虜囚
流血表現や暴力表現があります。
苦手な方は閲覧にご注意ください。
マクシミリアン殿下に案内された部屋は、王太子のエドワード殿下のような洗練されすぎた部屋とは違い、好きな物を程よく集めたようなどこか朴訥とした印象があり、わたしには非常に居心地のいい部屋だった。
お花を摘みえ終えたわたしが戻ると、マクシミリアン殿下がメイドさんに紅茶の給仕を受けていた。
そのメイドさんが下がって、部屋に護衛の人が一人残るだけになると、殿下は無言で自分の前のソファの空いている場所を目で促し、わたしは恐る恐るそこへ座る。マクシミリアン殿下の正面は、思った以上に圧迫感なく座れた。
「私が大広間まで送ってやるから、少しだけ休憩に付き合え」
そうおっしゃってマクシミリアン殿下は紅茶を口にした。やはり王族というか、所作が綺麗だ。
いろいろな事情を聞かずにいてくださるので、わたしは否やもなく頷く。
ハッキリ言って、パーティーは疲れた。私より慣れているであろうマクシミリアン殿下も、崩れない姿勢ながらもどこかしんどそうだ。ぼんやりとその人の体調が見えるわたしには、殿下の魔力が少し淀んで見える。
「私は、兄上と違って、なかなか華やかな場に慣れないのだ」
ポツリと殿下が零す。特にわたしに答えは求めていないように見えたので、わたしは静かに頷くだけにした。本当に疲れているようで、周囲に心配を掛けまいと、一人パーティーを抜け出して休もうとしたのだと気付く。
エドワード殿下によく似た、でも少し癇が強そうに見える整ったお顔をしているが、マクシミリアン殿下はその実とても優しい方だと思う。わたしの微妙な立場を思って、行きたくもない会場へ送ってくださるとおっしゃっているのだ。
今王宮で囁かれている派閥争いは、本来マクシミリアン殿下の望むものではないのだろう。いろいろな人に守られた中でのわたしのお披露目でも、あれだけ気を遣うのだ。敵味方の派閥の動きや立ち回りの必要な殿下の気苦労は、呑気なわたしでさえも察して余りある。
ふと思いつく。わたしの力で、少しくらいは殿下のお疲れを癒せないか?
「殿下。差し出がましいようですが、もしご不快でなければ、わたしの治癒をお受けになりませんか? 大した効果はないかもしれませんが」
わたしの言葉が意外だったのか、殿下は少し驚いたように目をパチクリとしたが、少し目を伏せるようにして「頼む」と言った。こんなわたしに頼むほど心労が深いのかも。
遠隔では出来ないので、殿下の近くに寄ろうとすると、殿下の後ろに控えた護衛の騎士さんが少し身動きする。それを殿下は手で制すると、騎士さんは後ろへ下がった。以心伝心なやり取りに、多分、殿下の腹心のような人だと思うが、わたしに一瞬「下手なことをすればどうなるか分かっているな」という無言の強い視線を送ってきた。もちろん、殿下には指一本触れませんとも!
殿下のすぐ近くに跪くと、そっと殿下の肩の辺りに手を伸ばす。そして、「疲れよ取れろ~」と念じながら治癒の力を使う。
最近強くなったとは言っても、イライアスさんを治した時は火事場の馬鹿力だったようで、殿下の不調はゆっくりとしか癒せなかった。それでも一分ほど唸っていると、段々殿下の魔力の色が澄んでくる。
でも、何かがおかしい。
最後の方、わたしの手から伝わる治癒が、何かに弾かれるような感覚が、ほんの僅かだが感じられた。殿下を良く見ると、何か魔力の濁りとは違う、不快なものを感じた。
まるで、イライアスさんの呪いを浄化したときのような……。
「……おい! ノア・アシュベリー! 返事をしろ!」
「うわ!」
ずっと遠くから声が聞こえるな、と思っていたら、急に肩を揺さぶられた。
「大丈夫か?」
「あ、殿下。申し訳ございません。ボーっとしておりました」
気付けば、案外近くに殿下のお顔があった。
何度か目を瞬いて正気付くと、殿下が少し気まずそうに目を逸らした。
「いや、いい。それより随分と楽になった。礼を言う」
「もったいないお言葉です」
ぶっきらぼうに言うが、殿下のお顔にもほんのり血の気が戻ったので、わたしは安心して少し微笑んでしまった。
ただ、先ほどの違和感を放っておくのは良くない予感がして、わたしは殿下に声を小さくして尋ねた。
「殿下。最近御不調はございませんか? 少し気になることが」
瘴気はたまに、魔物を討伐した際に人に移る時がある。ただそれは、イライアスさんのような呪いを受けたり、瘴気に乗っ取られて魔物化したりするのでなければすぐに消えてしまうものだと、以前第二分隊の副隊長のイヴリンさんに聞いたことがある。長くても、少し風邪を引いたような不調がある程度だと。
だけど、王宮の魔物除けの結界に守られた殿下から、その微細な瘴気を感じるというのはおかしなことだった。ただ、この場で言ってもいいものか分からないため、言葉を濁す。
そんなわたしに気付いたのか、マクシミリアン殿下は頷いた。
「ここには信用できる者だけだ。申してみよ」
ふと後ろに控える騎士さんに視線をやって、殿下が力強く言う。やはり信頼関係にある人のようで良かった。
「最近、瘴気に侵された場所へ行ったり、魔物と対峙されたりしたことは?」
「どういうことだ?」
「非常に微細ですが、殿下から瘴気の名残のようなものが」
殿下はわたしの言葉を笑わなかった。多分わたしが、瘴気を感知し浄化できることを御存知なんだと思う。公にはしていないが、多分上層部には知らせがいっているはずだ。
殿下はしばらく考え込んでいたようだが、何かを思いついたのか、先ほど下がらせた護衛の騎士さんを呼んだ。
「私の護衛騎士のジョエルだ。この者からはその気は感じるか?」
そう紹介された騎士さんは、アレクさんよりも背が高くて、貴族らしく整ってはいるが切れ長の目が物凄く冷たく感じる人だ。
殿下が信用している人なので悪い人ではないようだが、わたしはちょっとビクビクしながら、「失礼しまぁす」と言ってから、少し濁りが見える左腕にそっと手を翳した。
殿下とは違った濁りで、不調ではなく古傷のように感じたが、わたしが治癒を流すとその濁りが消えた。その間、わたしはあの瘴気っぽい気配がないか探るが、ジョエルさんからは何も感じなかった。その当のジョエルさんは、左手を握ったり開いたりしている。
「この方は大丈夫です」
「そうか」
殿下はかなり大きなため息を吐いた。恐らくジョエルさんは殿下にとって大切な人で、影響がないことに安堵したようだった。だけど、何故かすぐに難しい顔になる。
そして、何かに思い当たったのか、青い目をわたしに向けた。
「ノア・アシュベリー、頼みがある。少し面倒を掛けるかもしれないが、ある方も同じように見てほしいのだ」
今すぐではないのだが、と前置きして殿下がわたしに頼む。
もはや公開したも同然の公然の秘密だが、わたしはエドワード殿下が後見だ。いくら本人にその意思がなくても、そのエドワード殿下の敵対派閥であるマクシミリアン殿下の依頼を大っぴらに聞いていいものか、わたし一人でこの場で判断を下すわけにはいかなかった。
特に、殿下が「ある方」と丁寧に呼ばれるような身分の方と関わるとすれば尚更。
「確認してみますので、お時間をいただけますか? できるだけ迅速に対応しますが」
「うん。それでいい。すまないな」
マクシミリアン殿下は、確かわたしより二つほど年上だったか。だが、そのお年でわたしが慮ることもできないほど、たくさんの苦悩を抱えているように見えた。
その殿下が疲れたように目を閉じると、部屋の扉がノックされた。
「誰だ」
「ボードワンです」
殿下は居住まいを正して、声の主に入るように命じる。わたしは遠慮した方がいいか迷って立ち上がろうとしたが、殿下に目で制される。わたしの背後で足音が止まった。
「この者は大丈夫だ。そのまま話せ。何用だ」
殿下が、侍従の人だと思われる人に話しかけるが、わたしに聞かれても構わないという姿勢で言われ、信用されているようで、どこかこそばゆい感じになる。本当に大したことない話かもしれないけどね。
それでも反応に困り、少し肩身の狭い思いをしていると、ボードワンと名乗った侍従っぽい人が殿下に近付いた。思わずわたしはどんな人かチラッと視線を向けた。
その瞬間、わたしの背筋を得体の知れない戦慄が走った。反射的にその侍従を見上げると、その姿に絶句する。
「殿下、お目通り願いたいという方がお見えです」
「何? このような時に、いったい誰だ」
殿下は違和感なく話しているが、わたしは震える唇をグッと抑えて遮るように言う。
「殿下。その方、どなたですか?」
急に口を挟んだわたしを訝し気に殿下が見るが、わたしが震えているのに気付いて、ハッと目を見開いた。
「その方、顔が瘴気で見えません!」
わたしの悲鳴のような声と共に、ジョエルさんが殿下と侍従に割って入るように動くが、すぐに「ぐう」と唸りながら膝を突いた。一瞬の隙に、ジョエルさんの全身が瘴気の蔓のようなもので拘束されてしまったのだ。
「ボードワン! そなたどういうつもり……」
「殿下?」
怒りに声を震わせる殿下は、ジョエルさんが作ってくれた隙に、わたしを引きずって相手から距離を取って背中に庇ってくれた。だが、問いかける殿下の声が小さくなっていくので、思わず殿下を見上げる。
「……そなた、いったい誰だ?」
茫然とした殿下の声が聞こえた。
元々ボードワンという人間は存在していないようだった。それなのに殿下もジョエルさんも、入室の時に違和感なく受け入れていた。わたしはゾッとした。
瘴気に埋もれたこの人間は、人の意識に干渉できるのだ。
その瘴気の塊は、顔らしき部分も真っ黒なはずなのに、何故か笑ったのが分かった。それが、イライアスさんの呪いと同じく、悪意に満ちたものだと理解した。
「殿下、お時間です。参りましょう」
「どういうことだ」
瘴気の塊は、丁寧な口調で言いながら、殿下の問いに答えずに手を動かす。すると部屋の扉が開いて、数人の黒づくめの男たちが入ってきた。
殿下が更にわたしを背中に隠してくれたが、一瞬だけ入ってきた人の顔が見えた。
なんであの人がいるの?
「殿下、計画が変わりました。我らと共にお越しください」
そう言った先頭の男の人の声は、やっぱりわたしの知る人のものだった。
「セドリックさん!」
わたしが思わずその人の名前を呼ぶと、一斉にその場全員の目がわたしに向いた。
「……ノア。何故ここに……」
突然のことに、さすがのセドリックさんも思考が追い付かないのか、茫然と言う。
「おや、困りましたね。こんなところで知り合いがいるとは。可愛そうですが、この方も護衛殿と一緒に死んでもらいましょう」
困ったと言いながら、どこか楽し気に瘴気の塊は告げた。その声に、セドリックさん以外の男たちの持っている剣が、ジョエルさんとわたしに向いた。
「やめ……」
「やめろ!!」
セドリックさんが何かを言いかけたと思ったが、それに被せるように殿下が制止した。そして、訳の分からない集団に向かって一歩踏み出す。
「そなたたちの目的は私だろう。この二人に手出しをしなければ、そなたたちの思惑通りに動いてやろう」
殿下は、自分の身を賭けてわたしたちを助けるつもりだ。
口を塞がれて声の出ないジョエルさんが激しく身を動かすのを見て、瘴気の塊がまた手を動かすと、ジョエルさんを拘束していた蔓のようなものが、鋭くその腹部を刺した。ジョエルさんのくぐもった声が聞こえ、床に膝を突いてしまった。蔓が離れると、そこから血が流れ出す。
「ジョエル! 貴様、私は大人しく言うことを聞くと言っただろう!」
殿下が焦燥に駆られた声で叫ぶ。だが、それを瘴気の塊は笑っていなした。
「ええ。ですが、私は確実な安心が欲しいのですよ。彼が生きるか死ぬかは殿下に掛かっております。彼の血を止めるも、更に流すのも容易いことですから」
そう言って瘴気の塊は、もう一度ジョエルさんの同じ場所を蔓で刺した。わたしは悲鳴を上げることもできずに、ただジョエルさんが先ほどよりも苦し気な声を漏らして倒れる音を聞くことしかできなかった。
確かにジョエルさんの傷口からの血は止まった。でも、こんな残酷な方法を取るのは、明らかに殿下の意思を挫くためだ。
「……分かった。決して逆らわぬ。好きにせよ」
殿下の言葉に、ジョエルさんは絶望するような視線を向けた。床に倒れながらも微かに首を振るが、それから目を逸らして殿下は瘴気の塊を睨んだ。
「物分かりがよろしいようで。では、そちらの方はいかがしましょうか」
次にわたしにその視線が向いた。殿下が咄嗟にその視線からわたしを隠そうしたが、急にわたしの体は別の方向に引き寄せられた。
「この者を傷付けると、グリフォンの制裁を受けるぞ」
セドリックさんがわたしを片手で抱き寄せ、瘴気の塊に向かって言った。
「ほう。この者があの契約者か。ふむ、確かに殺すのは得策ではないな」
「俺に考えがある。このまま連れて行く」
感情を一切削ぎ落した声で、セドリックさんが瘴気の塊に告げる。
「なるほど。まあ、あなたの方が契約者について詳しいようですからお任せしましょう」
くくく、と嫌な笑い方をしながらわたしを見る瘴気の塊から目を逸らすと、セドリックさんは拘束しているのと逆の手でわたしの頬を撫でた後、首筋を覆うように手を当てた。
「ノア。すまない」
わたしにだけ聞こえるような微かな声で囁くと、次の瞬間、バチッという音と共に、全身を貫くような痛みが走り、目の前が暗くなる。
薄れる意識の最後に見たのは、セドリックさんのわたしを静かに見つめる紫色の瞳だった。
いやー! シリアス!
どうぞ、作者の心臓が止まらないよう見守ってください!




