牙と爪
「それ」を、見たのはウイルダート宮の玄関近くだった。
数人の身なりの良い若者達が、騒いでいる。
『何事か』とレオノーラが近寄ると、貴族の子女達の足下に小さな子猫がいた。
黒い毛並みで、足先だけが靴下をはいたように白い。
そのいたいけな体を、ぴかぴか輝く革の靴が容赦なく蹴っている。
「汚らしい生き物が」
「ドレスが汚れるわ」
「いいから殺してしまえ」
貴族の子女達は口々に子猫を罵り、あざ笑っている。
レオノーラの魂が赤々と燃える。
まだ若い彼らは嗜虐心に顔を歪めている。
どこの誰の一族かは知らないが、それらはレオノーラがこの世で最も嫌悪する物だ。
「あら、楽しそうなことをなさっているのね?」
レオノーラは嗤いの輪に鋭いナイフとして、冷たく切り入った。
はっ、と五人ばかりの貴族の子女達が振り向く。
「レ、レオノーラ様……」誰かが喉の中で呻いた。
「貴族とは、時に騎士として敵国の野蛮な手から国民を守るため、勇をふるう物……あなた達の敵とはあまりにも小さいのね?」
レオノーラが敢えて大きな身振りで口に手を押さえ笑うと、得意顔で子猫を蹴っていた若者達が気まずい顔になり、「いこう」と散る。
レオノーラはそれらにはもう構っていなかった。
下らない連中に、いつもでも関わりあっている時間は彼女にはない。
レオノーラは周囲をちらりと一瞥し、誰も見てないと確認すると、傷だらけでふらふらしている子猫に手を伸ばした。
ばしっと、その手が弾かれる。
「ふーっ」と痛めつけられた子猫がレオノーラの伸ばした手をひっかいた。彼女の白い手袋は破れ、素肌に血が滲む。
だがレオノーラは構わない。
人間により傷つけられ、怯えている黒い子猫の首もとを撫でる。
「……だめよ、そんな程度では。そんな程度ではおまえはこの宮殿では生きていけない。もっと牙を伸ばし爪を研ぎなさい。そうでないと、ここでは一瞬で狩られる獲物になるの」
レオノーラの言葉は厳しい、しかし反対にその指は優しく子猫をなぞった。
給付により張りつめていた糸が切れたのか、子猫はレオノーラに体を預けるかのように、甘えるかのように横になる。
子猫は外から来たのか確かに汚れていた。だがレオノーラは構わず抱き上げ、ドレスを汚す。
「そう、強く厳しくないと我が君の周りには入られない。敵のふりをしていないと殿下、あなたの近くにはいられない……敵はあまりにも強いのだから」