リコッタとの別れと、シルヴィアとの出会い
眩しい光がゼロスの頬をくすぐった。目をぱちぱちと動かして、自分の体や顔をペタペタ触ってみる。薄い胸板。頼りない二の腕。そして大きな目。それは紛れもなく貧弱な子どもの物であった。
「ゆめ……じゃないか……」
誰よりも早起きだったゼロスは、相棒のキャロルの顔を覆う仮面を人差し指で突いた。ぴくっと肩が動く。どうやら起きたようだ。生きている。夢ではない。二人に降りかかった災い(呪い)だ。
子どもの姿になってしまったゼロスと、剥がれない仮面の姿のキャロル。
「朝だ、起きよう」
「――」
ゴッチン!
キャロルは寝ていた二段ベッドから勢いよく起き上がった。まだ仮面をつけている感覚に慣れていないらしい。木の板に顔面をぶつける。すごい音がした。キャロルは仮面のせいで目が見えない。だから、自分が二段ベッドの下段に寝ていたことを知らなかったのだ。
「ぎゃああああ‼‼」
振動と音に驚いたのは上段で寝ていたリコッタ。彼女の声で、「な、なんだー!?」と目を覚ますセフィロス。朝から騒がしい。
キャロルとセフィロスの傷は、薬草であるタイムのおかげで完治していた。問題は、王都へどう行くかである。呪いに詳しいシルヴィアという女性に、謎の仮面や幼児化の呪いについて聞きに行くためだ。
キャロルは空間転移の魔法が使えるが、今の彼女は地図を見ることが出来ない。
「どうする、セフィロス」
ゼロスの問いに、セフィロスは腕を組んで考える仕草をする。
「キャロルちゃんの空間転移の魔法がどいういう仕組みかを知らないからなぁ。せっかく持っている能力でも、的確に使えないのならないのと同じだ」
「――……」
セフィロスの言葉にキャロルは、シュンとしていた。表情はうかがえないが、おそらく自分が役立てないことを申し訳なく思っているのであろう。
彼女の隣に座っていたリコッタが、キャロルの手を握って、「へーきだよ! 大丈夫!」と言った。
「――!」
キャロルが嬉しそうに手探りでリコッタのモサモサのくせっ毛を撫でまわす。まんざらでもなさそうなリコッタを見て、ゼロスたちは脱力した。
「うきゃきゃー!」
リコッタが喜ぶほど、音を辿って髪をわしゃわしゃするキャロルを見ていたゼロスたち。そこで、セフィロスが何かを思いついたようだ。
「そうだ、鐘」
「かね?」
「基本的に村や国では魔よけの鐘が鳴る。ここは辺境の村だから鐘はないが、王都になると広範囲に響く。あとは分かるな?」
「そのおとを、たどって、おうとにいくってことだな」
「そうだ。音だけに」
「……」
ゼロスとセフィロスはニコニコしながら、互いに冷たい空気を感じていた。セフィロスが「コホン」と仕切りなおす。
「キャロルちゃん、リコッタ。そういうことだ。説明聴いてたか?」
「――?」
「え、何?」
頭を抱えるセフィロスを見て、リコッタは「冗談よー」とケラケラ笑った。
「王都の鐘はここからでも聴こえるわよね。ゴアーンッ! って音」
リコッタが大きく手を挙げて鐘の音の物まねをする。ここトーマの村は、その魔よけの鐘のお陰で魔物が寄ってこない。ここは、それを知った者たちが造った村なのだ。村人の殆どが、道中で魔物に襲われている。
セフィロスとリコッタもそうだ。村人たちに助けてもらい、ここで薬草屋を営んでいた。
「王都の魔よけの鐘が鳴ったら空間転移の魔法を使えばいい。キャロルちゃん。耳は聴こえるだろ?」
「――!」
キャロルは大きく縦にうなずいた。朝日を反射する仮面の輝きが眩しい。思わずキャロル以外の全員が目を閉じてしまった。
「まて。おれたちを、てきかくに、おなじばしょへてんいさせるほうほうは?」
「離れていたら駄目なのか」
「ふれていないとだめなんだ」
「――……」
困ってしまった。しばし沈黙。
「もー、柔軟な思考が無いからダメなのよ!」
リコッタが薬草屋の引き出しから、ラッピング用の赤い紐を持ってくる。長さは円形にして三人を囲める範囲のもの。つまり、紐でくくっていれば同じ場所へ転移できるであろうという発想である。
子どもじみているが、今の彼らには、それ以外に方法はなかった。
「いいのか、リコッタ。お前ひとりで店番できるか?」
「大丈夫よ! もう部屋をぐちゃぐちゃになんかしないから」
「……頼んだぞ」
「うん! だから戻って来てね、お兄ちゃん」
「わかった」
兄妹の別れの挨拶は済んだようだ。
魔よけの鐘が鳴るのは一日で三回。朝昼夕方。夜になると門と空中防壁が閉じてしまう。この空中防壁は、魔術でも破ることが出来ない。
「お前たち、鐘の音を聴いたことは有る……というより、そもそも、王都に行ったことは有るのか?」
「ない」
腕を組みながら自慢げに言うゼロスに、こてんとコケかけるセフィロスだった。
「王都と言ったら、魔王討伐の任を授かりに行くところだぞ……非公認で魔王城まで行ったのか」
「ああ。おうとのぐんはおれたちのむらを、たすけにこなかった。しんらいならないからな」
「それで、女の子とたった二人で魔王城に。無謀だねぇ」
「なんだよ」
「なんでも」
ゼロスとセフィロスがそんな会話をしている。リコッタは何やら楽しそうに笑っていた。気になった二人は彼女の方を見た。
「みーつあみ、あーみあみ~♪」
「――♪」
リコッタが、余った赤い紐で、キャロルの髪を結って遊んでいたのだ。楽しそうな光景に見ていた二人はズコーっとその場でコケた。
「リコッタ! これは遊びじゃないんだぞ!」
セフィロスの怒り声に、「ひぅ……」と、口をすぼめて拗ねたように、
「だって、寂しいんだもん」
リコッタはそう言った。目からは涙がボロボロこぼれていた。もうじき魔よけの鐘が鳴る時間。別れが近い。ずっと一緒に居た兄が居なくなる。やはり心細いのであろう。
「すまん。リコッタ……俺は必ず……」
――ゴアーンッ!
遠くから、重く深い鐘が鳴るのが聴こえた。
「王都の鐘だ! 急げ!」
セフィロスが慌てて赤い紐をゼロスとキャロルに握らせる。まだ鐘の音は響いている。リコッタが何か言いたそうに、その様子を見ていた。
「――……」
キャロルが詠唱を始める。彼女の周囲が輝き始めた。その光は、赤い紐にも伝っていく。目的地は、鐘の鳴る場所。王都である。
「――!」
「お兄ちゃ……!」
キャロルが空間転移の魔法を唱えた。三人は、シュンっ、と薬草屋から姿を消した。微かに残る輝きを見つめながら、残されたリコッタは、
「絶対に戻て来てね。絶対だよ」
そう言った。
一方、転移に成功したゼロスたちは、王都に近い橋で検閲を受けていた。が……、
「通行書等は持っているようだな……しかし、変な仮面の女性の顔がうかがえない事には通すわけにはいかない。化け物か魔物かもしれないからな」
「キャロルはまものなんかじゃない!」
このように何事も上手くいかない物である。やり取りが続いて一時間程して、黒ずくめのローブを着た集団が検閲所へとやって来た。
「……国立呪術研究所のものよ」
もしやと思い、通行書に書いてあった名前を一つ一つセフィロスが見る。その中に〈シルヴィア〉の文字があるのを見つけた。背丈はキャロルの頭一つ分小さい。
ゼロスが低い視点から彼女の表情を伺う。小難しそうな顔をしたセミロングの黒髪の少女だった。眉がピンと張っていてたれ目。少し意地悪そうに見える。
「シルヴィア、やっぱりお前か!」
「はて、どちら様で。私は研究に忙しいので話しかけないでくださる?」
「相変わらず研究熱心だ。そんなお前に頼みがあってここに来た」
「薬草なんて興味ないわ」
「お前さんの専門分野。呪いものだぜ?」
「……もしかして、そこの変な仮面の事かしら」
シルヴィアは、スタスタとキャロルの方に歩み寄って、ばちーん! と仮面を引っ叩いた。突然のことに検閲の者たちも彼女たちのことを見ていた。
構うことなくシルヴィアは、仮面に耳を傾けるべく黒い頭巾を脱いで背伸びをした。静かに目を閉じて、「ふむふむ」と頷いている。
「この色褪せた灰色にしては鮮やかな輝きと、軽い中にも呪術的な陰の響きが残る感じ。これはおそらくミスリル。普通ミスリルは、武器や防具の加工に用いる金属よ。陰の性質を持つから、マイナス要素が付加されるのは知っているけれど、仮面っていうのは珍しいわね。ご愁傷様」
「おい、それだけか!」
シルヴィアは、ゼロスの剣幕に厭味ったらしく耳を閉じる。だが、一つだけ解ったことがある。キャロルの顔を覆っている仮面は、【ミスリルの仮面】であるということ。
ゼロスの声につられてか、七体のゴブリンがやってきた。ゴブリンが集団でやってくる場合、弓矢で集中攻撃して来る。非力な彼らは決して接近攻撃をしてこないのだ。
「もう、面倒ね……」
シルヴィアは呪術師。離れて戦うことが得意だ。それに、国立呪術研究所の者たちが一斉に呪術で燃やせば、ゴブリンたちは簡単に消し炭になる。王都が滅ばない理由は、強い軍の存在だけではないのだ。
あっという間に、ゴブリンたちは呪術で消え去った。
「では、お先に」
「あ、まてー!」
ゼロスが橋を渡ろうとすると、隠れていたゴブリンが、「ぐおーっ!」と姿を現す。そのゴブリンは体格が良く、鼻息が荒かった。その音を聞いたキャロルは、呪文を唱える。
「――!」
風がゴブリンを切り裂く。血液が気化してゴブリンの死骸は跡形もなくなった。
「ありがとうキャロル」
「――!」
キャロルがゼロスを手探りで探す。それに応えるように、彼もまた彼女の手を握り返した。一連の様子を見ていたシルヴィアが、目を輝かせる。今までの大人っぽい顔とは違って、好奇心に満ちた顔である。
「今の、どうやったの。教えなさい!」
「――?」
シルヴィアは、再びキャロルの方へと歩み寄って、検閲の者に、
「被験者とその他。私名義で通していいわ。早くして」
と言った。
「まぁ、シルヴィアだしな」
国立呪術研究所の者たちがくすくす笑っていた。それは、微笑ましいというものではなく、少しバカにしたような響きである。手探りでシルヴィアを確かめようとするキャロルの手を、彼女は払いのけた。
「いいこと? 私名義で王都に入るのだから、命令は何でも聞いてもらうわよ」
「へいへい。分かりましたよ」
「……わかった」
「――……」
こうして王都まで入れたゼロスたち。待ち受けていたのは、国立呪術研究所の地下室でのキャロルの実験であった――