138 おばあちゃんに保育園の話を聞く
目が覚めた時からずっとワクワクしている私は、鏡を見ながら髪をとかしていても口が緩んでしまう。ヘンリーさんが「今朝はずいぶんご機嫌だね」とベッドの中から話しかけてきた。
「あちらの世界で手が出なかった品を、こちらの世界で手に入れられるかもしれないの。嬉しくて顔が勝手にニヤついてしまって。またサンドル君たちに笑われてしまいそう」
「へえ、そんなに欲しいものがあったの? マイさんが物を欲しがるのは珍しいね」
そうなのだ。変換魔法は材料さえ揃っていれば何でも自作できる。オパール、ダイヤ、真珠さえも。しかし宝石そのものに興味がないから、それは喜びにつながらない。華やかなドレスも興味がない。
そんな私が今期待に胸をときめかせているのは、両手に収まるくらいの小さな家だ。
極小のネズミが住むキノコの家や、ウサギが住む切り株の家。本を開いたらフクロウの家族が住む家、というのもいい。猫が住んでいる家もなにか考えたい。
「リリちゃんのお父さんが木でアクセサリーを作っているんですよ。お願いしたら私が欲しかった小さな動物の家を作ってもらえるかもしれないんです。想像しただけでジタバタしたくなるほど嬉しくて」
「それは……飾って眺めるものなの? 動かして遊ぶものなの?」
「どっちも! あまりに小さいから、子供よりも大人が楽しむものなの。家の形をしている人形の家ならこちらの世界でもあるかもしれないけど、そうじゃないんです。キノコや切り株をパカリと開くと寝室や台所や浴室が見えるんです。可愛くないですか?」
「あ……うん。俺はまだ明確には想像がついていないけど」
それを聞いて私は、あちらの世界で見たことがある「クルミを開くと家」「ダチョウの卵を開くと家」になっている作品の愛らしさを熱弁した。どちらもネットの画像で見ただけだ。そしてとても高価で手が出なかった。
ダチョウの説明を省いたものだから、ヘンリーさんは私が息を切らして話し終えると同時に「ダチョウってなに?」と素早く質問した。
きっと「今はマイさんの話を遮っちゃダメだ」と判断して、私が話し終わるのを待っていたのだろう。
その気持ちもおかしくて愛おしくてクスクス笑いが止まらない。
今朝の朝食はソーセージと目玉焼きと蒸したジャガイモ、ニンジンの炒め物、野菜スープだ。新居に引っ越してからも食事は『隠れ家』で済ませるので、キアーラさんも一緒に食べている。
キアーラさんはミニチュアハウスの説明を聞いて私の興奮ぶりを理解してくれた。
「お話を聞いているだけで可愛いものが思い浮かびます。私も見てみたいです」
「そうでしょう? とにかく可愛いんです。小さいけど本物そっくりっていうところに萌え……魅力があるんです」
ヘンリーさんは穏やかに微笑んで聞いているけれど、たぶん三割ぐらいしかわかっていないと思う。だけど実物を見たら絶対に感動するはず。エドさんに作ってもらえるといいなあ。
思い立って、紙にミニチュアハウスの絵を描いた。絵は下手だけど、言いたいことは伝わるはず。ヘンリーさんが興味深げに絵を眺めていた。
絵を描き終わった頃にサンドル君とアルバート君が出勤してきて、「マイさんは今日もご機嫌っすね」と言われてしまった。
やがてカリーンさんがソフィアちゃんとリリちゃんを荷車に乗せて、『隠れ家』にやってきた。
「おはようございます。こんなに早くからいいんですか?」
「いいんですよ。キアーラさん、お願いします」
「お任せください。ソフィアちゃん、リリちゃん、私と手をつないでこども園に行きましょう」
両手を子供たちとつないだキアーラさんが、いそいそと道を渡っていく。その後ろ姿を眺めていたら、サンドル君が私を見た。
「マイさんも行きたい時に行って大丈夫っすよ」
「あら、私は手すきの時に顔を出すだけにしておくわ」
「無理していませんか?」
アルバート君がエプロンを身につけながら笑う。そんなやり取りを笑って聞いていたカリーンさんは、このまま市場に向かうそうだ。
カリーンさんを見送り(今夜にでもおばあちゃんにこども園の話をしてあげたい)と思いつつ、私はその日一日を上機嫌で働いて過ごした。
夕方にカリーンさんが迎えに来て、再び荷車に子供たちを乗せて帰った。荷車には柵をつけて子供たちが落ちないようにしてある。その柵につかまって立ち乗りしている子供たちが「こんにちは!」「こんにちは!」と道行く人たちに声をかけて、すれ違う人たちを驚かせている。子供が柵付きの荷車に乗っているなんて、なかなか見ないものね。
カリーンさんが「荷車の代金を払うから譲ってほしい」と言うので、薪三束と交換することになった。
夜、用事を全部済ませてからおばあちゃんに伝文魔法で話しかけた。
「へえ、保育園かい。マイは保育園が好きだったね。教わった歌を繰り返し歌ってくれてさ。マイが描いた絵は、全部取ってあるよ。お遊戯会で被ったお面もある」
「そうだわ! 歌の時間とかお絵描きの時間も必要よね!」
「七夕やクリスマス、ひな祭りの様子を楽しそうに話してくれたっけ」
「ビニールプールで水遊びするのもスイカ割りも、全部楽しかった!」
「子供たちにたくさん楽しいことを経験させてあげるといいさ」
「うん! おばあちゃん、また保育園時代の話を聞かせてくれる? 私、自分が当時何を楽しんでいたのか、忘れているみたい」
するとおばあちゃんが「ふふふ」と笑う。
「あんた、竹馬マイちゃんって呼ばれていたのを覚えてる? 最後は竹馬に乗ったまま大縄跳びまでこなしていたっけね」
「竹馬! 大繩もあった! 懐かしい!」
「なんだ、全部忘れてたのかい」
そうだった。私は竹馬とか缶ぽっくりが得意だった。竹馬に乗ったままものすごい勢いで園庭を走って、先生に「危ないからそんなに速く走っちゃダメ!」と注意されたっけ。竹馬の駆け足では、誰にも負けなかったわ。
「おやすみなさい、おばあちゃん」と話を終えて、我慢できずに家の外に出た。
新居の庭には雨露を防ぐ屋根だけの小屋があり、薪はそこに積んである。そこから薪をひと束抱えて、二階の居間まで階段を駆け上がった。
薪を抱えて鼻息荒く部屋に戻ってきた私を、ヘンリーさんは目元に笑みを浮かべて見ている。私は変換魔法を放ち、木製竹馬の大人版を作った。紙ヤスリなんてかけなくても木肌はすべすべだ。
さあヘンリーさん、竹馬マイちゃんの技に驚くがいい。
何も説明せずに竹馬に乗り、ヘンリーさんの前でカッカッカと早歩きをして、くるりと華麗にターンした。私の体は竹馬を覚えていたわ。
ドヤ顔した私にヘンリーさんが上品に拍手してくれたけど、さほど驚いていない。なんでよ。
「木製だと重いなぁ。あちらでは中が空洞の竹馬が使われていたんです」
「竹馬って言うんだ? これの中を空洞にしたら折れて危ないのかな?」
「体重の軽い子供が使うぶんには折れないかな。空洞を狭くすれば大人でも大丈夫だと思います。変換、と」
空洞を作ったら少し軽くなった。するとヘンリーさんが「俺も乗ってみたい」と言って竹馬をヒョイと手に取って乗った。
見るのも触るのも初めてのはずなのに、ヘンリーさんは最初から乗りこなした。
私の目の前でカッカッカと走り、複雑なダンスのステップまで踏んでいる。なんでよ。
「これはいい。大人でも楽しめますね。あれ? なぜ面白くなさそうな顔をしているんです?」
「いえ……別に」
ヘンリーさんが竹馬マイちゃんより上手だから悔しい……とは言いたくなかった。






