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王都の行き止まりカフェ『隠れ家』~うっかり魔法使いになった私の店に筆頭文官様がくつろぎに来ます~【書籍化・コミカライズ】  作者: 守雨
第三章 伝説の魔法使い

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110 サザーランド辺境伯の依頼

 キアーラさんはとても気持ちがいい人だ。

 口数は少ないのに、ちょっとした言葉の端々から優しさと人生経験の豊富さを感じる。

 だからついついキアーラさんには思っていることを正直にしゃべってしまう。


「最近、ヘンリーさんの元気がないんですよ。でも私に何も言ってくれないの」

「筆頭文官様ともなると、愚痴をこぼしたくても人に言えない内容も多いのでしょうね」


 そう。ヘンリーさんは国の重要機密にたくさん関わっているから、私が聞いてあげられないことも多い。

 だけど、今までは仕事で何かあっても私の前では悩んでいることを感じさせない人だった。そんなヘンリーさんの元気がない日が一週間続いたから、さすがに心配になったわけです。

 思い立ったときに動いてしまえと、帰っていくヘンリーさんに向けて伝文魔法を放った。


「ヘンリーさん、今夜時間を作れますか? このところゆっくり話ができていないから……」

「わかりました。では夜に」


 十時近くなって、やっとヘンリーさんが来てくれた。相変わらず元気がない。ヘンリーさんが話し始めるのを待ちきれずに私から話しかけた。


「何があったんです? もしかして私に関することですか?」

「ええ……そうです。上の人間と連日話し合っているのですが、どうにもらちが明きません。あのね、この国の国境沿いに、サザーランド辺境伯領があります。その辺境伯から王家に依頼が来ました。ご令息の魔法の指導を、マイさんに頼みたいそうです」

「私が指導? 私、魔法初心者なのに?」


 ヘンリーさんの話によると、辺境伯家の末っ子が高魔力保有者らしい。お抱えの魔法使いから指導を受けていたが、十五歳になった頃から魔力が爆発的に増え、指導者の魔力量を超えたと。

 十八歳になった最近、ついにお抱え魔法使いの監督下で事故が起きて、「もっと高魔力保有の魔法使いを呼ぼう」となった。


「そこで、マイさんに指導の依頼がきました。マイさんのことは例のポーションで知ったようです。俺は魔法部が依頼を受けるべきだと反論したのですが……。魔法部の魔法使いで、令息より魔力量が上回っていそうなのはキリアス君くらいです。しかしキリアス君は今でも十分忙しい。そして、他にも事情があります」


 辺境伯は強い自治権を持ち、軍事力は王国軍に次いで強大。今は中立派だが、先祖を遡れば現在の王家とは別系統の王族だった歴史があり、何代か前には反王家だった当主もいた。

 そこに実家が中立派で兄が軍部の役付きであるキリアス君を指導に行かせたら、キリアス君の実家と辺境伯家が手を結んで打倒王家の火種が生まれるのではないか、と危ぶむ重鎮が多いらしい。

 

 その点、私は魔力量が多いだけでなく、王家派のハウラー家と縁組している。安心だ、となったわけだ。

 辺境伯は「できれば一年くらい我が屋敷に滞在してほしい」と言っているとのこと。


「辺境伯家のご令息が王都まで来るのはダメなのかしら?」

「辺境伯家は国境を守る役目が最優先なので、息子を王都に行かせられないと言うのですよ。俺は末っ子が抜けたところで、平和な今なら問題ないと言ったのですが」


 ヘンリーさんは私を偉い人の言いなりに働かせたくないのだろう。おばあちゃんの例もあるしね。


「私は魔法を全て感覚でこなしているから、魔力の制御方法を言葉で伝えられるかどうか自信がないのに」

「そうなんですよ。マイさんは感覚派だから指導役は向いていないと何度も伝えたのですが、依頼は魔力制御の指導だけではないのです」


 ん? 今なんか気になる言い方をしたね? 聞き流すけど。


 依頼は素早く強い結界を張ることも含まれていた。

 末っ子は魔力操作に失敗して庭にすり鉢状の巨大な穴を作り、屋敷の一画を吹き飛ばしたそうだ。部屋が黒焦げになったり水浸しになったりするのも一度や二度ではないと。結界で防ぎたくても、今の指導者では結界を破られてしまうとか。

 なにその馬鹿力。


 しばらく二人で無言になったが、ここは私が覚悟を決めるしかない。


「わかりました。私が行きます。店はサンドル君たちに任せるか、彼らが負担に思うなら休業します。その末っ子が魔力制御できるようになったら、一年を待たずに帰ってもいいのでしょう?」

 

 そう答えるとヘンリーさんの顔に、苛立ちのような表情がサッと走った。


「なぜそんな簡単に行きますなんて言うかな。すんなり帰してもらえる保証なんかないのに! 末っ子は独身なんです。その先は想像がつくでしょう?」

「私は末っ子が魔力制御できるようになったら帰ってきますよ」

「それが簡単なら俺だって心配しません!」


 ぬう! 最後まで言葉にしなきゃわかんないのか!

 

「ヘンリーさんと離れるのは不安だし寂しいですよ。だけど私が行かなかったら、立場上、ヘンリーさんが板挟みになるんでしょ? だから行くんです。辺境伯に約束の期間を守らせるのは、お城にいる人の仕事でしょうが。私が辺境伯領であれやこれやを粉々にして逃げ出さなくても済むよう、ヘンリーさんが動いてくださいよ」


 大声を出さないように努力したら、声がやたら低くなってドスのきいた声になった。キアーラさんが視界の端で固まっている。怖がらせてしまってごめんなさい。

 落ち着け、落ち着け。ここでヘンリーさんをやり込めても意味はない。私はヘンリーさんと仲良く暮らす未来が欲しいだけだ。


 ヘンリーさんは考え込むときの癖で、薬指で唇をなぞっている。やがて指の動きが止まり、エメラルド色の瞳が私に向けられた。

 

「マイさんの言う通りです。怒ってごめんなさい。最長でも一年で帰って来られるようにするのは、確かに俺の役目でした。今日はもう帰ります。城でやるべきことをたくさん思いついたので」

「あれ? もう帰っちゃうの?」

「ええ」


 ヘンリーさんはすごい勢いで帰ってしまった。


 ◇ 


 話し合いをした日から二ヶ月後の今日、私とヘンリーさんは辺境伯家に到着した。

 ヘンリーさんの同行は陛下のご命令で直訴の成果らしい。

 辺境伯家の屋敷は、普通のお屋敷ではなかった。石造りの頑丈さを前面に出した要塞で、高い石塀でぐるりと囲まれている。

 ここは他国との戦争になったら最初の防波堤になる場所なんだなと、飾り気のない建物を見上げながら思った。

 

 辺境伯領は緑の森と青くかすむ山脈が見える自然豊かな土地だ。ただの旅行だったら楽しそうな景色。


「ヘンリーさんがお城を留守にしてしまって、お城の業務は無事に回ってますかねえ」

「俺の担当していた仕事は四人に振り分けておいたので、全く問題ありません」

「四人……」

「マイさんが辺境伯家に取り込まれないよう、付き添って守りなさいというのが陛下のご命令です。仕事は他の文官に割り振れますが、これは俺にしか務まらない役目ですからね」


 サザーランド辺境伯家で、私とヘンリーさんの部屋は隣同士の部屋だ。これも陛下のご指示らしい。

 

 笑顔で出迎えてくれた辺境伯一家は全員が堂々たる体躯の持ち主だった。辺境伯は「マイさんに無理を言って申し訳ないと思っている。どうか自分の家と思ってくつろいでほしい」とおっしゃる。三人の息子さんも挨拶に出てくれて私に愛想良く声をかけてくれた。全員、人が良さそうに見える。

 

 末っ子のザックス様も大柄な武人。キラキラ光るストレートな金色の髪に青い瞳。華やかなお顔立ちだ。魔法使いでここまで体を鍛えている人を初めて見た。

 ザックス様はにこやかに「マイ先生、よろしくお願いします!」と握手してくれた。感知魔法を放ったら、グワンッ! と強い反応が返ってきて、思わずよろめきそうになった。

 なるほど、確かに保有している魔力量がすごい。キリアス君やグリド先生並みか、それ以上だ。

 

 ヘンリーさんと二人になった時に「皆さんいい人そうで良かったですね」と言うと、ヘンリーさんは無表情に首を傾げる。


「どうですかね。彼らは武人ではありますが、歴史から見れば辺境伯家は貴族の中の貴族です。心の中で何を考えているか。油断はできません」

「ふうん……。それにしても私たちが隣同士の部屋に滞在していると知ったら、ハウラー家のご両親は驚くでしょうね」

「問題ありません。出発前に部屋割りのことを両親に伝えてあります。養母は『国の命令で同行するのだから、一緒に暮らす正当な理由ができたようなもの。むしろ、子が授かればいい』とまで言ってましたよ」


 言いながらヘンリーさんが少し赤くなる。


「私が育った国では、その辺がおおらかで、恋人が一緒に暮らすのはそう珍しくなかったんです。私は嬉しいですよ。同居が始まる場所がここなのは微妙ですけど」


 そう言って笑ったら、ヘンリーさんはさらに赤くなって私から視線を外した。

 しばらく照れていたヘンリーさんがスッと冷静な顔に戻して、懐から手紙を取り出した。


「キリアス君からです。出発直前に渡されました」

 


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