137 エリカさんとエドさんに会う
私一人でリリちゃんの家を訪問した。私が訪問することを事前にカリーンさんから知らせてもらっていたので、リリちゃんによく似たクルクルカールの茶髪のお父さんが出迎えてくれた。
居間に入ると、私を見てリリちゃんのお母さんがソファから立ち上がった。彼女は白に近い灰色の髪に青い瞳で、穏やかそうな女性だった。
「いらっしゃいませ。リリの母です。エリカと申します。夫はエド。細工職人です。カリーンさんと娘から、ハウラーこども園の話を聞きました。リリがとても喜んでいました。私が寝込むようになってから、あの子のあんな笑顔を見たのは初めてです。本当にありがとうございます」
「リリちゃんは楽しそうでした。もしよければですが、私のこども園にリリちゃんを預けることを考えてみてください」
リリちゃんのご両親は二人で互いの顔を見て、うなずき合った。
「リリは『こども園にまた行きたい』と繰り返していますが、我が家は私が長いこと寝込んでいたためにお金がありません。こども園が今は無料でも、いつの日か有料になるかもしれませんよね? そのときリリに『もうこども園には行けなくなったよ』と言うのを想像すると……」
「そのことでしたら、ご安心ください。こども園は利益を出すために開くのではありません。ハウラー子爵家の慈善事業の一環ですので」
ヘンリーさんが書いてくれた紙を手渡した。
そこには(さすがは元筆頭文官様!)と思わせる几帳面な文字と数字が並んでいた。王都の平民で、一定の収入以下の場合は無料と書いてある。
この一定の収入を決めるのが神経を使う作業だったらしい。片親でも豊かな収入があれば養育係や子守りを雇えるから、使用人を雇えない収入のラインを見極めなければならなかったらしい。リリちゃんの父親がヘンリーさんの書いた紙を見て「うちはこれより大幅に少ない収入です」とつぶやいた。
「私は庶民の女性向けのアクセサリーを作っています。木や布を使った安価な商品なので、収入も限られるんです。銀細工や金細工などを作れれば利益も上がるのですが、材料費もなければ販路も持っていませんので」
「でしたら、リリちゃんを預けていただけると嬉しいです。子供は一人より二人のほうが楽しく過ごせますから」
「ぜひお願いします。助かります」
ご夫婦が同時にそう言ってくれて安心した。エリカさんは病み上がりだから早々に帰ろうとしたら、エドさんが「少々お待ちください」と言って、他の部屋から小さなものを手に戻ってきた。
「私の作品です。お受け取り下さい」
渡されたのは木製の小さな花に着色して、中央にお花を七つ繋げたネックレスだった。金属のチェーンの代わりに小さな木製ビーズが使われている。思わず「このビーズはエドさんの手作りですか?」と間抜けなことを聞いてしまった。工業製品がまだ登場していない世界なのだから、全てが手作りに決まっている。
「ええ、もちろん。私は子供のころから細かい手作業が好きで、ビーズもひとつひとつ私が作っています」
ビーズを木から? 一個一個に穴を開ける作業も手作業で? すごいねぇ。
「あの、エドさんは注文を受けることもありますか?」
「はい。注文なんてめったにありませんが。なにかご希望の品があるのでしょうか」
「あります。でも、今はうまく説明できないので、考えをまとめてからお願いに参ります」
「わかりました。お待ちしています」
明日からリリちゃんを預かる約束をして、帰りにはカリーンさんの家に寄った。
カリーンさんは「ディオンの収入はおそらく基準より下だけれど、私が仕事を休めばソフィアの面倒を見られます。そこはどうなるのでしょうか」と言う。
それに関してヘンリーさんは明快なルールを考え出していた。
「祖父母が別の家に住んでいるなら、その収入まで調べて入園を制限する必要はありません。マイさんは受け入れたいのであって、断りたいわけじゃない。それに、祖父母の収入まで調べるとなると、遠くにいる祖父母が裕福だったらどうするんだって話になります。それを言い出したらきりがない。こども園は民の税金を使っているわけじゃないのですから、別世帯のことは条件の枠に入れなくていいんです。だからソフィアちゃんも預かればいい」
ヘンリーさんの言葉をカリーンさんに伝え、ソフィアちゃんには「明日からおいで。休息の日はこども園がお休みになるけど、それ以外は毎日来てね」と伝えた。
「やったああ! フィーちゃん、どどもえん行くよ!」
ソフィアちゃんは飛び跳ね、途中から尻尾を出してしまった。カリーンさんに「ソフィア、尻尾が出てるわよ!」と注意されている。
私は『隠れ家』に戻って店で忙しく働き、キアーラさんとヘンリーさんに報告した。話を聞いたキアーラさんがとても嬉しそう。
「リリちゃんもこども園に入るんですね。ソフィアちゃん一人より二人のほうが楽しいですもの、よかったです」
「俺もいいと思う。この国で最初の試みですから、まずは宣伝せずに二人から始めましょう。子供の数は徐々に増やせばいいですよ」
「はい、そうします」
私の保育園時代をあれこれ思い出して、必要な物を思い出したらメモを書く。街で買うものもあったし、変換魔法で作ることもある。新居で必要な品も、なるべく王都で売られている品を買うようにしている。
家具店で家具を買い、食器の店でカップやお皿を選びながら店主と会話をするのが楽しい。心に余裕のある今は、全部を変換魔法で作るのは味気ないのだ。
『隠れ家』を始めるときは、家具類雑貨類をほとんど魔法で作った。
あの頃はまだ店主さんと会話するのを楽しむだけの心の余裕がなかったし、人生が終わりかけた時の記憶が鮮明だったから、とにかく時間を節約したかった。生き急いでいた感じだろうか。
こっちの世界で生活の基盤を整えることに必死で、買い物を楽しんだ記憶がない。記憶自体があまり残っていないのだ。
「私がこの世界に来てもうすぐ二年になります。今はヘンリーさんがいるし、自分がこの先も生きられるかどうかという不安を抱かなくなりました。私、やっと買い物を楽しむ心の余裕が生まれたんだと思います」
ヘンリーさんが私の方へと体を横向きに変えて、私をがっしりと腕で包み込んでくれた。
「不安を取り払えたんですね。よかった。マイさんは強いなあ。そんな不安を抱えていたのに、全然愚痴をこぼさなかった。でも、これからは俺に遠慮なく何でも言ってください。楽しいことだけじゃなく、マイさんがつらいこと悲しいことも俺は知りたい」
「不安に苦しみながら生きていたわけじゃないんですけど、長生きできるっていう根拠のない自信を持てなかったの。病気になる前は自信満々だったんですけどね」
そう言うとヘンリーさんは、私を抱きしめる腕に強く力を込めた。体温が高いヘンリーさんに包まれて、私は力を抜いた。長生きする自信がないみたいなことを言ってしまって、余計な心配をかけちゃったかな。
しばらくして腕の力が緩んだ。
「大丈夫。長生きできます。俺たちは仲のいいおじいさんとおばあさんになるんです」
「今はそう思っていますよ」
そう答えても、ヘンリーさんは無言で私のおでこに自分のおでこをくっつけていた。しばらくして「そうだ」と声を出した。
「こども園で働く人を、あと一人見つけておいた方がいいと思いますよ」
「そうなんですよね。どうやって見つけようかしら。子供が好きで、落ち着いた性格で、働くのが好きな人がいいんですよねえ」
そこまで返事をして、眠気に負けて目をつぶった。何か忘れている気がしてしばらく考えていたら、リリちゃんのお父さんのエドさんを思い出した。
手先が器用で細かい作業の得意なエドさん。あちらの世界にいる頃ずっと欲しかったけれど高価で買えなかった「あれ」を、エドさんに頼んだら作ってもらえるかな。
もしかしたら変換魔法で作れるかもしれない品だけど、それじゃ何も楽しくない。
そんなことを考えているうちに眠りに落ちた。






