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コトノハに願いを込めて  作者: タンボ
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出発と出現

自分が書きたいものを書きます

 燦燦と輝く朝日の光を浴び、広大な水面は宝石のように煌めく。心地よい波の音が耳を撫で、吹き抜ける潮風が身体を包み込むと、僅かに残っていた眠気は瞬く間に攫われ、五感は真に現実へと舞い戻る。

 この大自然が生み出す芸術を、界人君にも感じて欲しくて、私——片桐殊音(かたぎりことね)は電話をかけた。

「ああ、そう。確かに。んじゃ、お休み」

「はいちょっと待った! 今日こそは学校行こう、ね?」

「……ごめん。口が痛いんだ」

「普通に話せてると思うけど」

「口内炎なんだ。だから潮風にあたるとまずい」

「口閉じて来ればいいじゃん」

「腫れてて無理」

「だから普通に話せてると思うんだけど!」

 だが今日も今日とて、彼からの反応は薄い。芸術に対する教養が著しくないのか、はたまた海の絶景は見慣れてしまったのか。もし後者なら、なんとも羨ましい限りだ。新鮮な魚を食べ過ぎて、寿司屋では玉子しか食べないと言っているようなものである。

 登校の誘いにも当たり前のように乗らず、下手くそにもほどがある言い訳を、さも当然かのように話す。今までの朝と対応は一ミリも変わらない。いつも通りだ。

「おっはー殊音。今日は旦那来そう?」

 背後で聞き慣れた声が聞こえる。視線を向けてはいないので正体はわからないが、恐らくは親友の原田(はらだ)()()だ。この間延びした気だるそうな声は間違いない。とりあえず、馬鹿げた冗談の訂正は後にしておこう。これもまたいつも通りである。

「二年生になってまだ一回も来てないじゃん。去年の秋に来てくれた時は、ようやく使命が終わったと思ったのに……」

「あれは出席日数を取るためだったから。それに保健室だったし。あと、勝手に使命にしないでくんない?」

「だって、中学からの知り合いって私しかいないでしょ? 生徒会役員としても、不登校気味の生徒を前にして、放っておけませんから」

「書記が何言ってんだよ」

「こ、今年から副会長になるんですぅ! そのための経験ですぅ!」

 界人君との戦いが始まったのは、今から約一年前。()原山(はらやま)高校(こうこう)に入学した直後、唯一の知り合いであった彼が突然不登校になり、担任の先生から「言宮のことは頼んだぞ」と、完全に人任s……一任してもらったのだ。

 去年の春、夏を通じての戦績は完全に惨敗。まだ界人君にもたくさんの手玉(休む理由)があったためか、あらゆる言い訳で登校を拒否されてしまった。だが秋になると、保健室登校ながらも学校に来てくれるようになり、てっきり復学してくれたものとばかりに思っていたのだが……私の勘違いだったらしい。

「とにかく、今日は行かないから。んじゃね」

「あ! ちょ、ちょっと——」

 ——私の静止をあっさりと振り切り、電話は話中音を響かせた。

 その音を切り、改めて声の響く方を振り向く。汚れなく染められた真っ黒な制服と、同じく黒を基調として白のラインが入ったスカート、規定の白ソックスと靴。校則違反なしの完璧な服装だ。

 唯一私と違うのは、髪がポニテかショートかだけ。

「おはよ、芽亜」

「おっは。今日もお勤めご苦労様です」

「ヘアゴム変えた? 凄い似合ってるよそれ」

「ありがと。でもそろそろ切りたいんだよね。熱くなってくるかもだし」

「考えるの早過ぎじゃない? まだ五月だよ?」

「殊音はショートだから気になってないだけ。朝もめんどくさいんだから」

 適当に会話を回すと、私達はいつの間にか歩き出していた。流石は親友。我々こそ、現代に生きる阿形(あぎょう)(うん)(ぎょう)だ。ぜひとも彫刻を作って頂きたい。どのお寺に飾るかも検討しておこう。

 それから数分ほど雑談を続けると、芽亜は突如として話題を切り替えた。

「あのさ。別に諦めてもいいんじゃない?」

「え? 何が?」

「言宮のこと。いくら先生に頼まれたからって、二年になっても続けるの?」

「だって、今も同じクラスだし……」

 このクラス替えに関しては、少々議論の余地があると思っている。

担任が同じなのはまぁわかる。界人君と同じクラスなのもまぁまぁ、あり得る話だ。

 だがどうして名字が「か行」の生徒が、私と界人君しかいないのだろうか。「か」から「こ」まで誰もいない。後ろを振り向けばすぐに空席がある状態だ。私のクラスだけ「き」「く」「け」が存在しない別世界説を、どうか誰かに証明して欲しいものである。

「律儀だねぇ全く。だから旦那様って言ってるのよ」

「あー忘れてた! その冗談やめてよね! 結構迷惑してるんだから!」

「そんな執着してたら、言われても仕方ないでしょ」

「言い始めたの芽亜でしょーが! それに、執着っていうわけじゃ……」

「あれ? 違うの? んじゃ何で?」

「それは——」

 すぐに答えようと思ったが、突如として現れた彼との記憶に、私の口は固まった。

『————』

 記憶の映写機から映し出される、セピア色のその映像は、今もなお、私の中で上映が続けられている。

 理由なんてわかっている。だからこそ、私は答えられなかった。教えられなかった。

「それは…………内緒」

「はい決まり! あら、もしかして私、いつもお邪魔だったかしら?」

「もうやめてって! そういうんじゃ——」

 ——その時、顔を見合わせる芽亜の鼻先に、一粒の雫が落ちる。その一つによって会話が遮られ、私達は自身の真上へと視線を映した。

「え……な、何これ?」

 芽亜が視界に広がった光景に驚愕し、声を漏らす中、私は理解が追いつかず両目を見開き、再び口が硬直。言葉一つ漏らせなかった。

 ——そこにあったのは、巨大な雨雲の渦だった。

 遥か上空を流れる大気が高速の神風へと変わり、青空に散見する雲を一挙にかき集める。そして互いの僅かな水分を融合させ、局所的な豪雨を生み出そうとしている。

 常識的に考えれば、それはこの世の理を大きく逸脱した超常現象。起こることなどあり得ない。だが生憎、今この世界に、その常識は通用しないのだ。

 ようやく理解が追いついた私は、遅ればせながら言葉を呟いた。

「これが……『災厄』なの……?」

 ——それを皮切りに、集まった雨雲が激しい豪雨を吐き出す。

 雨粒の大きさは通常の雨の比ではなく、文字通りバケツをひっくり返したかのような衝撃を伴う。水圧の連撃が全身を穿ち、加えて吹き荒れる突風が、逃げようとする私達の足を止める。会話をしようにも、コンクリートを打ちつける雨音が障壁となり、互いの声が消し去られてしまう。

 初めて体験する大災害の片鱗に、私達は大いに狼狽していた。

「と、とにか——んじょに——う!」

「わかった!」

 恐らくは「とにかく避難所に行こう!」ということだろう。予想通り、芽亜は私の手を取ると、通学路とは別の方向、緊急避難所の方へと足を進めた。

 私は一瞬、もはや見えなくなっていた東京湾へ視線を向ける。

「か、かい、と君……」

 雨の撃鉄に見舞われる中、私が彼に向けられた心配は、たったこれだけだった。



もしよろしければ、乾燥コメントよろしくお願い致します。

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