呪いを解きましょう 6
流血表現があります。
いよいよ解呪を試す時が来た。
念のため、不測の事態を想定して、イライアスさんはベッドに横になってもらうことにした。そして異変に気付きやすいよう、裾を腿まで上げてもらう。はい、もうそれは目に毒ですとも。
わたしは鍛えられたイライアスさんの太腿への邪念を祓ってその左側に椅子を置いて座り、その真後ろにセドリックさんが陣取る。わたしを直接保護するのは、対人の魔法に強いセドリックさんらしい。確かに、あの姿くらまし解除の魔術を思うと、そんな感じがする。
その反対側に団長さんが立つ。ベッドを囲むように、半径二メートルを団長さんの結界で包み、部屋の外への衝撃を漏らさないようにするようだ。後、セドリックさん自身の保護と、セドリックさんに何かあった時の為に内側も補助するようだ。何て心強い。
定位置に就いたところを確認して、わたしはイライアスさんに集中する。
目を凝らし、イライアスさんの左足を見ると、膝の辺りに黒い靄が薄っすらと見えた。カトブレパスの魔石を覆っていた濁りに似た、不快な色だった。
そっと指を伸ばし、靄の中心に触れた。イライアスさんが少し身動きする。
わたしの視界が変化した。靄が徐々に明確な黒い線となり、イライアスさんの膝から上に向けて伸びているのが見えたのだ。まるで菌糸が根を張るように、イライアスさんの体を絡め取ろうとしているようだった。そして、その行き着く先は……。
「呪いが、見えました。まだお腹の辺りですが、心臓を目指して伸びています」
全員が絶句する気配がしたが、わたしは目を離すことは出来なかった。
それは緩慢に死に誘うものだった。
膝同様、いずれは臓器に緩やかに影響を及ぼし、最後には心臓を止めるのだろう。いや、イライアスさんが言わないだけで、既に影響は出ているかもしれない。
イライアスさんの騎士としての誇りを奪うだけでなく、厭らしく楽しむように徐々に命を奪うつもりなのだ。
他の呪いの形を見たことは無いが、断言できる。これは、絶命の刹那に放つ死にたくないという魂の叫びではなく、相手を苦しめてその様をあざ笑うかのような悪意を持った力だ。
こんなの許せるはずもなかった。
わたしは腹に力を入れ、起点である膝からその呪いの先端に触れると、僅かに掌が爆ぜるような感覚を引き起こす。
もしかしてこれが抵抗?
そっか、セドリックさんが抵抗の大部分を弱めてくれているのか。でもそのせいで、呪いの詳しい状況が読み取りにくかった。
「邪魔」
ピリピリとする感覚が煩わしかったが、消えろと念じるとそれは消え去った。
「な……!抵抗が消えた!」
背後からセドリックさんの驚いた声が聞こえたが、呪いの感触を掴みかけていてそれどころじゃなかった。
綱引きのような感覚で抵抗しているようだが、少しずつわたしの中に溶け込んでいくのを感じる。
「くっ」
ズルッと呪いが動くと、イライアスさんが息を詰める。痛みがあるようだ。その声にはわたしは躊躇してしまい、呪いが少しだけ元の位置に戻ってしまった。
「イライアスさん」
「手を止めるな。私は大丈夫だ」
イライアスさんを見ると、顔を顰めてはいるが力強く頷いた。わたしもその心意気を穢すことはしたくなかった。
「ノア。君に影響は?」
団長さんが尋ねる。呪いから意識が離れると、団長さんの声にも答えることが出来た。
「はい。何も影響は無いみたいです。呪いの端から取り込む感覚がしますが、わたしの体には、掌以降に呪いが作用している様子はありません」
「やれるか?」
「はい!」
それを疑うことはない。わたしはまた呪いに向き合った。
コツを掴んだのか、先ほどより綱引きの均衡はわたしに傾いている。もっともっと、手繰り寄せなければ。
「ぐっ……ぅ」
「イライアス!」
「グレンフィル、持ち場を離れるな!」
「大丈夫です。抵抗は、……消えました」
「な……」
遠くでみんなが何かを言っている。
だけど、わたしはそれがひどく遠くに聞こえて分からなかった。だから目の前の呪いにさらに集中する。
意識が深く潜る。見えているようで視覚ではない景色が広がる。
目の前の汚泥のような不快な壁に触れると、そこから波紋を描くように濁りが消えていく。
……ィ。ニ……イ。ウラ……シィ。
汚泥の底から声が聞こえて来た。耳を澄ます。
ネタマシィ……。ニク……イ。ウラメ……シィ。
それは繰り返される怨嗟の声だった。わたしが汚泥を浄化するたびに、その声は大きくなる。これが呪いの源なのだろうか。
スベテホロビヨ。シニタエルガイイ。
徐々に呪詛のような声は強くなっていく。それをわたしは手繰り寄せていく。
凝る穢れを掻きだし、纏わりつく呪いの言葉に一つずつ触れていく。
イタイ。クル……シィ。
言葉がいつしかわたしに向かう言葉でなくなった。最奥に揺蕩う穢れにわたしは向き合った。
おいで。
わたしが手を伸ばすと、自ら望んだように穢れが擦り寄って来た。
そうか。この穢れはそのままコレの痛みだったのか。それを無くせるわたしに救いを求めているんだ。
寄る傍から穢れが透明な波となって散っていく。
わたしは最後の穢れを抱きしめた。
もう痛くない?
すべての穢れが消える中、最後の言葉が響いた。
カエリ……タイ。
慟哭のような切望に、胸が痛んだ。
どれだけの星霜を越えれば、これほど哀しい郷愁を抱くのか。
この穢れが、ただ哀れだった。
「……ア、ノ……!」
水底から浮かび上がるように、耳に知っている声が聞こえて来た。
「ノア!」
急に像を結んだ視界いっぱいに、セドリックさんの紫色の瞳が映った。
「……セドリックさん? うぷ……」
またわたしの視界が途絶えた。物凄い力でセドリックさんがわたしを抱きしめたからだ。
「……し、死ぬ」
わたしがセドリックさんの肩をバシバシ叩くと、ようやく締め付けから解放された。
「ノア。どこか痛い所はない?苦しい所は?」
今度は両頬を手で挟まれて、右向き左向き動かされる。首、もげる……。
「だ、大丈夫、です。むしろ、セドリックさんに、殺され、る」
「わぁ、ノア! しっかり!」
白目を剥きそうになるわたしを激しく揺さぶり、さらなる追い打ちを掛けるセドリックさん。
「グレンフィル。そろそろノアを放してやれ」
冷静なオルグレン団長の声で正気を取り戻したセドリックさんは、ようやくわたしを解放した。取り乱すセドリックさんって初めて見るから、ちょっと新鮮だ。
そのセドリックさんを「邪魔よ」とばかりに足蹴にして、ルナがわたしに飛びついた。
「わ、ルナ」
甘えるようにわたしの胸にグリグリと顔を擦りつけた。どうやらルナにも心配を掛けたらしい。ごめんよ、ルナ。
「大丈夫か、ノア」
団長さんも心配そうに声を掛ける。
「はい。疲れていますが、どこも異常ありません」
体中怠くてすぐにでも眠れそうだったので正直に答えると、声がちょっと違うことに気付いた。それに何だかほっぺたがパリパリする。ペタペタと探ってみると、袖が余っていて、そこにたっぷりと水分が付着していた。それを見て、ルナが頬っぺたを舐めてくれた。
女の子に戻って、尚且つ盛大に泣いていたようだ。
え? まったく記憶無いんですけど。
「驚くのも無理ないが。浄化を始めてから二時間経過している」
ええ!? 体感では数分くらいの感じだったのに!
そりゃ、セドリックさんもルナも心配するわ。
わたしはルナを団長さんに預けて、お行儀悪く袖で涙の痕をグイグイ拭うと、ふと肝心なことを思い出した。
「あ、イライアスさんは!?」
わたしが慌ててベッドの上を見ると、荒い息をつきながら、わたしよりも疲労困憊という体のイライアスさんが横たわっていた。何故か大量の汗を掻き、見覚えのある上着を噛んで。
その上着の持ち主のセドリックさんを見ると、ゆっくりイライアスさんに近づいて、「大丈夫か?」と声を掛けた。イライアスさんが小さく頷くと、その上着をそっと取る。
セドリックさんの上着が除けられると、酷く噛み破られた唇があった。上着が吸った流血の名残か、頬にも血の跡あった。わたしは青ざめる。
イライアスさんは、浄化の時、痛みを訴えていなかったか?
あれは、痛みに耐えて出来た傷だ。恐らく、二時間ずっと。
上着は、イライアスさんが舌を噛み切らないように、セドリックさんが噛ませたのだろう。
騎士は、怪我は日常茶飯事で痛みに強いと聞いた。その中でもあの呪いの苦しみに耐えていたイライアスさんは、きっと他の騎士の人よりもずっと痛みに強いはず。それが、これほど酷く唇を噛み破るのは、それほどの痛みがあった証拠だ。それをわたしはずっと与え続けた。
「あ、……わたし」
泣くのは卑怯だと分かる。でも、どうしても止めようが無かった。
フラフラとイライアスさんに近づき、血の跡の残る青褪めた頬を両手で包んだ。
「今、治します」
イライアスさんが何か言う前に、わたしはまだ血の乾き切らない唇に震える指で触れた。
わたしから癒しの力が流れ込み、イライアスさんの傷は見る間に塞がった。元の端正な唇に戻ったけど、痛みの記憶は無くならない。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
わたしの涙がイライアスさんの頬に落ちかかる。それを慌てて拭うと、その手をそっと止めるようにイライアスさんの手が包んで、もう一方の手がわたしの涙を拭ってくれた。
「何を謝ることがある。呪いは、消えたのだろう?」
それは壮絶な痛みに耐えて掠れた声だった。
「……はい。すべて取り除きました」
「それなら、何も問題は無い」
その優しい心が温かくて、わたしは余計に溢れる涙を止めることが出来なかった。
思わず、イライアスさんの首に縋りついた。
イライアスさんを苦しめたことが悔しくて、そんなわたしを許してしまうイライアスさんの気持ちが痛くて、どうしたらいいか分からなかった。
嗚咽を押し殺すわたしの背中を、イライアスさんの大きな手があやすように優しく叩く。
「ありがとう、ノア」
耳元で奏でられた美しい言葉を聞いたのを最後に、わたしの意識は再び途切れた。
ノアもイライアスも、自分の痛みよりも他人の痛みが怖い人です。
イライアスに痛みをもたらした後悔は、ずっとノアの中で消えないと思います。
それでも、その痛みの分、得たものは大きいと思います。
きっと、一時の痛みを厭わないほど、大切なものに。
なんてね。
はぁ(*´Д`) シリアス疲れたぁ~。




