レオンなミハエル様
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あれから三日経った。
あれというのは私が意識を取り戻した日の事。
今ではカーラが復帰して私の世話をしながら話し相手をしてくれている。
私が賊に斬られた瞬間を目撃したカーラは気を失い地面に倒れ込んだらしい。その際に頭を打ち後頭部から出血していた所にジャック達が助けに来たという。出血はあったが止血した後は回復も早かったようだ。襲われてからニ日目にはベッドを出てこの辺境伯邸で少しづつ手伝いをしながら私の回復を見守ってくれたらしい。
それに対して私は、手入れもろくにされてない薄汚い剣で斬られたせいか、手当てをしてもその日から丸三日間高熱と傷の痛みにうなされていたと聞いた。熱が引いても意識が戻らず、心配したミハエル様がジャックの言葉を無視して付きっきりで看ていてくれたらしい。
そうして襲撃から六日目の朝にようやく目覚めたらしい。
私の護衛をしていたバゼルと馭者もカーラ同様にこのミハエル様の屋敷、グランドール邸内で手当てをされているようだ。まだ歩けるまでは回復していないらしい。
身内が受けたその手厚い看病に改めて感謝の意を告げる。
「ミハエル様のご恩人なのですから当然の事をしたまでです」
ミハエル様の側近ジャックは、私の礼の言葉に首を横に振った。
しかし、言葉とは裏腹に以前よりも表情が冴えない。
「ジャック、何かあったのですか?」
「それが……」
何か言いたげな雰囲気。
私はカーラに目配せして部屋を出てもらいジャックと二人きりになった。
「あの、ジャック、ようやく私も動けるくらいには回復しました。なので、そろそろこのお屋敷をお暇しよ……」
「それは駄目ですっ!」
突然慌てた大きな声がわたしの声をかき消した。
駄目?どうして?
元はレオンを引き渡しに来ただけだ。こんなにも長く辺境伯爵邸にお邪魔するつもりはなかった。
想定外とはいえ、なんとかレオン…もとい犬に変化したミハエル様をお連れしたのだからいつ帰ろうが引き留められる謂れはないはずだが。
「何故ですか?これ以上私がお屋敷に居ては、かえってあらぬ噂になりかねないと思うのですが……」
未婚の辺境伯邸に同じく未婚の私なんかが長居しては色々と邪魔なはず。
「その心配は無用です。貴方はミハエル様の恩人なのですからお気になさらず傷が治るまではどうかゆっくりと療養して頂きたいのです」
「でも……。私はミハエル様に無礼な態度を……」
「いいえ、そのようなことはありません」
いや、きっと煙たがられているはずだ。
ミハエル様は私を看病してくれていたのに、そんな事も知らずに目を覚ました私はミハエル様の異様な姿を見て失礼すぎる態度をとってしまった。
そのせいでミハエル様はこの3日間、私の前に現れることはなかった。
「ミハエル様もきっと私などにお会いしたくないはずです」
「それは違います!ミハエル様は毎日貴方のご様子を気になさっています」
「そんなはずは」
「いえ本当です。本来ならば私でなく、ミハエル様御自身で様子を伺いたいのです。でも、貴方様を思って………」
私を思って?
私がミハエル様に失礼な態度をとったのに?
「あの……でしたら、ミハエル様にせめて直接御礼を言いたいのです。可能なら、私からミハエル様を訪ねてもよろしいでしょうか?」
家に帰るにしても一度はお会いしなくては。
私を恩人と言うが、ジャックから聞いた話では私を助けてくれたのはレオンであるミハエル様だ。
あの時、レオンが遠吠えしたお陰で、近くまで私達を迎えに来ていたジャック達が遠吠えに気付いて駆け付けてくれたと聞いた。
私の恩人はレオンであるミハエル様なのだから、最後に一度だけでもお会いして御礼を言いたかった。
「………それが大変申し上げにくいのですが……」
「……やはり私にお会いしたくな」
「違います!逆です。ミハエル様は貴方にこれ以上嫌われる事を恐れてお会い出来ないのです」
私の言葉を遮ったジャックは、視線を逸らさずにキッパリと言い切った。
「……嫌われる?…恐れて?」
それは私がミハエル様の姿を見て驚いたから?狼男のような姿だから?
「イザベラ様。不躾ながらお願いがございます」
「? お願いですか?」
「はい。 ミハエル様からはイザベラ様に言うなとキツく言われたのですがそんな事を大人しく聞いてる猶予はありません。
私が貴方様の足になります。ですからどうか、今すぐにでもミハエル様にお会いして頂けませんか?」
懇願。そんな言葉が適切な気がする。
ジャックは何かミハエル様から口止めされているようだ。
多分、私がミハエル様の姿を見て失礼な態度をとったから、私がその姿を見たくないのだと思っているのかもしれない。
確かに何の予備知識もなくあの姿を見たら誰でも恐れ慄くかもしれない。けれど私はすでに一度見ている。多少は免疫が出来たと思う。
「……では、少しだけ手をお借りしてよろしいでしょうか?」
今すぐミハエル様にお会いしてきちんと御礼を伝えよう。そう思い、椅子から立ち上がろうとしてカーラが居ないことを思いだした。
まだ肩の傷は痛むし、賊の足の脛を蹴った右足までも捻挫していた。足がまだ言うことをきいてくれないのでカーラがいないと立ち上がれなかったのだ。
そんな私を察してくれたジャックは「失礼します」と一声かけてから私の身体を支えて立ち上がらせてくれた。
「では参りましょう」
あちこち負傷していても歩けない訳ではない。びっこを引きながら歩き出そうとする。
けれどジャックは元から私を歩かせるつもりは無かったようだ。
立ち上がった私の膝裏に手をかけ、あっさりと抱きかかえられた。
「きゃっ!」
「すみません。こうでもしないと私がミハエル様に叱られますので、部屋まで我慢して下さい」
「……い、いえ、こちらこそすみません……」
初めてお姫様抱っこされた私は視線を彷徨わせて大人しくなる。
まさかジャックが私を抱き上げられるとは思わなかった。騎士とは聞いていたが細身でどちらかと言えば剣よりも書物が似合う青年だ。年よりも童顔なジャックからは想像つかない。彼が夜会にいたら令嬢らが放ってはおかないくらいに母性本能をくすぐるタイプだろう。
そんなジャックにお姫様抱っこされるなんて……。
(この世界の男性はお姫様抱っこに抵抗が無いのだろうか?)
などとどうでもいい事を考えていたらいつの間にか大きな扉の前にいた。
どうやら私が使っている部屋から然程離れていない同じフロアにミハエル様の部屋はあったようだ。
(この距離なら抱っこされなくても歩けるのに……)
「ミハエル様、ジャックです」
私を抱いたまま扉に声をかけたジャック。
すると中から扉が開いた。
「珍しいな?お前が……」
中から扉を開けて顔を出した男性が私と視線を合わせた途端に声を失った。
「入るぞ」
「って、オイッ!」
慌てる男性を退けるようにして無理矢理部屋に入ったジャックはいきなり声を張った。
「ミハエル様!何処ですかっ!」
少し怒っているようなジャックの雰囲気に、私は身を縮こませた。
「ジャック!お前、なんでイザベラ様を連れて来たんだ!?」
扉を閉めた男性がジャックの肩を掴んで凄む。
「イザベラ?」
そこへ私の名前を呼ぶ別の声。
何気なくその声が聞こえた方を見ると、低い位置で見慣れた瞳を見つけた。
「……レオン?」
そこに居たのはレオンだった。
正確に言えば、レオンと同じ身体になっているミハエル様だった。
「っ!!」
「あ、えっと……ミハエル様?」
私を見つめたミハエル様は驚いて固まっているが、確かに頭だけはミハエル様だ。
首から下だけが完全にレオンの時の身体。言い換えれば、レオンの頭だけが犬でなく人の頭になっていたのだ。
簡単に言えば、人面犬だ。いや人頭犬。
「……ジャック、何故イザベラを連れて来た?」
頭だけミハエル様の犬が唸るように声を出す。けれどジャックは気にする素振りもなく、そっと私をソファへと降ろしてくれた。
「イザベラ様がミハエル様にお会いしたいと仰ったのです」
「だからって連れて来るな!」
平然と話すジャックを一喝した犬のミハエル様は慌ててベッドの裏に姿を隠した。
「もう遅いですよ。観念して出て来てください」
ミハエル様が隠れた方を見て呆れるジャックに思わず声をかける。
「ジャック、あの……ミハエル様は……」
次第に混乱しかける頭で必死にミハエル様の姿を思い出す。
私が目覚めた時のミハエル様は人型だったはずだ。抱きしめられ、頬に触れた手は綺麗で長い指の人の手だった。
けれど今見たミハエル様はその姿では無かった。明らかに身体だけは犬。肉球が付いていそうな4本足の犬の姿。
「……これが今のミハエル様の姿です」
そう呟いたジャックの表情は暗かった。