騎士の独白(敬愛)
流血表現があります。
ノア視点のものより更に痛い描写になっています。
文字数の多い回になりましたが、一話としてまとめました。
次の日、朝から廊下が騒がしいので見て見ると、ノアとセドリックがじゃれ合っている。ノアはセドリックを邪険にしているが、その実意外とそのやり取りは気が合うようだった。
私が声を掛けると、面白いほどノアが動揺する。
私が貸した東洋の伝記に伝わる「侍」の逸話に触発され、珍妙な行動を取る。見ていて本当に飽きない娘だ。
取りあえず、冷たい視線のセドリックに説明すべく、ノアを引きずって管理人室へ入る。
セドリックもノアの事を気に入っていることは知っているから、何事があったかいくらか察しているセドリックに、未遂であったことを伝えておく。
少し面白くなさそうだったが、ある程度事情が想像できたらしく、ちょっと同情的になって逆に慰められた。
管理人室のソファに着いて全て説明すると、物言いたげなセドリックの顔があった。というか、遠慮なしに物申された。「不能」のくだりには腹が立ったが、ほぼ事実どおりなのでぐうの音も出ない。
それに、あの時自分がノアにしようとしていたことは、魔が差したとはいえ、はっきりと最低の部類だった自覚があるので、もう頭が上がらない。
とにもかくにも、解呪についてセドリックの協力を取り付けることが出来た。
午後になって、準備が整ったと連絡があった。流石というか、仕事が早い。
九時ということなので、食事を取って身支度を整えてから出かけることにした。
外に出ようとすると、ちょうどノアと玄関で行き会ったので、共に魔術師棟へ向かうことにした。最初は少しぎこちなかったが、ルナのお陰で普通の雰囲気を取り戻せたように思う。
道すがら、ノアが昨夜の私に対するのとは違う緊張を抱いているのを感じた。
聞けば、解呪が成功しなかった時の責任を感じているようだった。まるでこれからの私の人生が、自分のせいで駄目になるのではと思っているようだ。
そこまで私のことを考えていると思うと、少しらしくもなくにやけてしまうが、そんな自分と臆病なノアを軽く笑い飛ばした。
私の行動が意外だったのか、驚いた様子だったので、ノアのお陰でいろいろなことを吹っ切れたことを伝えた。そして、それに感謝していることを。
ノアは自分がどれだけ私に影響を与えたか分かっていないと思うが、私が確実に前向きになったことを感じて、破顔して喜んでくれた。
不意にまた私は欲が出てきた。
アレクやセドリックは親し気に名を呼ぶが、私はいつまで経っても「補佐官さん」のままだった。それも可愛らしくはあるが、どうせなら私も名で呼ばれたかった。「補佐官」は替えの利く役職であるが、「イライアス」はただ一人なのだ。
「私の事も名前で呼んでほしいな」
そう告げると、ノアは真っ赤になって、変な返事をした。しばらくはその顔を思い出すだけで満足できそうだった。
魔術師棟に着くとセドリックに出迎えられ、医務室には既にオルグレン団長が準備を終えて待機していたようだ。この人は、魔術師の最高峰というだけでなく、信頼に足る先達だと敬意が自然と湧く人だった。
魔術の叡智の結晶のような団長ですら、ノアの試みは未知数だという。その団長の検証の結果、懸念がある事項を知らされる。それはノアに危険が及ぶことだった。
私が何のために騎士たらんとするか、その根底がノアであるのに、当のノアを犠牲にするなど本末転倒、いや言語道断の行いとしか言いようがなかった。
注意されて初めてノアの手を握っていたことに気付くほど、私は恐ろしかったのだと思う。ここに来て、ノアを傷付けることの恐ろしさが、急に身に迫って来たのだ。
それを理由に解呪を拒もうとすると、セドリックに何のための自分たちなのかと叱責されてしまった。自分たちが万が一にもノアを傷付けるようなことをするものか、と。
それを追い風にノアも奮起する。怖くないかと訪ねれば、随分威勢のいい返事が返って来た。そんな漢気を見せるノアに、私が応えないのは恥ずべきことだと思い直す。
私もノアも、ただ一人で困難に立ち向かう訳ではない。
そのことが、これまで一人で呪いと戦っていたつもりの私には、ひどく眩しくて心強かった。
いよいよ解呪を試す時が来た。私は左足の裾を腿まで上げてベッドに横たわるが、それを見てノアが気まずそうにしている。たったこれだけの露出でたじろぐのは、男の免疫が出来ていないからだろう。そんな所まで愛らしく感じるのだから、私もどうかしている。
ノアが集中し始めた。
不意にノアが手を私の膝に置く。と途端に、皮膚を虫が這いずるような感触がして、一瞬身を固くした。呪いがノアに反応していることを、これほど直に感じるとは思わなかった。
次第にノアは更に深く集中していく。急に、ノアが何かを掴む仕草をした。
「呪いが、見えました。まだお腹の辺りですが、心臓を目指して伸びています」
その言葉に恐怖以外の何が当てはまっただろうか。
私に掛かった呪いは、膝を壊し、足を動かなくするだけのものではなかったというのか。
思えば、あの異様な倦怠感の他にも、全身を覆う痛みがあった。それは精神的な不調や膝を庇った生活から来るものと思っていたが、日増しに感じる痛みはこれだったのか。
セドリックらも同じだったのか、絶句して私を見る。その表情には、理不尽への怒りがあった。
私が対峙した魔物は、途轍もなく強大だった。大きなイヌ科の獣のような魔物で、たまたま最後の刃を揮ったのが私だったが、あの手ごたえは仕留め損ねたように感じた。その後霧散したので周囲は討伐したと思っていたようだが、最後に私はヤツの声を聞いた。
クチオシイ。ニンゲンゴトキガ……。シニイタルマデ、クルシムガイイ。
地の底から染み出すような悪意の籠った言葉だった。気のせいだと思っていたが、それは間違いなく魔物の呪詛だったようだ。そして、それは未だに生きて、私が死ぬのを舌なめずりして待っているのだろう。
ならば、どれほどのことがあろうと抗ってやろうと思った。
ノアの雰囲気がまた変わる。ノアの掌から火花が爆ぜたと思ったら、手の一振りでそれが消滅した。セドリックの魔術諸共、呪いの抵抗を消滅させたらしい。セドリックが驚愕していたから、それはノアが放った力で間違いようだ。
それは一体どれほどの魔力で、どれほどの技術を持った技か分からないが、只人が容易に出来るものではないことが確かだ。
程なくして、ノアが動きを見せた。また何かを掴むような仕草をしたが、途端、私の膝から凄まじい痛みが迸った。思わず声に出すと、それに気付いたノアが術を止めようとしたので、続けるように頷いて見せる。
通常の解呪で被害者側が苦しむのは聞いたことが無い。それは、あの魔物の悪意を物語っているようだった。
であれば、何としてもこれに耐えてやろう。
それからは地獄の苦しみと言っていいかと思う。ノアが呪いを引きずり出す度に、足がねじ切れるような痛みや、呪いが届いていたと思われる臓腑が焼き尽くされるような苦痛が襲った。
堪え切れず、一度唇を噛み破ったようだったが、呪いの痛みの凄まじさに、そんな痛みなど無いに等しかった。
だが、ノアの集中を切らすことだけはすまいと声を押し殺す。
私の様子を見かねたのと、ノアに声を上げたのを知られたくないことを察して、セドリックが自分の上着を噛ませてくれた。
声も漏れず、歯を食いしばることが少し楽になるが、暴れ出さないよう私の身体を押さえるセドリックが泣き出しそうな顔をしているので、私は痛みの小休止にセドリックの頭を撫でて笑って見せた。
ノアと呪いの綱引きがあるようで、ノアの引く手が止まると痛みも止まった。そしてまたノアが呪いを吸収するとあの痛みが始まる。
痛みは、まるで解呪の術者に、私から止めてくれと懇願させることが目的のように思えた。
どこまでも低俗な呪いだ。呪いよ、お前の思い通りになどさせるものか。
どれくらい経っただろう。目が霞んで、シーツを握る手も力が入らない。あまりに強くシーツを掻いたので、幾枚か爪が剥がれている感触がする。恐らくシーツも血に塗れているだろう。
セドリックたちは、そんな私を治療することも出来ずにただ見守るしかなく、どれほど悔しい思いをしていることだろうかと慮る。
ふと、来る終わりの予感がする。私の中の呪いが、もう抵抗を無くしたのだ。
逆にノアを求めるように最後の欠片が飛び込んでいくのを感じた。それは、説明されずとも、ノアの優しさが呪いすら包んだのだと理解する。それほど、温かい、安らかな終わりだった。
私は大きな吐息を、セドリックの上着に吐き出した。
やがてノアが意識を取り戻し、セドリックが私の轡にしていた服を取り除いてくれた。それを見てノアは、私の身に起こったことを正確に把握したようだった。
少女に戻ったその大きな瞳に涙を溢れさせ、私に近寄ると私の頬を包み、震える指先で私の唇に触れた。途端に全身を温かい空気が包み、恐ろしいほど迅速に痛みが消えていった。
ノアは唇だけを治したと思っているようだが、剥がれた爪も噛みしめすぎて出血していた口内も、外れかかった関節も全て癒したのだ。
これほどの治癒を使えるとは聞いていなかった。それはさながら聖女級の魔法だ。
解呪も含めてどれほど自分が大それた偉業を成し遂げたか気付いてもいないノアは、そんなこととは知らずに私のために泣いている。何度も何度も「ごめんなさい」と呟き、目を真っ赤にして私を見つめていた。
胸に溢れる愛おしさを隠せず、私はノアの頬に手を伸ばした。私が「問題ない」と告げると、首に齧りつくかのように縋りついて来た。嗚咽を漏らすまいと我慢して震える背中が、押し付けられる柔らかな髪が、そしてその存在がすべて愛おしい。
私が感謝の意を述べると、ノアはそのまま眠ってしまった。疲れるのも無理はないだろう。
腕の中で眠るノアを抱き締め、もう頑張らなくてもいいだろうと、私も眠りに落ちた。
翌朝、起きればアレクが付き添ってくれていた。
ノアの看護に呼ばれたアディンセルについてきて、ノアを自室まで送ってくれたらしい。
相変わらずあまり多くを説明しないが、アレクの説明は簡潔で聞きやすい。
その過程で、アレクはノアが女性に戻ることを知ったらしいが、あまりに落ち着いているので、少し理不尽な気がした。
辺りを見回せば団長もセドリックも姿が見えず、聞けば一晩中後始末や各方面への説明に奔走していようだ。結局全てを任せて眠ってしまって、却って申し訳が無い気持ちになった。
起きれるかと訪ねられ、私は身を起こすと、信じられないくらい身体が軽かった。
血に塗れたシーツやシャツは替えられていて、それもアレクがやってくれたようだ。
もしかして、と思い、立ち上がってみると、昨夜まであった脚はもちろん全身の違和感がきれいさっぱり消えているのだ。
私は訝し気なアレクを引きずって寮に戻ると、まだ煮炊きが始まったばかりの食堂のご婦人たちに無理を言って軽食を用意してもらった。彼女らは快く私とアレクの分を作ってくれた。
それらを急いで掻き込んで、部屋で着替えると、またアレクを引きずって兵団の鍛錬場へ向かった。
鍛錬場の前室で訓練用の木剣を取ると、もう一本をアレクに渡し、軽い試合をやってもらう。
やはり呪いのあった空白期間は私を衰えさせていたが、アレクの鋭い剣を受け流し、こちらから斬り込んで踏み込む動作は身体に染み付いていたようだった。
何十本打ったか分からないが、私は息こそ切れたが、足が動かなくなることなく打ち合いを終えた。
呆然としていたが、アレクを見ると「おかえり」といって笑みをくれた。
私はある衝動に突き動かされて、アレクに「すまない」とだけ言い残すと、真っ直ぐ寮に向かって走り出した。
そう、私は今、走っているんだ。
見慣れた扉を開け、管理人室に辿り着くと、そのソファにはかの娘が座っていた。
「ノア!」
大きな声で呼ぶと、驚いて振り返るが安堵の表情を浮かべた。堪らずに私はノアへ近付く。
いくつか言葉を交わすが、私の様子を見て異変に気付いたようだった。
「え……まさか」
最後まで言わせず、私はノアの体を抱き締めていた。少年になっても華奢な身体は私の腕の中にすっぽりと納まってしまった。
「動いた。……走ったんだ、ここまで」
自分でも驚くほど、それはまるで年端もいかぬ子供のように、喜びを隠しきれない声だった。
恐る恐るノアの手が私の背中に回され、何かを噛みしめるかのようにシャツがギュッと握られた。
「……良かった」
ノアの震える声を聞き、もう溢れる愛おしさを抑えることが出来なかった。
華奢な背中がしなるほど強く抱きしめる。
ノア。ノア。
お前が私にもたらした奇跡は、きっとお前が思うものよりずっと尊い。
あれほどの奇跡を起こしたお前は、この先どんな運命が待ち受けるにしても、決して平坦な人生は歩めないだろう。
だが、お前のその無垢な瞳は失ってほしくない。私はその為になら、鉄壁の盾にもなるし悪鬼のごとき刃を揮うことも厭わない。そんなことをすれば、お前自身が心を痛めるだろうから、決して人道に悖ることはしないが、その覚悟だけはお前でも変えることは出来まい。
だから私は何度でも誓う。
お前の為の騎士となろう。
私は身体を離すとノアの涙に濡れた瞳が私を見つめていた。私はその頬を掌で包むと少し上向かせる。その途端に零れ落ちた涙の一滴すら惜しく、私はその涙を目じりから直接唇で掬い取った。驚いてノアは無防備で、それすらも微笑ましかった。
きっと何をされているか頭が混乱して分かっていないだろうノアの手を取り、私は自然と彼女の前に跪く。
そして尊いものを戴くように手を持ち上げると、その甲に口付けた。
手の甲への口付けは「敬愛」。
「我が永遠の敬愛を」
そして私の全てを。
貴女に捧ぐ。
「My lady」
最後は誤植ではありません。
それぞれの視点から見て、それぞれの捉え方を区別したかったのです。
ノアへのキスですが、ご存じの方も多いかと思いますが、手の甲へのキスは「敬愛」だとか。
いいのかなぁ。「どぅげざぁ」からの「はらきぃり」コンボきめようとするような人間に、「敬愛」を捧げて。
さて、活動報告ではちょっと書きましたが、本編のストックが無くなりました。
内容を整理する間、前に手慰みで書いてた挿話があったのを思い出しまして、次回はちょっと本筋を離れたお話を入れてみます。
サイラスとヴィクターの話です。
閲覧よろしくお願いします。




