139 いつかはたどり着く
子供達は竹馬に夢中だ。
ソフィアちゃんは「キアーラ先生! 見て! フィーちゃんのこと、見て!」と叫びながら走り続けているし、リリちゃんはゆっくり大股で歩いたり一本だけに体重をかけてくるりと優雅に回転したりして楽しんでいる。
昼食を届けに来た私に気がつくと、二人とも竹馬に乗ったままこっちに向かってきた。
今日の給食はひき肉とチーズとジャガイモのグラタン、ピクルス、ニンジンたっぷりの小さなカップケーキ。
キアーラさんが子供たちに「石鹸で手を洗いますよ」と声をかけている。その声も眼差しも優しい。キアーラさんみたいな先生が見つかるといいのだけれど。
忙しい時間帯なのですぐに店に戻り、ヘンリーさんが食べにくる午後二時まで働いた。
「お疲れ様でしたね」と声をかけると、ヘンリーさんは「お昼にマイさんに会えると、午後も頑張れるよ」と目を三日月のように細くした。
私がヘンリーさんと話をしていると、サンドル君が「食器を下げてきますね」と言ってこども園に行ったまま、ヘンリーさんがランチを食べ終わった今もまだ帰ってこない。
アルバート君に「賄いの時間だから、サンドル君を呼んできて」と頼んだ。そうしたら今度はアルバート君も帰ってこない。食べ盛りなのにおなかは空かないのかな。
仕方ないからヘンリーさんを見送ってからこども園に向かう。竹馬で遊んでいるのかな、と建物を回り込んで庭を見ると、子供達は大縄跳びをしていた。昨夜のうちに作って、遊び方をキアーラさんに説明しておいたものだ。私とキアーラさんで回す役をしようと思っていたのに。
キアーラさんとサンドル君が大縄を回し、アルバート君、ソフィアちゃん、リリちゃんが滑らかに動きながら大縄をすり抜けている。三人しかいないからとても忙しいのに、リズムが乱れない。三人が三人とも、ベテランの跳び手みたいな余裕の動き。全員運動神経がいい。
ヘンリーさんが竹馬で複雑なステップを踏んで踊っていた様子を思い出した。獣人はみんな運動神経がいいのだろうか。
サンドル君が私に気づいて「マイさん! 大縄、おもしろいっすね」と笑った。サンドル君は笑うとめっちゃ可愛い。アイドルみたいな可愛さだ。
「はーい、みんな! 一度お休みしましょうか。サンドル君とアルバート君は賄いを食べてよ」
「そうでした。すみません、楽しくて夢中になっちゃって。そういや腹ペコです」
「マイたん! 見た? フィーちゃん、上手?」
「見たわよ。めちゃくちゃ上手で驚いた!」
「ふへへ」
嬉しそうなソフィアちゃんの頭を撫でていたら、リリちゃんが私を見ていた。
「リリちゃんも上手だったわねえ! 私、びっくりしちゃった!」
そう声をかけると、リリちゃんはキアーラさんのスカートの陰に隠れたけど、頭の端っこがコクリと動いた。
(えっ、キアーラさんにはもう懐いたんだ? なんで? 私は警戒されてるのに!)
いや、そこは競争じゃないな。人懐っこい子もいればそうじゃない子もいるもんね。
サンドル君とアルバート君が「賄い早く食べたい。腹減った」「夜の仕込みもあるのに遊んじゃった」と言いながら私と店に戻った。
今日の賄いは豚丼。こってり濃厚な味付けにした。
二人はバクバクと二口三口食べてから同時に「うまっ」とつぶやいた。サンドル君が「これ、初めて食べました。なんでこれを日替わりに出さなかったんすか」とちょっと怒ったみたいに言う。
「理由はないけど、豚肉はカツと生姜焼きが人気だから忘れていたっていうか」
「いやいや、これを出しましょうよ。明日さっそく! 絶対に人気出ます」
「目玉焼きも添えようかな」
「卵は別料金にしましょう。少しでも安い方が嬉しい人もいますし、俺は卵を足すなら肉を増やしてほしいです」
「う、うん。肉増しってのもいいかもね。お米と肉の両方増してもいいし」
「いいっすね! あー、いや、肉丼の種類が増えたら計算するマイさんが大変ですよね?」
「全然。足し算だけだから問題ないわよ」
サンドル君が一瞬なにか言いかけたけど、結局何も言わずに豚丼を食べ始めた。
「あの大縄、二本で回す遊び方もあるのよ。私はそれ、少し苦手だった。すぐ引っかかっちゃうの」
サンドル君とアルバート君が顔を見合わせて首を傾げている。私が左右の手をつかって説明したけど、イメージをつかめないらしい。
「店が終わってからでよければ私が跳んで見せるけど。あ、でも下手だけどね!」
「見たいス」
サンドル君が乗り気だ。そして今。サンドル君とアルバート君に回してもらって、私が跳んで見せている。若者二人の目がキラキラしていて、ダブルダッチを気に入ったらしい。サンドル君が、「次は俺が跳んでいいすか」と言って私と交代したけれど、初回から成功している。なんでじゃ。
アルバート君も「次は僕だよ!」と待ちきれない様子だ。キアーラさんが苦笑している。
(しまった、キアーラさんはずっと休憩していないんだった!)と思ったところにヘンリーさんが登場した。
「楽しそうだね」
「ヘンリーさん、お帰りなさい。すぐ夕食にしますね」
「その前に、俺も仲間に入っていい?」
そう言いながら上着を脱いでいる。これはもう、竹馬に続くパターンだ。どうせ上手に決まって……。
「うわ……」
するりと二本の大縄の間に入ったヘンリーさんが、跳びながら笑っている。そして「もっと速く回せる?」と注文を出した。サンドル君たちが「じゃ、いきますよ」と言って大縄の回転を速めたのだが。
ヘンリーさんはなぜか妻の私が見たこともないくらい笑っている。高速で回転する二本の大縄の間で跳び続け笑い続けている。
ヘンリーさんは一瞬の隙を見て縄から抜け出したが、おなかを押さえてしゃがんで、まだ笑っている。
「く、苦しい。楽しくて笑い始めたら止まらなくなってしまって。俺、体を動かしてこんなに笑ったのは初めてです」
もしかしてこの国の学校って、体育の時間がないのかな。
と、思ったんだけど。夕食を食べているヘンリーさんに聞いたら、そもそも子供が通う学校がないと言われた。
貴族は家庭教師に勉強を教わり、平民は学校で学ぶことなく社会へ出るそうだ。
じゃあ、カリーンさんたちはどうやって読み書きを身につけたんだろう。
カリーンさんは市場でお金のやり取りをしている。値札も読み書きしている。サンドル君たちだって、字は読めるし店の貼り紙くらいなら書くこともできる。
「たいていは善意の人間が無償で教えています。最低限の読み書きを教わって、親はできる範囲で謝礼をします」
寺子屋みたいなことかな。
「あちらの世界に行ったとき、俺は骨身に染みて理解しました。国力を上げ、民の生活を底上げするのは教育だなって。全国津々浦々に水道と電気を行き渡らせ、街と街を繋ぐ道を重機で整備するには、事業に関わる人全員が読み書きできて諸々の仕組みを理解していてこそ、ですからね」
「それをゼロからやろうとしています?」
ヘンリーさんがうなずいた。でもそれ、五十年や百年では足りないと思うわ。ヘンリーさんが豚丼を一度テーブルに戻して続きを話し始めた。
「トウキョウから持ち帰った本によると、マイさんの国では国が民に教育を義務化したんですよね? 『子に教育を受けさせるのは親の義務』としたのは、たった百数十年ほど前でした」
あの本、全部読んだのかしら。いつの間に? 持ち帰った本を読んでいるところを見たことがないけど、職場で読んでいるのかしら。
「この国は文化的にマイさんの国からはるか遠くにありますが、諦めずに歩み続ければ、いつかはマイさんの国にたどり着きます。いつかは必ず。その最初の一歩がハウラーこども園だと思っています。俺、こども園の行く末をとても楽しみにしているんですよ」
ヘンリーさんの声がいつもと少し違っている気がしてお顔を見たら、瞳孔が若干細くなっていた。
「俺は今、陛下に奏上する『国民皆教育制度』について、案を練っているところです」
「……そうだったんですね」
「ええ」
豚丼を上品に口に運んでいるヘンリーさんが、超かっこいいんですけど。






