3.公爵夫人
愚兄の秘書からの有り得ない報告書が届きました。愚者の愚かすぎる行為に頭痛がします。
元婚約者にプロポーズ?
有り得ないでしょう!
しかも既婚者のままで……。離婚するつもりなの?そんな兆候なかったでしょう!?
ダイアナお姉様の呆れ果てている姿が目に浮かぶわ。
いいえ、お姉様だけではない。子爵家に仕えさせている者達も同じでしょう。
それとも、私が気付かなかっただけで愚兄はずっと後悔していたの?
だから元サヤを狙っているの?
本当にバカなお兄様だわ。
せめて……男爵令嬢の存在がもっと早く分かっていたら……。
兄の恋人。
学園という一種の治外法権で行われた情事。
12年前――
「フール男爵家では貴族教育をしていないのか? 貴族令嬢が貞淑さを求められるのは当たり前の事だろうに」
「それをいうならヘンリーもですわ……。一体今までの教育は何だったというのかしら?閨房技術を学ぶ以外に関係を結ぶなど。結婚前に異性と関係を持つのは恥ずべき行為だといいますのに……」
「ヘンリーの話では合意というが……」
「そういう雰囲気になってしまった、というヘンリーの世迷言を信じていらっしゃるの?」
「まさか。体内検査をして調べているが何も出てこん。媚薬を使ったとしても恐らく初期の段階だけだろう。聞けば3年前から関係を持っていたというではないか。せめて3年前に申告してくれていれば証拠が出てきたのだろうがな」
「気付くのが遅れてしまったせいですわね。せめて影を付けておくべきでしたわ」
「いや、それはムリだ。学園でそれをすればスパイ行為とみなされて、最悪、王家に反旗ありと捉えられかねん。そなたも知っているだろう」
「ええ。まさか乳兄弟であるロビンまでもがヘンリーの肩を持っていたなんて……見込み違いでしたわね」
「全くだ」
父も母も愚兄のやらかしに頭を抱えています。ムリもないこと。婚前交渉を行って相手の女性を孕ませたのだから。しかも愚兄にはダイアナ・シャールトンという素晴らしい婚約者がいる身ですよ?信じられません!フール男爵令嬢もよく婚約者持ちの兄を恋人として選んだものだわ。身分違いもいいところでしょう!
しかも今回の件を隠す素振りが全くありません。
お父様ではありませんが本当に貴族令嬢でしょうか?
自分自身で「尻の軽い傷物」だと吹聴しているようなもの……頭がおかしいのでは?
まさかダイアナお姉様に取って代わろうとでも?
血統主義の我が国でそれはムリだわ。
勿論、例外はあるけれどダイアナお姉様に取って代わる価値がフール男爵令嬢にあるとは到底思えない。
我が国の貴族は男女関係に非常に厳しい。もっとも「未婚の」と枕言葉がつきますけどね。そう、未婚の貴族については「貞淑であれ」と法律で定められているのです。令嬢は結婚まで清らかであること、子息は閨教育以外の女性と関係を持たないこと、といったもの。これだけ聞けば「男には清らかさを求めないのか」と文句をいう女性もいるかもしれません。私だって文句を言いたい派ですもの。ただ男性の場合はちゃんと子を成せる体であるかを調べる過程も含まれているますから、人によっては屈辱に感じる方もいらっしゃいます。
「なにはともあれ、明日になればハッキリすることだ。本当にフール男爵令嬢が懐妊しているのか、そして子供の父親が誰であるのかも含めてな」
「ブライアンが父親の確率は何パーセントですの?」
「さあな。フール男爵令嬢は人気があるようだから分からんな」
不穏な言葉の連発……どうやらお腹の子の父親はお兄様でない可能性が大いにありそうですね。
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神殿による検査。
「病院でも検査は出来るが正確で詳細な結果を求めるなら神殿で行うべきだ」
お父様達はもっともらしく仰ってますけど、要は口が堅い処を選んでいるに過ぎません。神殿は一種の治外法権。それでいて王侯貴族と切っても切れない関係を築いているから貴族の醜聞にも驚かないし、そこから秘密が漏れる事も無い。だから貴族達は挙って神殿に寄進しいざという時に備えています。
今回の場合、相手が悪過ぎて既に噂が蔓延しているため「病院でも良かったのでは?」と思いましたが、「だからこそ神殿の検査が必要だ」という両親の言葉には首を捻りました。私がその理由を知るのは数年の月日が必要となり、我が公爵家の闇を垣間見た瞬間でした。
「これはこれはアンピール公爵様! そして奥方様と御息女様! 本日はよくぞお越しくださいました。娘と御子息様の結婚をお認めくださいましてありがとうございます!」
「お義父様、お義母様、次期公爵夫人として立派な跡継ぎを生んでみせます!」
問題の男爵令嬢だけでなく、その親である男爵夫妻も非常識の塊でした。
公爵家を舐めてます?
それとも下級貴族には礼節と常識が備わっていないのですか?
「我がアンピール公爵家の息子との婚礼を済ませていない未婚の令嬢に親を名のらせることはできん。周囲がおかしな気遣いをするからな」
「本当に。一門の若い方々は行動的ですからね」
両親からの軽いジャブが入りました。
「一族の方からも祝福してくださるなんて娘は果報者です!」
男爵は何も理解していませんね。顔を赤らめている男爵令嬢も同じみたいですけど……。これでは到底高位貴族の社交で生き残っていけません。青ざめた顔の愚兄は分かっているようで安心安心。今にも倒れそうですけど、私は支えませんから頑張って耐えてください。
「ヘンリー、ドロシー嬢と深い仲だそうだな」
「はい……」
「学園では自由を謳歌出来て何よりだ。学園長から伝え聞いたところによると、随分と高等科の方は平等な環境下であったそうだな。生徒の自主性を重んじる学園始まって以来の状況だ」
「あ……」
輝くばかりの笑顔でいる男爵家親子とは打って変わって愚兄の顔は今にも泣き出しそう。漸く事の深刻さが分かったという処かしら?それ、遅すぎ。それにしても、愚兄と男爵令嬢の間に子が既にいるとなれば、二人の関係は学園内で成されたとしか考えられません。我が公爵家は勿論のこと、他の社交場でも外出先でも一切二人が会っている処を見た事がない上に噂にもならなかった。あんな兄でも公爵家の跡取り。常に警護の者を従えていて不審者との密会を報告しないはずがない。唯一、警護出来ない場所が学園。
「神官長殿、よろしくお願いします。」
お父様の言葉に神官長は頷くと他の神官にお兄様と男爵令嬢を別室へ案内するよう命じられました。それというのも、神殿の魔道具は門外不出。失われた古代魔法道具もあるとか。今回使用する魔道具もその一つ。妊娠をしているかだけでなく、生まれてくる子供の父親から子供の性別まで分かるのです。それだけでなく、誰と関係を持ったのかまで調べられるのですから相当でしょう。両親が本当に知りたいのは後者かもしれませんね。病院だと妊娠しているかどうかしか分からないのですから。
「ドロシー・フール嬢は現在妊娠4ヶ月目に入っております。なお、子供の父君は間違いなくヘンリー・アンピール様です」
両親の期待は打ち砕かれました。
なんと、お兄様の子供。
しかも妊娠4ヶ月……という事は堕胎はムリですね。
我が国の法律で堕胎するのは3ヶ月目まで。男爵令嬢はこの事を知っていて、降ろせない段階で騒ぎたてたのでは?
数週間後、愚兄の廃嫡が決まり、繰り上げで私が跡取りになりました。
非常に残念な事ですが、私にはダイアナお姉様のように優秀な頭脳を持っていなかったため婿を取り「アンピール公爵夫人」となったのです。
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留学先から戻られたダイアナお姉様は女性の身でありながら「家」を継ぎました。嫌な言い方になってしまうけれど女性で跡取りとなる人は少ないのです。大抵は婿をとるかもしくは養子を迎えるかのどちらかが主流。けれどダイアナお姉様は「自分がシャールトン侯爵家を継ぎます」と宣言されました。
結婚相手が他国の王子殿下であったせいか「婿として継ぐのはちょっと……」という雰囲気だったらしく、侯爵家ではすんなりと跡継ぎ問題も起こらなかったそうです。格上の王子殿下に意見できる人間などこの国にはいないでしょうけど。
ただ、令嬢として家裁を守る教育は受けていらしたものの、盛り立てていく教育は受けていらっしゃらないダイアナお姉様に対して「女の身で身の程知らずな」、「愚かな選択をしたものだ」と侮る貴族は多くいました。ですが、ダイアナお姉様が侯爵家を切り盛りし瞬く間に成果を次々と発揮し始めると、誰もダイアナお姉様に対して何も言えなくなりました。
それはそうでしょうとも。
男の自分達よりも、年上の自分達よりも、遥かにダイアナお姉様は優秀だったのだから。侯爵領の開発に勤しんでいたダイアナお姉様は、医療施設を設置し、領民のための教育機関を造り、福利厚生をどの領よりも発展させ、数年もしない内に国内随一の領にとなったのです。流石ですね。ダイアナお姉様が愚兄と結婚してアンピール公爵夫人になっていたら今のシャールトン侯爵領の繁栄は我が領にあったのに、と嘆き悲しむ領民が後をたちません。
公爵家の婿として跡を継いでくれた夫は良くも悪くも典型的な大貴族のお坊ちゃま。次男なので何れ自分自身で身を立てるか何処かの貴族に婿入りするかを選択しなければならない身の上、そのため、文武に優れ所作も完璧な努力家です。ただ、やはり貴族。些か……いいえ、とても保守的なのです。変化を嫌うという訳ではありませんが、ダイアナお姉様のような先進的な女性を「慎みがない」と感じ苦手としているのです。急激な変化にも付いていけない傾向のようで……ここは私自らがダイアナお姉様に教えを乞うべきでしょうか。我が家の愚兄のせいで要らぬ苦労を背負い込んだというのに、未だに私にもお優しいお姉様。昔のような蜜月関係に戻れるとは思っておりませんが、切っ掛けさえあれば以前に近しい関係に成れると思うのです。
どこかに切っ掛けが落ちていないでしょうか?