131 宰相付き文官の妄想
朝からハウラー子爵家を訪れ、ハルフォード侯爵夫人に真珠を渡してもいいのか聞いてみた。ヘンリーさんは少し遅れてお城に行くことにしたらしい。
「二十個の真珠を言い値で……か。マイが作っていることは秘密にしてもらえるのかな?」
「キリアス君は私が作っていることに気づいていますが、それを侯爵夫人に言うかどうかは確認していません」
「おそらく彼は言わないでしょうし、言ったとしても夫人はそれを外には漏らさないでしょう。王家派のうちと親しくしていることを知られれば、都合が悪いのは中立派のハルフォード侯爵家のほうですから」
ヘンリーさんがそう言うのを聞いて、子爵様が「そうだな」とうなずいている。
「ただ、材料費がほぼかからないから逆に値付けがむずかしくて」
「キリアス君に渡した真珠を基準にすればいいのでは? キリアス君に渡したのは大粒ひとつに小粒を二つでしょう? 大粒の値段で二十個分を請求すればいいですよ」
あれを基準に? 日本円に置き換えると二十個で四百万円くらいになっちゃう。子爵様にその旨を伝えると、子爵様は「その値段でいいでしょう。ハルフォード侯爵家なら、なんということもない金額です」とおっしゃる。
「父の言う通りです。マイさんが気にすることはありません。その値段でいきましょう」
「そ、そう? じゃあ、そうします。貰ったお金をどうするか考えなくちゃ」
「お金は腐りませんから、使い道はゆっくり考えればいいんです」
ヘンリーさんにそう言われて、私たちは子爵家を後にした。
「そういえば、ハウラー家の料理人がクリームに色を付ける方法を教えてほしいと言っていました」
「ああ、パトリシアさんのお誕生ケーキをピンクにしたから。ん? なんでハウラー家の料理人さんがそれを知っているの?」
「新しい情報を手に入れて最新の料理を習得することは、貴族の家で働く料理人なら当然です」
厨房にスパイがいるってこと? まさかね。
「いろんな方法で情報を集めるそうです。ハウラー家の料理人がどんな手段を使っているのかは、俺も知りませんが」
ヘンリーさんが苦笑している。ほえええ。
「じゃあ、クリームをピンクや緑、黄色に染める方法をお教えしますね」
「うちの料理長が飛び上がって喜びます」
ヘンリーさんが柔らかく笑っている。店に帰ると、キアーラさんが「お向かいのおうちの方がいよいよ引っ越すと挨拶に来てくれましたよ」と報告してくれた。家の引き渡しは数日後になるそうだ。
「キアーラさん、いつまでもあなたを地下室に住まわせていることに気が引けていたの。この家の二階に住んでもらえますか?」
「私は地下室の湿り気が気に入っていたのですが、この家に人が住まないのは不用心ですね。わかりました。こちらに住まわせていただきます。お家賃はいかほどになりますか」
「いやいや、キアーラさんに住んでもらうなら、管理費を払いたいぐらいだから」
そんなやり取りがあって、二階の空気の入れ替えを毎日してもらうことを条件に話が落ち着いた。
「ついに引っ越しですね」
「今度の家の内装は、マイさんの好きにしていいんですよ。家具や改修費用は父が持つそうです。マイさんの料理で我が家はずいぶん潤ったらしいです。遠慮しないでくださいね」
そうヘンリーさんに言われて、(じゃあ真珠の代金は一体何に使えばいいんだ)と遠い目になったが、その使い道が見える出来事が起きた。
カリーンさんが「しばらくソフィアは私が面倒をみます」と言う。
「市場のお仕事を休むんですか?」
「ええ、近所の家の母親が調子を崩したので、その家の子を私が預かることにしたんです。困ったときはお互い様ですから、ついでにソフィアも私が面倒をみます」
「おうちで面倒を見るんですか?」
「ええ。川が近いから、小さい子は目を離せないんです」
うーん、うーん。
「王都では子供を預かる施設はないんですか?」
「子供を預かる施設……」
カリーンさんが怪訝そうな顔をしているところを見ると、保育園や託児所は存在しないのか。
ここは真珠の代金の出番じゃない?
大掛かりにはしないで、少人数を預かる場所を私が運営してもいいのでは?
決めるのはヘンリーさんと話し合ってからにするけど、これはいいアイデアじゃないだろうか。日に何時間か預けて、その分の料金を払っても外で働いた方が家計が助かる家は絶対にあるはずだ。
給食を私が作ってもいい。調理する人を雇ってもいい。保育する人も雇ったら、二、三人と言わずもっと子供を預かれるのでは。
猛烈にあれこれアイデアが湧くけれど、落ち着け私。
やたらやる気があるときに突っ走るのはまずい。子供が関係することだ。託児所を経営するにしても、まずは落ち着いてじっくり考えよう。
夜になってヘンリーさんが帰宅してから、託児所の話を相談してみた。
「託児所……。俺が知る限り、そういう施設はありません。子供は家族が育てるもので、母親か祖父母が面倒を見ていますね。祖父母が面倒を見られない場合は、近所の人や友人に預けるようです」
そっか。現代日本の生まれ育ちだと、気兼ねなく子供を預けられる場があればいいと思ったんだけど。もしかしてそれは古き良き助け合いの精神を失わせることになるのかな。
「マイさんがやってみたいなら、まずはソフィアちゃんと近所の子供の二人から始めてみればいいのでは? 実際に始めてみないとわからない問題も出てくるでしょう。場所は新居の一階を使ってみたらどうです?」
「でも、まずは掃除とか改修工事をしなきゃ。業者さんもまだ探していないのに、どれほど先になることか」
ヘンリーさんが「おやおや」と言って笑う。
「壁も床も、変換魔法で新品に作り直せば一瞬で終わるでしょう? リヨさんがマイさんを新しいマイさんに作り替えたように、汚れを取り除いて作り直せばいいんです。急ぐなら魔法を使って、業者に頼まなくてもいいのでは? 子供たちが使う家具やおもちゃも、マイさんならあちらの世界の優れたものを作れるでしょう? 面白い試みだと思います」
うわ。私の夫は天才か。
「待って。じゃあ、毎日繰り返してきた店や厨房の掃除も、私が変換魔法を使えばよかったってことね?」
「いいえ。アルバート君たちに掃除の大切さ、清潔に保つための苦労を知ってもらわなきゃならないから、それはやめたほうがいい。いずれ彼らを独立させたいんでしょう?」
「そうか……。私、特別に優秀だったことはないけど、学校の勉強で落ちこぼれたこともなかったんです。でもヘンリーさんと話をしていると、なんかこう……自分がものすごく頭の悪い人間に思えてくるわ」
ヘンリーさんがふんわり私を抱きしめて「違いますよ」と慰めてくれた。
「毎日毎日文官として各方面から上がってくる申請書と報告書を読んでいると、その計画がつまずくのか順調に進むのか、始める前にわかるようになるんです。それと、マイさんの魔法の活用法については、俺が日々妄想しているからすぐに思いつくんですよ」
「妄想? どんな?」
「俺がマイさんの変換魔法を使えたらって、しょっちゅう妄想しているんです。結構楽しいです」
その妄想、めっちゃ聞きたい。だけどヘンリーさんは笑うだけで教えてくれない。
「マイさんの力を使えば、一気にこの国を発展させることができるでしょう。でも本当にこの国のことを思うなら、それじゃダメなんです」






