1.女侯爵
紹介文「彼は落馬した。」「あれと離婚しようと思っている。長く廻り道をしてしまったが……僕には君しかいないとやっと気が付いた。ダイアナ、どうかもう一度僕にチャンスをくれ!今度は絶対に間違えない!君だけを見つめて君だけに愛を囁き君だけを大切にする!だから僕とやり直して欲しい!結婚してくれ!」
求婚者は跪き、真っ赤なバラの花束を目の前に差し出してきました。こんな時、顔が良いのは得だとつくづく実感します。あの事件の後に跪かれて求婚されていたら即座に受け入れた事でしょう。感極まって涙を流したでしょう。そうして全てを水に流し、彼の愛を再確認して喜んで元の関係に戻った事でしょう。ですが、彼は気付くのが遅すぎました。
「ヘンリー、今更だわ。あれから何年たったと思っているの。12年よ。あの騒動から12年も経っているわ。その間に私も結婚して子供もいるわ。知っているでしょう?」
私に断られるとは思わなかったのでしょう。
見るからにショックを受けています。
まさか自分が求婚すれば私が喜んで受けるとでも思っていたのでしょうか? 考えが幼稚すぎます。それが通用するのは未成年の子供までですよ。まったく。私を幾つだと思っているのかしら?もう30に手が届こうとしている年齢だというのに。酸いも甘いも嚙み分けてきた女は嫌でも現実が見えるのですよ。
「だ、だがダイアナ。君の御夫君は亡くなっているじゃないか。君は独り身だ。結婚は出来るはずだろう!」
「確かに、私の夫は一年前に病で亡くなりましたわ」
「だったら!」
「だからといって、何故、貴男と結婚しなければならないのかしら?いいえ、そもそも私が再婚するかしないかは私自身が決めるものではなくって?誰かに指図されるものではありませんわよ」
「それは……そうだが。僕たちは婚約者同士じゃないか」
「元婚約者同士です。それも遥か昔に貴男有責で解消したものでしょう。お忘れですか?」
「……覚えている」
「それは良かったですわ。てっきり忘れていらっしゃるのかと思ったではありませんか。まさか学園で何時の間にか可愛らしいお嬢さんと良い仲になっていたなど存じ上げませんでしたわ。私、あのような経験は初めてでした」
「す、すまなかった」
アホな事を言いに来た元婚約者は肩を落として帰っていきます。
その後ろ姿は嘗ての貴公子然とした姿はなく、草臥れた中年のようでした。
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私の名前は、ダイアナ・シャールトン。
我が国の有力貴族、シャールトン侯爵家の一人娘として生を受け、両親の愛情を一身に受けて何不自由ない生活を送っておりました。
両親は典型的な政略結婚でしたが、夫婦仲は良く、高位貴族にありがちな不仲も冷たい家庭といったものはありませんでいた。きっと知らない人が見たら恋愛結婚と勘違いしてしまいそうなほどの仲睦まじさです。
そんな両親を見て育った私は他の令嬢方と違って、政略結婚にも「愛」はあるといった考えの持ち主でした。
私には親同士の決めた婚約者がいました。5歳で婚約した公爵家の嫡子、ヘンリー・アンピール。彼は2歳年上の幼馴染でもありました。ヘンリーに両親の話をしたら大変驚かれて酷く羨ましがられたのです。それというのも、ヘンリーの御両親であるアンピール公爵夫妻は典型的な政略結婚の家庭らしく、子育ては専ら乳母が行い、御両親とお会いするのは夕食時位だと言うではありませんか。
「なら、私たちが結婚したら何時も一緒にいましょう!」
他意はありませんでした。私の両親は離れたら死んでしまうのでは?と思う程にベッタリだったからです。
親、兄弟でも中々会えない環境はただただ可哀そうに思っての言葉でした。
「本当に、ずっと傍にいてくれる?」
「勿論です!」
ヘンリーは飛びあがらんばかりに喜びました。
私たちの様子を微笑ましく御覧になっていた両親はヘンリーのために我が侯爵家に彼専用の部屋まで用意したのです。「いつでも侯爵家に滞在していいよ」という話です。勿論、アンピール公爵家の許可は取ってあります。その頃、ヘンリーに妹君が誕生していて屋敷中が注目を集めていたせいで余計にヘンリーは孤独感を募らせていたのかもしれません。公爵家の令嬢ならば何れは「王妃」になってもおかしくない存在です。ちょうど三年前に王太子殿下が誕生し、一年前には第二王子も生まれていました。公爵家の令嬢が注目されるのは自然の流れだったのです。私の両親もその辺を考慮しての提案だったのでしょう。
「ダイアナ!これからはずっと一緒だね!」
「はい!」
月の半分は我が家で暮らす事になったヘンリーは憂いの顔が段々なくなって溌溂とした表情が増えていきました。
私とヘンリーは兄妹同然だったのです。もっとも、幾ら兄妹同然といっても本当の兄妹ではありませんが、私にとっては「未来の旦那様である家族」という括りでした。当然、ヘンリーにとっても私という存在は「妻になる家族」だとばかり思っていたのです。
まさか、ヘンリーから裏切られるなど夢にも思っていませんでした。
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貴族の子女は例外なく、13歳から18歳の6年間を「聖ラファエル学園」で学ばなければなりません。とはいえ、寄宿学校という訳ではなく、生徒は王都の屋敷から学園に通うのです。地方の貴族は王都に屋敷を借りたりするケースが大半です。婚約者の家に間借りする方も多いので困る事は特にありません。我が国は中央と地方の婚姻が盛んですからね。学園に入学してからもヘンリーの我が家での滞在は変わりませんでした。
学園での勉学が大変だと言ったり、階級が違う友人が出来たという話を聞いたりと、色々な事を互いに何時ものように話していたので全く気が付かなかったのです。なので、ヘンリーに恋人がいたと知った時はショックでした。しかも学生の身で妊娠させた話を聞いた日には寝込んでしまったほどに。私が寝込んでいる間に婚約は解消され、公爵家から多大な慰謝料と賠償金を受け取りました。
兄のような存在。
そう思っていた事に嘘はありません。ですが、私は自分でも気が付かないうちに彼に恋していたようです。その気持ちに気付いた時が「恋の終わり」を意味しているとは、なんと間の悪い事でしょう。
彼はこれから恋人と結婚し新しい家族を迎えるというのに。虚しい……。いいえ、それ以上にこの恋情を彼にだけは気付かれたくない!そう思ったのです。
この恋は墓場まで持っていく。
私が決意した瞬間でした。
それでも国にいれば嫌でもヘンリーとその妻となった男爵令嬢の姿を見る事になります。
「捨てられた女」のレッテルを貼られるのも私の誇りが許さない。逃げる事と分かっていても他国に留学する道を選んだのです。表向きは「侯爵家を継ぐための修行」と称して。
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他国に留学してもヘンリーへの想いが薄れる事はありませんでした。どんなに素晴らしい人を見てもヘンリーほどの貴公子はいませんでした。誰を見ても物足りないと感じるのです。優美な美貌に物腰も柔らかく教養も高いヘンリーは「当代一の貴公子」と誉れ高かったのです。
「ダイアナ嬢、私と結婚して欲しい」
留学先で出会った王子。
王家の末の王子殿下に求婚されたのはそんな時でした。
元々、王子殿下とは留学先の学園で同級生として親しくしていたのです。
私が古代文字の授業を選択して隣同士の席になった事が切っ掛けでした。話す機会が増えて思ったのです。私と王子殿下は趣味趣向が似通ってる、と。本の好みから始まり、音楽に観劇、果てはお茶や菓子の好みまでも……本当に同じでした。知った時はお互いに目を白黒させながら驚き笑いあったものです。男女の友情とばかり思っていたので王子殿下から求婚された時は酷く驚きました。
程なくして王子殿下の求婚に応じました。
そこにあったのは政略よりも、私自身の意思でした。
結婚するなら彼が良い。
それは彼がヘンリーよりも地位が上だったから。
彼となら「侯爵家」を守れるという打算が働いたのも事実でした。
王子殿下は、ヘンリーとある意味で正反対の人物でした。
繊細な美貌に他者よりも病弱でありながら努力家。長身でありながらも儚げな印象が強い方だったのです。透き通るほどに白い肌と白銀の髪がよけいにそう思わせたのかもしれませんが、実際に王子殿下の幼少期は殆どベッドで過ごさなければならない程だったそうです。大分改善したようですが激しい運動は医師から禁じられております。御本人も「剣を持つ事も禁止されているんだ。軍事大国の王子としては不甲斐ないばかりだ」と茶化されていました。
本来、王子殿下は他国に婿入りする立場ではありません。
それでも末っ子故の特権とでも申しましょうか。王家の方々は皆様、王子殿下には大層甘く「軍事国家である自国よりも友好国の侯爵家に婿入りした方が心穏やかに過ごせるだろう」と仰って婚姻を直ぐに認めてくださったのです。
まぁ、我が国はしがない農業国家。友好国とはいえ、王子殿下の国とでは天と地ほどの力関係があったのです。
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祖国よりも大国の王族を夫に迎え入れる。
それはヘンリーや公爵家に対する意趣返しになるのと同時に、侯爵家と私から生まれる子供達が他者に侮られない事を意味していました。ヘンリーの裏切りは自分自身で思っていた以上に打撃を受けていたのです。両親は私の状況を誰よりも理解していたのでしょう。寝込んでいる間に全てを終わらせていたのがその証拠です。私は当事者でありながら婚約解消の場に出席する事もなく、ベッドから起き上がれるようになっても学園に一度も戻る事なく留学したのです。ヘンリーや公爵夫妻に会う事もありませんでした。
彼らのその後を知ったのは帰国して暫くたってからでした。
私の夫の影響力を侮っていました。
侯爵家の婿といっても大国の王子殿下でもあるのです。その地位は国王陛下よりも上でした。我が侯爵家はその恩恵を受けて領地経営も順調に回っています。帰国早々に「女侯爵」として認められたのも夫のお陰です。
「女だてらに爵位を継ぐなど。可愛げのない。だからヘンリー殿に捨てられるのだ」とか、「恥ずかしげもなく社交界に出席するなど何様だ?あの女侯爵が裏から手をまわしてヘンリー殿を公爵家の跡取りから外すように圧力を掛けたのだ」とか、的外れな陰口を叩く方々はいつの間にか社交界から消えてしまいました。殆どが下位貴族の方ばかりだったのできっと王家がナニかしたのでしょう。馬鹿ですね。私の悪口=夫への悪口に繋がりますのに……。夫を溺愛する軍事大国の耳に入ったら大変ですから、王家の判断は正しいのでしょう。
私達夫婦は、3人の男児に恵まれました。
これで跡取りの心配をする事はありません。
男児を3人産んだことは半ば意地でした。
それというのもヘンリーの妻が女の子を産んでいたからです。
ヘンリーは私との婚約をダメにしたことで公爵家の跡継ぎから外され「子爵位」を譲り渡されて公爵領で小さな館を構えていました。夫婦の間には女児しかいないのです。女性が「爵位」を継ぐのは未だ少数。しかも受け継いだ女性全員が「才女」と言われているのです。ヘンリーの娘が「爵位」を継ぐのなら相当の努力が必要になるでしょう。
私と結婚していれば男児にも恵まれ次期公爵として華々しい栄華の人生を送れていたものを……そう悔やんで欲しかったのかもしれません。
私が大国の王子殿下を夫として連れ帰った影響か、ヘンリーとその妻である子爵夫妻と彼らと親しい人々は高位貴族から嫌厭されていたのです。