129 そぼろ丼
疲れた顔で帰ってきたヘンリーさんに鏡を見せた。
「これで記憶に残っている人の姿を見られるんです。シルヴェスター先生は天才ですねえ。キアーラさんの記録では数日で魔法の効果が消えると書いてありますけど、それでもすごくないですか?」
「俺にも試させてください」
そう言ってヘンリーさんが手鏡を覗き込んだ。特に何かを思い出すような素振りもなかったけど、鏡を見て「うっ」と声を漏らした。
「すごい。これはまるでマイさんのいた世界でみたテレビみたいだ。母の姿がこんなにクッキリと」
「私も見ていいですか?」
「もちろんです」
そこにはカルロッタさんがいた。女学院の使用人用の制服を着て、こちらに向かって心配そうな表情で何かを喋っている。しばらく眺めていると、カルロッタさんは穏やかな笑顔に変わった。
「すごいな。なぜこれを作ろうと思ったんです?」
「ロディアスさんにこれを見せたら、正直にいろいろ話してくれるんじゃないかと思って」
「その件だったら、今日片付きました。法務部文官のハリソンさんが終わらせたと言うべきですが」
「あら、ハリソンさんですか?」
猫型獣人のルウさんとお付き合いしていて、妹さんをヘンリーさんの結婚相手にどうかって話を持ってきた人だ。
「ハリソンさんは仕事柄、警備隊と付き合いが深いんです。ロディアスの話も詳しく知っていました。彼は『確たる証拠がないまま拘束を続けるのは、国にとってよくない結果をもたらす』と言って、ロディアスと取引をしたんです。でも……」
ヘンリーさんが視線を伏せた。
「本当は俺を心配したんだと思います。『お前、私怨で動いてないか?』って言われました。確かに今回の件は俺の職務の範疇を超えていましたから」
ヘンリーさんによると、ハリソンさんの解決方法はこうだ。
あの集合住宅を現金で購入した資金の出所を問いただし、『資金の出どころを説明できない以上、その資金に税金が払われていないものと見なす。追加の罰金を含めて税金を払わせる。その代わり、拘留は終わりにする』ということらしい。
「集合住宅の価格が大きかったし弁明も一切しなかったから、罰金は高額になりました。ロディアスは持ち金を全部支払ってもまだわずかに足りず、奉仕労働が科せられました」
「奉仕労働ですか」
「市場近辺の道路掃除を半年間。脱走したらあの集合住宅は国の所有になって競売にかけられることになるから、脱走しないだろうと判断されたんです」
私は決着がついたことに安堵した。
「俺は不満ですけどね」
「ロディアスさんは自分が勘違いで私を憎んでいたことに気づいたんでしょう? もうあんなことはしないでしょうし、私は……ヘンリーさんが憎しみに駆られている姿を見ているのはつらかったです。私の両親が亡くなった後のこと、話していませんよね。私も憎しみに駆られていた時期がありましたから、ヘンリーさんの気持ちが少しはわかるんです。でも……」
そこから全部話した。両親が交通事故に巻き込まれたあと、直接の原因になった人を恨んだこと。恨むのをやめたこと。
「そんな経験があったんですね」
「ええ。両親だけじゃなく私自身も、まさかあんなに早く人生が終わると思わなかった頃のことです。自分に残されている時間を知っていたら、人を恨んでいる暇なんかなかったのに。その分の熱量を、自分とおばあちゃんに使いたかった」
ヘンリーさんが「マイさんの病気の話は何回聞いてもつらい」と言って私をそっと包み込んでくれた。
「私は手持ちの時間を大切に使いたいの。ヘンリーさんにも大切にしてほしい。今からはもっとちゃんと私を見てください。ここのところ、私はずっと寂しかったです」
「うん……ごめんなさい」
「今度のお休みは、クーロウ地区に美味しいものを食べに行きたいです」
「そうしましょう」
「今夜はロミさんのお店に飲みに行きたいです」
「行きましょう。寂しい思いをさせて、申し訳なかった」
そう言いながら私の首にヘンリーさんが噛みついている。本気ではないのだけど、結構痛い。
「待って待って。なんで私、謝られながら首を噛まれてるんです? 痛いんですけど? ちょっと! 跡が残るからやめなさいって!」
逃げ出そうとするけどヘンリーさんの腕の力が強くて動けず。こういう時に一番利くのはこのセリフだ。
「やめないともう口を利きません!」
シュバッとヘンリーさんが離れた。
その夜は二人でロミさんのお店に行った。ヘンリーさんは私と出かけるとほとんど飲まない。護衛に徹するのが喜びだからという理由だ。最初は気が引けたけれど、最近はヘンリーさんが護衛役を本気で望んでいると知ったから遠慮せずに飲んでいる。
私がかなりいい気分になったあたりでヘンリーさんがオーダーストップをかけて帰る。それもいつものコースだ。
二人で夜道を歩きながら、私は酔ってヘラヘラと笑いながら歩いた。
私はその時に、「おばあちゃんのそぼろ丼が食べたいなぁ」と言ったらしい。かすかに記憶がある。
ヘンリーさんにいろいろ質問されたような気もする。
酔っ払いが歩きながら説明すると息が切れるから、途中で「もういい。説明するの、疲れる」と文句をたれたような気もする。
飲みに行った数日後。ソフィアちゃんとパンを買いに行って家に戻ったら、そぼろ丼を出された。
「アルバート君たちに手伝ってもらいながら作ったんだ。どうかな」
サンドル君は「試食したっすけど、うまかったっす。やっぱ、ミンチ機は便利っすね」と笑顔だ。
見た目は間違いなくそぼろ丼。ひと口食べたら美味しいんだけど少し違う。甘さが足りない。
でも、ヘンリーさんが作ってくれたことが嬉しくて、食べている途中で涙が出た。ヘンリーさんがオロオロしている。
「どうしたの? なんで泣いてるの?」
「ありがたくて。ヘンリーさんは料理なんてしたことないでしょうに、私のために……。嬉しいです」
「これからは、もっと料理もするよ。いつか俺が作ったお弁当を持ってお出かけしよう」
「はい。楽しみにしています。ねえ、みんなも食べましょうよ。アルバート君、そぼろはまだあるんでしょう?」
「ありますよ。たっぷり作りました。今日の賄いはこれです」
「あっ、待って」
急いで卵そぼろを作った。卵、砂糖、牛乳、バター、塩。これだけ。ダシを入れたのも好きだけど、おばあちゃんのこのレシピが好き。
ご飯を盛り付けて、鳥そぼろと卵そぼろを半分ずつ盛り付けたら二色丼の出来上がり。
サンドル君たちがかきこむようにして食べている。
ヘンリーさんも「卵そぼろと合わせてたべると、いっそう美味しい」と言ってくれた。
「これ、メニューに入れませんか」
「これ? お金をいただくには、少し慎ましすぎない? 私、できれば家では作らないようなものを提供したいんだけど」
「じゃあ、持ち帰りはどうですか? 売ったら喜ばれると思うんすよ」
「サンドル君、すっかり商売人ね。そうだ、売るならこうしたらどうかしら」
和え物にしようと思ってゆでておいた青菜を刻んで添えた。
ソフィアちゃんがずいぶんおとなしいなと思ったら、二色丼を食べ終わっていて器を舐めていた。
こうして『隠れ家』には、また穏やかで楽しい時間が流れるようになった。
思い出映しの鏡は、後日カリーンさんを経由して奉仕労働のロディアスさんに渡してもらった。
魔法で作ったことと、数日は使えるという注意も伝えてもらった。
それから二週間後、「ロディアスさんから渡された」と言って、カリーンさんが封筒を届けてくれた。封筒の中には紙が一枚。
『本当に申し訳ありませんでした。鏡をありがとうございます。大切に使います。今もまだ両親の姿を見られます』とだけ書いてあった。
私は(あなたの持ち時間を大切にしてほしい。どうかもう道を間違えないで)と思いながらその文字を眺めた。






