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23 クーロウ地区にて

 ヘンリーさんのお薦めのお店を目指している途中、とある出店に目を奪われた。


「ヘンリーさん、あれ! あれを食べてみたいので、ちょっと買ってきます!」


 ヘンリーさんが小銭を払って馬を預けている間に、すぐ目の前の店に駆け寄った。丸く分厚い鉄板の上で小麦粉の皮が焼かれている。菜箸さいばしでヒョイヒョイと皮の端っこを剥がしてから、焼けた皮の下に差し込んで器用にひっくり返した。

 皮の上に刻んだ肉をたっぷり置いてからネギを散らして、上から真っ赤な液体を回しかけている。上下をパタパタと折ってからクルクルと丸めた。一連の動作が曲芸みたいだ。

 

 太巻きみたいになった商品を大きな笹の葉のようなもので包んで渡された。ヘンリーさんの分が出来上がるのを待ちきれずに、アツアツの料理にかぶりつく。口いっぱいに八角やニンニクやショウガの香りが満ちる。回しかけていた赤い液体は、期待を裏切らずに旨辛な唐辛子ソースだ。


「辛いけど、美味しい。なにこれ。味付けが懐かしい」

「目が潤むほど?」

「えへ。あまりにあっちの世界の味だったから懐かしくて」

「そう。喜びの涙ならいいんです。うっ、熱い。こんなに熱いのに、よく平気ですね」

「平気ではないです。口の中を火傷しました。ふふっ」


 火傷するほど熱いけれど、それがまたいい。私はその旨辛なおやつを完食し、五メートルも歩かないうちに次の美味を見つけた。直径八センチくらいの丸く白いお餅。半分に切った見本が置いてある。黒ゴマのあんだ。ゴマ餡入りのお餅を炭火で焼き、こんがりと焦げ目がついて膨らんだものを売っている。お餅に黒ゴマ餡。最高じゃないか。おそらくここなら食材も手に入る。


「すみません、それを二つ」

「はいよ」


 焼きたてアツアツを受け取り、これもすぐにかぶりついた。食べながらもう片方をヘンリーさんに差し出した。


「マイさん、昼食までに満腹してしまいそうですね」

「大丈夫。この味なら無限に食べられます」

「無限って。マイさんが本当に嬉しそうだから来てよかった」

「連れてきてもらってよかったです。ヘンリーさん、本当にありがとうございます。さあ、お薦めのお店に行きましょうか。私はまだまだ食べられます。食べられなくなったら持ち帰って明日食べます」


 ヘンリーさんが私の手を取った。


「美人さんがクーロウ地区で迷子になったら二度と見つからないって噂がありますから」


 ヘンリーさんはそんなこと絶対に言わないと思っていたし、しないと思っていたからびっくりした。

 お昼どきの通りは、たしかに庶民で混雑している。クーロウ地区は夜も眠らない街だとお客さんは言っていたっけ。

 

 やがて、通りを挟んで背の高い建物が並ぶ場所に到着した。建物から建物へと、頭上にはロープが無数に渡されている。そこにぶら下がっているのは、たくさんのランタン。夜に来たらきれいなんだろうなあ。


「ここは?」

「クーロウ地区の中心部です。ここに、最高に美味しい魚料理を食べさせる店があります」

「美味しい魚料理、いいですね! 楽しみ!」

「マイさんがそこまで魚を好きだとは知らなかった」


 美味しいものに目のないヘンリーさんが認める魚料理なら期待できる。『ドーリン魚料理店』と書かれた看板の店に足を踏み入れた。

 

「らっしゃい! 空いている席に座って」


 窓際の席に着いたらすぐにヘンリーさんがメニュー表を渡してくれた。


「好みの料理が見つかりそうですか?」

「揚げた白身魚の野菜あんかけと、エビの塩焼き、それと二枚貝の米粉麺でお願いします」

「決めるのが早いなぁ」

「喉から手が出るほど食べたかった料理ばかりなので」


 この世界に来てこんなにワクワクしたのは初めてかもしれない。ずっとエスニック料理が食べたいと思っていた。それもプロが作ったやつを食べたかった。夢見るほど食べたかった。ここの匂いは間違いなく本格エスニック料理だ。

 

 やがて料理が運ばれて、味も本格的なことを確認。どれも覚えがある味に近かった。人間が思う美味は、世界が違っていても同じ場所に着地していた。この発見に一人でニヤニヤした。そんな私を見るヘンリーさんの目がずっと笑っている。やっぱり誘ってよかった。


 魚の揚げ物は皮がパリパリで白身はフワフワ。かかっている甘酸っぱいタレはパンチが効いている。エビはプリプリで、甘い。振りかけられた岩塩と刻んだ香草の香りがエビの甘さを引き立てている。最高。

 ハマグリみたいな貝の身をたっぷり載せたフォーは麺もスープも優しくさっぱりしていていくらでも食べられる。途中で瓶に入っている液体をかけた。味はライムに似ている。味が変わって、また食が進むじゃないか。罪作りな。


 ヘンリーさんと「美味しいですね」「美味しいでしょう?」と何度もやり取りをしていたら、通りの反対側の店から子供が走り出てきた。


 手に貝のタレ焼きみたいな串を持っている。危ないなあ。転んだらどうするの。

 私の前でヘンリーさんが初めてここに来た時のエピソードをお話ししてくれているのに、子供が気になって目が離せない。立ち上がって子供に向かおうとしたら。


「あっ」


 子供が転んだ。思わずその子の手首から先に結界を張った。子供の顔は結界のボールにぶつかったけど、串は刺さっていない。目も口も無事。よかった。

 無事を確認してから(消えろ)と念じた。

 子供の後ろから若いお母さんが顔色を変えて走り寄り、子供の顔を覗き込んでいる。


(大丈夫だけど、串を持たせたら目を離さないでね)


 ホッとして腰を下ろし、視線をヘンリーさんに向けた。ヘンリーさんがちょっと怖い顔になっている。

 

「お話し中にごめんなさい。聞き逃しました。初めて来たとき、何があったんですか?」


 するとヘンリーさんがやっと聞き取れるぐらいの小声でしゃべった。


「結界が張れるんですね」

「……ん?」

「マイさんは、無詠唱で結界が張れるんですね」


 ヘンリーさんには知られてもいいと思っていたけど、顔が怖いのでなんて返事をすべきか迷う。そもそもあの結界、私にしか見えないはずよね?


「普通の人には結界が見えないらしいですが、俺には見えます。今、あの子が転びそうになった時、手首から先に球形の結界を張りましたね。そして無事を確認してから消した」


 見えるの? なんで? あっ。猫は結界が見えてたね。ステルス防犯ウエアを着たら、猫がみんな怖がって逃げたね。ヘンリーさんも?


「はっきり見えました」

「そうでしたか。ええ、私、結界が張れます。おばあちゃんのおかげです」


 サラッと白状して終わるかと思ったんだけど、そこからヘンリーさんの雰囲気がなんか変だ。せっかくの美味しい料理を互いに無言で食べた。

 雰囲気がどうであっても美味しいものは美味しく食べられるはがねの心臓と胃袋だから完食したけど。

 全部食べ終わり、香りのいい薄い色のお茶を飲んだ。

 

「マイさんが魔法を使えるなんて知りませんでした」

「聞かれなかったから。お話しする機会もありませんでしたし」

「詠唱無しで結界を張れるんですね?」

「はい」


 なんでヘンリーさんの顔が強張っているのだろう。この世界の常識に疎い私にはわからない。

 

「私が魔法を使えると言わなかったから怒っているんですか?」

「怒ってはいません。マイさんが俺に言わなきゃならない義理もありません。驚いて心配しているんです。あんな瞬時に結界を張れる魔法使いは滅多にいないから。俺が知っているのは二人だけです」


 二人いることはいるのね。よかった。


「普通は呪文を唱える必要があるから、張ろうと思ってから張り終えるまでに時間差が生まれるんです。あんなことができると人に知られたら、マイさんを取り込もうとする人が出てくるだろうなと思って」

「声には出しませんけど、脳内で呪文を一瞬思い浮かべるから同じでは?」

「同じではありません」


 魔法の速さが問題なの? 詠唱しないことが問題なの? わからない。そしてそれを質問したくない。なんとなくヘンリーさんの答えを予想できる。聞きたくなかった。


 さっき結界を張ったのは脊髄反射みたいなものだ。考える余裕なんてなかった。子供が失明するぐらいなら、魔法を知られてもいい。あの子の目を守ったことを後悔はしていない。

 だからこの話はいったんやめようと思った。せっかくクーロウ地区に来たのだし。


「このお店、ほんと大当たりですね」

「魔法のことを話したくないなら、今後はこの話題には触れないようにしますが」


『隠れ家』に通い始めた頃の無表情なヘンリーさんが、私の目をまっすぐ見ている。静かで穏やかな語り口なんだけど、笑ってごまかせない迫力があった。


「たぶんヘンリーさんは、この世界のことに疎い私を心配してくれているんですよね?」

「ええ」

「今後は気をつけて他の人には魔法を知られないようにします。でも、せっかく貰った力を使わずに、息を殺してただ生き延びるのもむなしいです。私はこちらに来てから、誰かの役に立ちたいと思って暮らしているんですよ」


 ヘンリーさんが考え込んでいる。飲み終えたカップの縁を、指先でなぞっている。カップの上を、人差し指が五周したところで、ヘンリーさんは唇の両端を少しだけ持ち上げた。


「わかりました。では、マイさんが魔法の力で誰かの役に立てるよう、お手伝いをさせてもらえませんか? あなたが魔法使いだと知られないように、筆頭文官の経験と知識を使ってお手伝いします」

「それ、ヘンリーさんが面倒なことになるのでは?」

「いいえ。俺は今まで仕事しかやりたいことがありませんでした。でもマイさんの助手という役目ができたら、毎日楽しく暮らせます」


 そんなことを言われると思わなかった。

 心配してくれているのに甘えない、可愛げがない女だと思われると予想してた。


「ヘンリーさんが手伝ってくれたら、心強いですね」

「助手にしてくれるんですね? 決まりですよ? 撤回はなしです」

「わかりました。よろしくお願いします」

「ではあなたの忠実なる助手として、ひとつ質問をしてもいいですか?」

「はい、どうぞ」


 あれ? なんかヘンリーさんの目が急にキラキラしてきた。


「『隠れ家』に初めて行った時から気になっていて、あなたがたった一人でこちらに来たと知ってからはいっそう気になっていることがあります。口外しませんので教えてください」

「急にしゃべりますね」


 ヘンリーさんが子供みたいに好奇心むき出しだ。ワクワクしすぎているのだろう。瞳孔がちょっと縦になりかけてる。三角耳が出ないうちに答えてあげなくては。ヘンリーさんが可愛くて、私は笑って質問を催促した。


「答えますから、早く質問してくださいよ」

「わかりました。では。マイさん、あなたは魔法でどうにかしてお金を手に入れていますね? 何をどうしているのか、見せてほしいです」


 頭が良くて勘もいい人は怖いと思いました。

 

 

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