128 思い出映しの鏡
このところヘンリーさんとヴィクトルさんがやたら話し合いをしている。
きっとあの件のことを相談しているのだろう。
私のことが原因だから私も口を出したいのだけれど、不思議なことにヘンリーさんは予知能力でもあるかのように私の発言の気配を察するのだ。
「ロディアスさんのことですが」と話しかけようとして息を吸っただけで、「この件は俺に任せてください」と言う。
(今、息を吸っただけなのに?)とちょっと腹が立つ。
そんな私たちの様子を、キアーラさんが心配しているような、面白いものを見たというような複雑な顔で見ていたが、ヘンリーさんが出かけてから私に話しかけてきた。
「マイさん、いい魔法を思い出しました。シルヴェスター先生の魔法の記録帳に、今回の件に役立ちそうな魔法があるのです」
「なんです? どれです?」
いそいそと記録帳を持ってきて差し出すと、パラパラとページをめくっていたキアーラさんが「これです」と、とあるページを指さした。そこにはキアーラさんの小さく几帳面な字で「思い出映しの鏡」とタイトルが書いてある。
「その人の思い出を鏡に映し出せるんです。親思いの人ならば、両親の姿を見たいと思うのでは? そう思ってくれたら思い出映しの鏡と自白を交換するのです」
「いいわね! 犯人がカツ丼で里心がついて自白するみたいなことね」
「カツ丼で里心……それはよくわかりませんが。これは非常に繊細で複雑な魔法で、シルヴェスター先生も苦労なさっていました」
「そんな難しい魔法、私に使えるのかしら。私は魔力が多いのだけが取り柄の魔法使いなのに」
「多いだけって。そんなことはないでしょう? 偉大な魔法使いであるリヨル様のお孫さんなのですし」
それを言ってくれるな、キアーラさんや。
確かに私は偉大な魔法使いの孫だけど、おばあちゃんと違ってパワー特化型魔法使いなんですよ。
そう思いつつ記録帳を読んだ。
読んだけど全然わからなかった。なにこれ。物理の教科書くらいわからないんですけど。
「ごめんね、キアーラさん。全く理解できないわ。グリド先生ならわかるかもしれないから、教わりに行こうかしら」
「ぜひそうなさってください」
「じゃあ、明日行ってみます。明日はお休みだけど、何の予定もないし」
ヘンリーさんはまた出かける用事があるらしいからちょうどいい。
こうして私はソフィアちゃんを連れて、グリド先生のお屋敷を訪問することにした。
ヘンリーさんが出かけてから伝文魔法でグリド先生に了解を取り、ソフィアちゃんと二人で出発した。
「マイたん、どこ行くの?」
「魔法使いの先生のところ」
「せんせい、フィーちゃんもいいよって?」
「うん。ソフィアちゃんも来ていいよって言ってくれたよ」
「やったあ! フィーちゃん、マイたんといっしょ!」
「一緒だよ。嬉しいねえ」
小さくてむちむちした手をつないで歩くと、毎度のことながら胸がキュンとする。以前は子供を持つなんて諦めていたけど、やっぱり子供はいいねえ。
グリド先生の家に着くと、窓から私たちを見ていたらしいサラさんがドアを開けてくれた。
「お待ちしてました。旦那様もお待ちかねですよ。あら、可愛いお客様も一緒なんですね」
「はい、そうなんです」
「フィーちゃんです」
「まあ可愛い。私はサラと申します。よろしくね。さ、マイさん、どうぞ二階へ」
「おじゃまします」
ソフィアちゃんはお屋敷に入ってからずっと鼻をクンクンさせている。嗅ぎ慣れない匂いなんだね。薬草の香りが気になるのかな。
グリド先生は書斎で椅子に座って本を読んでいた。お元気そうだ。
「やあ、マイ。久しぶりだな。元気なんだろうね」
「はい。私は元気です。今日お邪魔したのは、シルヴェスター先生の魔法のことです。シルヴェスター先生が編み出した魔法を使いたいのですが、全然理解できません」
「ほう。どんな魔法かな?」
シルヴェスター先生の記録帳を開いたところで、ソフィアちゃんが「クチュン」と天使みたいなくしゃみをして、グリド先生がソフィアちゃんを見た。
ソフィアちゃんは椅子に座って足をブラブラさせて部屋の中を見回していたが、グリド先生の視線を受けてピタリと動きを止めた。
「嬢ちゃんの名前を教えてくれるかな?」
「フィーちゃんです! こんにちは」
「ほう。お利口さんだな」
「フィーちゃん、いい子です!」
グリド先生がほっこりしているなと思ったら「ちょっと抱っこをさせてくれるか?」と言う。先生が小さい子に興味があるのは意外だ。さっきだってチラリとソフィアちゃんを見ただけで声をかけなかったのに。
ソフィアちゃんは物怖じすることなくタタッと先生に近寄った。そのまま抱きあげられて大人しくお膝に座った。
その状態でグリド先生が記録帳を読んでいる。
「ふむ。なるほど」
隣で見ている私に、「これはずいぶんと繊細な魔法だよ」と言って説明してくれたのだけど、やはり何を言われているのか理解できなかった。グリド先生が「ここが重要だな」と言って指さした部分には「鏡を霧のように優しく魔力で包む」とある。私はそこでお手上げになった。表現が詩的すぎませんか。
魔力をガーッと集めてバーン! 方式のグリド先生の指導もわかりにくいけど、シルヴェスター先生の表現もわかりやすいとはいえなかった。
結局、魔力を操作するという作業は感覚の問題だから、空手やバレーボールのように、上達するには体が覚えるまで練習するしかないんだろうね。
「マイ、私も練習してみるよ。マイと私のどちらが先にシルの魔法を習得するか競争だよ」
「その競争に勝てる気がしませんけど、頑張ってみます」
「これは久しぶりに楽しみができた」
グリド先生はご機嫌だ。
先生はソフィアちゃんを気に入ったらしく、別れ際に「また遊びにおいで」などと言っている。
ソフィアちゃんは「いいよ」と返事をしていた。サラさんもソフィアちゃんが可愛くて仕方ない様子で「次はお菓子を用意しておきますね」とニコニコしている。
私は実践あるのみと覚悟を決めて、街で安物の手鏡をたくさん買ってきた。その数二十枚。手鏡も二十枚あるとかなり重い。
「キアーラさん、ただいま」
「おかえりなさい。あら大荷物。たくさん鏡を買ってきたんですねえ」
「いっぱい練習するだろうと。あら? その箱はなんですか?」
「さっき、ハウラー家の使用人さんがいらっしゃって。脱水機の売り上げの一部だそうです」
「あー、あれ、売れたんですね。儲けは領地に使ってくれていいのに」
魔力不要の回転式脱水機は、業者さんが試行錯誤して作ってくれた。
手回しハンドルと歯車を使って木桶の中のかごを回転させ、洗濯物を脱水する。手で絞るのに比べてシワにならず繊細な生地も脱水できるとあって、貴族と裕福な平民に評判らしい。
水魔法を必要とする乾燥機は「天日干ししたらいいんじゃないのか?」という意見が大半なのと、水魔法を使える人の応募がなくて頓挫した。
いいよいいよ、私がこつこつと乾燥携帯食を作るよ。
ソフィアちゃんがカリーンさんと帰ってからひたすらシルヴェスター先生発案の魔法を練習し続けた。
私の様子を見ていたキアーラさんがぽつりと漏らした。
「マイさん、鏡は魔法を失敗しても何度でも使えるから、二十枚はいらなかったかもしれませんね」
「キアーラさんも気づきました? 私も気づきました」
「ぷっ」
普段あまり表情の変わらないキアーラさんが笑い転げている。そんなに面白かっただろうか。
「マイさんの明るさは癒されますね」
「そう言ってもらえると救われます。ちょっとすっとこどっこいでしたね」
「すっとこどっこい。魔法の呪文みたいですね。あ、そう言えばマイさんは呪文を全然使いませんね」
「頭の中で唱えることもたまにありますけどね」
「たまにですか。マイさんはやっぱりすごい魔法使いですよ。シルヴェスター先生とはタイプが違う天才です」
照れるわ。
思い出映しの鏡というファンタジーな品を作り出したい一心でひたすら挑戦し続けた。
何時間続けたか。夜九時の鐘が鳴ったところで顔を上げた。
「これ、できたんじゃない? 霧のように魔力で鏡を包めた気がする。キアーラさん、試してみて」
「私が最初でよろしいんですか」
「私が試すより、魔力を持たない人が結果を見たほうがいいと思う」
「ロディアスという人も魔力を持っていないですものね。では失礼して」
手鏡を持って、キアーラさんが目を閉じた。
ゆっくり目を開けて鏡を見て、目を潤ませている。
驚いてキアーラさんの後ろに回った。鏡を覗き込むと、なんと私にもキアーラさんの思い出が見える。
波打つ豊かな白髪の男性が、楽しそうな表情でこちらに向かって何かを喋っている。声は聞こえないが、まるでスマホやテレビで動画を見ているような鮮明な映像だ。
キアーラさんが「先生……」と震える声でつぶやいて、鏡を優しく抱きしめた。
新連載の「古城で暮らす私たち」もどうぞよろしく。
https://ncode.syosetu.com/n9581kf/






