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144 辺境伯家の過去の話

 静かな室内で、ヘンリーさんの使うペンの音がカリカリと響く。

 なんでヘンリーさんは怒らないんだろう。これがこの世界の普通なのかな。助け合いの精神が色濃い、いい国だと思っていたのにな。


「マイさん、俺があの時説明できなかったのには理由があるんです。ご長男の前で『そのポーションは辺境伯が抱え込むと思いますよ』とは言えないでしょう? でもね、覚えておいてください。辺境伯家にはそうしようと思うだけの理由があるんです」

「理由?」


 私が天井からヘンリーさんへと目を向けると、ヘンリーさんは優し気な表情で私を見ている。


「サザーランド辺境伯家は、歴史をさかのぼると小さな独立国家でした。ウェルノス王国も今よりずいぶん小さな国だった頃で、何度も戦争を繰り返したんです。結果、サザーランド家はウェルノス王国に統合されました。この土地を守り抜く強い気持ちがあるサザーランド家を、ウェルノス王家は何代にもわたる婚姻で身内として取り込んだのですが……」

 

 あ、その話はたしか、コンスタンス様の講義でそれを聞いたわ。

 数代前のサザーランド辺境伯家当主が王家との血縁関係の濃さを理由に、王位争いに加わったとか。でも結局は直系の王子が王になった、という話だった。

 そのときの王子が王でいた時代は、辺境伯家を強く警戒していたと。強大な軍事力で王都に攻め込まれるのを恐れて、他国との戦争の気配が薄い時は、サザーランド家を目立たない程度に冷遇したと教わった。

 冷遇しすぎて辺境伯軍が弱体化しても困るけれど、力をつけすぎても困るという舵取りをしていたらしい。


「宰相付き文官の俺の前では絶対にそんなことは匂わせませんが、その時代のことを忘れるなと、親から子へ受け継がれていると思いますよ。サザーランド辺境伯家がこの領地を守ることになりふり構わないのは、そんな理由もあるんです」

「江戸幕府が諸藩に参勤交代をさせてお金を使わせた、みたいな感じかな。それを学校で習ったとき、その大金を藩の人々のために使えばもっと庶民は楽に暮らせたのにって思った」

「その話を本で読んで、どこも同じだと思いました」


 ヘンリーさんが東京で本を買うとき、私がタイトルとおおよその内容を説明したけど、江戸時代に関する本もあった。いろんな分野の本を買い集めていたけど、読み込んでるんだねえ。でもあのたくさんの本、家にないな。


「マイさんをザックス様の妻にという発想もそれでしょうね」

「なるほどねえ」

「ここに来る前に、宰相に交渉しておきました。店を休んで被災地を助けに行くのだから、国からの派遣という形にしてくれと。こちらで特級越えのポーションを作ることになるだろうから、うちの要求も聞いてほしいと言いました」


 私はボランティアだと思ってたよ。大震災以降、日本でも身近になったボランティア精神だったんですけど?


「とは言え、マイさんは金銭を貰ってもありがたみがないでしょう? だから我が家はお金はいらないから、子供たちが通う教育の場を充実させてほしいと要求しました。今は各地域の住民が子供たちにほぼ無償で読み書きを教えていますが、教える人に国から報酬を出してほしい、地域によって教育に格差ができないようにもしていきたいと」

「そうだったの? さすがすぎるわよヘンリーさん! 国の将来を見据えた要求なのね」


 ヘンリーさんは「マイさんの手柄を利用してでも、俺は実現させたいんです」と言う。


「マイさんは神殿に配るためのポーションも作って差し出しているでしょう? 俺がそのくらいの要求を出しても安いものです。平民の教育に国の資金を出すのを渋る貴族は少なからずいるでしょうけど、マイさんの活躍からしたらそのくらいの要求は通ります。日本の繁栄をみたら、本来は国が率先すべきことですし」


 そうか。ポーションを無償で提供するから、子供たちに教育を授けてほしいと要求するのは……このやたら多い魔力の有効活用だわ。

 我が家が寺子屋に出資してもいいんだけど、ヘンリーさんは国にやらせたいんだね。


「養父が以前から、『いつも無料でポーションを差し出していると、人はいつしかそれが当然だと思うようになる。人間はなんにでも慣れる生き物だからね』と言っています。養父はマイさんが便利に利用されることを心配しているんです。俺もですが」

「私、ヘンリーさんの意見を聞かずにここへ来た。ごめんなさい」

「本当にまずいときは俺が止めます。そのときは意見をすり合わせましょう」


 二人で顔を見合わせて苦笑した。


「無償でポーションを差し出し続けていると、貴族たちになめられます」

「ふううん」


 ドアがノックされて、夕食の時間だと告げられた。ヘンリーさんは食事に行き、まだおなかがいっぱいな私は長椅子に寝っ転がって休むことにした。こちらの世界に来てもう二年たったけど、こういう時はスマホが欲しいといまだに思う。こちらでは暇つぶしの道具が素朴なボードゲームくらいしかないんだよね。

 しばらくしたらザックス様が部屋に来た。律義にドアを全開にしてから椅子に座った。


「先生、具合はいかがですか。夕食を断ったそうですね」

「元気になりました。もう大丈夫。食欲がないんじゃなくて、おにぎりを食べすぎておなかが空いていないんです」

「おにぎり……」

「食べますか? 見た目はいまいちですけど、味は保証つきです」

「僕も昼食が遅かったので夕食を断ったんです。でもこのくらいなら食べられます」


 そう言ってザックス様はおにぎりと角煮をフォークで食べ始めた。


「この豚肉、美味しいなぁ。独特のいい香りがしますし、柔らかい! コメももっちりして美味しい。先生の店に行きたいなあ。美味しいものがいろいろあるんでしょうね」

「辺境伯家は、あまり遠くに出かけないんですってね」

「ここにいて国境を守ることが、我が家の仕事ですから」

 

 食べ終えたザックス様が唐突に「父のことを許してください」と言う。


「事情は分かりましたから。過去のことが影響しているんだろうと、だからそんなに腹を立てるなという意味のことを、ついさっきヘンリーさんにも言われました」

「そうなんです。ハウラー文官はさすがですね。僕たちは子供の頃、王家から冷遇された時代の話を繰り返し聞かされて育ちます。飢餓が発生したとき、最低限をギリギリ下回る支援しか受けられなかったという話です。他の領地より送られてくる小麦が少なかったと、後から知ったらしいです」

「食べ物の恨みは残りますよね」

「父は領民を大切にしないわけではないんです。神殿の怪我人の数は、下の兄が把握していたそうで。リーズリーさんのポーションで足りそうなことは、兄が事前に把握していたらしいです。それでも父と兄たちの言葉は足りなかったと思います。お許しください」


 さっきまでイライラしていたけど、ザックス様のしょんぼりしている顔を見たら怒りが収まったわ。

 お茶を頼んで、私が魔法を教えていたときの話をして笑い合った。


「あの頃、僕の魔力制御は本当に酷かったですからねえ」

「今日、大木を上手に移動させているザックス様を見て、成長なさったなあと思いました」


 そんな話をしていたらヘンリーさんが戻ってきた。私たちを見て驚いていたけど、にこやかな顔で会話に加わった。

 

「今後も辺境伯領で何かあれば、私と妻が駆け付けます。ザックス様は妻の大切な教え子ですので。竜巻の被害以外にも、国からの支援が必要な物資についてはご長男から伺いました。近いうちに魔法部が届けに来ます」

「ありがとうございます、ハウラー文官。心強いです」


 いい感じに話が収まったけど、今だけ『マイさん』じゃなくて『妻』って強調するのはちょっと恥ずかしいんですが。

 

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