不慮…なの?
アンネに何度誘われようとイザベラは夜会に行く事は無かった。
理由は単純。
兄のフェンデルがいるからだ。
家督を継ぐフェンデルは現在婚約中。その兄が婚約者と仲睦まじく夜会に参加しているのだから邪魔してはならない。
婚約者に逃げられた私が一緒に居ては冷やかしのネタにされ子爵の名に泥を塗る。
それに単純に夜会が苦手だから。ドレスはコルセットで固めるから窮屈この上ないし、参加したところでわたしに声を掛けようとする男性等たかが知れている。ただの興味本位。ガチで口説かれる訳ない。お持ち帰り出来んじゃね?的な輩だろ。そんな奴らの為に時間をかけて着飾るつもりはない。
婚約者に逃げられたお粗末な子爵令嬢。そんな視線をすすんで浴びに行く気は毛頭ない。
婚約破棄して清々してるけど、そんな惨めな思いをするなら、主人公を虐める悪役キャラになってやる。というのが本音だ。
ほら、『イザベラ・ミゲルネ』って私の名前、悪女っぽくない?
もしかしたら将来は悪女になるのかもしれない。
……美人じゃないのが難点だが。
ーーー
季節は移り、寝起きに吐く息が白んできても毎日が退屈な私は常にレオンと一緒に過ごしていた。
レオンの為に外套をより暖かい物に新調して毎日寒空の下散歩をする。といってもレオンが一人で走り回っているだけだが。雪が降ってもそれは変わらなくて、寒い夜眠る時には私のベッドで丸くなって添い寝するレオン。
おかげで真冬でも風邪をひくことなく毎日元気にレオンと過ごせた。
そんな寒い冬が終わりかけたとある日、定期的に訪れる親友のアンネが慌てた様子で話を切り出した。
「イザベラ、あなたにはとても残念な話があるの」
それはレオンに関する話だった。
「うちの領地の隣の辺境伯が愛犬を探している、という話を聞いたの。その愛犬は綺麗な銀色の毛でとても珍しい犬らしくて、いまだに隣りの領地では使いの者らが毎日探しているそうよ。
うちの領地にまでその話が噂されるようになって、あの時邸に野菜を卸してた農民がレオンを見ててね、邸の者に噂話を教えてくれたのよ」
「そう……。分かったわ。明日にでもレオンを連れてその辺境伯のお屋敷に向かうわ」
レオンと名付け可愛がってはいたが、犬ともオオカミとも分からない珍しい犬種。怪我をしていたから保護した。ただそれだけ。
そう自分に言い聞かせ、アンネが帰ると両親にその話を伝え、早速明日に出発すると話をつけた。
「レオン良かったわね。やっと飼い主様に会えるわよ」
私が横になるといつものようにベッドに飛び乗るレオン。体を丸めて寝る体制になるレオンにそれ以上声をかけるのをやめた。
思えば前世では犬を飼っていた。
家には自分が生まれる前から犬がいた。私が成人しても一人暮らしをしようと思わなかったのは愛犬がいたから。
(レオンは私に記憶を思い出させる為に現れたのかもしれない……)
出会ってからほとんど鳴かなかった大型でオオカミのような見た目のレオン。その温厚でいて無邪気にボールを追いかけまわる姿を思い出しては懐かしむ。
(名前ももう呼ばない方がいいわね……)
ほんの半年にも満たないレオンとの暮らしだったが、これまでの人生でいつの間にか一番の思い出となっていたようだ。
婚約者もいない、仕事もない、子爵令嬢として育った身では一人で生活も出来ない、そんな空っぽな心の隙間を埋めたのがレオンだったのかもしれない。
頭では理解していても、思った以上にレオンとの別れが胸を締めつける。泣きそうになる気持ちを抑える為に、無理やり瞳を閉じて眠りについた。
(レオンを送り届けたら、別の保護犬を飼おう。犬を躾けて警察犬や盲導犬にでもしようかな?)
まだ警察組織や盲導犬という概念が無い時代にそう思うことでレオンとの別れを紛らわそうとした。
***
アンネに聞いた辺境伯の屋敷までは馬車で片道丸二日という距離だった。
時間だけは有り余る私にとってはどうってことないが、急遽決まった子爵令嬢の小旅行に付き従える人数は必要最低限だった。
両親は、伯爵に書状を送り訪問する日を伝えたりと諸々が決定してから出発させるつもりだった。それを拒否して早々にレオンを返してくると強行したのは私だ。
犬一匹を返す為だけに伯爵の手を煩わせたくはない。伯爵が不在であっても、捜索し続ける程大事な愛犬なら一刻も早く会わせてあげたい。
そんな想いから、護衛騎士一人、側仕え一人、馭者一人という最低限の人数で出発した。
道中の治安は良いと聞いているし、犬を返す為だけに大人数で押しかけるのも逆に失礼だし、旅費もかさむ。
長時間馬車に乗り続ける事は一種の拷問だと考える私は、最悪一人で馬に乗りレオンを走らせながら行こうかと考えていた。それからすればかなり譲歩した方だ。というか、乗馬を嗜んだ程度の腕前のわたしでは一人で馬に乗るなんて到底許されるものではなかった。それに辺境伯の大事な愛犬をいきなり長い距離走らせたら怪我もしかねない。
そう説き伏せられて納得はしたものの、やはり長時間の馬車移動は拷問でしかなかった。
「今日はこの宿で一泊します」
側仕えのカーラは途中の町にある宿屋の女将と話をつけると馬車で待機していた私に声を掛けた。
「ありがとうカーラ。夕飯まで少し横になりたいわ」
カチカチに硬くなった腰をどうにか伸ばして立ち上がろうとすると、我先にとレオンが馬車を飛び降りた。カーラが話をつけてくれたおかげでレオンも宿に入れてもらえるようだ。
悲鳴を上げる腰を労りながら部屋に入れば倒れ込むようにベッドに横になる。すると当然のようにレオンもベッドに上がって私の肩に顎を乗せて丸くなった。
昨夜からレオンに触れないようにしている私の頬を寄り添うレオンの銀毛がくすぐる。まるで『撫でて』と言うかのように肌に直接触れる誘惑。
「……」
辺境伯はこの子になんて名前を付けて呼んでいたのかな?
疲労の濃い体は次第に思考すら低下させる。無心になった私は無意識下でレオンの頭を撫でながら静かに眠りについた。
アンネの別荘に行った時は観光しながらのんびりと片道四日かけて移動していたからそこまで疲労を感じることはなかった。
その時と同じくらいの距離があるのに最低日数で強行した結果、私の注意力は散漫したままだった。
翌朝、予定通りに宿を出た。
再び馬車に長時間乗り続け、昼過ぎにはようやく辺境伯の領地内に入った。
(ここまで来たら安心ね)
車窓の外はきちんと管理された田畑が見える広大な土地。辺境伯の屋敷まではまだ数時間かかるのだが、のんびりした景色と、辺境伯の領地内ということで気持ちが緩んでいた。
日中、馬車内には常に明るい陽射しが差し込んでいたが、しばらくすると日が陰った。どうやら木陰に入ったらしい。ふと外を見れば、珍しい白い色をした樹の幹がいくつも見えた。
「白い樹?みんな枯れているの?」
そう自分で呟いてから思い出したのは前世の記憶。前世では然程珍しくもない白樺の木だ。
「本当に白い幹ですね。害虫被害でしょうか?」
白樺の木を知らないカーラは軽く眉間を寄せた。
(害虫だらけの木が並ぶ林……それは私も通りたくないな……)
苦笑いでカーラを見つめながら白樺の木だと説明するか悩んだ時に馬車は静かに動きを止めた。