騎士の独白(苦悩)
イライアス視点の回です。
グリフォンの調査隊の帰還と共にもたらされたのは、前例の無いグリフォンの従魔契約と、それを成したノアが女性であったという知らせだった。
アレクや第二分隊、寮の人間はそれを当然の如く受け入れていたが、私の胸の内には酷く重い鉛のようなものが痞えたかのようなわだかまりが出来た。
皆、ノアを囲んで楽し気に盛り上がり出したが、私は自分の不可解な感情を御せずに、一人部屋を後にした。
その夜、王宮に詰めている父から手紙が届いた。明後日、バロウズ家のタウンハウスへ戻るように、との指示だった。
それがどういう意味か分からぬほど、貴族社会を離れた訳では無い。
父が何を望むのか理解してしまった。そして同時に、先刻感じたあの胸のわだかまりの正体も。
こちらはノアを好ましく思っていたが、重大な秘密を打ち明けてもらえるほどの関係ではなかったと。
つまりはこれは、嫉妬だ。
異性だと分かった途端、それまで弟を面倒看るような気持ちであったのが、急に妙齢の女性であることを意識してしまった。
眠れぬ夜を過ごす。身体も気力を奪うような倦怠感に満ちている。
ノアの食事のおかげでかなり回復したが、それでもこの頃感じるようになった憂鬱な痛みが全身を覆っていて、余計に私の眠りを妨げる。空が白んできて、重い身体を無理矢理起こした。
身支度を整えた頃、私の部屋の戸を叩く音がした。続く声に、私は目を固く閉じた。
ノアだ。
彼女は馬鹿正直に私と向き合いたいという。
扉を開けると、真っ直ぐな目で私を見た。私を闇の淵から掬い上げた時と同じく、何の打算も作為も無い目で。
私は二日後にすべてを先送りにして、その日は仕事を片付けて、翌日から二日休みを取ることにした。そして翌日の昼に、バロウズ家のタウンハウスへ戻った。
突然の仕事があったようで父が忙しく、会わぬままにその日は一晩を明かした。父との話し合いが先送りになったことに、つまらぬ安堵を覚えていた。
しかし、そんな猶予は長くはなく、朝食の席でこの後書斎へ来るよう命じられた。
緊張で冷えた指で扉をノックすると、落ち着いた声に出迎えられる。書斎に入ると、王城ですれ違うことを除けば、実に数年ぶりに面と向かう父がいた。
王弟の父は、面差しはスチュワート陛下に似ているが、先王陛下似のスチュワート陛下よりもどちらかというと王太后陛下に似ていると思う。色彩も、プラチナブロンドと瑠璃色の瞳をお持ちの王太后陛下寄りだ。
私も他人からは父と似ていると言われることもあるが、私は間違いなく母の血統が色濃く出ている。母の青銀と濃紺の瞳は、父の色彩と交じり、こうして私の青灰の髪と紺青の瞳として表れている。
その父が、瑠璃色の瞳を私に向けた。
「その後身体はどうだ?」
「ご覧の通り、全快とは参りませんが、随分人間らしくなったと思います」
「……そうか」
勘当こそされてはいないが、呪いを受けた時ですら疎遠にしていたことから、ぎこちない空気が流れる。それは双方厭うての事ではなく、騎士団に残るという私の我を通した結果だから仕方の無い事であったが、些少ながら寂しさを覚えなくもない。
「して、そなたを呼びつけた理由だが……」
とうとうその時が来てしまったと、拳をグッと握る。
父はスチュワート陛下が立太子される前より、兄の臣籍に下ることを公言しており、王弟として公爵位を受けることもできたが、あっさりと侯爵家へ婿入りしたほど、権威には重きを置かない人だった。現王家を支えるため、戦をしない国を守るため、私欲無く必要な時に必要な行動を取れる人だからこそ、今回のグリフォンの従魔契約とノアの存在は、何とかして王家、それも王太子派の陣営へ引き込む手段があればそれを取ると思えた。
相対する第二王子派は、海運事業を主とする第二王妃の実家が植民地政策を掲げていて、内政充実を第一とする現王との意見が対立していた。エドワード殿下は、現王の施策に賛成の立場であり、無益な争いを招いてまで外洋に出る益を認めておらず、第二王子派はそんなエドワード殿下を排することも厭わない危険を孕んでいた。
だからこそ、父としては王太子派の土台を盤石にする手段は一つでも多い方が望ましく、そこには無論、王太子派のいずれかの令息との婚姻によるノアの囲い込みが含まれているだろう。
そして、騎士に返り咲けない私にも、まだ侯爵家子息としての利用価値が残っている。
そう、私とノアとの婚姻だ。
婚姻に際しては、性別の問題を解決しなければならないが、それこそ今は婚約だとて構わないはずだ。
恐らくノアは、誠意を尽くせば私との婚姻を受け入れるだろうと思う。十近く歳が離れているが、貴族の婚姻はそれほど奇異な歳の差でもない。それにノアの結婚観は、従兄のサイラス・アシュベリーとの破断でも分かるとおり、意外とあっさりとしたものだ。多少アレクやセドリックに好意が傾いていたとしても、未だ誰とも懇意ではないノアは、私を拒絶しないと思われた。それだけの信頼は築いていると自負している。
だが、それは同時に、ノアの未来を縛ることになる。
ノアを政治的に縛らないとスチュワート陛下は御名で名言なされたが、それには抜け穴がある。ノア自身が政治に不介入だとしても、婚姻により結ばれた関係は、自ずとその婚家に影響を与える。
そして、ノアとルナの持つ建国王以来の力の象徴たる従魔契約の威光は、全ての派閥の均衡を崩すだけの力があった。ただ、その存在だけで、ノアはこの国の趨勢を決めかねない位置にいるのだ。
だから、父の話はそういうことだと思っていた。
家名を捨てたとはいえ、恩義も家族への情も捨て去ることは出来ない。であれば、私の結婚がひいては家の為になるのなら、ノアを娶るために行動することは厭わない。
もっとも、他の令嬢との婚姻程度の効果なら願い下げだが。あくまで相手がノアであれば、の話だ。
そう考え、私は私の考えに愕然とした。
これでは、私の容姿と家柄を狙って近付く、私が嫌悪してきた女たちと変わりない、と。
同時に、彼女たちも、家や何かに縛られて起こした行動かもしれなかったと、今更ながらに気付いた。あまり褒められた行動ではなかったかもしれないが、あれほどに彼女らを否定する必要はなかったと思い至る。
硬い私の表情を見た父が、小さなため息をつく。それは、瞬き一つで肚の内を探られかねない政治の世界では好ましくないことで、家族の前でしか見せない姿だった。
「そなたは、かの娘に救われたと聞く。もし、そなた自身が娘を憎からず想うのなら、侯爵家を離れ、二人で家庭を築いてもいいのだ」
私は、頭を鉄槌で殴られたような衝撃を感じた。
父はただ、私の幸せを思って、それを知らせるために呼び寄せたのだ。元から父の高潔な生き方と、優しい心根を知っていたはずなのに、私こそが貴族社会にどっぷりと浸っていたことを思い知る。
ただそれで、私は気付く。侯爵子息としての私との婚姻は、否応なくノアと同時に私も政争に参入するということだ。それは我が家にも現王にも利益をもたらすだろうが、私が騎士として返り咲く余地も穏やかな家庭を持つ未来も犠牲にするものだった。
そして、私の中の天秤が嫌な音を立てて軋む。あれ程切望した騎士としての願いも全てを懸けたと思った誓いも、いざ「それでいいのか」と突き付けられると、これほど脆く揺らぐものだったのだ。
何と浅ましい。今、私は自分の事しか頭に無く、ノアでも家のことでも無く、自らの保身しか考えてなかった。
私は、乾いた笑いを滲ませながら、父を見る。
「私はあれ程の大言を吐いたにも関わらず、どうやら騎士を貫くことも、親不孝者になる覚悟も無かったようです。保身に捕らわれ、どの口で騎士などとほざくのか」
それは、この脚の呪いのせいで貫けなくなったものでもあるが、今まで吐いていた言葉は、身分を捨ててまで騎士道を貫こうとする自分に酔っていただけの見栄のような気がした。
今、私の心は、嵐に翻弄される水面に浮かんだ木の葉のようだった。
「父上。貴方は私に何を望みますか?」
羞恥心も捨てた醜い問いだった。この期に及んで父に選択を委ねようとしている。
父は二度目になるため息をつく。
「ただ、そなたの幸せを」
それは優しいようでいて、私へ選択を突き返す、私の甘えの一切を斬り捨てる言葉だった。
ただ、どうしようもない程その言葉は、父の誠であり、父を恨む気も起きなかった。
だが、わたしはまだ、選択できるだけ恵まれた立場だ。
アレクやセドリックは、否応なしにその立場にならざるを得ない人間だった。
それでも、選択がこれほど苦しいものとは思わなかった。
未だ喉に痞えたものを無理やり飲み下し、わたしは拳を握った。
「選択を委ねていただき、感謝いたします。必ず、私なりの答えを出しましょう」
私が一礼すると、父は痛まし気な表情をして頷いた。
私はこれ以上その顔を見ていたくなくて、急ぎ屋敷を出た。
彷徨い出るように私は街を歩いた。
貴族御用達の高級店舗の並ぶ区画で、雑多な人通りはなく、何とはなしにその店先の商品を眺めながら歩いていた。
ふと美しい色彩に目を惹かれ寄ってみると、それは美しい飴細工の店だった。
店に入ると、店主らしき男が応対をしたが、私が手を振ると大人しく引き下がる。押しつけがましくない、人の意を汲む良い店だと思った。
店内のガラスケースを覗くと、そこに、慎ましやかだが美しい小さな花が並んでいた。庶民には気軽に手を出せない菓子だが、侯爵子息が贈るにしてはあまりに安っぽいものだ。
多くの女は私がこれを贈れば形だけは喜ぶだろうが、もっと身分に相応しいものを選べなかったのかと、内心では侮蔑するだろう。
だが、あの娘は、私が誠意をもって選んだものであれば、例え泥がついたものであろうと喜んでくれるに違いないと確信する。きっと、この小さな花を、美しいと愛でるだろう。
そう、ノアとの婚姻自体を私は望んでいる。
政争に巻き込まれようと、ノアとなら笑い合える家庭が得られる気がするからだ。
包装を尋ねられ、少し躊躇した後、「友人へ」と告げると、店主は控えめに頷き、青く綺麗な紙で包装する。友人と伝えたにも関わらず、女性へ贈っても違和感の無い包み紙だった。
それを大事に受け取ると、再び寮を目指して歩く。膝はじくじくと痛むが、それがかえって思考を明瞭にするような気がした。
自分で、どちらへも天秤を傾ける決断が出来ないなら、多くの人間に利をもたらす方を選ぼう。例え、後ろ指を指されるようなことになろうとも。
そう自分に言い聞かせるように思った。
バロウズ侯爵は、自分の息子の身に起きた不幸の分、何とか息子には幸せになってもらいたいと考えています。イライアスはそんな父親だから、自分の夢を貫けなくなった今、バロウズという家に有益な人間になろうと考えました。その結果、どちらも捨てきれなくて、でもどちらも選べない、そんな状態となりました。そのジレンマを良く父は理解しています。
イライアスはノアのことは大切に思っていますが、貴族的な部分で、アシュベリーであれば国へ貢献せよ、と利用することも視野に入れています。ノブレス・オブリージュというのですかね。
はぁ、真面目がつらい。
全ては呪いが悪いのだ!




