143 神官エリアスとぶんむくれのマイ
辺境伯領の神殿は、被害を受けた大通りから少し山側に入った場所にあった。
豪華で大きい建物を想像していたが、それほどでもなかった。信者が祈りを捧げる場所にはたくさんの怪我人が集まっていた。血が滲む包帯姿の人もいれば、ぐったりと長椅子に横たわったまま動かない人もいる。
私たちの姿を見て、怪我をして横になっていた領民の皆さんから「ザックス様だ」と声が上がる。その声に気づいて、怪我人の間を歩いていた神官らしい男性がこちらに向かってくる。細身で明るい茶色の髪に茶色の瞳。温厚そうな表情の人だ。
(神殿側に許可を貰ってからポーション、よね。ザックス様を通すのが礼儀だわね)
「ザックス様、お運びいただき、ありがとうございます」
「神官様、こちらマイ・ハウラーさん。私の魔法の先生です。先生がポーションを持ってきてくれましたので、怪我人に与えたいのです。よろしいですね? マイ先生は何本持ってきてくれたんでしたっけ」
「十五本です」
「私は神官のエリアス・ポートマンです。ポーションを十五本ですか。ありがたいことです、ハウラー様。怪我人が大勢いますので、重傷者から与えたいのですが、私が怪我人を選んでもよろしいでしょうか」
しまった。そりゃそうなるわ。この少女のお母さんの分まであるかな。骨折なら優先されそうだけど。
「ザックス様、お城で私が作ったポーションは、すぐにここに届きますよね?」
「届くと思いますが」
「では神官様にお任せいたします」
そう言ってからかがんで、少女に謝った。
「私が持ってきた分で足りなくても、すぐに領主様がポーションを届けてくださるわ。待っていてね」
「はい」
はいと言いつつ少女が悲しい顔になった。「本当にごめんね」と謝っていたら、「店主殿、心配は無用だ」と声がした。振り返るとリーズリーさんが大きなリュックを背負って立っていた。
「私もポーションを五十本持ってきた。それで足りるだろう。神官様、私は王城魔法部の魔法使い、ジュゼル・リーズリーです」
「王城の! それは心強いです。遠いところをありがとうございます」
「リーズリーさん、助かりました」
「なんの。店主殿、私の役目の半分はポーションの運搬だからな」
合計六十五本のポーションで、十分足りた。少女のお母さんもポーションを飲めた。ハンカチのお礼も言えた。
でもさ! お城で私が作ったポーションがまだ届かない。何やってんだろ。持ってくるのが遅いわ。
神殿は無傷だったから私の用事は終わり、ザックス様とリーズリーさんの三人でお城へ戻った。
神官様は怪我人に話しかけられていたから、挨拶できないまま引き揚げた。
途中でポーションを運ぶ人とすれ違わなかった。すれ違わなかったわ!
「ザックス様、出がけに私が作ったポーションはどうなったのでしょう」
「すみません、先生。父に聞いてきます」
お屋敷に着いてザックス様と別れた。リーズリーさんは「食事をしてくる」と言っていなくなった。
私は最初に案内された部屋に戻った。ヘンリーさんが一人で書類を書いていて、「マイさんお疲れさま」と迎えてくれた。
「大通りの壊れた家は、全部元通りに修復しました。神殿に行って、私のポーションとリーズリーさんのポーションでどうにか足りて、怪我人全員に行き渡りました」
ヘンリーさんがペンを置き、私に向き直った。
「何を怒っているんです?」
「出発前に地下室でポーションを作りました。大きな壺に五個分です。それが神殿に届かなかったんです。どういうことかしら。ポーションを早く飲ませたいと思ったから急いでここに来たのに!」
そこでグウウッとおなかが鳴った。
「おなかペコペコだから、おにぎりを食べる。ヘンリーさんは?」
「さっき出された食事を頂きました。マイさんの分も運ばれると思いますよ」
「いい。おにぎりを食べる」
出かけるときに置いていった袋を開け、中からおにぎりと豚の角煮が入っている木箱を取り出した。
左手に塩結び、右手にフォークを持って、おにぎりと角煮を食べる。おにぎりは少し塩加減が足りないけど、アルバート君が握ってくれたおにぎりだから、それだけでも美味しい。角煮ももちろん美味しい。
ヘンリーさんが甲斐甲斐しくお茶を淹れてくれて、それを飲みながらおにぎりを三個、角煮をたっぷり食べた。途中で昼食が運ばれたけど、「もう食べ終わった」とヘンリーさんが返事をして恐縮させた。
「どういうことかしら。なんでポーションを神殿に持って行かなかったのかしら。腹立つ!」
「おそらく、まずは領兵に飲ませたんでしょうね。それで余ったら有事に備えて保管。辺境伯領の領主なら、そう判断するのが当然です。マイさんがポーションを作ると言って出て行ったとき、こうなるだろうなと思っていました」
「だったらあの場で言ってほしかった。薬草を分けてもらって、神殿でもポーションを作ったのに。領主様からそんな説明はなかったけど、それがここでの正解なら仕方ありませんね。ヘンリーさん、もう帰りましょう。リーズリーさんがまだ帰らないなら、魔法部の人が魔導具で迎えに来ればいいんだし」
ヘンリーさんの返事がない。「ヘンリーさん?」と催促したら首を振られた。
「マイさん、今夜はこちらに泊まりましょう」
「嫌です。むなく……気分が悪いから、さっさと帰りたい」
「家を何軒修復しました?」
「数えてないけど、六十軒か七十軒くらい」
「ここへ来るのに魔力を使っているし、ポーションも作っている。その上家を何十軒も修復したんです。今夜はここに泊まって魔力を回復させて、明日帰りましょう。万が一魔力が不足して、変な場所に飛んだら困るでしょう?」
「大丈夫なのに。じゃあ、途中の町に飛んで、そこの宿に泊まりましょうよ。ここにはもういたくない」
「その宿から王都まで、馬車で帰るんですか? 何日かかることか。お互い、仕事があるんですから無理を言わないで」
そのとおりだけど、知らん!
私が黙っていたら、ヘンリーさんは困った顔で私の両手を取った。
「マイさんは怒ると子供っぽくなるんですね」
「兵隊さんは何人怪我をして、大怪我をしたのは何人ですかね?」
「そういう問題じゃないんです。辺境伯軍はいつ敵の侵攻があってもいいよう、万全の態勢でいる必要があるんです。それが辺境伯の責任なんです」
だけど大きな壺に五個分もポーションを作ったんだもの、絶対に足りて余ってると思う。残りを神殿に運ばせてもよかったんじゃないの?
ヘンリーさんの手を離し、長椅子にボフンとうつぶせに倒れ込んで目を閉じた。
私とこの世界の人たちとでは価値観が違うのはわかってる。だけど、神殿にいた人たちはみんな結構な大怪我だった。ポーションが足りたからよかったようなものの、足りなかったらどうなってた? 最悪、死人が出たかもしれないじゃない。
辺境伯はあの状態を知ってたわけ? 領民の怪我の様子を確認もしないで兵隊さんに飲ませたんじゃないの? なんかもう、猛烈にむかつくんですけど!
「今夜はここに泊まります。それは譲れません。いいですね?」
「いいですけど、夕食の席には出ません。残りのおにぎりと角煮で済ませます。領主様には私が疲れて眠っていると伝えてください」
「わかりました。そう伝えます」
ドアをノックする音がした。ヘンリーさんがドアを開けて、ザックス様の声が聞こえてきた。
「マイ先生とお話しできますか?」
ヘンリーさんが私を振り返って「マイさん? お話はできますよね?」と聞く。さすがに「できない」と答えるような大人げないことはできないから、のそのそ起き上がって三人で向かい合って座った。
「マイ先生、すみません。ポーションは領兵に飲ませたそうで、神殿でポーションが足りたなら残りは保管すると言っています」
「そうですか。わかりました。保管していただいて結構ですが、兵隊さんは神殿の人たちよりも大怪我だったのでしょうか」
ザックス様が「僕は領兵の怪我の具合を見ていないのでなんとも」と言って視線を下に向けた。
「マイさん、そこまでです。辺境伯様の判断に口を挟むべきではありません。さあ、あなたは横になってください。ザックス様、今夜はこちらに泊めていただけますか?」
「もちろんです! 先生は魔力切れですか? 大丈夫ですか?」
「大丈夫ですけど、眠って魔力を回復させます」
そう返すと、ザックス様は「お大事に」と言って部屋を出た。
ヘンリーさんは再び書類仕事に戻った。私は腹を立てたまま長椅子に仰向けになって、天井を眺めた。