154 ウニ
海までは馬車で行く。
ヘンリーさんが御者を務めるというので、私も御者席に座ることにした。サンドル君、アルバート君、キアーラさんは「貴族の妻が御者席に乗るなんて聞いたことがない」と言ったけれど、往復の時間を一人ぼっちで馬車に乗るのはつまらないじゃないの。
ヘンリーさんは「日焼けしてしまう」「風が当たるから風邪を引く」と心配してくれたけれど、五月下旬の御者席は快適だ。
「たびたび店にいない店主で申し訳ないけど、サンドル君たちがいてくれる間こそ出かけられるわけだから、割り切ることにしたの。ヘンリーさんはよく仕事を休めましたね」
「筆頭文官時代に比べたら、宰相付き文官は仕事の数は減ったんです。その分、任される仕事の重要度は上がりましたが。宰相は俺が休みを申し出たら『行きなさい。君は働きすぎだよ』と気持ちよく送り出してくれました」
「きっと、ヘンリーさんが倒れたら困ると思ったんですよ」
「ふふ、そうかもしれませんね」
日の出と同時に家を出たおかげで、昼少し前には海に着いた。
海はいい。心が解放される。潮の香り、打ち寄せる波の音。この世界でもあちらの世界でも海に来るとテンションが上がる。
「お昼はこの辺りの店で食べましょう。何が食べたいですか?」
「海の幸を食べたいです。お刺身は……ないんですもんね」
「そうですね。魚を生で食べる習慣がないんです。東京で食べた甘エビとタイのお刺身にはちょっと驚きましたが、あれは美味しかった」
「ヘンリーさん、あそこまで歩きましょうよ」
二人で砂浜を歩き、岩場まで歩いた。浅瀬に小さな魚が泳いでいるのが見える。
「あっ、ウニがいる。でもちょっと深い。んんん」
「リヨさんが作ってくれたウニのクリームパスタは美味しかったなあ。よし、俺が行く」
「待って、道具がないと怪我をしそう」
変換魔法を放って、石でスプーン状の道具を作った。
「これを使ってください。服は濡れても大丈夫。私が魔法で乾かすから」
「奥さんが魔法使いだと、本当に便利ですねえ」
そう言ってヘンリーさんが岩を下りて海に入っていく。腰まで海に浸かり、岩に張り付いているウニを剥がしては「いてて」と言いつつポケットに入れている。ポケットに入れられたウニが五個になるのを待って、声をかけた。
「ヘンリーさん、上がって。今ここでウニを食べたい!」
「今? ここで? そう……。今行きます」
海から上がってポケットからウニを取り出すまで、ヘンリーさんがずっと怪訝そうな顔をしている。
私はヘンリーさんの服と靴から、水分を適度に抜く。変換魔法で服と靴を身につけたまま作り直し、海水を分離させたのだ。
「ウニはをどうやって食べるんです?」
「どうやってって、こうやってですよ」
足元の岩に変換魔法をかけて石のナイフを作り、ウニを割った。中のオレンジ色のウニを指ですくって口に運んだ。海水がちょうどいい塩味をつけていて、ウニの甘味が引き立つ。甘い。旨い。
「最高。美味しい。酢飯とお醬油があったらもっと最高だったわ。次は絶対に酢飯とお醤油を持ってこようっと」
指ですくったウニを食べながらヘンリーさんを見上げると、何とも言い難い表情で私を見ている。
「え? 何か問題がありました?」
「いや、問題はないです。ただ、うちの奥さんはウニを割ってその場で指ですくって食べるんだなあと思っているだけ」
「もしかしてこの海辺で暮らす人々は、ウニを食べないとか?」
「俺が知る限り食べないですね。見た目が食べられそうもないですし。俺も東京で食べたのが初めてです」
「ほおん……」
指でウニを食べていることも、ウニを食べないと聞いて驚いている私の顔も、ヘンリーさんには面白いらしい。ずっと笑っている。
「ヘンリーさんも食べる?」と聞いたけど、「いえ、生のウニはちょっと」と言う。
とれたてのウニは生で食べるに限るのに。もったいないねえ。
ウニを食べて満足したので、近所の住民たちが利用するような気さくな食堂に入った。私はともかくヘンリーさんはどう見ても貴族に見えるから、お店の人がちょっと驚いている。
「マイさん、食べたいものは決まった?」
「はい」
ヘンリーさんはチラチラと他のお客さんに見られても臆することなく、片手を上げて店員さんを呼んだ。
「私はエビの塩焼きと、白身魚のオイル焼き、貝のスープ、それとパンをお願いします」
「俺は地魚のニンニク炒め、エビと魚のトマトスープ、揚げた小魚の酢漬け、それとこの堅焼きパンを頼む」
店員さんがいなくなってから、本音を漏らした。
「いいわねえ。海の幸。私、海辺の別荘が欲しくなりました」
「別荘か。いいね。買おうか? 小さめの別荘なら、俺の収入で買えると思うよ」
「でも王都から遠いもの。そうそう頻繁にお店をサンドル君たちに任せるのも……」
ヘンリーさんが最初に運ばれたスープを飲んで「旨い……」とため息をつくように漏らした。
「忘れたの? 瞬間移動で来ればいいじゃないですか。もうすぐ版木が届くだろうし」
「そうだったわ。版木が届いたらバンバン印刷して、行きたい場所に行き放題だったわ。最高。オーブ村にも行きたいです」
「そうだね。マイさんの魔力量なら、お隣に行くような気軽さでオーブ村に行けますね」
ふと思いついた。
「版木が届いたら、サンドル君たちも連れて海に来たいです」
「連れてきましょう」
エビの塩焼きには緑色のオリーブオイルがかけられている。エビの香りがついたオリーブオイルをパンに吸わせて食べると、うっとりするほど美味しい。白身魚は身がふわふわ。スープは貝のうまみが濃厚で、何もかもが美味しい。
「ねえ、ヘンリーさん。ずっと考えていることがあるの。聞いてくれる?」
「もちろん」
「魔法部のあの魔道具で旧大陸に行くのはどうかしら。帰りは私の瞬間移動で帰れば。ヘンリーさんも私も仕事をさほど休まずにアルセテウス王国に行けるようになると思うの。船で行くとなると往復だけで二ヶ月もかかる。宰相様付き文官のお仕事を、そんなに休めないでしょう?」
「そうですね。今の状況だと、二カ月以上休むのは当分無理そうです」
「個人のお出かけだと、魔道具の使用は断られるかしら」
「交渉次第ですよ。交渉なら任せてください」
ゆっくり食べながら、こども園の話をした。
「ハウラーこども園は今のままでいいんですかね。私が始めたくて開いたのに、私は子供たちと遊ぶくらいしか関わってないのが……気が引けるんです」
すると地魚のニンニク炒めを食べていたヘンリーさんが真顔になった。
「前から思っていたんですが、マイさんはすべて自分でこなすことを最善と思っていませんか? それはあまりに効率が悪い考えです。人に任せることも大切ですよ? 俺も、任せられる仕事はどんどん他の文官に任せています。そうしないと今の十分の一、いや、二十分の一くらいしか仕事をこなせません。それでは非効率極まりない」
「なるほど……」
「サンドル君たちに店を任せるのは悪いことではありません。マイさんが用事で出かけてもお客さんに料理を提供できるし、サンドル君たちのためにもなる。キアーラさんとケヴィン君にこども園を任せることにも、罪悪感を持つ必要はこれっぽっちもないんです」
そうね。私がこなせる仕事の量には限界があるものね。
「誰かを頼る、他の人に任せる。魔法使いといえど人間ですからね。倒れるまで働くことは、決していいことではありません」
「うん。そうかも」
「そうしてください。マイさんには笑顔でいてほしい」
おなかいっぱい海の幸を食べ、もう一度海岸に行って手を繋いで砂浜を散歩した。
「さあ、帰りましょうか」
「早く版木が届かないかなあ」
「もうそろそろ届きますよ。最初はどこへ行きたいですか?」
「オーブ村です!」
「では最初の目的地はオーブ村にしましょう。楽しみですねえ」
馬車は夜遅くに家に着いた。楽しい一日を過ごしたおかげで、すっかりリフレッシュできた。
そのお出かけの二日後、辺境伯領の木彫り職人デリックさんから、厳重に梱包された版木が届いた。






