本編 レオノーラ
レオノーラの言葉に、黄金と象牙で装飾された壁の前にいるエアリルは、一瞬傷ついたような表情になる。
そうなると高貴な血に相応しい整った顔が、まだ遊び盛りの子供に見える。
エアリルは金色の髪の下に、濃いまつげに縁取られた切れ長の目と、すっと通った鼻、引き締まった口辺の美しい青年だ。
どんな貴族令嬢もこの容姿には弱い。ただ、彼はその欠点たる穏やかすぎる心を、こうして時折他者に無防備に見せてしまう。
レオノーラは構わなかった。
「あら? どうして私の睨むのかしら? 睨むなら何も出来ないご自身を睨んでください」
レオノーラは彼女に付き従う侍女に、エアリルの手にあった杯を渡す。
彼女の一言で場は凍りついていた。
歓談していた貴族達は、目と口を大きく開けレオノーラとエアリルの顛末を凝視し、やかましいほどだった楽団も手を止め、息を潜めている。
くすくすくす、と無意味に大きいウイルザート宮の光の間にいる貴族の一部から、笑い声が上がった。
「レオノーラ様だわ」
「反エリアル殿下の急先鋒」
「また、エリアル殿下をいじめているのね」
「しかし、エリアル殿下は本当に、何か……気性がな」
「あそこまで言われたのに、レオノーラ嬢に何も言い返せないなんて」
今や過半数となったアルバータ派の貴族達が、忍び嗤う。
レオノーラの前で、エリアルが唇を噛んで俯いた。
「ふう」とレオノーラは大仰にため息をつく。
「全く……せっかくのパーティが台無しだわ。国王陛下もお出にならないようだし、辛気くさい顔を見るのもイヤだわ」
一歩下がってエリアルとの間を広めたレオノーラは、体を集まった貴族の方に向けて、丁寧に一礼した。
「私、これで帰らせていただきます」
何かあるのか顔を上げるエリアルの言葉を遮るように、レオノーラは背を向け歩き出した。
カットされ肌を見せている背中の皮膚に、エリアルの視線を感じる。
レオノーラは足を止めない。だれも彼女を咎めたり、止める者もいない。
彼女は一人、エリアルを置いて歩み去る。
だが、レオノーラは心の中でエリアルに語りかけていた。
──私を憎んでください、恨んで下さい……しかし、私はあなたを愛しています。ええ、愛していますわ我が君、エリアル殿下。私がこの地獄からあなたを救い出して見せます。
レオノーラが近寄ると、侍従の手により光の間の両開きの扉は開かれ、レオノーラは背後の喧噪が嘘のように静かな廊下に出た。
光の間から出た先の廊下は少し寒かった。
レオノーラはだが超然と胸を張り、厚い絨毯を踏みながら進む。
彼女が足を止めたのは、光の間から離れた、貴族は勿論、侍従や侍女の姿さえない、ウイルザート宮殿の端だった。
この国の悪癖たる贅沢により、壁の金色の燭台には赤々と燃える蜜蝋があり、光からは逃れられなかったが、少なくとも人の目はかわせたはずだ。
先程の彼女の侍女がやってくる。
違う、彼は侍女ではない。
女装して侍女を演じているが、彼・シリルは少年だ。まだ十四歳になったばかりだ。
「毒だよ」
シリルは無邪気に微笑み、レオノーラは無感動に頷く。
「そう……やはり」
彼女には何か閃く物があったのだ。
「あのタイミングでエリアル殿下にお飲み物、おかしいと思ったわ……やはり殿下は狙われていたのね」
「僕ならば、すぐにどんな毒かは分かるよ」
レオノーラは、笑顔のシリルに宣言した。
「……シリル、『あれ』を使うわ」
侍女の姿の少年の顔が輝く。
「うん、ついにだね」
「ええ、凍りの薔薇よ」