105 深夜の物音
階下の音で目が覚めた。
ヘンリーさんに鍵は渡していない。深夜にサンドル君やアルバート君が来るはずがない。そもそも結界を張って寝たはずだ。だけど家を包んでいるはずの結界は消えていた。
(あれ? 朝起きた時、いつも結界は残ってたよね?)
私は自分の周囲に結界を張り、ピアスを使ってヴィクトルさんに小声で話しかけた。
「夜遅くにすみません。私の店の中に誰かがいます。これから二階に来るでしょうから、魔法で自分を守りますが、入り込んだのが知らない人だったら来てもらえますか?」
ヴィクトルさんからは「いや、今すぐ向かいます」と返ってきた。
耳を澄ませていると、階下でボソボソと話し合う低い声がする。階段のきしむ音が近づいてきた。私はベッドの奥側に立ち、右手を前にして待った。
身構えていると、ドアがスーッと開く。誰かが寝室に入ってきた。足音が止まったのは、暗さに目が慣れるのを待っているのか。
それからこっちに向かって駆け寄る足音。
だけど侵入者は結界に跳ね返された。バタッ、バタッと二人の人間が倒れる音とうめき声。何か硬い物がゴトッと床にぶつかる音もした。
相手が立ち上がる前に変換魔法を放ち、いつかの強盗たちのように相手の服を一枚の布にした。
再びドン! ドタッ! っと倒れる音がした。
私はランプに火をつけ、結界を張ったまま二人に近寄って見下ろした。
三十代くらいの男二人が顔を歪めながらもがいている。二人とも人相が悪く、体格がいい。
「魔法使いの家に侵入するなんて、度胸あるよね。ああ、違うか、ただの馬鹿野郎か」
「くそっ! この女!」
壁に引っ掛けてある柄の長い箒を手に取って、男たちの前に立つ。
奴らの足元に銀色に鈍く光る金属の輪が落ちていた。なんだろう。小さめのフラフープみたい。
武器かもしれないから、とりあえずそれを蹴って男たちから離した。輪はベッドの下へと滑って見えなくなった。
「あんたたち、私が魔法を使うところを見ていないんじゃない? 火事の現場で私が何をしたか見ていたら、襲おうなんて思わないはずだもん。女の魔法使いが『隠れ家』の上で一人暮らしをしているって、それだけを聞いてきたんじゃないかな」
男たちは答えない。
「私がどんなことをできるか、しっかり見てね」
そう言って箒に変換魔法を放った。
ランプの灯りの中、手に持った箒が穂先から少しずつサラサラと粉になっていく。その様子を二人は無言で見ている。箒が分解された粉は床に積もって山を作る。箒の柄が最後まで粉になったところで男たちの近くにしゃがみこんだ。私を見る男たちの目には、はっきりと恐怖が浮かんでいる。
「同じことをお前たちの身体で試してみるわ。人間の身体を粉にしたら、痛いのかしら。それとも痛みは感じないのかしら。私も初めてだからわからないの。足の先から粉にするから、感想を聞かせて」
二人は猛烈に暴れ始めた。
「やめろっ!」
「頼む、許してくれ! 二度とこんなことはしない!」
「私がやめてと頼んだらやめてくれた? ふざけんなよ。じゃ、靴は履いたままでいいよ。始めようか」
私は手を男たちの足の方に向けて持ち上げた。本当にやるつもりはないけど、心の底まで脅しておくつもりだ。
男たちが「やめろー!」と悲鳴をあげたところで下からバンッ! という音が聞こえた。続いて階段を駆け上がる音。開けっ放しになっているドアから、ヴィクトルさんが飛び込んできた。ヴィクトルさんはひと目で状況を把握したらしい。
「怪我はありませんか?」
「なにも。夜遅くにお手数をおかけします」
「カリーンが警備隊へ走りましたので、すぐに仲間がやってきます」
二人の男はこの期に及んでまだ、拘束から逃れようともがいている。
外で複数の馬の足音が近づいてきた。
ヴィクトルさんがカーテンを開け、窓の外に向かって大きく手を振る。寝室へとなだれ込んだ屈強な男たちは、全部で八人。私は一歩前に出た。
「侵入されたので魔法を使って拘束しました。魔法を解きますか?」
「いえ。このまま運びます」
警備隊員たちが、あっという間に二人を運び出した。
ヴィクトルさんは「では、明日警備隊で事情を聞かせてください。今夜は戸締りをしっかりしてくださいね」と言って帰った。
それから店に下りてヘンリーさんに事の次第を連絡した。連絡を明日に遅らせればヘンリーさんは悲しむだろう。
厨房のドアの鍵は壊されていた。簡単な造りの鍵だから、今まで無事だったことが幸運だったのかも。明日、補助錠を三つくらい作って取り付けよう。
ヘンリーさんはすぐに馬に乗って来てくれた。すごく慌てたらしくて、髪はボサボサだしシャツのボタンは掛け違えている。
ヘンリーさんは私を抱きしめて「無事でよかった。本当によかった」と繰り返す。ヘンリーさんの心臓が怖いほど速く打っている。
「あなたに……あなたになにかあったらと、それだけが」
「ご心配をおかけました。賊は思いっきり怯えさせておいたから」
「今後人前で魔法を使うときは、やはり顔を隠したほうがいい」
「善人だけの国なんて、どこにも存在しないのは知っています。それでも私はもう、隠れたくない」
「なぜですか!」
ヘンリーさんが初めて大声を出した。
「私、ヘンリーさんに話していないことがあるの。それが隠れたくない理由。聞いてくれますか?」
「待って。俺、少し頭を冷やします。大きな声を出して悪かった」
「お茶を淹れます。強いお酒を垂らしたお茶を飲みましょうか」
二人で向かい合って座り、蒸留酒入りのお茶を飲んだ。
「落ち着きました。どうぞ。俺に話していないこととは?」
「ひとつ目は護衛の話。ポーションをお城に提供した後くらいかな、屈強な男の人が夜になると店の近くに立っていた時期があったの。私、その人たちになんで立っているのか問い詰めました」
「……なんて言ってました?」
「陛下のご命令で私を警護していたそうです。私のために徹夜で立っていたんですよ。雨の日も濡れたまま立っているから、申し訳なさ過ぎて眠れなくなっちゃって。せめて店の中でと言ったけど、それは断られたの。だから私も、『眠れなくなる』と言って護衛を断りました。『魔法で撃退するから心配ありません』て」
ヘンリーさんが目をつぶってため息をついた。
「二つ目はね、同じ病気になって、同じようにつらい治療を受けて、力尽きてあの世に旅立ったたくさんの人たちに対して、私はすごく後ろめたい。入院した時に私と同じ病だった若い女性と友達になったけど、彼女は私より先に亡くなったの」
空になった彼女のベッドをうっかり思い出してしまい、涙があふれてツッと頬を伝った。
「誰も悪くないし、おばあちゃんにも感謝してる。でもね、この世界に来てからよく夢を見るようになった。最初の頃は死にかけている時の夢だったけど、そのうち違う夢に変わったの。道に立っている私を、たくさんの人が歩いて追い抜いていく夢。追い抜きざまに多くの人が、無言でチラッと私を見る」
その夢を見たときの気持ちを、言葉で伝えるのは難しい。
「その人たちは多分、私と同じ病で亡くなった人。その夢を見るたびに申し訳なくて、後ろめたくて……胸が押し潰されそうになる」
「マイさんは真面目だからね。罪悪感がそんな夢を見せるんでしょう。あのね、マイさん、この国では子が三人生まれれば十歳までに一人は亡くなると言われています。十歳を過ぎて大人になっても、まだ油断はできない。流行り病、お産、怪我。いろんな理由で若い人が亡くなる。城で働く人も例外ではないですよ」
ヘンリーさんが少し遠い目をしている。
「生きることは、それ自体が尊いことです。何があっても生きる。生き続ける。それが運よく死なずに生き残っている者の使命だと、俺は思っています」
「それは……わかります。わかってるから今まで言えずにいたの。でもね、私が自分の安全を優先して正体を隠して、そのせいで誰かが死んだら? 火事の時、私は顔を隠している余裕なんてなかった。カリーンさんが血だらけで倒れていた姿は、今も忘れられない」
私が人の役に立ちたいと思う理由は、誰かを笑顔にしたいというきれいごとだけじゃない。役に立っていないと、私が苦しいのだ。
「私は誰かの役に立たなきゃいけないんです。そうじゃなかったら、私を追い越していった人たちに合わせる顔がない。『私だけ死なずに済んだ、よかった』とは、どうしても思えない」
健康な人は皆、自分は老人になるまで寿命があると思っている。私もそうだった。だから自分はもうすぐ死ぬと知った時の悔しさ、虚しさ、後悔は、何も考えられないぐらい大きかった。
(私はまだ二十五歳なのに)と怒りもした。
病名を知ってから諦めて受け入れるまで、心は激しく揺れ続けた。同じように心の揺れを経験した人たちは旅立ったのに、私は今も健康に生きている。
いくら言葉を費やしても、今の気持ちを正しく伝えられる気がしない。
涙は次々頬を伝って顎から床に落ちる。泣かずにこの話をしたかったのにな。
私が黙り込むと、ヘンリーさんは隣の席に座ってそっと肩を抱いてくれた。
しばらく二人で口を閉じたまま座っていたが、ヘンリーさんが手を引っ張って私を立たせ、二階に上がっていく。もう寝ろってことかなと、私も大人しく手を引かれて二階に上がった。
ヘンリーさんは私をベッドに寝かせて、毛布をかけた。それからハンカチで私の顔の涙を拭いてくれる。
「今夜は感情が高ぶっているでしょうから、眠るまで手を握っています」
そう言ってベッドに腰かけ、手を握っていてくれる。私は深呼吸を繰り返して、どうにか涙を閉じ込めた。やがて呼吸が落ち着いて、大切なことを思い出した。
「見てもらいたいものがあるの」
ベッドから下りて床に膝をついた。腕を伸ばし、足で蹴り飛ばしたままになっていた金属の輪をベッドの下から引っ張り出した。
「これ何かしら。さっきの男たちが持っていたの」
「……魔力封じの魔導具だと思う。資料で見たことがあります。これを賊が持っていたんですか。マイさんが賊の侵入に気づいてくれて、本当によかった。これは明日にでも魔法部に持っていって……いや、グリド先生のほうがいいな。魔法部に持っていくと、きっとそのまま保管されてしまう」
ヘンリーさんは銀の輪を長椅子の下に置き、「これは俺が預かりますね」と言って、私をもう一度ベッドに寝かせ、自分は私の隣に腰かけた。
「ずっと手を握っていますから。さあ、目を閉じて」
そう言って私の頭を撫でてくれた。






