Melody's my life ~歌と共に歩んでいく日々~
ある都市部の中心にある主要駅。
毎日多くの人々が利用するその駅は、21時を回った今の時間でも、そこそこ人が行き交っていた。
そんな駅ビルに備えられた、改札やホームがある二階フロアに行くために利用する、横幅だけで10メートル近くはありそうな大階段の、一番下の端っこに腰掛けて、アコースティックギターで奏でるメロディーに言葉を乗せていく。
今や、定位置と化したその場所で、週に何度か不定期で行う、路上での弾き語り。
その時だけが――
自分が自分らしくいられる時間だった。
『2人共が大好きで 一番歌ったあの歌を~♪♪ 遠いどこかの空の下で キミはまだ歌ってるのだろうか♪』
一瞥もくれず通り過ぎて行く人々の中で、時折足を止めて聞いてくれる人。
演奏を始めると、決まってカウンターに両ヒジを付きながら、目を閉じてじっくり聴いてくれる近くの売店の店員さん。
『いつかまた巡り合えたら~♪ 二人どんなに変わっていても また一緒に歌おう♪♪』
最初は全然いなかったけど、今ではポツポツと人が集まってくれていた。
それが何よりも嬉しくて。
“自分”が認められたようで。
だから、今日もここで、ギターの弦を弾く。
ダボッと履いたカーゴパンツと、大きめなパーカー、目深に被ったキャップで“本当の自分”は隠しながら――
「すげぇいい感じやったな、兄ちゃん」
歌い終わって、まばらな拍手を聴きながら、お礼を言って帰り支度をしていると、不意に声をかけられた。
「ぁ……ありがとうございます」
お礼を言いつつ視線を上げた先には、スーツを着た4~50代くらいの男性が立っていた。
「兄ちゃん、高校生くらいやろ? そんなけ歌えたら気持ちいいやろうなぁ。 俺は歌はからっきしでさ。 あ、そうそう、俺にもあんたくらいの娘がいて――」
「は……はぁ……」
ものすごい勢いでマシンガントークを繰り広げられて、生返事を返す事しかできない事しばし――
「あ、すまん! 急にオッサンが自分語り始めたらポカーンやわな」
――急に我に返った男性が、凄い勢いで頭を下げてくる。
「い、いえ……大丈夫、です」
「そうか? でも、すまんかったな。 歌と演奏が凄い良かったから、つい話してみたくなっちまってさ。 また、聴かせてくれよな。 ほな、気ぃ付けて帰れよ~」
ガバッと頭を上げたその人は、捲し立てるように言って、そのまま手を振りながら去って行った。
何て言うか、台風みたいな人だったな……
でも、いきなりでビックリはしたけど、なんとなく、嫌な感じはしなかった。
そんな風にぼんやり考えてから、ふと腕時計で時間を確認する。
「あ、ヤバっ、電車!」
後10分もしない内に、乗る予定だった電車が来てしまう時刻だった。
慌てて荷物をカバンに詰め込み、ギターを入れたケースと一緒に背負って走り出す。
走りながら、取り出した定期をかざして改札を通り、曲がり角を最短距離で走り抜けていき、なんとか扉が閉まる寸前の電車に、ギリギリ滑り込むことに成功するのだった。
「ただいま~」
「あ、お帰り。 お風呂できてるわよ」
「うん、ありがと」
家に帰って来た私は、そのまま風呂場に向かうと、被っていたキャップを脱ぐ。
すると、クルクルとまとめ上げ、キャップで押さえつけていた髪がパサッと広がりながら落ちて肩にかかった。
そのままパーカーやカーゴパンツも脱いで、洗濯かごに放り込んでいく。
「兄ちゃん、か……」
風呂場の扉に手を掛けながら、ふと、今日帰り際に言われた言葉を思い出した。
「……ちょっとは、上手くなってきてるのかな」
チラっと視線を向けた洗面台の鏡には、胸の膨らみを隠すように、長い髪を前に垂らした少女が映っている。
戸波 凪沙。
それが、私の名前だ。
小さい時から、音楽が好きだった。
別に音楽一家って程ではなかったけど、車に乗ったら、お父さんが入れたCDに合わせてみんなで歌ったり、お母さんがフォークソングの弾き語りを聴かせてくれたり――
なんだかんだ、音楽に触れる機会は多かったと思う。
お母さんにギターを教えて貰って、自分で弾き語りするようになった頃から、歌うのは女性歌手の歌よりも、お父さんが車でよくかける80年代頃の男性歌手の歌が多かった。
それで、だろうか。
いつの間にか私は、歌っている時に気を抜くと、中途半端に低い男声が出てしまうようになっていた。
と言っても、歌を歌ったりしなければ、日常生活で出てしまう事はほとんどなかったから、特に気にもしてなかったんだけど。
私がまだ、中学二年生だった頃のある日、事件が起こった。
発端は、音楽の授業で合唱の練習をしていた私に、先生が言った言葉。
『どうしても、男子のアルトが、女子のソプラノに引っ張られちゃうわね。 ……ねぇ戸波さん、悪いんだけど、一回男子パートのフォローに入ってみて貰えない?』
先生としては、人数を増やして、男子パートを勢いづかせよう、と思ったのかもしれない。
結果として、私が入った男子パートは、女子パートに引っ張られる事無く、アルトとソプラノのハモりも上手く行った。
でも――
『お前、女のクセに男みたいな声で歌うんだな』
1人の男子生徒の言葉をキッカケに、周りの男子が口々に『女なのに』『ホントは男なんじゃないの?』『気持ち悪い』等と囃し立て始めたのだ。
その時は、慌てた先生がすぐに止めてくれたけど……
それ以来、事ある毎にイジメられるようになった私は、いつしか学校に行くのが嫌になり、部屋に閉じ籠るようになった。
その時からだろう。
私は、自分の声が――歌が、嫌いになった。
転機が訪れたのは、中学の卒業が間近に迫って来たある日の夕方。
幼い頃に、公園や散歩に連れて行って貰った事を除けば、たぶん初めて、お父さんが『二人きりで出掛けたい』と言って来たのだ。
お母さんにも内緒で、どうしても一緒に行きたい所がある、と言われ、渋々了承した私は、お父さんが運転する車で、とある街の、大きな駅の近くにあるパーキングまで来ていた。
「さぁ、ちょっと歩こう」
そう言われて車を降りたお父さんは、駅の方に向かってのんびりと歩き始める。
家を出発したのが18時前、車で一時間程走って、ここに着いたのが19時過ぎ。
わざわざ車でこんな所まで来て、しかもこんな時間から、まだ電車に乗って行くの?
そんな疑問も浮かべながらも、黙々と前を行くお父さんに付いて行くと――
ふと、違和感を感じた。
「(駅の放送じゃ、ないよね?)」
何処からともなく、ギターの音色が聴こえている気がする。
それと共に、微かだが歌声も聴こえるようだった。
「良かった。 今日もやってそうだ」
「え? なにが……ぁ――」
そこまで言いかけたタイミングだった。
先を歩くお父さんが進んで行った曲がり角を、遅れて曲がった私の目に映った光景に、言葉を失ったのは……
そこでは、お父さんと同じくらいの歳の男性が、地面に敷いたレジャーシートにドカッと胡座をかくように座って、ギターを弾きながら歌っていた。
視線も向けずに通りすぎていく人ばかりの中で、何人かは足を止めて聴いている人がいるように見える。
お父さんは、その人の近くまで歩いて行くと、一曲終わったタイミングで、声をかけた。
「ヤス、久しぶりだな」
「んぁ? お~、ハルか! 久しぶり……って事は、その子が例の娘さんか」
一瞬、怪訝そうにこちらを見上げた後、ニカッと笑いながら、話しかけてくる。
「幸春の、音楽仲間だったヤスだ、ヨロシクな。 お前さんは?」
「……あ、えっと、凪沙です、よろしくお願いします」
名前を答えて、頭を下げると、ヤスさんは一瞬キョトンとした後、クククっと笑いをこらえ始めた。
「――おい、ホントにハルの娘か? 礼儀正しすぎんか?」
「……お前、相変わらず失礼な奴だな」
我慢できんとばかりに笑い声を上げるヤスさんに、同じように笑いながらお父さんが軽口を叩く。
しばらくの間そうやって言い合いをする二人を、私は呆然と眺めるしかできなかった。
「――んで? ここに連れて来たって事は、まさか“アレ”を聴かせるのか?」
ひとしきり笑い合ったあと、不意にヤスさんが真面目な顔で、口を開く。
「あぁ、そのつもりで来た」
「そうか。 確か嫁さんにも内緒にしてなかったか? どういう心境の変化だよ」
「……凪沙――娘が、昔の俺と同じ壁にぶつかったんだよ……」
苦い表情を浮かべながらそう言ったお父さんに、ヤスさんは『そうか』とだけ言うと、ギターを手に取り軽く弦を弾いた。
置いてけぼり気味だった私は、その音でハッと我に返る。
そして……
いつの間にか、ギターを弾くヤスさんの隣に座り込んでいたお父さんが、その音色に乗せて歌い始めると、私の頭の中は驚きと混乱で一杯になった。
お父さんが歌い始めた曲。
それは、有名な90年代のJ-POP。
岡本真夜さんの“TOMORROW”だった。
でも、知っている歌だったから驚いたんじゃない。
私がビックリしたのは、歌っているお父さんの口から発せられる歌声が――
――まるで、透き通るような女性の声だったのだ。
『――♪︎♪︎――――♪︎♪︎――――♪︎――――――♪︎♪︎♪︎』
メロからサビに、テンポの変化にもしっかりと対応していく。
でも、本当に驚いたのはここからだった。
サビが終わり、2番の歌詞に入った時に、急にいつも車で聴いている“お父さんの歌声”に戻ったかと思うと、次のフレーズでまた女性の声に変わる。
よく聴くと、いつもの声の時は、メロディーや音程が少し違う事に気づいた。
そう……それは、まるで――
「(1人で……デュエットしてるみたい)」
いつもの低めな声。
声質が高めな女声。
そして、ちょうど中間くらいの声。
それらを巧みに使い分けて、1人で歌っているのに、まるで男女でデュエットしているかのように歌っているのだ。
気が付くと私の周りでは、沢山の人が足を止めて、お父さんの歌に聞き入っている。
そして――
「――――♪︎♪︎ ……ご清聴、ありがとうございました~!」
曲が終わり、立ち上がって一礼したのをキッカケに、大音量の拍手が鳴り響いた。
「……お父さん、あんなこと出来たんだ」
「ははは――まぁ、母さんにも内緒にしてたしな。 凪沙も、内緒にしといてくれよ?」
帰りの車の中、何も言わず黙々と運転に集中していたお父さんに声をかけると、苦笑を浮かべながら答えてくれる。
「……うん、黙っとく。 ……あ、あのさ――」
「――実はな、父さんも昔、凪沙と同じように、声を理由にイジメにあってな――」
ヤスさんに言っていた『壁にぶつかった』と言う言葉が気になって、口を開いたタイミングで、お父さんが静かに話し始めた。
思いっきり歌うのが大好きで。
男性歌手だけでなく女性歌手の歌も好きで。
繰り返し練習している内に、“女声”が出せるようになって。
学校で知られて、広まって――
周りから『キモイ』『男女』『スカート履いてこいよ』などと陰口を叩かれ、イジメられた事。
そうやって聞かせてくれた話が、私の状況と重なってしまって――
言われた言葉が脳裏を駆け巡って――
泣いてしまった。
お父さんはそんな私の頭を、視線は前に向けたまま、ポンポンと優しく撫でてくれつつ、ゆっくりと話を続ける。
「父さんは、ヤスと出会った事で、壁を乗り越えられた」
「アイツが『お前の声は最高の武器になる』、そう言って、俺を自分のバンドに引っ張り込んでくれたから」
「いつの間にか、あんなに嫌いになった“歌う”って事が、また好きになってた」
訥々と語るお父さんは、どこか嬉しそうで、その感情が私にも伝わってくるみたいに、心がじんわりと温かくなっていった。
「なぁ、凪沙――歌は、好きか?」
「え? ……えっと、その――」
急に聞かれ、咄嗟に言葉が出なくて、口ごもってしまう。
好きじゃない。
この半年、一年……ずっとそう思っていたはずなのに。
いざ訊ねられると、答えられなくて――
「私、は――」
「難しく考えるな、凪沙。 声の事も、周りに言われた事も、今の父さんの話も、ぜーんぶ取っ払って、シンプルに、自分自身に聞いてみな。 ――歌は、好きか?――って」
部屋に引きこもり始めても、時々聴くことはあった。
でも、いつの間にか口ずさんでいた時は、その事に気づいた瞬間、『気持ち悪い』って言葉がフラッシュバックして、イヤホンを投げ捨てた。
事ある毎に、自分に向けられた言葉を思い出して、布団に潜り込んで泣いた。
それでも、気が付くとまた、イヤホンに手を伸ばしていた。
こんなにも辛くて。
こんなにも悲しくて。
それなのに――
やっぱり、私は――
「――好き……だよ。 歌が……歌うのが……好き――」
「そっか。 なら――あと30分くらいだけど、家に着くまで思いっきり歌うか。 凪沙が歌いたい曲をかけてやるから、好きな“声”で、好きに歌え。 父さんが合わせてやる。 本邦初公開、性別反転父娘デュエットだな」
「……ぁ――ぁはは……何それ……? 変なの……」
そのまま、今まで歌っていなかった時間を取り戻すかのように、私がリクエストした曲を次々流して貰って、どんどん歌っていく。
私がいつもの声で歌えば、お父さんもいつもの声で。
私が男声で歌えば、お父さんはさっきと同じ女声で。
最初は涙が邪魔して、上手く出せなかった声も、家に着く頃には、窓を閉め切ってても、車外まで聴こえるんじゃないかってくらい思いっきり歌えていた。
「――さぁ、楽しかったが、コンサートももう終わりだな」
家の駐車場に車を停めながら、お父さんがしんみりと言う。
「……うん……楽しかった。 連れて行ってくれて、ありがとう」
「――なぁ、凪沙。 今日の父さん、『気持ち悪かった』か?」
車を降りようと、ドアノブに手をかけた瞬間、背中に向けてかけられた言葉に、思わず動きが止まってしまった。
ヤスさんの演奏で、目一杯楽しそうに、気持ち良さそうに歌っていたお父さんは――
「うぅん――すごく、格好よかったよ」
「そっ、か……。 じゃあ凪沙も、すぐには難しいかもしれんが……ありのままの自分に、もっと自信を持ったって良いと思う。 お前の人生だ、思うままにやってみろ。 少なくとも父さんは、お前の気持ちが少しは分かるつもりだ。 だから、なんでも相談してこい」
お父さんはそれだけ言って、車から降りると、さっさと家に入って行ってしまった。
「……あり……がとう――」
残された私の頬には、悲しみとはまた違った涙が流れ――
胸元で握り締めていた両手には、ポタポタと流れ落ちた水滴が小さな跡を残していく。
あの日から私は。
無理やり“歌”を遠ざけるのを、やめた。
あれから一年程が経ち、高校二年生になる頃に、私はお父さんの仕事の都合もあって、地方から都市部へと引っ越す事になった。
本当は、お父さんだけ単身赴任でも良かったのだが、選択肢の少なさから、ほとんどエスカレーター式に進学する事になった近所の高校では、中学の頃のような明らかなイジメは減っていても、居心地が悪いのは変わらず、この機会にと、お父さんの仕事先から近い高校へと、編入を希望したのだ。
「凪沙~、そろそろ行かないと、遅れるわよ」
「うん、もう出るよ」
背中くらいまでの髪を、首の左右で束ねて前に流し、度が入ってない眼鏡をかけると、改めて鏡に映った自分を眺める。
転入から半年近くが経ち、グレーのブレザーにエンジのネクタイ、チェックのプリーツスカートを着た“自分”の姿も、随分と見慣れてきた。
それでもまだ、ありのままをさらけ出すのは怖くて、ささやかな抵抗――とでも言えばいいのか、少し長めにした前髪と伊達眼鏡で、ちょっとだけ目元を隠している。
それもあってか、転校からしばらくは、自分でもそれなりに上手くやれていたと思っていたのだが……
それも、“転校生”と言う物珍しさが薄れてくると、積極的に話しかけてくれる人はほとんど居なくなった。
被害妄想なのかもしれないけれど――
暗い。
声が小さい。
幽霊なんじゃない?
何考えてるか分からない。
話しかけても会話が続かない。
――私が学校で、クラスメイト達から思われてるとしたら、たぶんこんな所だと思う。
幸いにして、あからさまな“イジメ”は、今の所受けていないし、どちらかと言えば、どう接したらいいかわからず、腫れ物を扱うように遠巻きにされている、と言う感じだ。
話しかければ応えてくれるし、みんなは優しくしてくれる――
――でも、うまく仲間には入れない。
そんな感じ。
それなら、転校を後悔しているか、と言われたら、別にそんなこともない。
少なくとも、表立ってイジメられないだけでも、私にとって今回の転校は意味があったのだから。
それに――
「おはよー、戸波さん」
「あ、おはよう、関本さん」
「ねぇ、戸波さんの、地元って、どんな所だったの?」
「う~ん……中途半端に、田舎?」
「何それ~、変なの~」
「あ、戸波さん、次の課題、一緒に組もうよ」
――仲良くしてくれる、友達も出来たから。
そうやって、日中は学校で“戸波 凪沙”として生活する傍ら、夜は、心持ちの変装をして、駅の階段端で“ミナト”と名乗りながら歌を唄う。
引っ越してからの約半年間、そんな二重生活とも言えるような暮らしをしていたお陰か、いつの間にか、男声のコントロールも上手くなっていた。
そんな中――
「文化祭、か……」
――この学校では、11月の半ば頃に、2日間に渡って文化祭を行うらしい。
一日目の、体育館を使い、学生のみで行う“クラス発表”と、二日目の、学校の敷地を全部使って、外部からも保護者や地域の人達が、お客さんとしてやって来る“地域祭”だ。
一日目の方は、クラス毎に合唱や、演劇等の出し物をしていくもので、そこまで力を入れているクラスはあまり無い。
一方の二日目は、食べ物の屋台なんかで利益が出れば、それを打ち上げに使えたりするらしく、どこのクラスも、他所よりも利益を出そうと、場所取りから必死になるらしい。
楽しそうだな、と思う反面、やっぱり不安もあった。
――合唱――
その言葉を聞くだけで、気持ち悪くなる。
当時を知る人がおらず、男声の事すら誰にも知られていないのに、どんどん不安が募ってくるのだ。
前みたいに知られたら――
また、からかわれたら――
そんな感情がグルグルして、過呼吸を起こして……。
結果、関本さんに連れ添われて、保健室で休む事になってしまった。
「先生居ないみたいだけど、とりあえず横になる?」
「あ、うん、ありがとう……ごめんなさい」
小さく頭を下げると、『いいのいいのー』と言いながら、ベッドに座らせてくれる。
「…………あ、あのさ――」
そして、私をじっと見た後、何度か目を泳がせてから、おずおずと話しかけてきた。
「――違ったら、ごめんね?」
「……うん?」
「戸波さん……もしかして、文化祭に何か、嫌な思い出とかある?」
「――っ!?」
言われて、全身の汗が噴き出すような感覚に襲われる。
「……な、なんで……そう思ったの?」
早鐘を打つ心臓を宥めるように、努めて冷静に言ったはずの言葉は、私の内心とシンクロするように、小さく震えていた。
「……私も、そうだったから」
「――え?」
関本さんの言葉に、一瞬思考が停止する。
その間に、彼女はくるりと踵を返し、保健室の扉の方に歩いて行くと、取ってに手を掛けてから、一度だけ振り向いた。
「……無理には聞かないけど、私でよかったら、いつでも相談してね」
その言葉を最後に、保健室を出て行ってしまう。
結局私は、トイレに行っていた先生が、戻って来るまで、たっぷりと数分間は茫然としてしまったのだった。
その日の夜。
いつものように帽子で髪を、服で体型をそれぞれ隠した私は、予備の弦が欲しくて訪れていた楽器屋を出た後、ギターを背負い直していつもの場所を目指す。
最初の内は、何となく周りから見られてるような気がして落ち着かなかったけど、やり始めて半年近く経った今では、「どうせ見られたりしてない」と思えるようになっていた。
今日は何を歌おうかな――なんて、ぼんやり考えながら、駅に続く通りを歩いていると――
「そんなこと言わないでさ、俺らと遊ぼうよ」
――私がいつも歌ってる階段の前で、二人組の男にナンパされてる女の子が見えた。
巻き込まれたくないし、一回離れて後から来ようか……
そんな事を考えて、まだ見られていない今の内に、と引き返しかけた瞬間――
「だから! 嫌やって言うてるやんか!」
――聞こえて来た声に、慌てて振り返った。
「(今の声、口調は違ったけど……)」
頭に浮かんだ疑問を確かめるため、意を決して近付いて行く。
「いいから、ちょっとくらい付き合ってよ」
「嫌や! もぅ、離してよ!」
そうして見えて来たのは、ナンパ男の一人に腕を捕まれ、必死に抵抗する関本さんの姿だった。
「(やっぱり! で、でも、どうしよう……)」
すぐにでも助けたい。
でも、せっかく仲良くしてくれてるのに、“私”を知られたら……また――
中学時代の記憶が溢れ出し、歩みが止まりそうになった瞬間――
ふと顔を上げた関本さんと、目が合った。
いつも笑いかけてくれる、明るい表情はどこにもなく、恐怖からか、今にも泣きそうになっている彼女を見て、私は、思わず口を開く。
「……人の連れに何やってんの?」
女だとバレないように、なるべく低い声で声をかけた私に、ナンパ男は慌てて関本さんから手を離し、振り向いた。
「な……あ、いや、その、別に……」
「……お、おい、もう行こうぜ」
チラッとこちらを一瞥したあと、「男連れなら、先に言えよな」等と溢しながら、そそくさと去っていく二人組。
彼らが見えなくなったタイミングで、関本さんはその場にへたり込んでしまった。
「だ……大丈夫……!?」
「ごめんなさい……安心したら、腰、抜けてしもたみたいで……」
相当怖かったんだろう。
地面に座り込んだ関本さんは、両肩を抱くようにしながら、小さく震えていた。
「とりあえず、こっち座ったら?」
「……ありがとう、ございます」
私がいつも弾き語りをしてるみたいに、階段に座って見せると、彼女は半ば這うようにこちらに来て、少し間を開けて私の隣に腰掛ける。
「………………」
「………………」
お互いに無言ままで、時間だけが過ぎていくのが、なんだか気まずくて、隣に立て掛けていたギターをソフトケースから出して、そっと弾き始めた。
「……え?」
「――♪︎♪︎――――♪︎♪︎♪︎」
“ひまわりの約束”。
別に、この歌を選んだ事に、深い意味はない。
ただ、自分が落ち込んだ時に、よく聞いた曲だから、ってくらいのものだ。
それでも――
「めちゃくちゃ、歌上手いんやね」
一曲終わる頃には、関本さんも笑顔を見せてくれて――
「この歌好きで、いっぱい練習したから」
「そっか。 うん、めっちゃ元気出た気がする!」
自分の歌で、誰かを笑顔に出来たのが、とっても嬉しくて――
「それならよかった。 少しは関本さんの役に立て……て――」
いつもなら、絶対にしないようなミスを犯した。
「……あれ? 名前、なんで……?」
「――――っ!?」
困惑したように首を捻る関本さんを見て、一瞬で全身から血の気が引いたような感覚に襲われる。
『女のくせに』
喉はカラカラに渇き――
『ほんとは男なんじゃないの?』
手足の指先も冷えきって――
「――ぃ……ぃゃ……ゃだ――」
過去に言われた言葉が。
その時のクラスメイト達の顔が。
次々に浮かんでは消えていく。
そして――
『気持ち悪い』
最後に浮かんだのは、いろんな人から一番多く――それこそ、親友だと思っていた子からも言われた言葉だった。
「――あっぐぅ、かはっ、はぁ、はぁ、はぁ……」
「ね、ねぇ、大丈夫? お、落ち着いて」
胸元を抑えながら過呼吸に陥った私に、困惑しながらも背中をトントンとさすってくれる関本さん。
でも、その優しさが、却って私に――
関本さんを、親友だった頃のあの子と重ねて見せてしまった。
『気持ち悪い』
「ぁ……ぁぁ……ぁぁぁぁああああ!」
頭の中で繰り返し響いていた声が、まるで、隣にいる関本さんから発せられたように錯覚した私は、背中をさすってくれていた彼女の手を咄嗟に払いのけ、バッグやギターを抱えて階段を駆け上がる。
そのまま定期を使って改札を抜け、ちょうど来ていた電車に、半ば転がり込むようにして乗り込むと、電車の床にへたり込んだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
扉が閉まり、走り出した電車の振動で、少しだけ平静を取り戻した私は、息を整えるために深呼吸を繰り返しながら、抱えていたギターをケースにしまって立ち上がると――
「お嬢さん、体調が悪いなら、ここに座るといいわよ」
まだ少しよろつく私を見かねたのか、扉のすぐ横の座席に座っていたお婆さんが立ち上がり、話しかけてきた。
「…………え?」
今は、パッと見では女に見えないようにしているはずなのに、“お嬢さん”と呼ばれ、慌てて電車の窓に視線を向ける。
窓に写る私からは、来る時にはあったものが――髪を押し込んで隠していたハズの帽子が、無くなっていた。
呆然としながら、肩口に持っていった手に、サラサラと触れる髪が、そこに写る姿が幻では無いと突きつけてくる。
「……なん、で?」
「え? だってあなた、とても顔色が悪いわよ? あ、私はどうせ次で降りるから、気にしなくていいわ」
私の困惑を“遠慮”だと思ったようで、お婆さんはそう言うと、こちらに気を遣わせないためか、ゆっくりと隣の車両へと歩いて行ってしまった。
お婆さんが見えなくなった後、譲ってもらった席に座りながら、私は駅前での事を思い出す。
ナンパ男達が“男連れなら――”って言ってたから、関本さんを助けた時は、まだ帽子はあったハズだ。
なら、その後は?
歌を歌ってた時も、その後も、なるべくまっすぐ彼女を見ないようにはしていたけれど、さすがに帽子無しで顔を見られたら“戸波 凪沙”だと気付かれてもおかしくない――と思いたい。
なら、一番可能性があるのは――
「(……逃げ出した時、だろうなぁ)」
あの時は、完全にパニックになっていた。
さっきお婆さんの言葉を聞くまで気付かなかったくらいだし、たぶん、逃げる途中で脱げてしまったのだろう。
「……ぁ、はは……なんか――」
――シンデレラみたいだ。
苦笑と共に小さく呟いた現実逃避の言葉は、電車が奏でる奏でるガタゴトと言う音色にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった……。
私が、夜に関本さんと遭遇してから、2日が経った。
今のところ、学校では態度もいつも通りで、普通に接してくれている。
文化祭の出し物が決まらない事で、クラス全体がバタバタしてるので、単純にそれどころではないだけかも知れないけれど……。
と言うのも、二日目の地域祭の方は、ほぼ満場一致で“カフェ”に決まったのに対し、一日目のクラス発表の方が、“合唱”と“演劇”で真っ二つに意見が割れたのだ。
合唱派の意見としては――
「準備が要らない」
「お金がかからない」
――と言った意見が多いのに対し、演劇派は――
「毎年一緒じゃつまらない」
「歌うのが苦手」
――と言う意見が多かったのである。
このままじゃ決まらないからと、先生による仲裁が入り、全員がしっかり考えて、明日もう一度話し合いの時間を取る、と言う事で、今日の所はお開きになった。
個人的には、“合唱”にまだ抵抗があるため『演劇で裏方でもしようか』等と考えていたら、帰り支度をした関本さんに声をかけられる。
「あ、あの、戸波さん。 今日、一緒に帰らない? ちょっと付き合って欲しい所があって……」
「……ぁ……えっと……」
この間の“アレ”以来、声をかけられると、どうしても少し緊張してしまうようになっていた。
それでも――
もし、声の事がバレて嫌われたとしても――
それまでは、友達で、いたいから。
「……うん、いいよ」
「良かった! ありがとう」
反射的に断りそうになった言葉を、グッと呑み込み返事を返すと、どこかホッとした様な表情でお礼を言われた。
そのまま、二人で学校を出てしばらくは無言で歩く。
二人とも電車通学のため、自然と足は最寄り駅に向かっていた。
「ねぇ、戸波さん。 文化祭の出し物、どっちに意見出すか、決まった?」
「……うん。 演劇の裏方が良いかなって思ってる」
「そっかー。 私も演劇が良いかなぁ。 去年合唱だったし」
そんな話をしながら、最寄り駅から電車に乗り込む。
電車に揺られつつ、去年の出し物にはこんなのがあった――みたいな話を聞かせて貰っている最中に――
「あ、ここだよ、降りよっ」
「え? あ、うん」
声をあげた関本さんに手を引かれながら、降りた駅は――
私が普段、弾き語りをしに来る、あの駅だった。
「……ここ、って――」
「お父さんから、私達と同じくらいの歳で、めっちゃ歌上手い男の子がいたって教えて貰って、一昨日の夜に一人で見に来たんだけど――」
ホームを出て――
「しばらく待ってても会えなかったから、『今日は来ないかな』って帰ろうとしたら、しつこいナンパ男達に絡まれて――」
改札を抜けて――
「そしたら、帽子被った子が助けてくれてさ。 すっごく怖くて震えちゃってた私に歌を聞かせてくれて――」
いつもの大階段を降りていき――
「それが、とても優しい声で、すごく元気貰えて――」
一番下の段を降りたタイミングで――
「ねぇ、戸波さん。 もしかして、なんだけど……この帽子、見覚えない?」
こちらを振り返った関本さんが、カバンから取り出したのは、私があの日無くした帽子だった。
知られた。
せっかく仲良くなれたのに。
知られた。
これで、きっと、また――
知られた。
知られた。
知られた。
知られた。
「――――――っ!」
「あっ! 待って!」
一瞬で頭の中がぐちゃぐちゃになり、一昨日と同じように逃げ出そうとした私は、関本さんに腕を掴まれて引き留められる。
「は……離して! ……ご、ごめんなさい……ごめんなさい!」
「待って、お願いだから! 私は、お礼が言いたかったの!」
必死に振りほどこうとしていた私だったが、彼女の悲鳴に近い叫びを聞いて、思わず動きを止めてしまった。
「私、あの時本当に怖くて……助けてくれて、励ましてくれたあの人に、ずっとお礼が言いたかった」
抵抗を止めた事で、半ば抱き締めるように抑えていた私の左腕を離した関本さんが、『あの時はありがとう』と言った後、少し俯きながら、静かに話し始める。
「私――あ、もうバレてるから良いか――ウチさ、昔すっごい人見知りでね、未だに、知らん人にグイグイ来られると結構怖いねん」
「……そう、なんだ。 あんまり、そうは見えないね」
私の、彼女に対する印象は、“気さくで、明るくて、優しい”って感じだし、人見知りだと聞いても、イメージは湧かなかった。
「この数年でかなりマシになったからね。 この言葉遣い聞いて分かるかも知れへんけど……ウチ、今までに2回引っ越ししてて、元々は関西に住んでてんけど……1回目の転校の時に、失敗してしもて……」
そう言って、肩を落としながら話してくれた内容は――
人見知りとは言え、話すのは好きだったから、一週間くらいで、ある程度はクラスに馴染めた事。
そんな中で、自分の趣味がみんなに知られて、からかわれた事。
「趣味?」
「うん。 ウチ、物語考えたりするんが好きで、その時も小説書いとってん」
「そうなんだ。 私は読むばっかりだから……すごいよ!」
本を読むのは嫌いじゃないけど、物語を“自分で作る”なんて、考えた事も無かったから、本当にビックリした。
それを伝えると、関本さんは顔を上げて、『ありがと』と、はにかんだ表情を見せてくれる。
「でな、趣味が知られたんは、隠してたワケでもなかったし、別によかってんけど――」
その時に『みんなで読んでやろうぜ』等と言いながら、書いていたノートをとある男子が引ったくったらしい。
そして、それを窘めようと、関本さんが――
『何すんねん! 人の物勝手に取ったらアカンって習わんかったんか、ドアホ!』
――と、相手からノートを奪い返しながら、言ってしまったのだとか……。
「ウチとしては、“あんまり調子乗ってたら、ホンマに怒るで?”くらいのノリで言うたつもりやったんやけど――」
クラスメイト達には、あまりにもすごい剣幕でブチギレた様に見えたのか、それ以来、遠巻きにされるようになってしまったらしいのだ。
「そんで、その少し後に文化祭があったから、ちょっと孤立気味で……それ見たオトンが、ウチが引っ越すん嫌や無かったら、転勤の辞令受けるって言うてくれてな。 それで、高校入る年からこの街に引っ越して来てん」
そんな経験をしてしまったから、学校では趣味も、言葉遣いも、全部を隠しながら生活してるのだとか。
それが何となく、自分と似ている気がして――
「……私は――」
私も、自分の事を、聞いて欲しくなった。
いつもみたいに、階段の端に腰掛けて――
歌の代わりに、自分が引っ越してきた経緯を話していく。
“自分”を知られるのはまだ怖いけど……
それでも関本さんには、聞いて欲しいな、って思ってしまったのだ。
だから――
小さい頃から、歌が好きだった事。
練習している内に、男声が出せるようになった事。
合唱の練習がキッカケで、イジメにあった事。
お父さんのお陰で、歌が好きなんだって思い出せた事。
この街に来るまでの事を、時々つっかえながら話していく。
「――そんな感じだったから、今でも自分の声や歌に自信が無くて……。 だから、“戸波 凪沙”じゃない“別の誰か”として、歌や声の練習を兼ねて、時々ここに歌いに来てたの」
「……そう、やったんや」
私が話してる間、ずっと何かに耐えるように、無言のまま、口をへの字にしていた関本さんだったが、私がそこまで話して、一息入れたタイミングで、目を伏せながら、絞り出すように声を上げた。
「うん。 ここで歌ってる内に、少しずつ聞いてくれる人が増えてきて、それが、ちょっとだけ、自信にも繋がってるのかなって……」
「そっか……話してくれてありがと。 またちょっとだけ戸波さんの事知れて、嬉しいな」
そう言って笑いかけられ、私はつい呆けた顔をしてしまう。
「あれ? ウチ、何か変な事言うた?」
「あ……そ、そうじゃなくて! 今までは、声の事とか、知られた人には避けられたりしてた……から……」
関本さんなら『もしかしたら』とは思っていても……それでも、これまでの経験が『どうせ……』と、期待する気持ちに陰を落としていた。
それなのに、こんなに簡単に――
「ウチの過去なんかとは、辛さの度合いが全然ちゃうけど――」
男声で歌った歌も聞いてるのに――
「歌もめっちゃ上手かったし、めっちゃ沢山練習したんやろうなって思うし、声かって、そんな練習の賜物やん?」
当たり前のように――
「自信持って――ってのはすぐには難しいかもやけど、自分の頑張りを、自分には誇ってもええと思うよ。 それにウチ、戸波さんの歌声、めっちゃ好きやで」
――本当はあの時、親友だったあの子から聞かせて欲しかった言葉を、言ってくれたから……
「ぅ……ぐすっ……あり、がとう……」
家族以外で初めて、ありのままの自分を認めて貰えたように感じて、泣き出してしまった私の涙が枯れるまで、関本さんは、私を優しく抱き締めながら、頭や背中を撫でてくれていたのだった。
「……ご、ごめんね。 制服濡らしちゃって――」
「だいじょぶだいじょぶ、すぐ乾くよ」
ひとしきり泣いたあと、ふと我に返って周囲に視線を向けた私達は、『何事なの?』とでも言いたげな、通行人達の好奇の視線から逃げ出すように、近くのファーストフード店まで来ていた。
「にひひ……それにしても、結構泣いたねぇ」
「うぅ……恥ずかしいからもう触れないでよ、イジワル」
「ごめんごめん、って、顔真っ赤だよ~?」
「誰のせいよ!」
目の前で大泣きしちゃって、色々と吹っ切れたのか、なんとなく、以前よりも自然に話せている気がする。
そうやってしばらくは、とりとめのない話しを続けていた私達だったが、ふとしたタイミングで、急に関本さんが俯いて黙り込んでしまった。
「……どうしたの?」
「あ……ごめん、ちょい待ってて――」
心配になって声をかけるが、それだけ言って、また難しい顔で口元に手をやり黙り込む。
時折『こうしたら』とか『こっちの方が』とか、ブツブツ呟いてるのも聞こえるが、何の事かはさっぱり分からなかった。
そして――
「よしっ! これなら!」
たっぷり2~3分は唸っていた関本さんが、ガバッと顔を上げたかと思うと、バッグから手帳を取り出して、すごいスピードで何かを書き込んでいく。
「――できた! ねぇ、戸波さん、ちょっと見てみて!」
「あ、うん……いったい何を――」
差し出された手帳に視線を落とすと、そこには“文化祭の出し物 案”と言う見出しで、いろんな事が書き込まれていた。
その中でも、特に大きく書かれていて、目についたのが――
「――ミュージカル!?」
「うん! って言っても、お芝居みたいに台詞覚えてやるんじゃなくて――」
そう言って説明されたのは、驚きの内容だった。
これなら、誰でもできそうだと思う反面、そんなに協力が得られるのかとか、私はまだみんなの前で歌うのは怖いとか、難しいんじゃないかと思う部分も沢山ある。
でも、なんとなく――
もし本当に、これが実現して、みんなと一緒に出来るのなら。
きっと素敵な文化祭になりそうな――
そんな風に、予感させられる物だった。
月日は流れて、文化祭当日。
今日まで、本当に大変だった。
劇をやる時みたいな大道具がほとんど必要ない代わりに、細々した小道具や、衣装の準備にかなり時間を掛ける事になったのだ。
一方で、決まった台詞と言うものも数える程しか無いため、台詞や動きなんかの練習はほぼやっておらず、ある意味ぶっつけ本番と言えなくもない。
私にも、いくつか台詞はあるものの、メインは、夜に駅でいつもやってるような、弾き語りをするだけの予定なのだけど……それでも、緊張しっぱなしだった。
関本さんの『みんなをビックリさせる』と言う言葉のせいで、私はまだ、クラスメイトにすら歌を披露できていない。
それなのに、いきなり全校生徒の前でなんて――絶対無理だって、最初は思ってた。
それでも、やってみようって思えたのは、私が大泣きしちゃった日以来、頭の中に響く『気持ち悪い』等の言葉が、少しだけ小さくなったように感じたから……
それと――
関本さんが私に言った、『絶対大丈夫だから、信じて欲しい』って言葉を、信じたくなったからだった。
他のクラスの劇や合唱を聞きながら、刻一刻と迫ってくる、自分達の出番。
1つ前に発表するクラスが、体育館の舞台上で演じる『シンデレラ』を、舞台袖のスペースで聞きながら、衣装に着替えた私達は、流れの確認を軽く行っていた。
みんなそれぞれに緊張した表情を浮かべる中、ついに私達のクラスの出番が来る。
幕が開いた舞台上では、小説を書いている関本さんと、それをからかう男子生徒が関西弁で言い争いをしていた。
今回のミュージカルで、関西弁で台詞を言うのが『一番苦労した部分かもしれない』と、彼はずっとぼやいていたが、それでも、最後まで違和感なく演じきる。
その後は男子生徒が一旦捌けて、舞台の中央に座り込んで落ち込む関本さんの周りで、思い思いの格好をしたクラスメイト達が、鼻歌交じりに自分はこんな事が好きだ、と主張しながら通り過ぎて行くのだ。
ある人は『僕は~少女漫画の方が好き~』と言いながら、拡大コピーで作った小道具の漫画を抱えてスキップしたり。
『だって男物にはかわいい服がないんだもん』と言いながら、フリル付きでヒラヒラした、かわいいワンピースを着て、くるくると踊りながら通っていく男子がいたり。
その後も――
格闘技が大好きだからと、道着を着て演舞する女子や。
声優を目指してる、と有名なアニメキャラの声真似をいくつか披露する子。
“勇者と賢者”みたいなコスプレで出てきてポーズを決める男女ペア、などなど。
次々と舞台上で、“自分が好きな事”を主張しては、舞台袖へと捌けていく。
そして――
「もうすぐ出番だよ、戸波さん。 頑張って!」
「…………」
いろんな種類の緊張で、ギターを抱えたまま俯いていた私に、舞台上から戻って来た“賢者”の子が、声をかけてくれた。
みんなと一緒なら出来そう、って思っていたのに――
このままじゃ、せっかくここまで、みんなで練習したのを、全部台無しにしてしまうのに――
いざ本番を前にすると、足が前に進んでくれない。
そんな時――
『好きなものを、好きでいて何が悪いの?』
スピーカーから、声が聞こえてきた。
『みんなそれぞれ、好きな事は違って当たり前』
それは、本来なら私が言うはずだった台詞――
『好きな事だから、本気になれる』
それを――
『本気でやるから、もっと好きになれる』
みんなで、代わる代わる、まるで歌うように高らかに――
『僕らの“大好き”に、文句なんて言われたくない!』
その、最後の台詞が終わる直前。
振り向いた私の目に写ったのは――
笑顔でサムズアップや、力こぶを作りながら、『がんばれ!』って言ってくれる、みんなの姿だった。
だから――
存在を確かめるように、肩から掛けたギターをギュッと握りしめながら、ゆっくりと舞台の中央に向かう。
「(もう、逃げたくない――)」
いつもと同じ、髪や体型を隠した、駅で弾き語りをする時の格好で。
いつもと違う、最初から観客がいる場所で。
「(――私の“大好き”から!)」
ステージ中央に設置されたスタンドマイクと向かい合った、私が今から歌うのは……
関本さんがみんなと一緒に考えて、この日のために選んでくれた――
――槇原敬之さんの『どんなときも。』――
「お疲れさまでした~! カンパ~イ!」
「「「「「「カンパ~イ!」」」」」」
二日間にわたる文化祭も終わり、私達のクラスは、クラスメイトの一人の実家である焼肉屋さんを貸し切って、打ち上げパーティーを開催している。
「いやぁ、でもホント、戸波さんの歌凄かったよな」
「うんうん! 最後には体育館中のみんなで大合唱だったもんね。 あれは気持ちよかった!」
――そう。
あの日、私がステージ上で歌い始めた時には、まだシーンとしていた先輩や後輩達が、2番の歌詞に入って他のクラスメイト達も歌に参加し始めた辺りで、手拍子なんかをしてくれ始めたのだ。
それが本当に嬉しくて。
歌いながら涙が溢れてきて。
鼻声になりながらも、何とか歌い続けていたんだけど……
サビに入るタイミングで、関本さんが、急に『みんなも一緒に~!』って掛け声を上げ、それをキッカケに、在校生を巻き込んだ大合唱が始まったのだ。
ビックリしたお陰か、少しは涙も引っ込んで、私も最後まで楽しく、目一杯歌う事ができた。
ちなみに、歌詞をステージの後ろ側にあるスクリーンに映していたのもあって、かなりの人数が歌に参加してくれたらしい。
挙げ句の果てにラスサビを、『も~1回!』『もいっちょ~!』『ラスト~!』だなんて言って、予定に無かったリピートまでやっちゃったものだから、会場は大盛り上がりしたものの、後から先生に――
『ああ言う事をするなら、先に報告しておけ』
――と、しっかり怒られた。
まぁ、それはさておき。
「それにしても、戸波さんが両声類だったなんて、知らなかったよ」
「え? ……両生類?」
「そうそう。 男女“両”方の“声”が出せる人”類”、で両声類」
一瞬、何を言われたか分からず、頭の中をカエルが跳ね回ったけど、続く言葉で『なるほど』と納得する。
「まだあんまり知名度は高くないけど、動画サイトとかで少しずつ人気出てきてるんだよ」
「……そうなんだ……知らなかった」
「じゃあ今度聴いてみるといいよ! まぁ、戸波さん程の完成度の人はまだ少ないけどね」
そう言って、動画のURLをメッセージで送ってくれた。
「ありがとう。 後で聴いてみるよ」
「うん! あ、ねぇ、もしよかったら、今度から下の名前で呼んでもい――」
「あ~! それウチが先に言おうと思てたのに! そや、代わりに、ウチの事は“千里”って呼び捨てでええよ! 下の名前呼び捨てのハジメテはウチが貰う!」
お店に迷惑にならないか、心配になってしまうくらい、ワイワイと騒がしく、でもとても楽しく、時間が過ぎて行く。
次々とみんなが話しかけてくれて、いろんな話をして、笑い合って……
中学生の時に“歌”で失ってしまった日常を、“歌”で取り戻す事が出来たんだ、って思ったら、またちょっとだけ……泣いてしまいそうになった。
私から、友達を奪っていった歌。
一度はあんなに嫌いになった歌。
それでも――
「ねぇねぇ、凪沙ちゃん! よかったら、何か一曲歌ってよ!」
「いいね~! 地域祭でも使ったから、ギターもあるし」
「ねぇ、おねが~い」
みんなにせがまれるまま、ケースから取り出したギターで奏でるメロディに、言葉を乗せていく。
「うわぁ! “マイフレンド”、いいね!」
「あ、でもでも、男声の歌も聴きたいから、次リクエストしちゃおうかな~」
――結局嫌いになりきれなかった歌。
そんな、大好きな大好きな歌を――
私は、ずっとずっと、歌っていたい。
「(ねぇ、昔の私……見えてる?)」
みんなの笑顔や歓声に包まれながら、真っ暗な心の奥底で、小さくうずくまっている“私”に話しかける。
「(たくさん辛いこともあったけど)」
近寄って手を差し出すと、不安そうにこちらを見上げてくる“私”を、私は思わずギュッと抱きしめた。
「(……千里や、みんなのお陰で、私は――ありのままで歌える場所を――自分の居場所を、見つけられたよ)」
そう言うと、腕の中の“私”は、一瞬だけ表情を綻ばせたあと、キラキラと星屑のように瞬きながら、少しずつ薄れていく。
そして、彼女が完全に消えてしまう直前。
――もう、大丈夫だね――
私には、確かにその言葉が、自分の心の中で響くのを、感じたのだった……