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辺境伯ミハエル


 私は転生者だ。

 吸血鬼や狼男なんてものは常識のように知っている。

 けれど。

 やっぱりそれでも目の前で実物を見たら驚くのは当たり前だと思う。


 寝起きの私を抱きしめた見目麗しい男性が実は狼男でした、なんて誰に言っても信じてもらえないと思う。

 いや、正確に言えば狼男でなく犬男か? 彼の髪が銀髪だから犬の体毛が銀色になって狼っぽく見えるらしいのだが、犬だろうが狼だろうが大差ないだろ!と自分自身にツッコミを入れる。


 ジャックと呼ばれた男性に、半ば無理矢理私から引き剥がされた銀髪の男性は私のベッドから降りて傍らに立った。

 彼が離れて、彼の全身が見えると私の目はこれでもかというほど見開いた。


 美しい顔と抱きしめられた腕と胸板は確かに人のそれではあったが、二足歩行をする足は長身の男性の足の長さではあるが腰から下は艶のある銀毛に覆われていた。


「ミハエル様、背を向けて下さい」


 ジャックに指示されたミハエルという男性がわたしに背を向けると、後ろ姿はほぼ銀毛で覆われていた。腰には簡易的な布を巻いているが、尾てい骨部分にはフサフサの見覚えある犬の尻尾が付いている。


 なんじゃこりゃー!と叫びそうになるのを堪えて口をぱくぱくさせながら驚いて見ていると、ミハエルという男性は悲しそうな瞳で私を見つめた。


「お分かり頂けましたかイザベラ様。貴方が拾って面倒をみてくださったレオンは、実はミハエル様という当家の主君だったのです」


(……ああ、なるほど〜、なんて言うと思うかっ!? なんなのこの急展開っ!ミハエル様が犬に変身してたって事っ??それじゃ、私は騙されたって事!?!?)


 あまりの事に利き手を強く握ったものだから肩の激痛が声を上げようとしたわたしを黙らせる。無意識に顔を歪ませ痛みを堪らえている時にミハエル様と視線が合う。

 合った視線は一瞬で逸らされ、今度はミハエル様が苦しそうな表情を見せた。


「……ジャック、俺は隣りに行く」


 ミハエル様は二間続きの隣りの部屋に入ると静かにドアを閉めた。


ーーー


 残ったジャックが動けぬわたしに近づくと手馴れた様子で世話を焼いてくれる。 

 背中に沢山クッションを置いてくれたので今は誰にも支えられることなくベッドの上で上半身を起こしていられた。おかげで部屋全体を見渡せて徐々に現状を受け入れられた。

 

 自分の家の部屋よりも広々している部屋は明らかに女性向けの部屋だった。

 内装の色合いもさながら、センスの良い調度品は各々柔らかな曲線美を描き一つ一つが芸術品に見える程。それらを上手く配置する事で無駄に高級感を押し付けず、ゆったりと寛げる空間になっていた。


(これが辺境伯の屋敷なのね……)


 元より、レオンをこの辺境伯の邸に連れて来る事が目的だった。その道中で賊に捕まりかけたのだが、わたしが向かうとしたためた連絡を受けたジャックは出迎えに来てくれたようだ。

 犬と化した主君を捜していたが、その噂を聞きつけた輩が適当な犬を連れては約束もせずに来訪する。そんな事が続いた矢先にわたしからの連絡を受けた。それはそこらの輩となんら変わりなく一方的に来訪するという連絡。

 いくら一応子爵家からの連絡といえど、信憑性のない者をこれ以上邸に近づける事は避けたいジャックは歓迎と見せかけて体よく追い返すつもりでいたようだ。

 そんな一団が向かった先で見聞きしたレオンの遠吠えと賊に襲われたわたし達の姿。

 そんな経緯を聞いた私は辺境伯ミハエル様の邸でお世話になっている。


(それにしても、辺境伯がレオンに化けていたなんて……)


 レオンとの穏やかな日々を思い出すが、その思い出が徐々に色褪せて見え始めた。


「イザベラ様、突然の事でまだ全てをご理解されてないと思いますが、一言御礼を言わせて下さい」

「……御礼?」


 話しながら細かなところにも気を配り続けていたジャックが手を止めてわたしへと正面を向く。


「はい。我が主、ミハエル様を助けて頂いてありがとうございます」

「…………」


 ジャックの感謝の意は混乱し通しだったわたしの思考を大人しくさせた。

 ミハエル様と言ってはいるが、それが犬のレオンの事だとすぐに気付く。


「ミハエル様は好きであのような格好になったのではありません。3年前、ミハエル様の誕生を祝うパーティーがありました。思えばその直後からです。ミハエル様の身体に異変があったのは…」

「………」


 何も言わない私に突然ミハエル様の話を切り出したジャック。好きであんな格好をしてないなら邸で大人しくしていればいいのに。

 なんて心の中で悪態をつきながらも"3年前"という言葉にツキリと胸が痛んだ。


 私からすれば3年前とは学園に入学したての頃だったから。

 親が勝手に決めた同い年の婚約者。周囲の目から見た彼の評判は良く、学園に通うようになって何度もお会いすれば互いに上手くお付き合いできるのではと期待して入学した。

 けれど、彼は婚約者の私だけを存在していないかのように視界に入れる事はなかった。それどころか、学園で知り合った令嬢と付き合いだしたのだ。

 私の事なんて最初から気にも止めない婚約者に見切りをつけるのは早かった。

 入学して半年で私から婚約破棄を告げた。

 この時代に転生してから唯一の汚点。それが3年前だった―――――。


「ミハエル様に尻尾が生え始め、体毛が伸び耳が犬のものになり……。パーティーから一ヶ月後には人前に出られなくなりました。人当たりの良かったミハエル様は次第に精神を病んで部屋に籠もり、パーティーから三ヶ月を過ぎた頃には人の言葉も話せない完全な犬になってしまったのです」

「…………」


 私がこの時代での結婚を諦めた頃にミハエル様は人ですら無くなっていた。


「それでも私達屋敷の者は、ミハエル様に代わって領地をまとめながらミハエル様が元に戻る事を願い続け、身体に良いとされる薬を飲ませたり、病を治すという温泉に行ったりと出来る限りの事をしました。けれど、見た目には何も変わらなかった」

「…………」


 その頃の事を思い出したのか、ジャックの表情は暗い。


「でも犬のミハエル様は私達の言葉を理解していたのです。

最初こそ、食事も摂ろうとしなかった犬のミハエル様は私達屋敷の者の話を聞いているうちに何か思ったようで、次第に明るさを取り戻し食事も摂って毎日元気に庭を走り回るようになったのです。それからは自ら苦い薬も飲んでくれるようになりました」

「…………」


 主の急変に、邸の皆が一致団結して主を元に戻そうとするなんて並大抵の事じゃない。それだけミハエル様は人格者だということが伺える。


「そんな日が続いたある日、屋敷の庭で走り回るミハエル様に野犬が絡んで来たのです。剣も持てないミハエル様は逃げ回り、屋敷の外に飛び出したのを最後にミハエル様の行方が分からなくなってしまったのです」

「…………」


 ようやく少しだけ理解出来た。

 ふっと、レオンに会った日の事を思い出す。

 腕を咥えるくらいに警戒していたのは私が赤の他人だったからだろう。手当てをしても警戒し続けたのは、この屋敷に戻れなくなる事を危惧していたのだと。


 吠えることなく穏やかで大人しくなったレオン。そんな彼を無理矢理連れて帰ったのは私だ。人に飼われていただろうと感じていたのにケガが治っても解放させなかったのはわたし。

 そう理解したところで一つだけ気になることがあった。


「………それでは何故今のミハエル様はあのお姿に?」


 2年以上何をしても治らなかった犬化が何故今になって治りかけているのか、単純に気になった。


「分かりません。ミハエル様も御自身で人型に戻っていた事を分かっていなかったのです。

ですがイザベラ様が怪我をされ、私共が駆けつけた時にはミハエル様は今のお姿でした。私を見たミハエル様は真っ青な顔で『早くイザベラを助けてくれ』との一点張りでした」

「……私が、レオンを最後に見た時は何も……確かに犬のレオンのままだったはずです」

「そうですか……。何か、切っ掛けがイザベラ様にあるのかと思ったのですが……」

「……お役に立てなくて申し訳ありません」


 そう告げながら騙されたと思った感情は消え、素直に『ミハエル様が早く人に戻れますように』と願った。


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