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コトノハに願いを込めて  作者: タンボ
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過去と今

私が書きたいものをそのまま書きます。どうぞよろしく。

  序章


 その日、俺——言宮界人(ことみやかいと)は一切の光が消え去った真っ平らな街に、一人立ち尽くしていた。

 反射的に両目を全力で擦り、現実逃避を図る。しかし世界は姿を変えてはくれず、代わりに悲痛代表を気取った(まぶた)よりの雨が、充血した眼球を僅かでも癒そうと包み込む。

 が、それでは視界自体がぼやけてしまい、世界を見つめることができない。雨を避ける傘のない俺は必死でそれを拭い去るが、数秒後、さらに激しい豪雨が視界を覆い尽くし、終わりの見えない負の連鎖に囚われ、その連鎖は加速度的に循環していった。

俺はとにかく見たかったのだ。数分前の街の光景を。平穏と普通に満ち満ちた、いつも通りの街の姿を。

 しかし、どれだけ手の平を押し当てても、俺の視界はぼやけたままだった。

「うわぁ……ああぁぁ…………」

 精神を蝕む苦しみは喉を震わせ、絶叫すら許さない。やがて現実が全身の運動を抑制し、膝が力を失って折れ曲がる。腕が自由を奪われて肩から垂れ下がり、俺は雨のカーテンに遮られた視界を切り開くことすら叶わず、ついに両目は水没。そしてすぐさま濁流に飲み込まれ、大粒の雫がポタポタと零れ落ちた。

 ——それは、俺の理解を越えた現象だった。

 確かこの数分前、俺は行きつけの公園で友達と集まり、ゲームの通信対戦を行っていたと思う。それから家に帰っていると、この破滅した街の光景が目に飛び込んできた……はずだ。

 一体何が。俺はただ家に向かって走っていただけなのに、どうして。

 そんな当たり前の疑問も、俺はこの時抱いていなかった。否、抱ける余裕がなかった。これだけは確かに覚えている。

「お母ぁぁぁさぁぁぁぁぁん! お父ぉぉぉさぁぁぁぁん!」

 未だ痙攣する喉に力を込め、震えを抑えながら両親を呼ぶ。これまでにも何度か叫んだことはあったが、これほどの声を張り上げたのは、この十二年間の人生で初めてだった。

 悲鳴に似た呼び声は空間を疾走し、瓦礫と化した家々の隙間を見事にすり抜けていく。音の波は何物にも跳ね返らずまっすぐ突き進み、非情にも俺の元を離れ、空に飲まれた。

 身体をコンクリートのように固めていた現実が、いよいよ俺の思考に拳を打ちつけてくる。今見えている景色が正解なのだと。何も間違ったものは見えていないのだと。

 あちこちにそびえ立っていたビルも、何本も地面に突き刺さっていた電柱も、毎日遊んでいた公園のアスレチックも、咲き誇っていた人々の笑顔も、もうどこにもない。いつも当たり前にあったその全てがシャボン玉のように弾け飛び、その面影の一欠片すら残すことなく、俺の傍から消え失せた。

 大切な家族の温もりと、培ってきた数多の思い出を道連れにして。

「はぁ……はぁ、はぁ、はぁ、はぁはぁはぁはぁ」

 自然と呼吸が早まっていく。湧き上がる恐怖から目を背けるため、無意識に大量の酸素を求めているのだろう。しかしそんな行為に救いなどあるわけがなく、俺の意識は恐怖と過呼吸に挟撃され、徐々に全身の感覚から繋がりを絶ち始めた。

 身体にのしかかる重力がさらに大きくなり、俺は朦朧とする意識の中、上体を勢いよく地面に打ちつけ——

「————ぁ」

 瞬間、閉じかかっていた視界の隅に、俺は一つの命を見つけた。

 それは一匹の柴犬だった。泥と土にまみれたその犬は、瓦礫の山に半身を突っ込んだ形で倒れ込んでいた。しかしその耳は気高くもまっすぐ伸び、今も鼻を鳴らしながら必死に瓦礫から抜け出そうと藻掻いている。

 その勇姿は、まるで誰かが今の俺を嘲笑うための、巧妙で陰険な仕掛けに思えてしまった。

「——っ!」

 その時、視覚から突然渡された情報に、俺の意識は急に呼び戻された。

 犬が埋もれている瓦礫の山。その横っ腹から突き刺さっている電柱がバランスを崩し、犬の頭上めがけ、天秤のように自らを傾け始めたのだ。

「危ないっ!」

 思い返すと本当に不思議だ。あれだけ恐怖と孤独に怯えていた身体がどうして、この時はすぐに立ち上がることができたのか。すぐに走り出すことができたのか。

 見過ごせなかったのか。失いたくなかったのか。罪悪感を嫌ったのか。理由は未だ所説ある。

 だがその行動に、迷いはなかった。

 おぼつかない足を奮い立たせ、俺は犬の側に滑り込む。そして犬の頭を両腕で包み込むと、目前に迫った危険を下から睨みつけた。

 だがもう止まらない。一度傾いた電柱は、自身の重さによってさらにバランスを崩し、やがて防御不可能の鉄槌となって俺と犬を狙う。

 死ぬ。ここで死ぬ。死ぬのか? ダメだ。死んではいけない。殺してはならない。殺したくない。止まれ。止まれ。止まれ。

「止まれぇぇぇぇぇぇ————!」

 ——この断末魔を最後に、俺の意識は完全に途絶えた。




  第一章


    1


 晴天の光が障子を突き抜け、窓際の畳を暖かく照らす。可視化された埃が空間に漂っているのを発見すると、俺——言宮界人(ことみやかいと)は大きなため息を吐いた。

この部屋はつい先日に掃除したばかり。しかも相当気合を入れて行ったはずなのだが、どうやらかなり生き残ってしまったようだ。全ての埃を駆逐するには、人の域を超えた根気と情熱が必要らしい。

 襖を開けて廊下と室内を結び、次いで窓を全開にする。季節は春が姿を隠し始めたが、まだ尻尾は見えているくらいの、なんとも煮え切らない五月中旬。代わって梅雨の横顔がちらほらと現れ、まるで恥ずかしがり屋の子供のように、こちらの様子を窺っている真っ最中だ。

「今日は雨じゃない、か……なんか使える言い訳ないかな」

 波が荒いから、は先日使ったばかりでダメだ。船が壊れた、も信じてはくれないだろう。単純に電話に出ない、だと何度もかかってきて面倒だし、だからと言って言い訳にできそうな体調不良は、去年の間にあらかた使い切ってしまった。完全に玉切れ、そしてネタ切れである。

 ま、そのうち適当に思いつくだろう。電話がかかってくる時間の七時半までは、まだ一時間ほどの猶予があるわけだし。

 部屋の真ん中に雑に置かれた座布団を拾い、仏壇の前に置き直す。その上に両足を畳んで正座すると、手前に置かれたライターを手に取ってロウソクに火を灯し、その火を一本の線香に移して、香炉にそっと立てた。

「————」

 甲高くも滑らかで、心地良い音が耳を撫でる。音の波にロウソクの火が僅かに揺れると、仏壇の中央に鎮座する御仏の姿が照らし出され、顔の輪郭や彫られた着物のしわがくっきりと見えた。人はこの姿に神々しさを感じるとよく聞くが、特に信仰心があるわけでもない俺の目には、ちょっとふくよかで柔らかそうな顔に見えてしまう。誰か共感してくれる人はいないだろうか。

俺は供え物の前に置かれた、二つの位牌の文字を見つめる。金の筆字で書かれた名前が明かりを反射し、生み出された光の矢が、俺の視界を一直線に突き刺した。


『言宮 壮太』

『言宮 紗由梨』


 目を閉じ、二つの手の平を合わせる。その間に音がゆっくりと消滅し、再びの静寂が部屋を支配。そこから二秒、三秒と合掌を続け、やがて手の平を離して一礼。今日の焼香を終えた。

「母さん、父さん。俺は元気だから、気にしないでいいよ」

 普段なら、仏壇の前で独り言など漏らしはしない。死者はこの世にいないわけであり、線香は死者がその香りを食べるために立てるのであって、決して人が感傷に浸るための仕掛けではない。むしろ食事中に息子が、いきなり改まって健康を訴えてきても、だからどうしたとなるだけだ。

そうわかっていてもクサい台詞を漏らしたのは、今日が俺にとって、両親の命日、という特別な日だからである。幸か不幸か、俺と同じ境遇の日本人はたくさんいるようで、毎年この日になると、被災地の各所で慰霊祭が行われている。場所が場所なら参加できていたのだが。

「っ…………」

 座布団から立ち上がろうとしたその時、仏壇の隣に置かれたゴミ箱代わりの段ボールの中にある、一つのゲーム機に視線を奪われた。電子辞書のような構造をした携帯型ゲーム機。昨日の掃除の時、いつからか開けることを拒んでいた、引き棚の中から見つけた物だ。

 上と下に備え付けられた二つの画面が特徴の、ハイテク最新ゲーム機……というのが、五年前のこのゲーム機の売り文句。最近のゲームはわからないが、きっと凄い進歩を遂げていることだろう。それこそ、ゲームの中に入るくらいの進歩を。

 ——最後に遊んだのは、ちょうど五年前の今日。小学六年の春の終わり頃。

 引き棚の奥に押し込んだのは、きっとゲーム機の存在が「遊び道具」から、ただの「遺物」へと変わってしまったからだろう。魅力も価値もない、ただの精巧な機械に。

 唯一の価値とすれば、忌まわしき記憶の断片、となったくらいか。

「……家で遊んでいたら、こんな風にはならなかったのかな」

 そのゲーム機を段ボールの奥底まで押し込んでから、俺はその部屋を後にした。



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