103 ヘンリーさんとバーバラ様と私
最近はほぼ毎日ヘンリーさんと夕食を一緒に食べている。
私が「できれば夕食を一緒に食べたい」とお願いしたからだ。朝と昼は一緒に食べられないから、せめて夕食は、と。
そんな日が続いて、ようやく婚約者になった実感が湧いた。毎日昼と夜に会いに来てくれて、会うたびに優しくしてくれる。この人と出会えてよかったと、しみじみ思う。
「どうしました? なぜそんなに俺を見るんです? 耳は……出ていませんが」
「ヘンリーさんはバーバラ様と親しいの?」
「親しい方に入るでしょうね。夫人は昔から俺にとても優しかった。年に二度は必ず会いに来て、可愛がられました。会うたびに『欲しい物はないか』と聞くから『本が欲しい』と答えると、木箱に詰められた本が毎回山のように届きました。夫人がどうかしましたか?」
言おう。今、言おう。どうか厄介なことになりませんように。
「これは子爵様には秘密にと頼まれたのですけど……。バーバラ様はカルロッタさんとヘンリーさんの関係に気づいています。カルロッタさんのご両親は、過去にリッチモンド家の使用人で、バーバラ様はカルロッタさんと仲良しだったそうです」
「それは……初耳です。どういうことか詳しく聞かせてください。なぜ養父に内緒なのかも」
ヘンリーさんに質問されながらバーバラ様の話を伝えると、ヘンリーさんが呆れた顔をした。
「夫人は俺の正体に気づいておきながら、二十五年間も黙っていたんですか」
「同じ失敗を繰り返したくなかったそうです。そしてカルロッタさんに会って謝りたいんですって」
「アルセテウス王国と国交が開かれたのですから、今なら船で行けますね。ただ、母の居場所が……」
ヘンリーさんが考えている。
「あとね、リッチモンド家の使用人は、執事さん以外ほぼ獣人さんでした」
「使用人がほぼ獣人……。夫人なりの贖罪かな」
そのあとしばらくしてお開きになった。帰り際、ヘンリーさんがこんな提案をしてくれた。
「明日の夜、リッチモンド夫人の都合がつくようなら、この店で三人で話をしたいです。この店が一番安心して話ができますからね。閉店後では負担ですか?」
「全然。バーバラ様に私の料理を食べてもらいたいですし」
「では、俺から夫人を誘ってみます」
翌日、閉店後にバーバラ様が店に来てくれた。
「いらっしゃいませ、バーバラ様」
「こんばんは、マイさん。ヘンリーはおなかを空かせて来てと言っていたけれど、仕事の後に働かせて悪かったわね」
「いいえ。私の料理を食べていただけるのは嬉しいことです。さあ、どうぞ」
「まあ。美味しそうだわ」
「気さくな料理ですが、味は保証付きです」
バーバラ様は鶏もも肉のコンフィをご機嫌で食べてくれた。デザートに出したオレンジババロアもお気に召したようだ。
「我が家に今夜の料理のレシピを売る気はない?」
「申し訳ございません。私の作る料理のレシピは全て、ハウラー家に管理をお任せしているのです。でも、私が作ってお渡しするのは問題ありませんから。いつでもおっしゃってください」
そこでヘンリーさんが何気ない感じに話を切り出した。
「マイさんから話を聞きました。俺と母のことを全部ご存知だったとか。驚きました」
「軽々しく話せることではないもの。二十五年間、誰にも言わずにいたわ」
「母は今、アルセテウス王国にいます」
「アルセテウス王国? ヘンリーはカルロッタと交流があったの?」
「ええ。数年前に母の居場所を突き止めました。立ち話程度しかできませんでしたが、数回会いました」
バーバラ様がうつむいたまま少しためらってから、スッと顔を上げた。
「もし私がアルセテウス王国に行きたいと言ったら行けるのかしら?」
「行けます。まだ役人と商人しか行き来していませんが、渡航に制限はありません。母に会って謝りたいのですよね?」
「ええ。自分勝手なお願いなのは承知の上です。会いたくないと言われることも覚悟しています」
「そうですか。母の居場所がわかるかどうか。それと……本題から離れますが、夫人に教えてほしいことがあります」
ヘンリーさんが教えてほしいこととは、バーバラ様が使用人に獣人を雇っていることだった。
「なぜそれを知っているの?」と驚いたバーバラ様が私を見た。勘のいい人なんだと思う。
「魔法使いが尊敬されるだけでなく、畏怖の念を持たれるのはこういうことなのね。知っているなら話しましょう。最初の一人は偶然だったの。カルロッタとその両親が家から消えた後のことです。私の部屋に入ってきた新人の下働きの少女に、当時私が可愛がっていた犬がすごい勢いで吠えたの。小型の室内犬が流行り始めたばかりの頃よ。犬に吠えられて、その少女は長い耳を出してしまったの。彼女はウサギ型の獣人でした」
バーバラ様の話では、少女は耳を出してしまったことに泣くほど動揺して、その場から逃げ出そうとした。けれどバーバラ様が「私はあなたが獣人であることは秘密にする。だからこのまま我が家で働いてほしい」と願った。
バーバラ様が十六歳になってからは使用人の採用に口を出せるようになり、少女の知り合いの獣人を少しずつ雇っていったとか。
誰かが退職するたびに獣人を雇い入れ、今では執事以外は全員が獣人になった。
「これが自己満足に過ぎないってことは、わかっている。でも、せめてなにかで償いたいのよ」
「そういうことでしたか。母が出国したのは最近です。それまでは王都で働いていました」
「王都にいたの。そう……」
「母の居場所がわかったとして、あの国へ行くにしても船で往復に二ヶ月かかります。船は両国から月に一度ずつ出港をずらして行き来していますが、船旅は天候次第です。運が悪ければ行って戻るまでに三か月くらいかかります。それでも大丈夫ですか?」
「問題ないわ」
バーバラ様のきっぱりした口調を聞いても、ヘンリーさんはまだ考えている。
「では、あの国に行った我が国の文官に、人を雇って母を探してもらうよう依頼します」
「ありがとう。迷惑をかけます」
「いえ。私も母のことが気になっていましたので」
「よろしくお願いします」
帰り際、夫人は「他国でたった一人の女性を探すのだから、見つからなくても当たり前です。無理はしないでね」と言って帰っていった。
二人になってから、気になっていることを聞いてみた。
「カルロッタさんは私たちの見送りさえ断ったのに、捜していいんでしょうか。バーバラ様に捜されることを望んでいないかもしれないでしょう?」
「捜すのは俺にとって大切な母だからです。どこにいるかわかった後は、母の気持ちを尊重します」
ヘンリーさんは無表情で何を考えているのか読み取れない。
「マイさんて、のびのび自由に生きているように見せていますけど、実はそうじゃないですよね。いつも自分の気持ちよりも周囲の人間の気持ちを優先してる」
「そんなふうに見える?」
「マイさんは周囲の人間が傷つかないよう、悲しまないよう、とても気をつけている。今も、母と俺とバーバラ様の全員に傷ついてほしくないと思っているのでは?」
うっ、当たりだ。
これは両親が事故死した時から始まった。
当時私は十歳だったが、嘆き悲しんでいるおばあちゃんを見て、おばあちゃんを含めた周囲の人を悲しませないこと、喜ばせることを最優先する子供になった……ような。
ヘンリーさんが労わるような目で私を見ている。
「人を思いやるマイさんも好きですが、俺にはそんなに気を使わないで。俺はあなたが思うより大人だし、打たれ強い」
「うん……。そうですよね。私が空回りしていたら、注意してくださいね」
いつもの癖で笑ってごまかそうとしたら、ヘンリーさんは私の後ろに回ってふわっと抱きしめてくれた。
「これからは俺がいます。あなたの不安と悩みを、俺にも背負わせて」
男の人にこんなことを言われたのは初めてで、じんわりと感動が湧き上がってくる。
私の感動をわかっているのかいないのか、ヘンリーさんは「帰りたくないなぁ」と言いながら帰っていった。






