りを生かせるか。僕は別に彼らの考えが悪い事だとは思いません。妖怪とは元々、目的によって新たに生み出されたり、変容したりしなくてはならなかったのです。生物と同じですね。種を増やし進化を遂げながら生き長らえてきた。だから白塗りにも変化が必要だと考える人がいた事は当然です。ただ――そう、ただ彼らが取った手段には疑問を覚えます。彼らは椿姫の行為の曖昧さに目をつけた。行為の理由がぼやけていると感づいたのですね。もしかしたら言い換えられてるのではないか、とね。ならば今なら乗っ取れる、そう思ったのかもしれません。それはゆっくりと実行に移されます。椿姫は単に殺しをしたくて近くに居た妾を殺した、という枠に『白鉛を使って殺した、白鉛を塗りたかった』という意味を付け足します。元々が作り変えられ曖昧だった話ですから、これはすんなりと溶け込んでしまいました。結果として椿姫は、殺しという行為が好きで、そのために白鉛を使い、妾たちを惨殺していったという形で完成してしまいます。美談が貶められ、終いには怪異へと作り変えられた。それが今から九百年前、鎌倉時代のことです」

「え、ですが椿姫は千三百年前だと……」

「そこです。白塗りが誕生したのはおよそ千三百年前。ところが椿姫の誕生は九百年前。これはつまり白塗りが椿姫に歴史をそっくり与えた事になります。白塗りは名前、つまり枠ですね、それすらも消し去り、そして中身だけを確りと椿姫へ溶けこませたのです。これは人を妖怪へと変える行為に他なりません。僕が疑問なのはここなのです。そう、これを果たして進化といっていいものか――いずれにせよそうする事で中身、白鉛に対する畏怖は世俗に残りましたし、椿姫の話自体が現代まで語り継がれているのもご存知の通りです」

 青葉は沈黙したまま何かを考えていたが、僕には彼女が何を考えていのか手に取るように分かる。

「あなたは妖怪に憑りつかれていただけなのです。哉来くんを愛していたせいで。それは親として当然であり、貴方に非はありません」


「先生!」

 僕は焦れていた。奴、白塗りが力を増している。近づいてきている。それはつまり、青葉が境生の話を信じだしたと言う事だ。このままではまた青葉と結びついてしまう。深く結びついてしまう。このままでは――

「青葉さん、白塗りは椿姫に隠れています! あなたは確かに椿姫という妖を呼んでしまった! だが――」

 そうか、そう言う事か――

「哉来君を白くさせているのは白塗りであって、椿姫では無い!」

 止まった――

「あなたが呼んでしまったのは椿姫です。子を愛するだけの一人の強い女性だ。そう、哉来君が一度でもあなたに白を強制されたと言いましたか?」

 白塗りは緩やかに変体していく。

「それは……。でも、きっとあの子が言い出せない雰囲気を私が作っていたんです。だからあんな事までして私に伝えようと……」

「いくら白塗りという妖怪に中身を奪われようと、椿姫の子供に対する愛は変わりません。つまり、白塗りという妖怪の本質は、実は親の愛なのです」

 今、白塗りは更なる変容を遂げようとしていた。かつて椿姫の中身が白塗りに入れ替わったように。境生と青葉によって、白塗りという名を与えられ、椿姫という形を得ようとしていた。いわくが、世界が、今再び表裏を逆にする。


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