147 王都へ帰る
私とヘンリーさんで話し合い、「魔法陣で帰る場面は辺境伯家の人間に見せない」と決めた。
辺境伯家のご家族に挨拶をして、私の部屋で紙を広げた。
「では魔力を注ぎます。リーズリーさん、絶対に魔法陣から出ないでくださいね」
「出たらどうなるんだ?」
「わかりませんが、おそらく生きては戻れないです」
リーズリーさんが慌てて足元を確認した。私が「よく考えたら、『線から出たら死ぬからね』って移動手段は、相当怖いですよね」と苦笑すると、ヘンリーさんが私の耳元で「飛行機と新幹線もそんなふうに見えましたよ」とささやいた。
ま、まあ、そう見えるか。特に飛行機はそうよね。
「魔力を注ぎます」
◇
私たち三人は、無事に王都の新居に戻ることができた。ヘンリーさんとリーズリーさんは、宰相様に報告するため、すぐに出ていった。私はまず子供園に顔を出し、「マイたんだ! おかえりマイたん!」とソフィアちゃんに抱きつかれた。これこれ。この幸福感。リリちゃんがおずおずと近寄ってきて、指先で私のスカートを触っている。ちょっとは懐いてくれてる! やったね!
「キアーラさん、ケヴィン君、日帰りのつもりが一泊することになっちゃった。ごめんなさい」
「辺境伯領まで一泊二日で行って戻れることがすごいのですよ。おかえりなさい。ご無事でなにより」
ケヴィン君は私の魔法の知識があまりないから目を白黒させているけれど、キアーラさんが「おいおい私から説明しますので」と言ってくれた。キアーラさんは実に頼りになる。
店に戻るとサンドル君が「お帰りなさい! 店の方は問題ないっすよ」と言ってくれる。アルバート君はスープを仕込んでいた。十時を知らせる鐘の音が聞こえてくる。
「今日の日替わりは予定通り、肉団子をのせたトマト味の麺でいいわね?」
「うっす! 肉団子はできてます」
「野菜スープもほとんどできてます」
「頼りになる。本当に助かっています。二人にはボーナスをはずまないとね」
二人が「ん?」みたいな顔をしているから、あとでボーナスの説明をしておこう。
十一時の開店と同時に続々とお客さんが入ってくる。私はこの瞬間が大好きだ。「いらっしゃいませ!」と出迎えるのも、注文を受けて厨房に伝えるのも、料理を運ぶのも楽しい。人に言えば大げさに聞こえるだろうけれど、「私、今、生きてる!」って感じがする。
「旨いな。俺はこの肉団子を食べるために働いていると言ってもいい」
若い男性がそう言うと、お仲間の同年代の男性は「俺はカツ丼を食べるために朝から腹を減らしてた」と真顔で言う。すると隣のテーブルで肉野菜炒めを食べていた中年の男性が「俺もここで食べると決めている日は、朝を控えめにしてるんだ」と笑った。
ちょっと胸が詰まる。(ありがとう)の気持ちで笑いたいのに、泣きそうになる。生きててよかったと言えば、私の事情を知らない人には笑われるだろう。でも、生きててよかったの、本当に。
十二時になると、最初に入ってくれた皆さんが帰ってお客さんが入れ替わる。一番忙しい時間帯だ。キアーラさんが子供園用の食事を取りにきて、ワゴンに載せて運んでいく。午後一時過ぎにはほとんどのお客さんが帰り、二時になったけどヘンリーさんは来ない。忙しいんだね。
私はサンドル君アルバート君と一緒に賄いを食べた。今日の賄いは五目チャーハンにした。麺が日替わりの日はご飯が残りがちだ。キアーラさんが食器を下げに来たから、「魔法陣をたくさん印刷できるように、木工細工の人に版木の製作を頼んできた」と言うと、キアーラさんが首をかしげている。
「どうかしましたか?」
「その版木というものを、マイさんが魔法で作るんじゃ駄目だったんですか?」
「あっ……それは……そう、かも」
なんでそれを思いつかなかったかな。チャーハンをスプーンですくったまま固まっていると、背後から声がした。
「いえ、それは俺も考えましたが、念には念を入れて他人の目で作ってもらったんです」
「ヘンリーさん! お昼は?」
「まだです。何か食べられますか?」
「日替わりがまだあるっすよ。作りますか?」
「サンドル君は休憩してて。私がチャーハンを作る」
ネギと卵とベーコンを炒めながら(やっぱりヘンリーさんは私の雑さが心配なんだねえ)と思う。正直言うと自分でも心配だからプロに頼んでよかった。餅は餅屋よ。
チャーハンをテーブルに運び、私も向かい側で一緒に食べることにした。
「あの、マイさんを信用していないわけじゃないんです。人には得意不得意があるから、その」
「わかってますって。私、ショウガを買いに行って玉ねぎと葉野菜を買って満足して帰ることあるでしょ? やっぱりデリックさんに頼んで正解ですよ」
本当にそう思ったんだけど、ヘンリーさんが私の手に自分の手を重ねた。
「ごめんなさい。傷つきましたよね。俺がダメなのはこういうところです。正解を求めるあまりに、人を不快にさせてしまう。職場では気を付けているのに、マイさんには時々その配慮を忘れてしまって。マイさんは一番大切な人なのに……」
「それは私に気を許しているからでしょ?」
うつむいたヘンリーさんの顔を覗き込んだ。
「いつもいつも気を張っていたら疲れちゃう。ヘンリーさんには今のままでいてほしいです。私が雑なのは本当のことで、たぶんこの先も雑さは消えない気がするんです。そのたびにヘンリーさんが軌道修正してくれたら心強い。私にまで気を遣わないで」
「マイさん……」
ヘンリーさんが私をうっとりした目で見てくる。恥ずかしいんですが。
「あのう……、お取込み中失礼します」
「なあに?」
アルバート君が気まずそうに声をかけてきた。若干顔が赤い。すみません、うっかり店でいちゃついてしまうダメオーナーでした。
「あの、僕、家でロールケーキの練習をしていて、昨日焼いたのが今までで一番上手にできたんです。試食してもらえないでしょうか」
「もちろん! 食べさせてよ」
アルバート君が作ってきたロールケーキはシンプルな仕上がりで、生クリームがきれいに渦を巻いている。ひと口食べると、ふわふわで卵のいい香りがする。
「売れる出来だと思う。とっても美味しい」
「あの、あの、僕……いつかはお菓子を専門に作る人になりたいんです。マイさんが僕らに店を持たせたいって言ってくれたのは、ここと同じ店を持たせたいってことだったのに」
「お菓子の専門店、いいと思う。やりたいことをやるべきよ。応援する。そして私がアルバート君の店の常連になる」
「えっと……。怒らないんですか?」
「怒るわけないじゃない。もっといろんなお菓子を教えてあげるわよ!」
アルバート君の目が潤んでいる。
「どうした? 本当よ? 私はアルバート君の最初の応援する人になったわ。たった今」
「ありがとうございます」
アルバート君が目を潤ませたまま、急に台所へ引っ込んで、入れ替わりにサンドル君が来た。
「アルバートのやつ、お菓子の専門家になりたいってずっと言い出せなかったんですよ。でも俺が『正直に言え、そうしたらマイさんがもっといろんなお菓子を教えてくれるかもしれねえだろ』って尻を叩きました。アルバートは俺らが世話になりまくってるのにそれは贅沢だって」
そっか。
「あのね、今日と同じ明日が来るなんて、誰にもわからないの。やりたいことはやればいいのよ。言いたいことがあるなら伝えればいいの。私はそうしている。意見がぶつかったら、そのとき考えようよ。アルバート君にはそう言ってあげて」
「ありがとうございます!」
ヘンリーさんが私の手をそっと握った。そうだった、ヘンリーさんは私が死ぬ運命だったことを聞くたびにつらいんだった。
「長生きして、アルバート君のお菓子を食べなきゃですね」
「ええ。そのとおり」
ヘンリーさんがまたチャーハンを食べ始めた。
「美味しいよ。母さんが国を出ていくことになって俺が落ち込んた時も、これを作ってくれましたよね」
「そう……でしたっけ?」
「なんだ、忘れちゃったんですね」
「ごめんなさい」
「いいですよ。俺がちゃんと覚えていますから。マイさんがどんな時にどんな料理を作ってくれたか、俺は全部覚えているんで」
「全部覚えているの? 本当に?」
「はい」
ヘンリーさんは驚いている私に「今度料理の思い出の記録を書きだしておこうかな。それを見て二人でおしゃべりするのも楽しそうです」と言って笑った。






