アルバータ婦人
ウイルザート宮殿は大国クレリアスの力を誇示しているかのように、豪奢で大きく広く、廊下の床には赤く厚い絨毯が敷かれている。
レオノーラは壁に掛けられている絵画や、置かれている彫像などを無視して歩いていた。
傍らの窓からは外が、雲のない漆黒の空を冷え冷えと照らす月が見える。
シリルに指令を出してから数刻、彼女は一人宮殿を辞するために玄関へと向かっていた。
「レオノーラどの」
レオノーラは足を止める。声の主は分かっていた。
遅れてご到着だ。
彼女は一瞬顔をしかめる。だが次の瞬間には笑顔になり、声に振り向いた。
やはり、レオノーラを呼んだのはアルバータ夫人だった。
彼女は多少ゆったりとした袖の太いドレスを身に纏い、白金色の髪を色んな装飾品により飾り、派手で奇抜な形にしていた。
アルバータ夫人は柔らかな笑みをレオノーラに向けている。
四十一と言う年齢ながらランドルフ王を虜にした美貌は健在であり、彼女を一目見た者は美しさに魅せられ、年を知って愕然と、しかし理解する。
世の中には時を超越した美もあるのだ、と。
「先程、また何やらあったようですね。……確かに他の貴族達もいるのにエリアル殿下だけ、特別扱いはいけないわ。あなたの勇ましいご活躍、聞きましたわ」
アルバータ夫人は何人もの侍従を従え、静かな、しかし確かな足取りでレオノーラへと近づく。
レオノーラは目上の者に対してするように、スカートの端をつまみ、片足を微かに屈する挨拶をする。
「これはアルバータ様、どうなさいました?」
アルバータ夫人はレオノーラの前に立つと、そっと囁く。
「あなたは本当に素敵な方ね、私もあなたと同意見ですわ。エリアル殿下は、ねえ……」
レオノーラは内心で眉をしかめた。
自身最大の敵が目の前にいる。
アルバータ・バルシュミーデ夫人……幼い頃は市井の安劇場で女優をやっていたが、その美貌をランドルフ王の弟であるボールドウィン公爵に見初められ、彼の妾になり、今では王宮の心臓、国王の傍らにいる。
彼女は、病床のランドルフに代わり実権を握り、今ではアルバータ夫人に逆らうのは貴族としての死であり、幾多のエリアル王子派の貴族が、無理なえん罪で消えていったかわからない。
だが、だからと言って彼女自身を害しても何もならない。
レオノーラは感づいている。
アルバータ夫人の背後にはボールドウィン公爵がいる……否、もっと深淵は底が続くのかもしれない。
その全てを白日の下に晒し、叩き潰さなければエリアルの安寧はない。
だからレオノーラはここで偽りの仮面を被る。
「そうですわ、エリアル殿下は国王の地位にふさわしくないです」
アルバータの笑みが深くなった。
「わたくしはこの国が心配ですわ。エリアル殿下は……こう、何と言うか線が細くて、頼りない気がするのですもの」
「それは私も思っていました、アルバータ夫人」
レオノーラは内心の嫌悪を微笑みに変える。
──この女……私は試しているのね、自分の味方なのか……宮殿で我が君が孤立しているのはアルバータ夫人が、敵対勢力をあらゆる手で排除しているから。だから私はエリアル殿下に背を見せなければならない。エリアル殿下のために。
「ふふ、わたくし、あなたとはいつか色々なお話がしていわ。わたくしはあなたが好きですわ。今後ともよろしくね」
レオノーラはアルバータ夫人の手にある扇をみやりながら、浮かぶ台詞を丁寧に答える。
「私もあなたを尊敬していますわ、アルバータ夫人。私こそ今後ともよろしくお願いいたします」
レオノーラの返答に満足したのか、アルバータ夫人は「では」と残し、侍従達を引き連れて去っていく。
「いつか……」レオノーラが呟いたのは、アルバータ夫人の背中が十分小さくなってからだ。
──いつか、必ずあなたを打倒し、我が君の憂いを立つ。
レオノーラは密かに誓うと、踵を返した。