挿話 ヴィクターの言い訳
イライアスの呪いを解いた後、ひと月くらい経った時間軸です。
ヴィクターが少々血迷ってます。
ヴィクターは、“ヴィクター”と名乗る以前から気配を殺すのが得意だった。
それは、掃き溜めのような生まれ育った場所で、自分の容姿が人目につかないようにするために、否応なしに身に付いたものだった。
それをノアは、まるで息をするかのような当たり前さで看破する。
グリフォンの事件の時から、ノアは頻繁にヴィクターの姿を見つける。エドワードからノアを観察するよう言いつけられているのもあるが、用事の無い廊下ではすれ違っても気付かないのに、監視している時は必ずと言っていいほどヴィクターを見つける。
そして、決まって菓子を押し付ける。
間違いなく子ども扱いしているのもひどく腹が立つが、それよりも何故いつも菓子を持っているのかがもはや謎だった。
ある日、ヴィクターはノアの部屋へ忍び込んだ。エドワードから、夜中に本当に少女に戻るのかを確認してくるよう、指示があったためだった。
ノアはベッドに仰向けで寝ていた。
寝入る前まで本を読んでいたのか、枕元には小さな本が投げ出されている。何とかいう市井で人気の冒険小説のようだ。イライアスが以前持っていたものだ。
ナイトテーブルのランプは既に油が切れているのか灯りは付いていなかったけれど、カーテンの隙間から差し込む月明かりが薄くノアを照らしていた。
ヴィクターは気配を殺してノアに近付き、その姿を確認する。
顔は昼間より頬が少し丸みを帯び、喉ぼとけの無い滑らかな喉に、緩い夜着の襟元からは華奢な鎖骨が見える。そして上掛けが外れた上半身には、淡くはあるが確かに膨らみがあり、深い呼吸に合わせて上下していた。
深く眠るノアに、もっと観察しようと近寄る。あまり変化は無いように見えるが、小さく華奢になっていて、おそらく少女へと変貌しているのに間違いない。
柔らかい色彩の髪に、無意識に手を伸ばしていた。慌ててその手を引くが、ヴィクターは理解不能な衝動に駆られる。
監視対象に触れたいなど、こんなことはあり得ない。そう思うが、昼間のノアと何が違うのか確かめたかった。
顔を近づけると、風呂の石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。
ヴィクターはハッとなって身体を起こす。
僕は今、いったい何をしようとしていたのか。
馬鹿な、この僕が監視対象に個人的な興味を持つなんて。
いや、こいつはこれまで誰にも起きたことのない不思議現象に掛かっているんだ。そんな珍しい人間に興味を持つのは不思議じゃない。
そう自分に言い聞かせるように一人言い訳をしていた。
ヴィクターは、急いで寝台を離れようとしたが、不意にノアが動く気配がした。どうやら寝返りを打ちたいらしい。
「……アレクさん」
ガンと頭を殴られたような気がした。
今、ノアは誰の名を呼んだ?
うーん、と寝苦しそうに唸って横を向いたノアに、ヴィクターは激しい視線をやる。
ノアがアレクシスに懐いているのは知っている。雛鳥が親鳥を慕うように、後を追いかけていく姿も幾度も見かけた。
だからといって、夢にまで見るような関係だとは思っていなかったのだ。
また無意識にノアに手を伸ばした。ふと気付くと、その手は小さく震えている。
自分の感情が制御できない。このままでは気配に聡いノアは気付いてしまう。
それでも固まったまま動けないヴィクターは、ノアを凝視していた。
「顔に布を乗せて寝てはダメです」
寝言なのか疑うほどはっきりとした言葉が聞こえた。それと同時に大きく脱力する。
ノアは、アレクシスが恋しくて名を呼んだのではないようだった。寝苦しそうな様子で、夢の中でまで眉間にしわを寄せながら苦言を呈しているようだ。ヴィクターは、笑い出したい衝動に駆られる。
それから二人ばかりに夢の中でお小言を言っており、満足したのか、眉間のしわも取れた。もうこれ以上観察を続けていると、いつか噴き出してしまいそうだと思い、部屋を去ろうとした。
「ヴィクター君」
ドキリと心臓が跳ねた。まさかバレたのか、とヴィクターは戦々恐々とする。
振り返ると、ノアは変わらずそこに眠っていた。
もしかして、僕のことを……。
ヴィクターは先ほどの動悸とは違う鼓動を感じていた。体温が思わず上がる。
「これを食べて大きくな~れ」
久し振りに全力で殺意が湧いた。確かに無性時のノアよりヴィクターの背は若干低いし、アレクシスのように筋肉が付かない。その劣等感を表に出さないようにしていたのに、ノアは簡単に抉ってくる。
ヴィクターは劣悪な幼少期の環境から、人より幾分発育が悪い。他人の油断を誘うこの容姿は仕事上有利になることも多いので自分の特性として受け止めてきたが、今この時は、何故か男として大切な何かが崩れていくような気がしたのだ。
「ノア、覚えていろ」
とうとうヴィクターは仕事の鉄則を破って、ノアの耳に囁いた。自分でも驚くほどヴィクターの声は低くかった。
ノアの眉間の皺がグッと深くなる。それを小気味よさそうに見下ろしてからヴィクターはノアの部屋を後にした。
ある昼下がり、ヴィクターは偶然そこを通りかかった。
騎士団の宿舎から植物園という魔境の間にある楡の木の側だ。
木陰に二人分の影があった。目を凝らさずともそれが誰か分かる。
そのうちの一人がヴィクターに気付き手を振って来た。もう一人は地面に寝転がりピクリとも動く気配がない。
知らず知らずのうちに、ヴィクターは自分の眉間が寄せられていたのに気づいた。
「何してるの、こんなところで」
ヴィクターが問うと、手を振った影……ノアが、人差し指を自分の唇に当てた。
視線を送ると、もう一つの影、アレクシスが気持ちよさそうにノアに触れるか触れないかの距離で眠っていた。その二人の近しい距離感を、何とも不愉快な気持ちでヴィクターは眺める。
そんな心の内など知らないノアは、暢気に自分の隣の地面を叩いて、ヴィクターに座れと示してきた。ヴィクターは一瞬何かを言いかけたが、止めて大人しく座る。
ノアはそんなヴィクターの様子に気付かず、いつものようにポケットからお菓子を取り出し、ヴィクターに差し出してきた。
「ヴィクター君、これあげる」
アレクシスを起こさぬよう小声で言うノアに、ヴィクターはつい先日のノアの寝言を思い出し、気持ちがざわざわと揺れ出した。
男にしては随分と繊細なノアの指先に摘ままれていたのは、いつもヴィクターにくれる甘さを控えたクッキーだった。いつかヴィクター自身がノアに、甘い菓子が苦手と言ってからヴィクターのために用意されるものだ。
ヴィクターは、数秒そのクッキーを睨んでいたが、不意にノアの手を掴んだ。
「ヴィクター君?」
不思議そうな声を上げるノアが再び何かを言う前に、ヴィクターはクッキーをノアの指先ごと噛みつくように口に入れた。そして軽く指先を噛む。
「ごちそうさま」
大きく見開かれた茶色の瞳がヴィクターを凝視する。いや、固まってしまったといった方が正確か。意識があるかすら怪しいものだ。
これでノアは、僕を子供扱いしないだろう。
ノアに年下ということで侮らせないよう必要な行動だとヴィクターは思っていた。
今度僕を子供扱いしたら、今以上の報復をしなくてはならない。
僕を一人前の男として認めるまで、許してあげないからね。
ノアにとってヴィクター君の位置が餌付け感覚。
本人に悪気は無いです。
ヴィクター君はこの作品の中でS度ランキング上位ですね。
1位が殿下、2位がパパ、3位がシェリル、4位がヴィクター君です。ちなみに5位は同率でセドリックとノエルです。
さて、いよいよここですべてのストックが無くなりまして、再び書き溜めます。
前回は連休に当たったので間が空きませんでしたが、今度はちょっと空いてしまうかもしれません。
次回は、いよいよあの人が王都に来る、……のか?
活動報告でも近況をお知らせしますので、また閲覧よろしくお願いします。




