女は愛嬌。男は度胸。
「何故かまた犬に戻りかけているのです」
はぁとため息混じりの声を出したのは扉を開けた男性だった。
「イザベラ様が盗賊に襲われ倒れた時に見つけたミハエル様は人に戻りかけていた。貴方が目を覚ました日までは確かに人型だったのですが……」
「イザベラ様から離れた途端に犬に戻りだしたのです。ですから、イザベラ様が近」
「イザベラは関係ないっ!!」
ジャックと護衛と思われる男性が話し出すと、それ以上は言うなとばかりにミハエル様が怒鳴った。しかし姿は視界から隠したままだ。
そんな声を無視してジャックは話し続ける。
「イザベラ様、何か心当たりはございませんか?ほんの些細なこ」
「ジャック!今すぐイザベラを連れて出て行けっ!!」
再び怒鳴られたジャックは苦い顔でベッドを見つめる。護衛の男性の表情も暗い。
心当たりと言われても全く身に覚えがなかった。なんせ、私からすればミハエル様は見る度に姿を変えている。私が見ていない間に起きていることなど分かるわけ無い。
…………私が見ていない間に?
……盗賊に襲われて意識を失っている間に人に戻りかけていたミハエル様。
……寝ている間に何が……。
そう考えた時、頭に思い描いたのは童話の"眠り姫"のワンシーン。寝たきりの女性にキスをする王子(?)のシーンだ。
何で今このシーンが? というか眠り姫ってどんなストーリーだったっけ?
犬化するとか関係ないし違うかな?
そこまで考えた時にまた突然別の日の記憶が甦る。
私がこの屋敷で目を覚ました直後、ミハエル様に抱きしめられてキスされた記憶。
(あれ?やっぱりキスなの? もしかして私が寝てる時にミハエル様がキスしてたの?)
突然自分の思いついた疑惑に恥ずかしくなった私は俯いて顔を隠す。
(あれ? そういえば……確か、他にもキスをして王子様を助ける的な話とか無かったっけ? でも辺境伯は王子様じゃないな……。ってか、本当にキスなの?!)
俯いたまま悶々と考えてみるが思考能力の乏しい私にはキスというワードしか思いつかなかった。だからといって私がキスしたいとか、そんなんじゃないからねっっ!!
(私に会わなくなったらまた犬に戻るとか訳わかんないけど、魔法なら一瞬で戻るはず……。あ、この時代に魔法は無いな。……だったらなんで犬化したんだろう?)
次々と余計な事を考えていた私は周りの声が聞こえなかったようだ。
「おいっ、大丈夫か?」
「痛っっ!!」
ポンッと怪我をした側の肩を叩かれた。叩かれた痛みは無かったが、それに呼応した身体が忘ていた痛みを思い出させた。
「バカッ!アルバート何してるんだ! イザベラ様大丈夫ですかっ!?」
「も、申し訳ありませんっっ!!」
ジャックにアルバートと呼ばれた男性が慌てだす。
「お前ら何してるんだっ!」
肩の痛みに閉じた目を開ければ、すぐ近くにミハエル様の顔をしたレオンが今にも飛びかかりそうな姿勢で目の前の二人を睨んでいた。
「レオン……」
違和感ありありだが、その姿はやっぱりレオンだ。わたしに何かあればすぐに駆け付けてくれた以前のレオンと同じ姿。
そう思ったわたしがジーっと見つめていたせいで、視線に気付いたミハエル様は再び大慌てでベッドの陰に隠れた。
「……あの、ジャック様、お願いがあるのですが……」
不思議とそんな言葉を洩らしていた。
「お願いですか?何でしょう?」
「……その……少しでいいので、ミハエル様と二人きりにさせてもらえませんか?」
自分で自分に驚いた。
結局何も名案が浮かばないわたしは試しキスするという選択を残した。
女は度胸!キスくらいどうってことない!試してみて駄目ならまた考える。とにかくやってみなけりゃわからない。転生前は彼氏もいたし大人な体の付き合いだって経験済み。今のわたしが男性経験もない18才の生娘に戻ったからってキスくらいなんて事ないさ! ってか、先にミハエル様からキスしてきたのだから、私からキスしても平気だよね?変に思われないよね?あれ?この時代って、女からキスしたらダメ?変?
決断より先に声が出た事に焦りながらも座ったまま視線を上げる。するとジャックと視線が合った。
「分かりました。ですが扉の前で待機してますので何かあればすぐ呼んで下さいね」
何を思ったのかは分からないがジャックは笑みを見せると、アルバートの腕を強引に引っ張って部屋から出て行った。
これでミハエル様とわたしは部屋に二人きり。後には引けない。
「ミハエル様、聞こえてましたか? ジャック達は部屋を出ました。今は私とミハエル様しかおりません。二人きりで話がしたいのです。姿を見せてくれませんか?」
「……話ならばこのままでも良いだろう?」
私の呼び掛けに応えてくれたミハエル様は隠れたままだった。
確かに人面犬いや、人頭犬の姿は違和感あり過ぎてあまり直視したくない気もするがそれだとキスが出来ない。
ミハエル様もそんな姿を晒したくないのかも。だからあの日から私の怪我の様子も見に来なくなったのか……。
ならば、と部屋の中を見渡した。
「ミハエル様、お願いがございます。タオルを一枚お借り出来ませんか?」
「……タオルなら部屋に戻る時にジャックに頼めばいい」
「いえ、今使いたいのです。けれど私がミハエル様の部屋で探し回るのも失礼ですし、何よりまだ足首が治っておりませんので歩き辛いのです」
「………ならば、私が良いと言うまで目を閉じていろ。目を閉じるならタオルを貸そう」
やっぱり姿を晒したくないみたい。
私はソファに突っ伏して顔を隠した。
「目を閉じました。お願いします」
そう声をかけると大人しくミハエル様の声を待つ。
「良いぞ」
思ったよりも早くに声が掛かった。
上体をそっと起こして自分の周りを見るとソファにタオルが置かれていた。そして思った通り、ミハエル様の姿は見えない。また隠れたのだろう。
「ありがとうございますミハエル様。タオルお借りします」
タオルを手に取ると、広げて細長くたたみ直してから自分の目に当てて頭の後ろでタオルを縛る……はずが無理だった。痛む右肩のせいで腕が上がりきらない。
なので結び目を眉間にする形でタオルを縛った。かなり不恰好だかど最早どうでもいい。
簡易目隠し完成。
「ミハエル様、タオルで目隠しをしました。これでわたしは何も見えません。ですから私の側に来て頂けませんか?」
「………何故?話なら側でなくても出来る」
「私が……不安なのです。背を撫でてレオンに触れたいのです……無理でしょうか?」
苦しい言い訳に声が尻すぼみになる。
他に何か上手く誘う言葉はないかと考えていると、ソファに置いた手に柔らかい何かが触れた。
「……絶対にタオルを取るなよ」
さっきよりも近くから聞こえた気がする声に「はい」と頷く。
感覚で手を動かすと多分レオンの背中?と思われる毛の感触に懐かしさを感じていつものようにそっと撫でる。
「レオン。……いえ、ミハエル様。あの日、私を助けてくださってありがとうございました。まさかレオンが辺境伯ミハエル様ご本人だったとは知らずに無礼な振舞いをした事、お詫び申」
「そんな事はどうでもいい。話とはそれだけか?」
謝罪を遮られ、早々に話を終わらせようとする口振りに微かな拒絶を感じた。
女は度胸!などと息巻いた自分が恥ずかしくなる。キスして何も変わらなかったら本当にただのキス魔か痴女かと思われるかもしれない。
いや、この際私の事などどうでもいい。
痴女と思われれば金輪際関わらなくなるだろう。それで良い。仮にミハエル様が人に戻ったなら良し。ダメでも私は関係ないと証明できる。
「……今日まで色々ご迷惑おかけしました。でも私はレオンに出会えて良かったです。……家に帰る前に、最後に一つだけ私のわがままを聞いてもらえませんか?」
「最後?」
問い返された一言がやけに冷たい。
『キスしたい』
………………やっぱり無理だ。
こんな言い慣れてない台詞、いきなり言えるわけないっ!
「何故最後なんだ? 俺にはもう会いたくないという事か?」
「え……?」
やらかした?
言い方が悪かった?怒らせた?
「そうだよな。こんな気持ち悪い男には関わりたくないよな」
「ち、違いますっ」
「無理しなくて良い。イザベラは俺よりもレオンが好きなのだろう?だがもう俺はレオンではない」
撫でていたレオンの身体が動き、手のひらに何も感触が無くなると不安から慌てて立ち上がった。
「待っ、つっ…!!」
私の側を離れるミハエル様に待ってと引き止めたかったのに、捻挫した足は急な動きに対応出来なかった。
カクンと足の力が抜けその場に倒れそうになった。
「……大丈夫か?」
目隠しのまま倒れそうになった私が支えにしたのはレオンの身体だった。
以前はよく抱きしめていたレオンの身体。
痛む足を動かすことなくそのまま床にへたり込んで触れたレオンの身体をギュッと抱きしめた。
「気持ち悪いとか思ってませんっ!だって……私は目覚めて初めてミハエル様のお顔を見たのに、キスされても嫌じゃなかったし、その、私なんか、こちらに長居しても邪魔なだけだし……」
あれ?何の話だったっけ?
テンパりすぎて何が言いたいのか分からなくなった時、顔に柔らかい何かが触れた。
「……本当に嫌じゃなかった?」
「嫌じゃないです」
オウム返しで即答すると再び顔に柔らかい何かが触れてタオルが外れ落ちた。
それでも元から瞑っていた目には何も見えない。
「……ミハエル様?」
目を閉じたままのわたしはタオルが落ちたことに困惑する。
それでも抱きしめていたレオンの体。もぞもぞと腕の中で動く気配を感じるとチュッと唇に柔らかいものが触れた。
(え?あ、キスされた?あれ?じゃあ、ミハエル様の身体は戻ったの?)
抱きしめたままのレオンの毛の感触。変化した様子は無いかとあちこち撫でまわす。
(キスじゃやっぱり無理だったのか……)
目を閉じたまま俯きかけた時にまたチュッと唇にキスされた。
二度目のキスに驚いた弾みで思わず目を開けてしまう。
すると目と鼻の先にミハエル様の端正な顔が見えた。あまりの近さに驚きつつも、眩しい黄金色の瞳から目を離せなかった。
「嫌じゃないならそのまま動かないで」
ミハエル様のその言葉に私の身体は従順だった。