第二王子 4
キーワード:袖
わたしの袖を持って走り去るマクシミリアン殿下。そんな殿下を呆然と見送るわたし。
袖は返してほしい、と虚しい願いが脳裏をかすめた。
再び泣きたくなるわたしを、エドワード様は頭を軽く撫でて言った。今度は従魔契約の時のような、虚無を感じるような撫で方ではない。意外と丁寧な手つきだった。
「マックスはね、いい子なんだよ。ただ、優しすぎて、周囲に自分を合わせ過ぎてしまうんだ」
突然始まった話だったが、驚きよりもストンと言葉が胸に落ちた。
初めてエドワード様を普通の人だと思った。その目はマクシミリアン殿下が去っていった方向を見ていたが、間違いなく弟を思う兄の目に見えたから。
そして、エドワード様の言いたいことも分かった。
マクシミリアン殿下は、確かに優しい。ぽってり腹にも言いたい放題させていたのも、わたしをさりげなく(?)助けようとしてくれたのも、きっと殿下の優しさだと思う。
それを無理に尊大な口調で隠そうとしているのだが、きっとそれは厳然とした王子たることを自分に課しているためだろうと思われた。
世間で言われている派閥争いが本当にあるのか疑わしいほど、エドワード様の声は優しかった。わたしは自然とエドワード様に頷くことができた。
それを見たエドワード様のお顔には、見たことが無いくらい自然な微笑みが浮かんでいた。
「ノア。もし、何かマックス絡みで嫌なことがあっても、それはあの子のせいではないと信じて欲しい」
何故今、そのことを言うのか分からなかったが、わたしに否やのはずもなかった。
「はい」
わたしが返事をすると、今度はいつもの表面紳士の笑顔に戻った。
「ノアも私とおしゃべりを許してくれるようで嬉しいよ」
「……あ」
しまった。なんやかんやで絆されて、エドワード様と口きかないと言ったのを忘れていた。
でもしょうがない。弟思いのお兄さんに免じて、今日は一先ず無かったことにしてあげよう。
「アレク。悪いが、ノアを宿舎まで送って行ってくれないか?」
「承知いたしました」
「では後を頼む。ノアも悪かったな」
アレクさんが頭を下げると、エドワード様はもう用がないとばかりに、マクシミリアン殿下と同じ方向へ歩いて行った。
その右手には、わたしの上着の袖があった。
あの、謝罪よりも袖を返してほしいんですが、本当に。
声を掛けそびれたわたしに気付いたのか、アレクさんが苦笑しながらわたしの背に手を添えた。
「俺から殿下には言っておく」
「……重ね重ねすみません」
「いや、こちらこそ済まなかったな。だが、お二人ともあんなになりふり構わずに相手に声を上げたのは、本当に久しぶりだったんだ。だから、お前には悪いと思うが、殿下と同じく俺も嬉しかった」
アレクさんの青い目が細められて、すでに姿の見えないエドワード様の背中が見えているかのようだった。
アレクさんはエドワード様と幼馴染というから、おそらくマクシミリアン殿下とも旧知の仲なのだろう。その時には既に今のような状態であったか、その頃は今よりも親しいものであったかは分からないが、アレクさんの様子から悪い関係では無かったと思われる。
お二人にはそれぞれ背負うものがあり、派閥争いという自分の意思だけではままならない境遇になったのだと思うが、そんなしがらみが無ければお二人の距離はきっと、普通の兄弟のように近しいものだったに違いない。
そう思うと、少しエドワード様の意地悪も切ないものに感じる。弟君との繋がりを、無理にでも作ろうとしていたのかもしれない。
「まあ、エドワード殿下の弟いじめは真性だがな」
……ちょっといい話っぽかったのに、台無しです、アレクさん。
アレクさんは、結構容赦の無いことを言うことに最近気付いた。だけどそれも今回は、わたしの気持ちが下降しそうだったのを察してのことだと分かる。その証拠に、わたしの気持ちは見事に浮上したから。
でも、アレクさんの言葉は、容赦の無いものだとしても、いつでもそれに嘘は無くて、その相手への情が明確なので、決して誰かを傷付けることは無いのが凄い所だ。そういうのって、いったいどこで学ぶんだろう。
わたしは可笑しくて忍び笑いを漏らすと、アレクさんも苦笑する。
「今の俺が言ったことは、内緒にしてほしい」
「了解です」
密かな共犯になったかのようで、楽しくなった。笑い合ううちに、アレクさんが最近とみに板についた聖母の笑みを不意にわたしに向けた。
「ノア。今度の休みに、一緒に街へ行かないか?」
「へ?」
突然の言葉に、何だか変な声を上げてしまった。
聞き違いでなければ、二人で街に遊びに行こうと誘われているような。セドリックさんのように、宴会要員ではないよね?
「ノアには、睡眠の事でも世話になっているし、何かお礼をしたいとずっと思っていた。今回のことでも詫びなければならないしな」
はぁ、びっくりした。ただのお礼か。
ただのお礼っていうのも失礼だけど、一瞬ドキッとしてしまったから、普通の理由で良かったと思う。意識してしまったら、アレクさんのことをまともに見られない気がする。
「い、いえ、お礼なんていりません。わたしはお昼寝にお付き合いしてるだけですし、それに今回のこと(袖)は、アレクさんは何も悪くないじゃないですか」
わたしは気を取り直して遠慮するが、アレクさんは少しバツが悪そうに、いつもは凛々しい眉を下げた。
「実は、あのやり取りが面白くて、袖が破けるまで傍観していた」
「……有罪ですね」
「それなら謝罪として受け取ってくれ」
わたしが苦しんでいる時に、その後ろでその様子を鑑賞していたとなれば、殿下たちと同罪です。
まあ、そういうことなら、お詫びも受け入れよう。そう言うと、アレクさんは少し恥じ入るようにわたしに言った。
「俺は、イライアスやセドリックのように気の利いた物を選ぶことが出来ないから、一緒に詫びの品を選んでくれると助かる」
本当にこの人は、たまにわたしの心臓を本気で止めようとしているのではないかと疑う。大人の男の人が、こんなに素直でいいのだろうか。
あの二人は、確かに趣味はいいけど、贈られるわたしの事を一切考慮しないので、その時点で気が利いているかは謎だ。
だけどそれで納得した。そういうことなら、遠慮なくアレクさんと街に出よう。本当はお詫びの品なんていらないけど、初対面のヴィクター君とだってあれだけ楽しかったのだから、きっとアレクさんと出かける街は何も無くてもワクワクすることだろう。
「はい。では三日後の休みでいいですか?」
「そうだな。ありがとう、ノア」
「そんな。こちらこそありがとうございます。楽しみですね」
わたしが心からそう言うと、アレクさんの青い目が楽し気に細められた。
「ああ、そうだな」
その声に偽りがないと分かるから、わたしはただただ嬉しく思った。
わたしはその時は、とても軽やかな気持ちでアレクさんと帰ったのだが、この回廊での出来事が後に、良縁を結びたい相手同士が袖を引きちぎり合い、それを互いに持つと御利益があると言う「縁結び回廊」と呼ばれることになろうとは、思いも寄らなかったのである。
ちなみに、後日お詫びとしてエドワード様からは袖を通すのを躊躇うような高級服が五着届いた。それはそっとクローゼットの中に封印した。
マクシミリアン殿下からも従者を通して、紅茶の高級茶葉セットが届いた。
兄と弟。どちらが出来た人間か、遠い目をして心の中だけで思うのだった。
ノアの袖は、このサブタイトルの真の主役です。いい仕事しました。
アレク、他の濃い面々の影に隠れ気味だったけど、知らぬうちに頭角を現すヤツ。
作為が無いだけに、油断ならぬ。




