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コトノハに願いを込めて  作者: タンボ
4/4

暗黒と光明

目を通して下さりありがとうございます! 面白くても面白くなくても、お時間があれば感想の方、よろしくお願いします 


    2


 屋根を打ちつける轟音が、俺の聴覚を過剰に満たす。家の窓が全て閉じていることを確認してリビングに戻ると、俺は胸を右手で抑えながら深呼吸し、恐怖から起きる動悸をなんとか静めた。

「はぁ……はぁ……くっそ、まだ治らないのかよ……」

 この動悸との付き合いもかれこれ五年だ。あの時の記憶は何も覚えてないくせに、恐怖だけは未だに意識の奥底にこびり付いている。

テレビでは緊急ニュースとして、東京湾上空に巨大台風が、突如として発生したことを報じていた。次いで人々に避難を仰ぐキャスターの姿と、実際の大雨の光景が中継で映される。それらは自然というよりは、まるで人々を攻撃しているようだった。

 落ち着きを取り戻した俺は、もう一度深呼吸を挟んでから、冷静に状況の把握を心がけた。

 家は今のところ問題ない。となれば心配なのは、神社に向かったはずの爺ちゃんだ。無事で良ければいいが……いや、それよりも心配すべきなのはハマだ。この豪雨では、あの建付けの悪い犬小屋では、この衝撃は耐えられない。

「す、すぐに行ってやらないと——」

 ——瞬間、家を取り巻く轟音がさらに激しくなり、爆撃の如き振動と共に、雨が矢のように窓を刺す。さらに天井からポタポタと雫が落ち始め、薄っぺらなカーペットと座布団を濡らし始める。

そして間もなく、メキメキという木材の折れる音が、二階の物置部屋から響き渡り、屋根が破壊され、雨漏りの雫が急増。それと並行して廊下側から水が家に流れ込み、床上浸水が始まった。

「っっ! はぁ、はぁ、はぁはぁはぁはぁはぁ————」

 抑え込んでいた動悸が俺の意志の壁を突き破り、心をも恐怖に沈めていく。足がすくみ、まるで生まれたての小鹿のように震え、立つことができない。

 救いを求めて視線を向けたテレビ画面は、いつの間にか真っ黒になっていた。

「まっ、はぁはぁはぁ、まさかっ」

 俺はようやく理解した。

 電波が届かなくなるほどの突風。屋根を破壊するほどの威力を持つ豪雨。浸水までの尋常ならざる速さ。

 忌まわしき絶望の記憶——『災厄』が、再び訪れたのだ。

 思考の全てが恐怖に飲み込まれ、精神も理性も暗黒に包まれた今、俺に許されたのはただ惨めに震えることだけ。そして迫りくる命の危機を受け入れ、死に絶える時までの僅かな時間を、何の意味もない泣き言に使うだけだった。

『また失う。また、消えてしまう』

 嫌だ。また失うのは嫌だ。もう十分だ。十分過ぎるものを、俺はもうすでに失っているはずじゃないか。もう何も渡せるものはない。もう何も払えるものなんてない。それなのにどうして、どうして俺はまた奪われる。また失う。

 どうして。どうして。どうして。どうし——

『——いいか、界人』

 その時、突如として脳に激痛が走り、五感が混乱の渦に飲み込まれる。そして全身を殴打するように響き渡るのは、この状況からは考えられないほど優しく、柔らかい声だ。

 俺の独り言ではない。だが爺ちゃんでも、もちろんハマでもない。

『人っていうのはな、今まで間違いばかり犯してきた。そのせいでこの地球や、他の生き物達にたくさん迷惑をかけてきてしまったんだ』

 閉ざされていた記憶の鍵が回り、凝り固まった海馬の金庫がゆっくりと開かれる。その中から現れた言葉と映像が俺の脳裏に広がると、俺はようやく、その声の主を思い出した。

「と、父、さん……」

 言宮(ことみや)(そう)()。五年前、あの大災害で俺が失った、唯一無二の家族の一人。

 これは走馬灯なのだろうか。今まで何度も思い出そうとして思い出せなかった父の声が、オルゴールのように全身を流れ始める。俺は生死を左右する状況ながら、懐かしい大切な記憶の復活に意識を奪われ、全神経をそれに傾けた。

『だからね界人。私達はこれから、決して消えることのない、普遍の正義を見つけなくちゃいけないの。誰もが正しくあろうと思える、揺らぐことのない正義を』

 数秒後、そのオルゴールは新たな記憶の音を奏でるようになる。

 父の声に加えて響く、優しさに満ち満ちた水のように透き通った声。そうだ。間違いない。

「母さんだ……」

 言宮紗(ことみやさ)()()。同じく五年前、俺が失ったもう一つの宝物。代用の利かない世界でたった一人の人。

 記憶の引き出しに残っていた僅かな両親の記憶が、死を迎えようとする俺に手向けの言葉を言い放つ。俺は死を隣に置いたこの状況にありながら、記憶に色を付けることができた喜びを感じ、同時にとある言葉が記憶から独立し、極限であるはずの俺の思考を占拠した。

 ——普遍の正義。

 どうしてこの言葉だけが抜け出せたのか、俺にはわからない。だが占拠された思考は、強制的にこの言葉の真意を問い始めた。

 なぜ俺は死ぬ。なぜ人は苦しむ。なぜ人々は、大切なものを奪われる。

 何も悪いことはしていない。何も恨んだことなどない。誰からも裁かれるべき罪などない。だが世界は、まるで人類を絶滅させる勢いで、人々の生活に暗黒をもたらそうとする。何が悪い。何がいけない。何が許されない。

 もしこの世界に、本当に普遍の正義とかいうふざけた定義があるのなら、それは何故人々を救わないのだ。今この時もたくさんの人々が苦しみ、過去に負った傷を癒せぬまま日々を生きているのに、何故その傷に世界は塩を塗ろうとするのだ。

「…………ふざけるな……」

 気がつけば、全身の動悸と制御不能だった過呼吸は収まり、俺の精神は自らを起爆剤として、四方八方から迫りくる無慈悲な暴力に、最後の抵抗を仕掛けようとしていた。

 小さな光として生まれた命の灯は、理不尽と暴力への憤怒を糧にしてその炎を激しく燃やし、思考を蝕んでいた暗黒を、その身を以て照らし出していく。

「ふざけるなぁぁぁ!」

 そして、その炎の輝きは全身を駆け巡り、俺に断末魔の咆哮を吐き出させた。

 間違っている。この世界は確実に間違っている。理由もなく大切なものが失われることが、この世の理であるはずがない。もしこれが世界の真実だとするなら、両親が見つけようとしていた普遍の正義は、この世界にはないことになるからだ。

 生後の正体。それが何なのかは、今頃考えてもわからない。もうすぐ俺はこの世界に殺されるのだから。しかしこれだけは断言できる。どうしようもない理不尽で命が奪われる世界が、正しいなんて言えない。

「こんな……覆しようのない現実に、命が奪われる世界は! この世界だけは! 絶対に間違っているんだぁぁぁぁ————!」

 魂の叫びとは、まさにこのことなのだろう。死を目前に控えた今だからこそ、叫ぶことのできた絶望への反抗。生命が見せた最後の叫喚だ。

 直後、ついに耐えられなくなった天井が崩壊。溜まりに溜まった雨水が巨大な液体の壁となって、まっすぐ落ちて——

『——あなたは、何を誓いますか?』

 ——刹那、何者かの声が聞こえたかと思うと、水の壁は俺を押し潰す直前で、まるで何か強い衝撃に弾かれたかのように飛散し、俺の生命は九死に一生を得た。

「なっ……何、が……ぁ……」

 眼前で起きた謎の現象。そして今、現在進行形で発生している未知の現象に俺は圧倒され、その驚愕の光景に絶句した。

 俺の周囲を水で作られたドームが包み込み、迫りくる濁流と豪雨から守ってくれている。外では襲いかかった『災厄』によって全てが破壊され、俺と爺ちゃんの家は、そしてハマの犬小屋はいとも簡単に粉砕されているのに、このドームは両面から空気によって圧縮されているのか、この激しい水流に対しても全く壊れる様子を見せない。

 また空気とは別に、ドームを内側から支えている木の枝のような光の流れ。枝の本流を辿っていくと、それはなんと俺自身の胸から伸びていた。

「って、ぇ、えっ⁉ 何だよこれ⁉」

 俺が驚いて数歩動くも、光の流れはチューブのように柔軟に動き、千切れたり折れたりはしない。その神々しいインパクトに意表を突かれた俺だったが、何故かこの光に恐れは感じなかった。

『あなたは、何を誓いますか?』

 再び聞こえる、女性らしい謎の声。波紋のように反芻するその声を聞き分けようとするが、その声は全方向から聞こえているように感じる。

 まるでテレパシーのように、頭の中に語りかけられているような感覚だ。

 ——誓う。

 何故なのかはわからない。だが俺の思考はこんな極限状態でありながら、その問いに対する答えを用意していた。ビジョンというのは、このことを言うのだろうか。

「……俺は、絶ち切りたい」

 雨の衝撃音が激しく、自分の声すら聞こえない中、俺は口元の筋肉と喉に当たる息を頼りに、自分が言葉を発していることを理解する。

「人々を襲う悲しみの連鎖を。癒えることなく続く心労を。世界にはびこる不条理を」

 ドームにひびが入り、外の濁り切った水がドームを伝って内側に入り込む。一度空いた穴は絶え間なくぶつかってくる鋼鉄の水滴によって徐々に広がっていき、やがて全体の崩壊へと繋がる。もう時間はない。

 だが俺はゆっくりと、言葉の音を大切にして丁寧に、しかし湧き上がる意志を乗せて力強く、謎の声の主に向かい述べる。

「そして、この世の正義を! 貫きたい!」

 そう叫ぶと同時に、ダムの決壊と同じ原理でドームが破壊される。目前に死の魔の手が無数に伸びる中、俺は胸にある光の流れを無意識に信じ、見つめ続けた。

 スローモーションのように、辺りだけ時間の流れが変わったかのような錯覚に陥る中、光は強く煌めき、俺を再び包む。

『全ては、世の正義のために』

 ——その声と共に生まれた波動が、辺りの水を一挙に吹き飛ばした。


次の話から戦います。

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