116 真珠のネックレスを作りました
あちらの世界から持ってきた本によると、真珠の成分は九十五パーセントが炭酸カルシウム。卵の殻も炭酸カルシウムだけど、ここはやはり貝殻で作る。真珠のツヤツヤしている成分は貝が生み出すたんぱく質だそうな。
体内に異物が入った時、身を守るために貝が液を分泌して包むんだろうね。そう言えばお医者さんが主人公の漫画で、体内に置き忘れた手術道具をずーっとあとで取り出したら分泌物で包まれていました、って話があった。
黒い二枚貝の内側はギラギラしていて、真珠っぽい。割合はわからないけど、ジンジャーエールの時みたいに、必要な分量が使われることを期待しよう。
「では」
ヘンリーさんが目をキラキラさせて見ている前で、お母さんの真珠のネックレスを思い浮かべながら変換魔法を放った。
直後、お店のテーブルの上に現れた真珠は八個。真珠の直径はお母さんのネックレスと同じ大きさだ。ヘンリーさんが身を乗り出して真珠を覗き込む。
「すごいな。完全な球体ですね。こんな真珠は見たことない。これ一個でも……」
「一個でもなんです? 途中で言葉を止めないでくださいよ。気になる」
「俺は宝石の値段に詳しくないですが、おそらくこれ一個で、同じ大きさのルビーやサファイヤくらいの価値はあるんじゃないかな」
「やっぱり分不相応でしょうか」
「そこは俺が考えてあります。無策であなたに真珠を作れなんて言いませんよ」
ヘンリーさんは「当然」という感じに言う。
「貴族の方々に『あの真珠はどうしたんだ』と聞かれたらなんて説明するんです?」
「マイさんは真珠を作ることができる、と答えます。あえて真珠だけに言及すればいい」
「うちにも作ってほしいと言われたら?」
「その時は『材料を手に入れるのに妻がとても苦労していたので、無理です。ご理解ください』と答えます」
妻……。
「なぜ赤くなっているんです?」
「ヘンリーさんの口から妻って言葉が出ると、ドキドキしてしまって」
「妻になってくれるんでしょう? 今さら嫌だと言ってもダメですからね」
「嫌だなんて言いませんよ」
その後は熱い頬を手のひらで押さえて熱を冷ましながら繰り返し真珠を作った。作った真珠は全部で五十五個。
魔法で真珠に穴を開け絹糸を通し、自分の首に回して長さを決めた。
五個余ったのでそれは何かに使おう。ピアスでもいいかな。
金具も自分でシンプルなものを作った。
お母さんのネックレスを思い浮かべながら変換魔法を使ったせいか、色味まで似ている。
ヘンリーさんはしばらく無言でネックレスを眺め、手に取り、また考え込んでいる。
「ヘンリーさん、どうかしました?」
「俺の予想をはるかに上回る美しさなので、さっきの言い訳が通用するかなと不安になりました」
「だったらこれ、王妃様に献上してもかまいませんけど。ものすごく高価なネックレスになってしまうなら、家に置いておくよりその方がいいでしょう? 普段使いもできなさそうだし」
「普段使いは絶対にやめてください。危険すぎる。そうですね、材料が貝殻と言わなければ王妃様に差し上げてもいいわけですしね。マイさん、『あれは貝殻で作った』なんて人に言ってはいけませんよ?」
「もう、子供じゃないんですからわかってますって」
胸をポンと叩いて約束した。
結婚式の三日前、私の養子先のリッチモンド家も含めた食事会が行われた。
今夜のメインディッシュは七面鳥のローストだ。
みなさん笑顔なのだが、コンスタンス様が一番嬉しそう。さすがに今夜は殺気を放っていない。むしろ普段より穏やかに見える。何度も何度も「ヘンリーは自慢の息子」と繰り返していた。
いい景色だな、と思いながら切り分けられた七面鳥を食べた。
これは私の人生で二度目の七面鳥で、最初の七面鳥は小学生の時のクリスマスの夜に食べた。家族四人で過ごした最後のクリスマスだったと思う。
コンスタンス様とバーバラ様、子爵様と伯爵様の話がはずんでいる。私は家族が増えていくことに感動していた。ヘンリーさんが(どうしました?)という顔で私を見るので、「幸せで」とだけ答えた。
お母さんとお父さんとおばあちゃんがここにいないのは残念だけど、きっと両親は見ていてくれる。おばあちゃんには眠る前に今日の様子を話してあげよう。
楽しい時間を過ごして家に帰り、ずっと決めかねている「結婚したらどこに住む問題」を考えた。
子爵様とコンスタンス様は「我々と一緒にここで」とおっしゃるけれど、ヘンリーさんは「養子の自分とマイさんはいずれここを出て行かねばならないのだから、二度手間になる。俺は隠れ家の二階に引っ越したい」と言っている。
それはどうなのと思う。ヘンリーさんは筆頭文官に与えられる一代限りの男爵だ。さすがに私でも貴族がカフェの二階に住むのはまずかろうと思う。
「そんなもの、ハウラー家に住んでいますと届けを出して、実際はここに住めばいいのですよ。最終的にその書類にサインするのは筆頭文官の俺なんですから。誰も文句は言いません」
「そうですけど……私の気が引けるんです」
「気にしなくていいです。俺が納得しているんですから」
このやり取りをもう七、八回は繰り返している。
そんな時、道を挟んだ東側の家の人が店に挨拶に来た。食事を終えて代金を払いながら、近々引っ越すと言う。
「今度商店街の店を売って、夫の故郷に行くことになりました。夫の両親が相次いで亡くなり、このままだと素敵な家が朽ちてしまいますから。我々が手入れをしながら住むのです」
温厚そうな五十歳前後のご夫婦は市場にある靴店のオーナーで、ときどき店で食事をしてくれていた。家の出入り口が『隠れ家』の反対側だったこともあり、顔を合わせることはあまりなかった。
「おうちは売りに出すのですか?」
「ええ、近日中に売り家の札が立つと思います」
「私に一度内見させていただけませんか?」
「どうぞ。明日の夜にでもいらっしゃいませんか」
「参ります!」
内見の約束をして、その夜はおばあちゃんとおしゃべりをした。
「そうだねえ、マイの気持ちはわかるよ。ヘンリーさんがマイの店の二階に住むとなると、ヘンリーさんに甲斐性がないように見えてしまうのが申し訳ないんだろう?」
「そう。ヘンリーさんの有能さを知っている人はともかく、知らない人は陰口を言うかもしれないでしょう? 考えただけで不愉快なの。だから、向かいの家を買おうかと思ってる」
「それがいいよ。そこそこの家なんだろうね?」
「平民の家としては立派だと思う」
「じゃあ、そうしたらいい」
おばあちゃんに賛成してもらったら気が楽になった。
ところがヘンリーさんに伝文魔法でその話をしたら「ちょっと待って」と言う。
「今日、宰相付きの文官になったんですよ。それは将来俺が宰相になることも込みの話なんです」
「ええ、そうだろうと思っていますよ」
「もしかしたら数年で俺が宰相になるかもしれませんよ? 宰相になったら、そこには住めません。その家に引っ越して家具やら内装やらに手間をかけても、また引っ越すことになってしまう。そしてその家に住んでからの引っ越しは大ごとになる」
「私はかまいませんが」
王都には引っ越し業者っているのかな。今度サンドル君に聞いてみよう。
「マイさんがいいなら、問題ないか……。では明日の夜、内見に行きましょう」
こうして結婚式の前日、内見することが決まった。






