111 キリアス君の訪問
差し出された手紙を読んだ。
『陛下が大量にダイヤを寄付してくれたので、瞬間移動の実験を繰り返すことができました。どの回も成功し、最後の実験は遠距離への移動です。いい機会なので僕が被験者となり、過去に訪問したことのある辺境伯領を目的地に選びました。二人が落ち着いた頃に、魔導具で移動します。もちろん屋敷の中にいきなり登場したりはしないから安心して。 キリアス・ハルフォード』
「キリアス君が来るの? しかも魔導具を使って一瞬で移動するの? うわ、ちょっと悔しい。私は馬車であんなに時間をかけて移動したのに!」
「気にするのはそこですか。俺は彼がここに来る本当の目的に興味があります」
本当の目的って? と思ったけれど、ヘンリーさんは微笑んでその先を言わない。
到着した翌日からザックス様のレッスンを始めた。
辺境伯様はザックス様と同じ金色の髪に青い瞳の偉丈夫で「数日はのんびりしたらどうかな? ザックスに領地を案内させよう」と申し出てくれた。
しかしヘンリーさんが「いえ、彼女は魔力操作の指導に来ていますので、まずは指導を」と断った。ヘンリーさんは優雅に微笑んでいるけど、雰囲気がはっきりと拒絶を伝えている。貴族は微笑でいろんな意味を伝えられるんだなと感心した。
私の役目は魔力制御の指導と周辺の物と人を守ること。
毎回結界を張って周囲を守りつつ、結界にぶつかって跳ね返ってくる瓦礫に備える。結界の中にさらに結界の壁を素早く立ち上げ、ザックス様を守るのだ。
初日、ザックス様に「マイ先生は無詠唱なんですね。なんて優雅なんだろう」と感動された。
この点に関しては確かに私は適任だったと思う。
なぜならザックス様が魔力制御に失敗した場合、こちらに向かって飛んでくる石や土のスピードがとても速いからだ。無詠唱で瞬時に壁を作らないと間に合わない。
毎日何時間もザックス様の魔力操作を見たり私が実演したり、質問に答えたりしている。ザックス様は「魔法の記録書より、マイ先生の実演の方がわかりやすい」と言う。実践を重ねて感覚をつかむタイプらしい。
どんな魔法でやらかしたのかは聞いていないが、お屋敷の一部が崩れていて修復作業中だ。(私が修復すれば一瞬で元通りなんだけど)と思いながら眺めていたら、ヘンリーさんが小声で「職人の仕事を奪ってはいけませんよ」と言う。たしかに。
お庭にも差し渡し三十メートルくらいの円形に、土の色が新しい箇所がある。ザックス様に聞いたら、「土魔法で少し穴を掘ってみようと思ったら、大穴を開けてしまった」と。どんだけですか。
令息に怪我はさせられないと気を張ってザックス様に付き添っているせいで、精神的に疲れる。食事は私の部屋でヘンリーさんと二人で食べることにさせてもらった。ただしこの家の使用人さんたちが部屋の中で控えている。
食事をしながら、ヘンリーさんが「今夜も俺の寝室に来てください」と平然と言う。そのたびに私は心の中で(ひいぃぃ!)と悲鳴を上げてしまう。ヘンリーさんは貴族のお育ちだから、使用人が同じ部屋にいても全然気にしない。
(あなたは彼らがいないものとして振る舞えるでしょうけども! 私は庶民なんですよ!)と目で訴えるが、絶対に気づいているはずなのに知らん顔をされる。
「わかりました」
恥ずかしさのあまり小声でそう答えると、ヘンリーさんが満足げに微笑む。使用人さんは聞こえない振りをしてくれるけれど、絶対に聞いてるから!
(おばあちゃん、千住のドラ猫は恥ずかしくて死にそうです)と何度遠い目になったか。
ベッドの上でおしゃべりするのがヘンリーさんは好きらしい。
横向きで胎児のような姿勢になっている私を、ヘンリーさんが背中側から包み込んで小さな声で話をするのだ。疲れている私はそのまま眠り込んでしまうことが少なくない。
今夜も相槌を打っているうちに眠ってしまったが、途中で目が覚めた。ヘンリーさんが小声でしゃべってる。
「こうして毎晩一緒に眠る日がくるなんて、夢みたいです。この先もずっと、俺のそばにいてくださいね。もしどうしても一緒にいられないような事態になったら……二人で逃げましょうか」
半分寝ぼけた頭で(そうねえ)と思う。ヘンリーさんの言葉は続いている。
「ここに来る前、言い合いをしたでしょう? 俺が板挟みになるから引き受けるんだという言葉を聞いて、あなたの勇ましい優しさに感動しました。でもあの時、マイさんはかなり腹を立てていたでしょう? ついに嫌われたかと、正直、俺は怯えました」
モゾモゾと動いて、ヘンリーさんの方へと体の向きを変えた。
「起こしてしまいましたね」
「ううん。ひと眠りしたら目が覚めました」
そう言って私からチュッとした。ヘンリーさんへの愛が溢れてしまって。ヘンリーさんは驚いた顔のあとで、ゆっくり私に覆いかぶさって唇を重ねてきた。
◇
ザックス様の魔力コントロールは、私の指導と相性がよかったらしくて順調だ。しかも私にはシルヴェスター先生の魔法の記録書という心強い参考書がある。
「コップの中の水をスープ皿にバシャッと入れるのではなく、水差しの注ぎ口からチョロチョロと注ぐ感じです。全部を一気に入れちゃダメですよ」
「わかりやすいです、マイ先生」
少し離れた場所で指導に立ち会っているヘンリーさんが、私たちのやり取りを聞きながら半目だ。
理論派のヘンリーさんは(そんな子供向けみたいな説明で本当に伝わっているんですか?)と思っているに違いない。
ところがザックス様にはこれで通じている。半目はやめてほしい。
私が結界で人的物的被害を防いでいるから、ザックス様は安心して好きなだけ実践練習ができる。おかげで最近はもう、ザックス様が火魔法で周囲を黒焦げにすることも、土魔法で庭に巨大なクレーターを作ることもなくなった。水魔法はまだ苦労していて、コップや瓶に水を注ごうとして部屋中を水浸しにしてしまうけど。
辺境伯家の侍女さんは「これでも大変な上達なんです。マイ先生のおかげです」と、こっそり教えてくれた。
三ヶ月目のある日、キリアス君がやってきた。
辺境伯家の正門前に登場し、大騒ぎになった。供も連れずに現れたキリアス君は、兵士たちに取り囲まれたそうだ。キリアス君がハルフォード侯爵家の息子であると辺境伯に顔を覚えられていなかったら、どうなっていたことか。
今は辺境伯への挨拶も済み、キリアス君がヘンリーさんと話をしていている。
「この魔導具はすばらしいよ。目を閉じて開けたら、もう辺境伯領だ」
聞いているザックス様の目がキラッキラしている。なぜかヘンリーさんはキリアス君との会話にザックス様を招いた。ヘンリーさんは「無事に到着できてなによりです」と落ちついている。
「今のところ誤作動は一度もない。リーズリー先生の設計は完璧だ。この魔導具を何個も作れば、複数人での瞬間移動もできる。偉いおじさんたちはこれの軍事転用ばかり考えているけど、そんな目的だけに使うのはもったいないね。これさえあれば国王同士の会談もしやすくなる。これは政治的文化的な新時代を招く魔導具だ」
ヘンリーさんがその言葉を受ける。
「文官にもその魔導具を活用させてほしいですよ。我が国の文官が魔導具で国家間を飛び回れば、国際政治の効率が上がります。それにしてもハルフォード侯爵様は、キリアス君が被検者になることをよく許可しましたね」
「言ってない。父上に言えば止められるもの。僕はどうしても魔導具で長距離を瞬間移動したかったんだ」
君がそういうタイプなの、知ってた。
そのあとはキリアス君と私で辺境伯領の散歩に出た。ヘンリーさんは辺境伯に呼ばれていた。ヘンリーさんは「たぶん、ザックス様から我々の会話が伝えられたのでしょう」とにんまりしていた。
辺境伯領は森と山の領地だ。野鳥の声が四方から響いてくる。空気が美味しく、領民の皆さんは私たちに笑顔で挨拶してくれる。キリアス君はニコニコと挨拶を返している。この人、雰囲気が変わったわ。人当たりがとても柔らかくなった。何かあったのかしら。
「で? ザックス君のレッスンは順調なの?」
「ええ。周囲を黒焦げにすることはなくなりました」
「黒焦げ? センスなさすぎじゃない? ザックス君はどの程度の魔力持ちかわかる?」
「お屋敷を破壊した規模を見ると、グリド先生やキリアスさんと同じくらいですかね」
「へえ」
僕の方が上だと言い返すかと思ったら、全然違う話を持ち出された。
「魔導具を使った遠隔地との交流計画を、ヘンリーさんに進めてもらうことになったんだ。今回の遠距離移動実験が成功したらという条件つきで、陛下に許可された」
「そんな話が出ているんですね。キリアスさんはどれくらいここにいられるんですか?」
「今日帰る。僕は魔導具の重要性を辺境伯に気づかせるために来たのさ。魔導具はマイさんを取られないための交渉に使えるはずだ」
キリアス君がここを選んだのは私たちのためだったのか……。
「マイさんを横取りされてヘンリーさんが腑抜けになったら、困るのは僕たちだ。魔法部はヘンリーさんに色々助けてもらっているんだよ。そうだ、誰かに伝言があったら引き受けるよ」
「ありがとうございます! 嬉しいです!」
言伝は伝文魔法で連絡を取れない人がいいな。
「では酒場ロミのロミさんに『今は遠くにいるけど、戻ったらお店に行きます』と。それから、ハウラー家のコンスタンス様に『二人とも元気です』と。それから……」
「多いな!」
「それからリッチモンド家のバーバラ様に『私は元気です。お土産を持って帰ります』と伝えてください」
「了解了解」
私とキリアス君は大通りの商店街を往復してからお屋敷に戻り、そのままキリアス君は帰ることになった。魔導具の外見は直径五十センチ厚さ二センチほどの木製の台座の中央に、高さ五十センチほどの細い三角錐。台座には円形の魔法陣が描かれ、ダイヤが等間隔に埋め込まれている。黒い三角錐にも白い線や文字がぎっしりだ。
「じゃ、帰る。ヘンリーさん、頑張ってね」
「任せてください」
キリアス君が三角錐に手をかざしながら詠唱を始めると、魔導具に描かれた白い線や文字、ダイヤが強く白い光を放った。
詠唱が終わった直後、キリアス君と魔導具は音もなく消えた。
「消えてしまったわ……」
「今の詠唱を記録しておかなくては」
「え? ヘンリーさんはあの長い詠唱を一回聞いただけで覚えたんですか?」
「長い文章を覚えるのはコツがあるんです。魔法部の魔法使いは、詠唱の文言を正式な文書で残していない可能性があります。彼らはそのへんが緩いんですよ。最悪の場合に備えて、俺が詠唱の文言を管理しておきたくて」
そうね、データのこまめなバックアップと複数個所保存は基本よね。






