133 需要はあるはず
リリちゃんに小さく手を振ってみた。リリちゃんは視線さえも動かさない。
カリーンさんはポーションを持って走っていった。戻ってくるまではここでリリちゃんを見ていなきゃ。今度はリリちゃんに声をかけてみた。
「リリちゃん、おなかすいてない?」
感情がこもっていない眼差しが私に向けられたけれど、返事はない。子供が喜びそうな食べ物を持ってくればよかった。
返事は貰えないんだなと納得した頃に声が聞こえた。
「いらない」
リリちゃんは食べ物はいらないと言ったのだろうけど、「あなたの親切はいらない」と言われたような気がした。
おそらくあの子の母親は重病だ。幼い子供をそばに置いておけないほどに。この子は自分が母親を失いかけていることに、気づいているんだろう。
そりゃ食欲なんて出ないよね。でも、待っていてね。よほどの手遅れじゃない限り、お母さんは元気になるよ。リリちゃんもおなかが空くようになるよ。
ソフィアちゃんにしがみつかれたまま、玄関でカリーンさんの帰りを待った。やがてタッタッタと軽快な足音を響かせてカリーンさんが帰ってきた。相変わらず駆け足が速くて軽やかだ。
「飲ませてきました。まだ様子は変わりませんが、きっと効きますよね? 旦那さんが何度もお礼を言って、ポーションをくれたのはどなた様ですかと聞かれましたけど、言えないと答えておきました」
「たぶん良くなると思いますが、ポーションも万能ではないから……。私はソフィアちゃんと店まで帰ります。お騒がせしました」
ぺこりと頭を下げ、ソフィアちゃんと手をつないで歩きだした。ソフィアちゃんが一度だけ振り返ったから、私も振り返った。カリーンさんがドア全開で見送っているから、どこを見つめるでもなく目を開けているリリちゃんが見えた。
「ソフィアちゃん、リリちゃんがぺいってしても許してあげて」
「なんで?」
「なんでも」
「マイたん、泣いてるの?」
「泣いてないよ」
「マイたん、よしよし」
ソフィアちゃんがムチムチした小さな手で私の手を撫でてくれた。私は泣かないよ。両親を失ったときの十歳の私が顔を出そうとしているけど、それは心に押し込んだよ。そもそも十歳のときだって私は泣かずに乗り越えたんだし。
てくてく歩いて店に戻った。ヘンリーさんが制服に着替えて待っていた。
「え。ヘンリーさん、遅刻では?」
「遅刻ですけど、マイさんの顔を見てから行くべきだと思ったものですから。お昼は城で食べて仕事をします。待っていてよかった。泣きそうな顔だ」
「そう? 泣いたりしていないのに。ヘンリーさん、早く会いたいから今日は早く帰ってきてね」
「うん。全力で早く帰ります」
ヘンリーさんが何度も振り返りながら出勤した。
キアーラさんが「ソフィアちゃんを連れてディオンさんの仕事場に行ってきます」と言ってくれて、私は少しぼんやりした。
サンドル君とアルバート君が出勤して、そこからは忙しくて何も考えずに働いた。
今日の日替わりはチーズハンバーグのオニオンフライ添え、野菜スープ、パンだ。色が茶色ばかりだから二十日大根を飾り切りして添えた。切れ目を入れて水に漬けてお花みたいに開かせた二十日大根は評判が良かった。
夜になって、ヘンリーさんが走って帰ってきた。息を切らせて、汗もかいている。
「そこまで急がなくてもよかったのに」
「俺が急ぎたかったんです。マイさんの様子が変だったから心配で」
私、変だったかな?
とりあえず夕飯にした。キアーラさんが給仕してくれながらも心配そうな視線を私に向けている。私、そんなに変なのかしら。自覚はないんだけど。
食事を終え、私の考えをヘンリーさんにもキアーラさんにも聞いてもらおうと思った。
「やっぱり子供を預かる施設を作りたいです。人を雇って、子供が安心して楽しく遊べる場所を作りたいの」
「店はどうするの?」
「私はこのまま『隠れ家』で働いて、施設は適任者を選びます」
「俺はいい考えだと思いますよ」
「私はそこで働きたいです」
ん? キアーラさんが?
「キアーラさんは子供が好きなの?」
「大好きです。この歳まで子供と関わらずに生きてきましたが、ソフィアちゃんとここで関わるようになって、自分は子供が大好きなんだと気づきました。子育てをしたことがない私でもよろしければ、雇っていただけませんか」
キアーラさんの温厚な性格なら、安心して任せられる。今の調理補助や配膳の補助では申し訳ないなと思っていたところだ。私はシルヴェスター先生の魔法の本を読んで少しずつ練習しているけれど、魔法の技術はわからないときだけキアーラさんに聞けばいいわけだし。
「じゃあ、キアーラさんが園長先生でいいですか?」
「園長? とは?」
「子供を預かる施設の責任者のことです。私、結婚してマイ・ササキ・ハウラーになったから、ハウラーこども園って名前がいいと思うんですけど。ヘンリーさん、子爵様が許してくれるかしら」
「問題ありませんよ。一応実家には連絡しておきますね」
あっさり園の名前が決まってしまった。『ハウラーこども園』て、とてもいい名前だと思う。食事は『隠れ家』で作って運べばいい。もう一人職員が欲しいところだけど、最初は二人から始めるから、キアーラさんだけで、おいおい追加しよう。
ソフィアちゃんとリリちゃんを預けてもらえなくても、需要はあると思うのよ。
食事を終えて、三人で薪をたくさん新居に運び込んだ。遊具を作るためだ。
「俺は子供の募集が先だと思いますけど?」
「大丈夫。大っぴらに募集しなくても絶対に需要はある。現にリリちゃんのお母さんはカリーンさんに預けているでしょう? リリちゃんはカリーンさんがいたけれど、預け先がなくて困っている人は王都に必ずいるって。いなかったら、子供の遊び場にすればいいし」
児童公園みたいに昼間に安心して遊べる場所があってもいい。きっと無駄にはならない。
新居に運び込んだ薪と布類に変換魔法をかけて、次々と遊具を作った。滑り台、ブランコ、小さなテント、低い平均台。
「あと何があったかなあ。子供時代が昔過ぎて、保育園に何があったか思い出せない」
頭を抱えていたら、ヘンリーさんが「マイさん、店の方で声がしますよ」と言う。急いで店に戻ると、玄関の前にカリーンさんとヴィクトルさんがいた。カリーンさんが泣いていて(うそ、ポーションが効かなかったの?)と血の気が引いた。
「カリーンさん、どうしました? なんで泣いているんですか?」
「マイさん、ポーションが効きました。リリちゃんの母親がおなかが空いたと言って、起き上がってスープを飲んだんです」
はああ。よかった。効いた。間に合った。
そう安堵した瞬間、心の中に押し込めていた十歳の私がバーン! と飛び出した。いきなり熱くて強い感情が噴き出して号泣してしまった。
しゃくりあげて泣いている私をヘンリーさんが抱きしめて「大丈夫、大丈夫」と落ち着かせてくれようとしている。
私のあまりの泣きっぷりにヘンリーさん以外の三人が驚いているのはわかってる。だけどエグッエグッと変な声が出るほど泣けてしまって、泣いている理由を説明できない。
ヘンリーさんが私の背中をトントンと優しく叩きながら代わりに説明してくれた。
「マイさんは十歳でご両親を見送っているんです。おそらくリリちゃんの話を聞いて、当時の心境を思い出したのでしょう。今朝からずっと不安定だったんですよ。泣くだけ泣いたらすっきりして元気になりますから。心配しないで大丈夫です」
ドンピシャの通訳をありがとう。
子供のときは泣かないで明るく振る舞えたのに、この年齢になってリリちゃんを見たら、どういうわけか泣かずにいられないんだもの。おなかの奥から泣かせろと訴える私がいるんだもの。
泣きながら(そのとおり)と何度もうなずいていたら、ヘンリーさんが私の頭を撫でて「よしよし。好きなだけ泣きなさい」と耳元でささやいた。






