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思い出す記憶


 来客の知らせを聞いたミハエル様が渋々と部屋を出て行ったお陰でやっと一息つけた。

 差し出されたお茶を口にすると、事の成り行きを見守っていたカーラが口を開く。


「まさかこのような縁が出来るなんて。3年前にイザベラ様が婚約破棄したと聞いた時はとてもショックでした。評判いい御方だっただけに、イザベラ様が悪者のように言われるなんて……」

「……婚約破棄を申し出たのは下位貴族の私よ?当然悪者になるでしょう? どちらに原因があろうと関係ないわ。私が我慢出来なかったのだから仕方ないでしょ」

「ええ。今となってはそれで良かったのです。ミハエル様のような立派な御方と縁を組めたのですから」


 婚約誓約書にサインをする私を見ていたカーラはミハエル様との婚約に感無量といった表情を見せた。


「これでイザベラ様もお幸せになれるかと思うと……」


 若干涙汲むカーラは本当に私の事を思ってくれてのだろう。

 しかしジャックとの密約を知らないカーラに本当の事は言えない。


「私なんかがミハエル様の婚約相手に相応しいわけ無いじゃない。……ミハエル様の御身内が黙ってはいないでしょうね。もしかしたら二度目の婚約破棄」

「そんな事あり得ません!あれだけイザベラ様をお慕いしてるのですから必ずミハエル様が説き伏せてくださいます!」


 唯一、ミハエル様の犬化を知るカーラだからこそそう言い切るのだろう。けれど二度目の婚約破棄は呪いが解ければ必ず実行される。

 それが分かっていて婚約するなんてカーラに知られたらきっと愛想を尽かされるだろう。


「……落ち着いたらお腹が空いてきたわ」


 このところ、部屋に籠もりっぱなしでろくに動かない為、以前よりも少食になっていた。その分、ちょいちょい小腹が空く。


「でしたら厨房で何か用意してもらいますね」


 ミハエル様との婚約に気を良くしたカーラは軽い足どりで厨房へと向かった。



ーーー


 しばらくすると部屋の近くで言い争うような声が聞こえた。


「……カーラ?」


 聞き間違いでなければカーラの声だと思った私は視線を扉に向けた。


バンッ!


 勢いよく開いた扉の傍らには、綺麗に着飾った令嬢の姿が見えた。


「……」


 突然の訪問者に目を丸くして見ていると令嬢のキツい眼差しが向けられた。


「貴方が大怪我をされたご令嬢?……見かけない顔ね」

「………あの」

「それに聞いていたよりも随分とお元気そうね?もしかしたら大怪我なんて嘘だったのかしら?そうやって辺境伯を(たぶら)かすつもりだったの?」

「………誑かす?」

「残念だけど私の目は誤魔化せなくてよ」


 ズカズカと部屋に入って来た令嬢は私の利き手を掴んで強引に引っ張った。


「っ!!!」


 無理に動かした肩に激痛が走る。

 痛みのあまり顔を歪めると、その表情を見た令嬢が鼻で笑った。


「やっぱりね。本性を見破られてそんな顔するなんて。貴方みたいな令嬢、私は今まで見た事がないわ。令嬢だなんて嘘なんでしょ?このドレスだってミハエル様に強請ったのでしょ?正直に言いなさいっ!」


 掴まれた手を強引に上げられて更に肩の痛みが増す。ソファから引っぱり出された私は床にヘタりこんでただひたすら痛みに耐えていた。


「何も言えないの?やっぱり全部嘘なのね?」


 それなりに綺麗な顔つきの令嬢だけど、私を見下す冷ややかな視線はお世辞にも美人とは言えなかった。


(この女性はミハエル様の知人なのね。だから私が嘘をついていると思ってる)


 腕を掴まれ、痛みで身動きが取れない。嫌な汗が背中を伝う。

 項垂れて自分の立ち場を思い知る。

 分かっているつもりではあったがあまりの惨めさに情けなくて自嘲した。


「何よその顔。私をバカにしているのっ?」


パンッ!


 叩かれた頬に熱が帯びる。

 けれど、それ以上に、叩かれた瞬間に肩が悲鳴を上げていた。


(……失敗したな…)


 ついさっきサインしたばかりの婚約を後悔する。

 わたしが了承しなければ目の前の令嬢がミハエル様の婚約者になっていたのかもしれない。だからこんなに怒っているのかと思うと納得するしかなかった。


(きっとまたこんな修羅場に立ち会うのだろうな……)


 ミハエル様の周りに何人の令嬢がいるのだろう。その都度同じような目に合うと考えると可笑しくて笑いそうになる。

 それでもこれが仮の婚約者役の務めかと、諦めた私は目を閉じた。


「何だこれは」


 不意に聞こえた唸るような低い声。


「ミハエル様っ!」

「痛っ!」


 ジャックの声と令嬢の短い悲鳴が聞こえると掴まれていたはずの腕が床に落ちた。落ちた、そんな感覚だった。


「ジャック!急いで医師を呼べ! バゼル!この女をさっさと邸から閉め出せっ!」


 治まらない肩の激痛が傷の悪化を知らしめる。それでも薄れゆく視界の端に見えた青ざめたカーラに謝罪する。


(カーラ、ごめんなさい。私はごく普通の婚約者にはなれないの)


 カーラもバゼルも私がここにいる限り家に帰れない。いつまでも此処に留めるのは可哀想だ。二人だけでも家に帰そうと決意するとフッと意識が途切れた。



***


「!!!」


 突然目が覚めた。

 目を見開いて、さっき見た映像を思い出すとあまりの恐怖に身体が震え出す。


「…………」


 見開いた目がようやく見知った天蓋を確認すると小さく息を吐く。

 月夜の静寂の中、微かな寝息とバクバクと煩い自分の心臓の音が聞こえる。静かに深呼吸してやっと肺に空気を送りこむ。


 違和感の残る肩を気にしつつゆっくりと顔を横に向けると、少し癖のある銀色の髪が見えた。

 暗闇の中、微かな光を集めた銀色の髪だけが私の気持ちを落ち着かせた。

 床に座り込みベッドに突っ伏して寝息を洩らすミハエル様の肩には毛布が掛けられている。ずり落ちそうな毛布に手を伸ばそうと思っても身体が動かない。

 暖かくなってきたとはいえまだ夜は冷える時期。このままではミハエル様が風邪をひきそうだと思ったときに自分の肩にひんやりと冷たい空気が触れた。


「クシュッ」


 咳が一つ出ただけで肩に痛みが走る。それは以前よりも皮膚が引き()るような感覚だった。


「……イザベラ?」


 眠い目を擦りながら目を覚ましたミハエル様。

 わたしを確認するとハッと目を見張ったと思ったら手を伸ばして私の首筋に触れた。


「ごめんイザベラ。こんなに冷えて……」

「……ミハエル様の手の方が冷えてますよ。このままじゃ風邪ひきます。私は大丈夫ですからご自身のベッドでちゃんと寝て下さい」


 そう言ってる間に、上体を起こされた。

 ギシッとベッドを軋ませ身を乗り出してきたミハエル様に抱きしめられる。


「すまなかった。……俺がモニカ嬢から目を離したりしなければ……すまない」


 無傷の方の肩に顔を埋め、耳元で苦しげに呟かれた。その言葉の意味が、少し身体を動かしただけで感じた違和感だと気付く。


「ミハエル様は何も謝ることしてませんよ。ご令嬢が勝手に乗り込んで来たのですから」


 とはいえ、令嬢の顔を思い出すと身体が強張る。


「俺は君を守ると誓って婚約のサインをした。なのに直後に守るどころか取り返しのつかない傷を……」


 傷が塞がるまで絶対安静。そうカーラもミハエル様も口が酸っぱくなるくらい言い続けていた。

 きっとその傷が開いたのだろう。令嬢に腕を引っ張られた時の異様な痛みがそう気付かせた。

 転生前の時代なら傷の縫合に溶ける糸や傷跡が残らないくらいに細い糸と針があっただろう。

 でもこの時代の医療技術ではそんなもの無い。もうしばらくしたら傷を縫った糸を抜くことが出来ると聞いていたので何となく想像がつく。

 多分一生消えない傷が肩口に出来てしまったんだ。そうなると肩を出すドレスはもう着られない。


(……それでもさっきの夢に比べれば何てことない)


 異性に見せられない傷を負おうが、ニ度目の婚約破棄することになろうが、最悪この時代ならば教会でひっそりと民の為に余生を過ごせる。転生前のような残忍な苦しみを味わうことは無い。


「死ぬよりはマシです。今はこうして生きていられるのですから」


 転生前の最期の記憶が戻った私の本心だった。


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