119 結婚式(2)
インゴさんとエラさんの名前を聞いたら、条件反射みたいに涙が出た。
「息子の家に引っ越す」と言われた時の私は完全な居候で、着の身着のままで助けられた身だった。さんざんお世話になった立場で「引っ越し先はどこですか?」とは聞けなかった。
ずっと「お礼をしたいなあ」「会いたいなあ」と思っていたけど、そうか、村長さんに聞けばよかったんだね。ヘンリーさんは頭がいいねぇ。
「どうかもう泣き止んでくださいませ。お化粧が……」
「ふゎいぃ」
だぁだぁ涙を流していたら、お化粧担当の侍女さんに言われてしまった。ヘンリーさんが苦笑しているから鏡を見たら、涙でお化粧がまだらになっている。これは酷い。
ヘンリーさんは猫化しそうになったら軍医の顔を思い浮かべると言っていた。それなら私は小学校の家庭科の庭山先生を思い出すよ。年配の先生で、おしゃべりすると殺人ビームが出てるかと思うほど怖い目で睨まれたっけ。
庭山先生のおかげで、一気に泣き止むことができた。お化粧を直してもらい、ヘンリーさんの腕に手を添えて庭に出た。するとワイワイと盛り上がっていたお庭が一瞬シーンとなった。
「マイたん!」
私とヘンリーさんを見ている人々の中からソフィアちゃんが飛び出した。ソフィアちゃんは紺色のワンピースに白い襟。白いタイツ。かわいい。お人形さんみたい。でも私に近づく前にディオンさんにつかまった。
「とうたん、放して!」
「抱きつくなって! ドレスがシワになるだろ!」
ディオンさんに抱きあげられて、ソフィアちゃんが空中でもがいている。
「いいんですよ。おいで、ソフィアちゃん」
「マイたん!」
ぶつかるように抱きついてきたソフィアちゃんを抱き上げた。私の耳にソフィアちゃんが口をくっつけて「マイたんきれいだよ」とささやいた。なぜささやく。可愛すぎるじゃないの。
「ソフィアちゃんも可愛いねえ」
「ばぁばが作ってくれた!」
「似合ってるわよ。ばぁばは上手だねえ」
いちゃいちゃしていたら、ヘンリーさんが「マイさん、お待ちかねの人が遠慮しているから、俺たちから挨拶に行きましょう」と声をかけてくれた。ヘンリーさんの視線の先に、インゴさんとエラさんがいた。会場の一番後ろにお二人が精一杯の正装をして私を見ている。エラさんが笑っているような泣いているようなお顔をしていて、ハンカチを目に当てている。それを見たらもうダメだった。
小走りでテーブル席を走り抜け、お二人の前に立った。
「お久しぶりです。ずっとお会いしたかったです。あの時は、あの、時は……」
「マイ、きれいよ。そんなに泣かないで。あれからずっと心配していたの。無事だったと知ってどれほど安心したか」
「エラはマイを追い出すような形になったのをずっと気にしていたんだ。王都まで送ってやれたらよかったよなあ」
エラさんに抱き締められたまま、声に出さず首を振った。片道六日の道のりを送ってもらうなんてありえない。二ヶ月も居候させてくれたじゃないですか。見返りを期待しない親切。本当の善意で私を助けてくれたじゃないですか。
私の新しい人生は親切と善意に包まれて始まったんです。
「お孫さんのお世話で忙しいのに、来てくださってありがとうございます」
「大丈夫。近所の人が助けてくれているよ。それより、マイは筆頭文官様と結婚するのねえ。すごいわねえ」
「エラ、マイの旦那様は宰相様付きの文官様に出世なさったと教えてもらったぞ」
「大変なお方と結婚したのねえ。ハウラー様、今回は何から何までお世話になりました」
「私はお二人のおかげでマイさんと出会えたのですから、このくらいなんでもありません。マイさんのことは全力で大切にします。ご安心ください」
両親と挨拶しているみたいなヘンリーさんの言葉に、また涙が込み上げる。
本当の身内が一人もいない結婚式だから、実は少し冷静な私がいたんだけど。そうじゃなかった。私の命の恩人、インゴさんとエラさんがいた。
「私たちがマイを独り占めしてはいけないわね。皆さん、マイと話したがっているわ」とエラさんに背中を押され、涙を拭きながら他のお客さんたちにも挨拶をした。ロミさんは旦那さんと二人でおしゃれしていた。
「マイさん、あなた貴族になっちゃったのねえ。でも、たまにはうちの店に来てよ」
「行きますよ。今度はヘンリーさんと一緒に行きます」
「待ってるわ」
ロミさんの隣にはヴィクトルさんとカリーンさんがニコニコしていた。
「おめでとう、マイさん、ヘンリーさん。いやあ、めでたい」
「ありがとうございます。お店は変わらず続けていくので、ソフィアちゃんも預からせてくださいね」
「なんだか申し訳ないわ」
「ソフィアちゃんはもう、他人じゃありませんから」
話をしながらグリド先生とサラさんを見つけた。サラさんは紺色の上品なワンピースドレス姿だ。グリド先生はシャツの首回りに紺色のスカーフを巻いていて、さりげなくペア感を出している。おしゃれ夫婦。
「マイ、ヘンリー、末永く幸せに暮らしなさい。長生きして魔法を極めていくのも、魔法使いの大切な役目だぞ」
「はい。精進いたします」
珍しくグリド先生がほんのり酔っている。サラさんが侍女の服以外の装いなのを初めて見た。二人は本当にお似合いのカップル。このお二人のように、長い年月をヘンリーさんと寄り添って生きていきたい。そう思ってヘンリーさんと手をつないだ。
「うん? どうしました?」
「グリド先生たちのように、ずっと二人で生きていけるといいですね」
「ずっと一緒に生きていけますよ。おや、母上が呼んでいますね」
ホールの窓からコンスタンス様が手を振っている。戻ってきなさいということか。手をつないで歩きながら、ヘンリーさんが笑みをたたえた目を向けてきた。
「なんでしょう」
「マイさんの瞬間移動魔法があれば、別荘を持つのもいいなと思ったんですが」
「いいですね。私、東京でコピーした紙が使えるかどうかを試したいです」
「コピー?」
「そっくりに書き写すことです。ヘンリーさんはコンビニで商品を眺めていたから、私が何をコピーしたのか見ていなかったかも。グリド先生の魔法陣を拡大コピーしたんですよ」
ヘンリーさんが足を止めた。
「そっくりに書き写す……そんな便利な道具があったのですか。あの魔法陣を拡大できるのですか」
「そう。でも、拡大すると紙を貼り合わせる必要が出てくるんですよね」
「何回分ですか?」
「十回分です。拡大したから結構な枚数になっちゃって。糊で貼り合わせないと使えませんが」
「張り合わせるのは俺がやります」
念のために聞いてみた。
「貼り合わせるぐらい、私にもできますよ?」
「ふふふ」
笑って答えない。
「近いうちにその紙で瞬間移動を試しましょう。マイさんが知っている一番遠い場所は?」
「辺境伯領です」
「そこ以外で」
秒速百メートルくらいの勢いで却下されて「ふはっ」と笑ってしまった。
ホールに戻ると、キリアス君と彼の婚約者パトリシアさんがいた。その代わり、キリアス君のお父さんの姿は消えている。
パトリシアさんは、私が『隠れ家』の裏の塀を乗り越えて助けたあのお嬢さん。お会いするのはこれで三度目。薄いピンクのふわふわしたドレスがよく似合っている。
キリアス君はいつも巻き毛を放置しているのに、今日はビシッと後ろに撫でつけている。髪を整えて正装すると魔法使いのイメージが消えるんだね。どこから見てもお育ちがいい貴族の御令息だ。
「やあ。招待状は貰ってないけど、ヘンリーさんにはいつもお世話になっているから来たよ。問題ないよね?」
「来てくれてありがとう。キリアス君のそういうところ、嫌いじゃないですよ」
「ヘンリーさんが僕を大好きなのは知っている。僕にはいつも甘いもんね」
私とヘンリーさんが同時に「くくっ」と笑ってしまった。私もキリアス君のそういうところ、嫌いじゃない。
お披露目パーティーは楽しく続いている。インゴさん夫妻はヘンリーさんが手配した馬車と宿を使って帰るのだそう。来るときもそうだったと教えてくれた。ご夫婦にとても感謝されてしまった。
「いつか遊びに行っていいですか」
「いつでもおいで。歓迎するよ」
「マイ、あの時はオパールをありがとう。まだ全部手元にあるのよ」
いつでも売っていいんですよと言おうか迷ったけれど、言わなかった。それはインゴさんとエラさんが決めることだ。
やがてお客さんたちが帰っていき、私たちもコンスタンス様に「疲れたでしょ。あとはもういいから帰って休みなさい」と言ってもらった。コンスタンス様は殺気が消えていて、穏やかで優しい母親の顔になっている。
私たちが着替えて帰ろうとしたら、その母親の顔でコンスタンス様がヘンリーさんの前に立ち、目を潤ませてこんな言葉を贈ってくれた。
「私の可愛い坊やは今日巣立ったのね。ヘンリーにはたくさんの楽しい時間をもらいました。今までありがとう。これからの二人に幸多きことを祈ります」
「久しぶりに可愛い坊やと呼ばれましたね。私こそ、愛情深く育てていただいたことを感謝しています。母上、幸せな子供時代をありがとうございました」
二人がやんわりハグしあっているのを見て、私はまた泣いてしまった。
そして帰りの馬車で「あっ!」と思い出した。
「子爵様にご挨拶しなくてよかったんですか?」
「父上は酔い潰れて寝ていました。実の父から俺を預かり、無事育て上げて気が抜けたのでしょう。本当に善良な人なんです」
「いい方ですよね」
「ええ。とてもいい人で、とてもいい父親です」
私とヘンリーさんの結婚式は、優しい人、優しい言葉に包まれて終わった。
とてもいい一日だった。
不定期ですが次話に続きます。






