102 養子縁組先のリッチモンド伯爵家
私の養子縁組は、婚約前に当主同士の話し合いで済んでいる。
縁組時の顔合わせは流行り病の余波で延期されていたけれど、食事会も開けるようになった今日、顔合わせの場が設けられた。
私の養子先はハウラー家の親戚のリッチモンド伯爵家。伯爵夫人が跡取り娘で婿を迎えているそうだ。
食事会に参加するのはハウラー子爵夫妻、私とヘンリーさん、リッチモンド夫妻の六人だ。
リッチモンド夫妻は四十代。伯爵は金色の髪に青い瞳、夫人は柔らかな明るい茶色の髪と瞳だ。
「マイ。君を娘として養子に迎えることを嬉しく思っているよ」
「ありがとうございます、伯爵様」
「あなたは最近社交界で話題になっている料理の考案者なんですってね。しかも魔法使いだとか。私も夫も、魔法使いの親になることがとても誇らしいのよ」
「ありがとうございます、伯爵夫人」
「あら、バーバラと呼んで。お母様でもいいわよ」
私たちの前にはたくさんのごちそうが並べられていて、その中に見覚えのある料理が何品か混じっている。トマト味の麵やゆで卵を閉じ込めたミートローフやシュークリームだ。
驚いている私に、バーバラ様が笑顔で教えてくれる。
「今日の料理はハウラー家の料理人に用意してもらったの。ミッチェルったら、私にマイさんの料理の腕を内緒にしていたのよ。他の家からハウラー家の料理のことを聞かされた時は、『あら水臭い』と思ったわ」
「バーバラ、これにはいろいろ事情が」
「うふふ、冗談よ。私はこの縁組にご機嫌だもの」
この二人の力関係があっという間に伝わってきて(今日も笑っちゃだめ)と身を引き締めた。
食後、私とバーバラ様で庭を散歩することになった。ヘンリーさんも同行すると言ったけれど「私はマイさんをいじめたりしないわよ。しつこい男は嫌われるわよ?」と一喝されて、ヘンリーさんは無念そうに引き下がった。
使用人さんたちに見送られて庭に出た。
屋敷に足を踏み入れた時から気づいていたが、この家の使用人は執事さん以外の全員が獣人さんだ。これ、絶対に偶然じゃない。
使用人の決定は夫人か執事の仕事だとコンスタンス様がおっしゃっていた。だからバーバラ様か執事さんのどちらか、または両方が意図して獣人さんを雇っているということになる。
どういう理由だろう。どうやって獣人さんを集めているのだろう。
だけどバーバラ様は今後私の名目上の母親だから、(初顔合わせで失敗するわけにはいかぬ!)と私は大人しく口を閉じている。
「マイさんはカフェの経営者だそうね。いろんなお客様が来るのでしょうね」
「はい」
「その中には獣人もいるかもしれないわね」
「そう……かもしれませんね」
不意打ちを食らって、用意していた話のネタが吹き飛んでしまった。
「獣人は変身しなければ人間と見分けがつかないわ。アルセテウス王国との交流が始まり、国王が招いたお客さんである彼の国の文官たちは丁重にもてなされるでしょう。でも、一般人の間で暮らしている獣人に対しては、まだまだよ」
「そうなんですか」
何が言いたいのだろう。これ、ヘンリーさんが言っていた「貴族の腹芸」ってやつだろうか。
「マイさん、あなたは獣人をどう思っていますか?」
「よくわかりません。特には何も」
そう答えると、バーバラ様は私の顔をじっと見た。
「この家の娘になるあなたには理解してほしいの。獣人は決して恐ろしい存在ではないわ。私たちと全く同じように言葉を話し、私たちと同じように家族を愛し、私たちと同じように善と悪の区別がつきます。圧倒的な身体能力の持ち主だということ以外、全て私たちと同じなの」
あれ? 夫人は獣人擁護派なのかな?
「これは、私の夫も知らないことですが、私が子供の頃、私の家で下働きをしていた夫婦がいました。夫婦には私と同じ年齢の女の子がいて、私はその子が大好きだった。雇い主の娘と使用人の娘という関係だったけれど、私は彼女を親友だと思っていたわ」
「親友……」
「ええ、親友。私とその子が十四歳になった夏のある日、その親友が『私の秘密をあなたにだけは教えてあげる。親友だもの』と言って、目の前で猫になった」
うわ。
「親友は素晴らしく美しい黒猫だった。大きくて優美で、猫が大好きだった私は夢かと思ったわ。彼女に『今まで以上にあなたが好きになったわ』と叫んで抱きついたの。私はその感動を伝えたくて、優しい母に『内緒よ』って言いながらそのことを話してしまった」
「えぇっ?」
「翌朝、彼女とその両親が屋敷から消えていた。私は人生で最大の間違いを……十四歳で犯したの」
言葉が出なかった。バーバラ様の目と鼻の頭が赤い。
「父も母も執事も、彼女たちがどこへ行ったのかを教えてくれなかった。退職金は出したのか、紹介状を書いてやったのか、聞いても返事をしない。私は、もしかしたら彼女たちが両親の命令で殺されたのじゃないかと疑いました。恐ろしくてそれは聞けないまま、つらく長い年月が過ぎました。心を病みかけたまま結婚し、子を産み、もう自分の罪深さに耐えきれないと思った頃に、ハウラー家が男児を養子にしたと聞いたの」
そこに繋がるの⁉
「形式的なお祝いに行って赤子を見たとき、心臓が止まるかと思ったわ。黒髪の赤ちゃんはカルロッタによく似ていた。その時は他人の空似かもしれないと思ったけれど、ヘンリーは成長するにつれてどんどんカルロッタに似ていった。ヘンリーが八歳のときに確信したわ。カルロッタは我が家から消えてからも生きていて、誰かと愛し合ってヘンリーを生んだのだと。私の親に殺されていなかったのだと」
そこでバーバラ様はレースのハンカチで目を押さえた。
「この話をしたのはあなただけ。十四の夏と同じ失敗を繰り返すわけにいかないもの」
「バーバラ様……」
「ミッチェルがヘンリーの恋人の養子先を探していると親戚から聞いたとき、私からミッチェルに養子縁組を引き受けると声をかけました。そして問い詰めた。『その女性はヘンリーの本当の姿を知っているのか。何も知らせずに結婚させるつもりじゃないでしょうね』と」
子爵様、さぞかし驚いたでしょうねえ。
「ミッチェルったら、最初は『なんのことだい?』なんてとぼけたわ。だから、『ヘンリーの母親はカルロッタって名前じゃないのか。私はカルロッタの本当の姿を知っている』と言ったの。ミッチェルは口をあんぐり開けて、しばらく絶句していたわ。あなたはヘンリーの秘密を知っているんですってね」
私は、はいもいいえも言わず、黙っている。まだ油断できない。
「あなたが全部承知の上でヘンリーと婚約するのだと聞いて嬉しかった。マイさんはカルロッタがどこにいるか知っているのかしら。ミッチェルは『知らない』の一点張り。それを聞いて、カルロッタは今も生きていると確信しました。彼女が亡くなっていたら、はっきり死んだと言うはずだもの。養子をもらうという大切なことで、あのミッチェルが調べないわけがない。私、カルロッタに会って謝りたいの。謝って済む話ではないけれど、心から謝りたい」
これ、私が勝手に返事をしちゃダメな話だ。
「ヘンリーさんにその話はなさいましたか?」
「していないわ。ミッチェルが『ヘンリーのことで何かひと言でも余計なことを漏らしたら、我が家はリッチモンド家の敵になりますよ』と、とても静かに言ったの。あれは絶対に本気。一族の者はミッチェルと陛下が親しいことを知っていますからね。私を含めて、ミッチェルを怒らせる人なんていないわ」
「今のお話を、ヘンリーさんにしてもよろしいでしょうか」
「ええ。ミッチェルには秘密にしてもらえるかしら。本当に彼を敵に回したくないのよ。カルロッタと連絡を取れるかしら? 私はカルロッタに謝罪したい。お願い、あなたとヘンリーの力を貸してほしい。このとおりです」
バーバラ様が私に向かって深々と頭を下げた。






