第17話:金曜日の残照と、遠いハンマーの音
俺たち「駅の個室戦士」にとっての金曜日は、一週間の泥をすべて飲み込んでくれる慈悲深い「解放の日」だ。
しかし、今朝の駅構内には、いつもとは違う不穏な音が響いていた。
「カン、カン、カン……」
遠くで鳴り響く金属音。それは、聖域の最期を告げる秒読みのようにも聞こえた。
「ガチャン」
三番個室。
いつものように鍵を閉める。だが、入り口の横に積み上げられた「工事用バリケード」の黄色い山が、網膜の裏側にこびりついて離れない。
「……はぁ。金曜日だっていうのに、全然『花金』って気分になれないな。あのバリケード、まるで俺たちを閉じ込める檻みたいに見える」
「……三番個室さん。物事は捉え方次第だ。檻と見るか、外敵から守る城壁と見るか。……だが、あのハンマーの音だけは、どうにも無粋だな」
左隣、二番個室。
師匠の声はいつも通り静かだが、その奥には、愛する場所を汚されることへの微かな憤りが混じっていた。
「アニキ、マジでヤバいっすよ! さっき業者っぽい人が、このトイレの柱にチョークでバツ印つけてるの見たっす。……僕らの思い出まで、バツつけられた気分っすわ」
右隣、四番個室。若(山崎)の声が、今にも泣き出しそうに震える。
「……泣き言を言わないの」
壁の向こう側、女子トイレ。女王(二階堂)の声が響く。
「バツをつけられたのは古い設備よ。私たちの『絆』にチョークを引ける人間なんて、この世にはいないわ。……そうでしょう? 一番個室の『最適化』さん」
女王の問いかけに、一番個室から、一ノ瀬の冷ややかな、けれどどこか迷いを含んだ声が返ってきた。
「……私は、物理的な構造物の解体スケジュールに従っているだけだ。……だが。……昨日、君たちの作成した『現場の声を反映した修正案』を精査した。……非効率だが、組織の『定着率』という指標においては、無視できない相関関係があることを認めざるを得ない」
一ノ瀬らしい、回りくどい「敗北宣言」ならぬ「歩み寄り」だ。
「……一ノ瀬さん。それって、俺たちの『無駄』に価値があったってことですよね?」
俺が尋ねると、一番個室からカチリとペンの音がした。
「……価値ではなく、『必要悪』だ。……さて、長居は無用だ。金曜日の業務効率を最大化するために、速やかに排出とリセットを行うべきだ。……行くぞ」
一ノ瀬が、自分から「合図」を出した。
俺は驚きで一瞬固まったが、すぐにレバーに手をかけた。
「……そうだな。……諸君、今週最後のデトックスだ。この不快なハンマーの音を、俺たちの音でかき消してやろうじゃないか!」
師匠の力強い声に、五人の心が一つになる。
「「「「「せーの……」」」」」
ゴォォォォォォォォッ!!
五つの個室から、怒涛のような洗浄音が沸き起こる。
それは、解体工事の予兆を、不安を、そして一週間のすべての澱みを飲み込み、力強く渦巻いた。
一番個室、二番個室、三番個室、四番個室。そして壁の向こう側。
五つの流れが合流し、一つの巨大な咆哮となって駅の地下に響き渡った。
個室を出て、洗面台へ向かう。
そこには、一ノ瀬、社長、山崎。そして、少し遅れて女子トイレから出てきた二階堂課長がいた。
誰も言葉は交わさない。
けれど、一ノ瀬がふと、自分のカバンから「何か」を取り出した。
それは、俺が昨日渡した、現場の社員たちのメッセージが書き込まれた付箋の束だった。
一ノ瀬はそれを大切そうにポケットに仕舞い込むと、俺に向かって一度だけ小さく頷き、出口へと歩き出した。
「……佐藤君。……いい週末を」
社長が俺の肩を叩き、風のように去っていく。
二階堂課長は「月曜日、その顔に寝坊の跡がついてたら承知しないわよ」と笑い、山崎は「アニキ! アイス、二個食っていいっすよ!」と叫びながら改札へ走っていった。
俺は一人、鏡の前で自分の顔を見た。
解体まで、あと二十四日。
聖域はいつかなくなる。けれど、ここで得た「音」は、俺の耳の奥に、そして人生の底に、ずっと鳴り続けるに違いない。
「……よし。帰ろう」
佐藤誠、三十五歳。
遠くで響くハンマーの音を、彼はもう、ただの騒音とは思わなくなっていた。
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