122 ヘンリー面会に行く
マイがラスクを作ったり衣類の乾燥方法をあれこれ試したりしている頃、ヘンリーは強制労働所を訪れていた。
労働所の所長は宰相付き文官が訪問したことに緊張した。
管理に何か不手際があったのか? とあれこれ考えるが、思い当たることがない。
「ハウラー宰相付き文官様、本日はどのような……」
「私の妻を襲った強盗に会いに来た。この二人だ」
ヘンリーが差し出した紙にはザックとヒューイという二人の名前、『隠れ家』に押し入ったことと裁判で判決が出た日付が書いてある。所長の脇にいた事務官が急いで書類をめくり、「確かに収容されています」と小声で答えた。
(この事件の被害者は、将来は宰相になると噂される人物の妻か。万が一にもこの二人に脱走されないよう、気をつけなければ)と、所長は二人の囚人の名を心に刻み込んだ。
「面会でございますね。少々お待ちください」
ここでの強制労働は土地の開墾だ。木材業者が木を伐ったあとの根を掘り起こし、岩や石を取り除き、畑作ができるようにすることだ。
やがて、ザックとヒューイが呼び戻されて面会室に入ってきた。
二人の男はすっかり日焼けしてはいるものの、若いだけに厳しい肉体労働を科せられてもやつれてはいない。ザックは黒髪の丸刈りで目も黒、ヒューイは灰色の髪の丸刈りで目は水色だ。
他国では劣悪な環境で強制労働させるところもあるが、ウェルノス王国では飢えて倒れさせることはない。賃金なしの労働力として囚人たちを扱っている。
「元気そうだな」と声をかけたヘンリーに、二人はだんまりを決め込んでいる。
「今日は君たちに差し入れを持ってきたよ」
懐から薄い紙包みを取り出して、ヘンリーが面会室の柵の下から滑らせた。中身は職員が確認済みだ。
「開けてごらん。甘い菓子だ」
甘いものと聞いて、ザックが素早く中を見た。その辺の菓子店で買った焼き菓子である。甘いものに飢えている二人は目をギラリと光らせたが手を出さない。
「毒なんて入っていないよ。心配なら私が持って帰るが」
「いや、貰う」
「所員の了解は得ている。今食べてもいいと言われているよ」
二人は先を争うようにバターの香りがする丸い焼き菓子に手を出し、口に放り込んだ。そして一年近く味わっていない甘味にうっとりと目を閉じる。
「久しぶりに食べる菓子は旨いだろう? 君たちが私の質問に答えてくれたら、この三倍の量を差し入れしてもいいぞ」
「三倍……」
強制労働所は凶悪犯ばかりが収容されていて、家族に見捨てられている場合がほとんど。その上不便な場所にあるから面会に来る身内は少ない。甘いものの差し入れをしてくれる人など、ザックとヒューイにはいなかった。
甘いものは、ここでは通貨の役目もする。ザックがヘンリーの顔色を窺いながら質問してきた。
「聞きたいことってなんだ?」
「君たちの雇い主を教えてほしい」
瞬時に二人の顔から表情が消えた。
ザックは「それは何度も警備隊で証言した。俺たちに雇い主はいねえ。魔力封じの魔導具は、闇市場でたまたま見かけて買ったんだ」と言って口を閉じた。ヒューイは口の中の甘さを味わいながら「うん。そうだ」と相槌を打っている。
「君たちのことを調べたよ。過去に何度も引ったくりや空き巣、暴行事件を起こしているが、たいしていい暮らしはしていなかった。だが、あの魔導具の値段は闇市でもかなり高額だった。その金をどうした?」
「それは……コツコツ金を貯めて……」
「そんなことができる人間なら、空き巣や引ったくりなんてしないだろう? 君たちが通っていた酒場で聞いたが、君たち、いつも金がなかったらしいじゃないか」
ザックとヒューイは落ち着きなく目を動かしている。その様子を見ているヘンリーは貴族の微笑みを浮かべているが、目は全く笑っていない。
「君たちはどうせあと九年はここにいる。雇い主の口封じを恐れているのなら、私がそいつを捕まえるから心配はないよ」
「そんなこと、できるわけがねえ!」
「おいっ!」
ヒューイがうっかり口を滑らせ、ザックがヒューイを怒鳴りつけた。
ヘンリーは腕を伸ばして紙袋を素早く取り上げた。
「あっ! くれたんじゃねえのかよ!」
「やるよ。雇い主を教えてくれたらね。雇い主を教えろ」
二人は互いに顔を見つめ合っている。最初に口を開いたのは兄貴分のザックだ。
「本当に捕まえてくれるのか? あんたにそんな力があるのか?」
「嘘はつかない。いずれ俺は宰相になる。お前らがここを出る前にな。その先はわかるだろ?」
微笑むヘンリーを見て、ザックとヒューイは同時に震えが走った。目の前の男はにっこり笑ったのだが、その整った顔がどことなく肉食獣を連想させたのだ。
「少し考えさせてくれ」
「いいだろう。三日後にまた来る。それが期限だ。お前たちが口を割らないなら、他を当たる。俺の妻を誘拐しようとしたんだ。取引しないなら、お前らには相応の報復が待っていることを忘れるな」
そう言ってヘンリーは立ち上がり「面会、終わりました」と警備の人間に声をかけた。
ザックとヒューイは急いで紙袋に手を伸ばした。
「おい、全部は食うな。残しておかないと」
「他の奴らに盗まれるって!」
「焼き菓子一個で要求二つ。その条件で配るんだ。それでだいぶここも住み心地が良くなる」
「そうだな」
二人は二個目の焼き菓子をゆっくり味わいながら食べ、同時にヘンリーの要求にどう応えようか考えていた。彼らには、ヘンリーの提案を突っぱねるという選択肢はなかった。依頼主をどうにかしてくれるなら、ここを出てからも安心できる。それに、ヘンリーの本気が伝わってきた。二人は今、同じことを考えている。
(あの男、本気で俺たちに報復するつもりだ)
◇
ヘンリーは馬に乗り、引き返しているところだ。
この面会のせいで昼食はパンだけになったが、結婚した今は朝と夜もマイと一緒にマイの作る料理を食べられる。
「あいつらの雇い主は、一年もたってから俺が接触して来るとは思っていないだろう。せいぜい油断するがいい。俺からマイさんを奪おうとしたツケは絶対に払わせてやる」
ヘンリーはマイに内緒で彼女を狙った強盗のことをずっと調べていた。
マイに内緒なのは、言えばきっと「あの人たちはもう罰を受けているんだから十分ですよ」と言われるだろうからだ。
だがマイはよくてもヘンリーは許せない。大切なマイを誘拐したら、閉じ込めて働かせるつもりだったのは明白だ。リヨルがどれほど苦しんだかを聞いているだけに、マイが同じ目に遭うなど想像しただけで耐えがたい。
(……まあ、マイさんならそんな相手をも倒して帰って来そうな気もするが)
しかし、ヘンリーにとってはそういうことではない。
『隠れ家』に帰る前や昼休みに毎日こつこつと聞きまわって調べた結果、実行犯の二人はつまらぬ小者にすぎないと確信した。一方、魔力封じの魔導具が、とんでもなく高値だったことも調べ出した。あの実行犯なら何ヶ月も遊んで暮らせるような額だ。
二人は取り調べ中、どんなに厳しい責めを受けても「雇い主はいない」と答えたらしいが、そんなはずはない。高価な魔導具を買い与えた人間がいるはずだ。あの魔導具を売っていた人間もまた、事件以降闇市場に姿を見せていない。
売り手の男は大金を得てどこかへ移動したか、または口封じで始末されたかだ。
ヘンリーはリヨルの身元を探ったときと同じ粘り強さで調べ続けている。あの頃はリヨルを十六年間も苦しめた高位貴族を割り出し、もし当人が生きていたら自分一人でひそかに報復するつもりだった。誰にも犯人がわからない方法で名誉を失墜させようと思っていた。できれば身分の剥奪も視野に入れて。
だが、その人物はとっくに報いを受けて死んでいるのを知って調査を打ち切った。
リヨルを酷使した人物が誰だったかを教えてくれたのは国王だ。
国王はヘンリーたちの結婚祝いに、羽ばたくワシの形をした金の文鎮を贈ってくれたのだが、その時こんなことを聞かれた。
「ダイヤを作り出せるマイにこの贈り物をするのは少々気が引けるが、祝いの気持ちだ、受け取ってほしい。台座の裏に私からの贈り物である印を刻んでおいた。これだけではマイの働きに引き合わないが、マイにはポーションの礼はいらないと言われているからね。ヘンリー・ハウラー、君自身の願いはないかね? この文鎮の他に、結婚祝いになるような品があれば、応えたいのだが」
そう聞かれてヘンリーは即座に「ございます」と答えた。そしてマイの祖母がこの国で奴隷扱いされ、命を搾り取られるように働かされたことを話した。
「どうやってもその人物を探し出せません。名前を決して出さないグリド氏を問い詰めることも憚られます。おそらくグリド氏が口に出せないような高位貴族の仕業だろうと思っています。陛下のお力でその人物の噂だけでも探していただけませんか」
「知ってどうするつもりだ?」
まだ生きているなら報復しますとは言えず、「関わりを持たないよう、距離を置きたいと思っております」と答えた。すると国王はしばらく沈黙してから、完璧な無表情で「結婚祝いに欲しいものがそれか? 全くお前は……。いいだろう、その人物が誰かを教えよう。だが、この話は絶対に他言無用だ」と言って真相を話してくれた。
ヘンリーはそれを聞いて衝撃を受けた。
リヨルを苦しめたのは国王の大伯母だったからである。つまり、自分の血縁でもある。
ヘンリーはこの事実を全て胸の内に秘めて墓場まで持っていくことにした。当人が苦しみぬいて死んでいるし、真実を知らせても誰も喜ばない。そんな真実なら聞かなかったことにするべきだと判断した。
国王は「マイの祖母は、王家の人間に苦しめられていたのだな」とつぶやいた。普段から無表情な人だが、そのときの国王の顔は、凍りついたように硬かった。
馬の上でヘンリーが考え込んでいると、馬が足を止めた。分かれ道の前で「どっちに進むんです?」と言うようにヘンリーを振り返っている。「こっちだよ」と手綱で合図して再び考え込む。
今回、ザックとヒューイを雇った人物の名前は、彼らの周辺を調べ回っても出てこなかった。そこで仕方なく、当人たちに甘いものを持って面会に行ったのだ。
(彼らが取引に応じてくれるといいのだが)
そう思いながらヘンリーは夕闇が迫る街道を、『隠れ家』へと向かった。






