2.子爵(元公爵子息)
妻のドロシーと結婚した理由は当然、愛していたからだ。
貴族学校で出会った恋人。
私は学園で同じ歳の親友を初めて持った。男爵家の跡取り、ローリー・トゥルース。私達の間には身分の差があったが、学園自体が「身分の垣根を超えた友情」を推奨していた事もあり気兼ねなく親友と過ごすことが出来た。
親友を介して多くの友人に恵まれた。
新しい環境、新しい友人、新しい生活。
学園生活での新しい日々は全てが新鮮だった。
高位貴族以外の友人達との遊びは刺激的で、見るのも聞くのも全てが初めてのものばかり。私はそれに夢中になった。
一年後に親友の妹が入学してきた。
「初めまして、ローリーの妹のドロシーといいます。兄がお世話になっていますので、これからは私がヘンリー様のお世話を致しますね」
茶目っ気たっぷりに言われたセリフを今でも覚えている。
ドロシーは可憐な少女だった。
チェリーブロンドの柔らかな髪、思わず口づけしたくなるぽってりとした唇、ほっそりとした肢体。
「わぁ!ステキ!こんな高価なネックレスは初めてだわ!」
彼女に似合うと思った宝飾品をプレゼントすると全身で喜んでくれた。
流石に家族でもない婚約者でもないドロシーにドレスをプレゼントする事は出来ない事が残念であったが、それ以外のアクセサリーや靴やバッグ等はプレゼントした。
贔屓のレストランに連れて行くと「美味しいわ!デザートも食べるのが勿体ないくらいキレイ!」と可愛らしい事を言うドロシーが好ましかった。
貴族、特に高位貴族の女性は感情を表に出すことを「はしたない」とする風潮がある。
ドロシーはそんなこと関係ないと言わんばかりに喜怒哀楽を素直に出す。くるくる変わる表情は見ていて飽きなかった。兄のローリーも感情表現が豊かで、流石に兄妹だなと感心した程だ。
ローリーとドロシー。
二人は私の「特別」だった。
だが、当時の私には親が決めた婚約者がいた。2歳年下の侯爵家の令嬢ダイアナとは幼馴染でもあった。両親同士も仲がよく、ダイアナとも家族同然の付き合いだった。私達は兄妹のように仲が良かった。
お互いに「恋」はしていなかった。だが、「愛情」はあった。男女の愛情というよりは家族愛に近いものだった。それだけ私とダイアナは近し過ぎたのだ。
ドロシーのようなトキメキを感じた事は一度も無かった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
学園最後の年にドロシーが妊娠した。
避妊はしていたが絶対とはいえない。
ましてや、婚約者がある身で別の女性との間に子供を作ったのだ。
しかも相手は未婚の貴族令嬢。
両親からは叱責を受けた。
当然だ。
ダイアナとの婚約は白紙になった。
当然だ。
そして、公爵家の跡取りから外された。
これには流石に抵抗した。
だってそうだろう?
私は今まで公爵家を継ぐ者として必死に頑張ってきた。
それが「妻」を変更した位で「資格なし」の判断をされるとは思わなかった。家族同然の侯爵夫妻も何故か味方になってくれなかった。
公爵家が持つ爵位の一つを下賜された。「スーザン子爵位」だ。子爵位の他にも「伯爵位」があったのに何故か両親はそれを継がせてはくれなかった。
「伯爵位は高位貴族との付き合いも多くなる。公爵家の恥をこれ以上さらすことは出来ないし、お前の選んだ男爵令嬢が伯爵夫人をやれるとも思わないしな。寧ろ、子爵夫人ですら荷が重いだろう」
酷い事を言う。
更に侯爵家に支払う慰謝料と賠償金。
これを両親が肩代わりする代わりにある条件を突き付けられた。
「子爵位は飽く迄も公爵家が長男であるお前に貸し与えるもの。お前の死後は速やかに爵位を公爵家に返上すること」
「子爵家の領地は公爵家の敷地内にしてある。夫婦で住まう館も準備しているので移転は許さない」
「婚姻後、王家主催を除いては高位貴族のパーティーへの出席は出来ない」
「この先、お前達夫婦には何人も子供が出来るだろうが、妻から生まれた子は例外なくお前の子供になる。だが子供が受け継ぐ財産はお前の個人資産のみだという事を理解しておくように。公爵家に対する権利は一切ない。この事について異議申し立ては受け付けない」
「領地経営に関してはこちらが用意した秘書と相談して決める事。独断行動は禁止する。もし、破ればそれなりのペナルティーが科されるので覚悟しておけ」
随分な内容だった。
一代限りの爵位というもの痛い。
なにしろ、爵位がなければ「平民落ち」は免れない。
自分の子供が「平民落ち」になることだけは避けたかった。
後、数ヶ月後にドロシーは出産する。
男であれ女であれ大変苦労する事は目に見えている。
高位貴族のパーティーに参加出来ないとなれば伯爵以上との婚姻が絶望的だ。結婚相手は自ずと下位貴族となる。娘なら爵位を受け継ぐ嫡男に嫁がすしかない。公爵家直系の血筋だ。相手は子爵であれ男爵であれ喜んで受け入れるだろう。
問題は息子の場合だ。
婿入り先は限られているだろうから剣術を磨いて騎士団に入団させた方がマシだろう。文官だと功績を認められるのに時間が掛かる。その点、騎士団ならば陞爵し易い。
その時の私は知らなかった。
下位貴族であるという事がどういうものなのかを……。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
公爵家の敷地内にこぢんまりとした館。
洒落た感じの館は母上の趣味だろう。
一通りの執事やメイドが用意されていた。
生活の質は少し落すように秘書に諭された。
「ヘンリー様は既に子爵として独立なされています。下賜された領地での収益で生活されていくのですから無駄な贅沢は許されません」
個人資産の使用についても管理人の許可がいったのだ。
もっとも、高位貴族との付き合いがない分、出て行くお金も少ない。
結婚式は公爵領にある神殿で行った。一族の者は代々そこで結婚式を挙げる習わしだったからだ。急な事だったにも拘わらず大勢の友人達が駆けつけてくれた。純白のウエディングドレスを身につけたドロシーは輝かんばかりに美しかった。両親やお世話になったシャールトン侯爵家にも結婚式の招待状を送ったが欠席だった。
数ヶ月後に妻は玉のように可愛い女の子を出産した。
この時が一番幸せな時間だった。
孫娘の誕生だ。
両親が祝いに来てくれるとばかり思っていたのに音沙汰がない。代わりに妹が来てくれた。ただ娘の誕生から三ヶ月経っていた上に会う場所は公爵家の別邸であり、妻は連れて来ないという指定付きだ。妹のアリシアは5歳年下の13歳だ。歳の割にしっかりしていて口も達者だ。高位貴族特有の揚げ足取りもお手の物。妻を同伴しない事はある意味で正しいのかもしれない。
「アリシア、父上や母上にも娘の誕生を知らせたんだが一向に返事がない。どうしてなんだ?」
「お兄様の事ですから嫌味でも何でもなく本気で聞いているのでしょうね」
何故か妹に心底呆れた表情をされた。
「いいですか、お兄様。廃嫡した息子の孫ですよ。正式な孫として認めるはずないじゃありませんか」
「廃嫡……?」
「やはり理解されていなかったようですね。公爵家の跡を継げないという事は廃嫡するという事です」
「待て、私は子爵位を得ているぞ?」
「手切れ金代わりです。お兄様が公爵家に関わる権利は全て剥奪されています」
「!?」
どういうことだ?
「お父様から説明をされたでしょう。一切の権利を認めないと」
「あれは私の子供達の事では無いのか?」
「……お兄様も入っています」
「何故そんな酷い事を……」
「ダイアナお姉様にした仕打ちに比べたら大した事ありません。お姉様だけじゃありませんね、あんなにお世話になったシャールトン侯爵家の方々に唾吐くような真似をよくできましたね。もしかしてお兄様、侯爵家に恨みでもあったのですか?」
「え?」
妹の言葉が理解できない。
私はダイアナを含めたシャールトン侯爵家が大切だ。家族同然に思ってきた。何故、妹はそんな思い違いなことをいうのか……。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
妻を愛しているのは本当の事だ。
娘も可愛い。
爵位は低いが、比較的裕福な領地なので収益もそこそこだ。下位貴族との友人との交流は今も続いている。親友が「義兄」になり以前よりも近しい関係になれたのも嬉しい。小規模ながらパーティーや茶会も開いている。妻は初めての経験で何かと失敗しているけど周りも友人もその奥方も暖かく見守ってくれている。
小さな幸せがそこにあった。
なのに何故か物足りなく感じてしまう。
妻の愛らしい笑みを見ても何も感じなくなってしまった。コロコロと変わる態度が最近では「目に余る」と感じ始めた。前なら僕がどんな事を話題にしても楽しそうに聞いていたのに今ではそれがない。政治や経済の話は妻にはつまらないものらしい。本人が口に出した訳ではないが表情を見ればすぐに分かる。彼女は素直過ぎるから読み取るまでもない。
義兄となったローリー。
彼もどちらかといえば妻寄りの人間だ。成績も中の下だったせいで僕との高度な会話に付いてきてくれない。これがダイアナなら僕以上の知識で言い負かされていたはずだ。それはそれで嫌な思いをしたのも一度や二度じゃない。ダイアナに対して「もう少し男を立てろ」と思った時も多々ある。それを思うと愛らしく寄り添ってくれるドロシーに愛情が湧くのは仕方ない事だ。だがドロシーは「貴族の妻」には向かないタイプだった。家の管理が出来ないのだ。そのため家政を執事に任せなければならなかった。
数年後、ダイアナが大国の王子と結婚したと噂で聞いた。
その頃、ドロシーがローリーと小さな店を立ち上げて一儲けしていた時期だった。計算を苦手としている二人の事だ。直ぐに音を上げて店をたたむと思っていたのに……かなり繁盛しているらしい。
「旦那様、奥様が何のお仕事をしているのか御存知ないのですか?」
「雑貨を経営していると聞いている」
「それは最近の話ではありませんか?」
執事が何を言いたいのか分からない。
「お店を始められる前に何を扱うのか聞いていないのですか?」
「始め?……確が接客関係とか言っていた気がするな……」
「旦那様は一度奥様方と話し合われた方がいいと思われます」
「は!?」
「もはや手遅れでしょうが何もしないよりはマシでしょう」
「何の話だ?」
「もしも危険を避けたいと考えていらっしゃるのなら領地を視察なさった方が賢明です」
いうだけ言って執事は仕事に戻った。
家政を取り仕切る執事に出来る精一杯の苦言だったのだろう。
ドロシーは領民に嫌われていた。
何故かは分からないが結婚して暫くすると「奥方に領内を歩かせないで欲しい」という苦情が相次いだのだ。その時は、何かトラブルがあって互いの意見がすれ違ったのだろうと単純に考えていた。あの時、もっとよく話を聞いておくべきだった。悔いても仕方ない事だがそう思わざるをえない。
私が「妻」の事を領民に訊ねて聞き出した内容がとんでもない事だった。
知らぬは亭主ばかりなり、とはこの事だろう。
このままでは私だけでなく娘まで危険にさらされる。
そんな時だ。
ダイアナの夫君が亡くなった事を思い出した。ダイアナが未亡人となって一年近くたつ……らしい。私との婚約破棄後は「女侯爵」として活躍している。領地も子爵家の何倍も広く更に経済発展が著しい。彼女と再婚すれば私も娘も安泰だ。