買い物に行こう 4
王都のお買い物ヴィクター君視点の後編です。
ヴィクター君の黒歴史と変化する思考にご注目ください。
着いた屋台街は昼時でごった返していたが、何故かノアは楽しそうにしている。
「そういえば、僕は王都に来て初めての外出で、今王都で流行ってる美味しい食べ物って知らないんです。良かったら教えてもらえますか?」
また僕に意見を求める。確かに知識では知っているけれど、僕は今まで命令を受けて行動することしかなかったから、こういう風に僕の意向を聞かれるのは苦手だった。
そもそもこれは「仕事」のうちに入らない。腹にさえ入ればなんだって一緒だ。空いた屋台でいいと思い、適当な店を指さした。
「……あれで」
そして僕は、「適当」のツケを支払うことになる。
食事を買った後、ノアは休む場所を求めて広場の方へ向かったが、噴水の近くにベンチが空いているのを見つけて喜んでいた。
いや、よく見なくても、地面が濡れてるぞ。しかもベンチは南向きで日当たりはいいが、この辺は冬によく強い北風が吹くんだ。そこは絶対に今の季節に座ってはいけない場所だから空いているんだ。
「僕は立ったままでもいいです」
かなり本気でそう言ったのに、ノアはぐいぐい僕を引っ張ってベンチに座らせた。力強いなこの女。
そうして屋台の食事の包みを僕に一つ寄越す。自分もその中身を頬張ったが、ふいにノアの動きが止まった。訝し気に僕も一口食べてみて、先ほどこの屋台を選んだ僕自身を呪った。腹に入れば一緒だと思ったことを心底後悔する。逆に、この味で売っていこうとしているあの屋台のオヤジがすごいのか。
ノアはそれでも三口まで食べたようだったが、僕は完全にこの食事の体を装った物体に完敗だった。もしかするとノアは、僕に気を使って三口まで食べたのか? そうだとしたら、根性だけは認めないわけにはいかない。
ようやくノアは、手が止まった僕に気付いたようだ。何も言ってこないのが、逆に僕の精神を削る。
「ま、不味ければそう言えばいいでしょう」
感情を表に出すことはしないが、僕の言葉に何とも言えない空気が流れた。
その時、不意に強い風が吹いた。
「ぎゃっ! 冷たい!」
その風と共に、噴水の水が盛大にこちらに掛かって来た。ノアが野太い悲鳴を上げる。元は一応女性として、その悲鳴はいいのか?
「だから、僕は立ったままでいいと言ったんです」
「……そうですね」
起こるべくして起こった事態だったが、やはり冬の寒空で水浴びは厳しい。この噴水は、冬季には止めるように絶対に言おう。
僕はいつ何時でも自由に動けるようあまり厚着はしないが、それが仇になった。寒さ暑さには強いと思っていたが、流石に凍える。
そんな僕を見たからか、ノアは殊勝な感じで反省しているようだった。
それにしても今日は踏んだり蹴ったりだ。およそ仕事で失敗をしたことのない僕だったが、今日のこの失態はかつてない汚点だ。
ムッとするのを胸の内に抑えながら水滴を払っていると、急にノアが笑い出した。もしや、あの食事で心を病んだのか?
「な、急に笑い出して、おかしくなったんですか?」
観察対象の常軌を逸した行動に、僕としたことが少し慄いてしまった。それがノアにも伝わったらしく、また笑いだしてしまった。
「だって、ご飯は不味いし、噴水の水が掛かっちゃうし。おかしくって!」
理解に苦しむ理由で笑い続けるノアを見ていたが、何だか僕までおかしく思えてくる気がする。
ふと、そんな自分に驚いた。
どんな状況でも感情を揺らさない訓練を受けてきた僕が、このおかしな男女を見て「面白い」と感じるなんて。
ダメだ。平静を保たなくては。
「僕までおかしい人だと思われるので、早く笑うのをやめてください」
「は、はい……ふふ」
僕が言ったことを理解できないのか、またノアは笑い出した。僕は睨んだが、ノアは堪えた風もなく、まだ笑っている。
「でも、これでおあいこですね」
ふとノアがおかしなことを言った。完全に僕の思考は調子を崩されている。
そんな僕にノアは食事と噴水を指したので、僕が不味い屋台を選んだことと、寒空に水浴びさせられたことを相殺しようとしているのに気付いた。確かにあの屋台は僕の不徳だったが、噴水の水浴びと同列にするのはいささか図々しい。
「とにかく、一度戻った方がよさそうですね」
確かにこのままでは風邪をひいてしまいそうだったので、ノアの意見には否やは無い。
だがノアは何やら思案を始めた。
「じゃあ、その、僕は直接服屋に寄って着替えを買うので、ヴィ……ラザフォードさんはこのままお帰りになってください」
ノアは僕を一人で帰そうとしていた。まだ任務の途中だ。帰る訳にはいかない。
「いえ、エドワード様から携帯食を受け取るまであなたに付き添うよう申し付かっておりますので、ご一緒させていただきます」
「あ、でも……」
「僕も早めに着替えたいので。それに荷物持ちくらいします」
ノアを監視するには、一緒に服屋に行って着替えてしまった方が効率的だ。だが、ノアはしばらく思案していて、突然何かを決意したかのように頷いている。そして、さも言いにくそうに僕にその決意の訳を話した。
「あの、では、下着も売っている洋服屋さんを教えていただけるとありがたいんですが。王都のそういうお店に入ったことがなくて」
僕が驚いてしまったのは仕方がないことだと思った。若い女性が男性に下着を買いたいというのは、いろいろな意味ではしたないことだ。「仕事」では女性の下着を見ることなど何の感慨もなかったが、それを監視対象者と一緒に店に買いに行ったことはさすがになかった。女装をすることもあったので、そういう類の店を知らない訳ではないが、一瞬いろいろなことを想像してしまった。
そして、やっぱり僕は動揺していたんだと思う。冷静に考えれば分かることだが、僕たち二人、外見男性だけで女性用下着を見に行くのは、かなり危険な行為だと。
「分かりました。ぼ、僕も初めてですが、ご案内できると思います」
いけない。雑念を取り除かなくては。いくら華奢だといっても、今ノアは呪いで平べったい体型になっているんだ。
少しして、やっと雑念が去った。そこにノアは少し恥じらったように告げる。
「良かった。王都の紳士服は一人で入るのに勇気がいったので助かります。あ、でもできればあまり高級なのではないほうがいいんですが」
今日は僕の黒歴史だ。そうだ、少し考えれば分かるだろ、僕。
少年姿のノアが女性ものの下着を着ける訳が無いだろうが!
お陰で頭がすっかり冷えた。
その後二人で紳士服の店に入り、それぞれ服を見繕って着替えると、そのまま寮へと帰った。
ノアは目的のものが買えてご満悦なのか、大きな包みを嬉しそうに抱えていた。
そう、男物の下着を。
コイツは、僕が実際、ノアが女であることを知ってると暴露したら、いったいどんな顔をするのだろう。いや、コイツなら全く平気な顔をしそうだ。
寮に着くと、王宮特権なのか既に注文した品物は届いていて、ノアは休む間もなく携帯食をテキパキと作り、料理は知識としてしか知らない僕から見たら、魔法を使ったかのような速さで仕上げていく。
合間合間にお茶を淹れたり、定期的に焼いている焼き菓子を出したりしていたが、その手際は、裕福な一族で育ったとは思えないほど慣れたものだった。
もしかして、ノアは一族から不当な扱いを受けて、家事能力は仕方なく身に付けたものだったのか?
あの選民意識の高い一族ならやりかねない。これは一度調べた方がいいだろうか。
「お待たせしました」
大して待ってはいないが、済まなそうにノアが声を掛けてきた。そして、手に持った丁寧に包装したものを僕に渡した。
「これは殿下へお渡しください。あと、これはヴィ……ラザフォードさんの分です」
そう言ってノアは僕にも殿下と同じものを渡した。今日夕飯までにお腹が空いてしまうかもしれないから、と簡単な軽食と一緒に。まあ、気は利く方だな。
僕は素っ気ない礼を言って受け取ったが、ノアはまた僕を引き留めた。
「あと、これ。今日のお礼です。えっと、ラザフォードさん、手が冷たかったから」
ノアが持って帰った袋から、小さな包みが出てきた。それは、白地に青い線の入った暖かそうな毛糸の手袋だった。
「僕は、仕事だったんだ。こんなことをする必要はない」
どうしてか、僕は余計なことを言ってしまった。不要なら受け取るだけ受け取って廃棄すればいいだけのことなのに。
そんな僕の言葉にノアは気を悪くした風もなく笑って言った。
「うん。でも今日、楽しかったから」
僕が話し方を崩したからか、ノアも砕けた調子になった。
僕といて楽しかったというのか。友好的な態度など取った覚えはないのに、まったく理解に苦しむ。
「……そう」
「うん。今日はありがとう、ヴィ……ラザフォードさん」
手を振るノアに、僕は盛大な舌打ちをした。
「その、一々僕の名前を言いなおすの、イライラするんだよね」
「あ、ご、ごめん」
「もう、ヴィクターでいいよ」
「え?」
「あと、僕は甘いお菓子が苦手だ」
「え、あ、ごめん」
馬鹿みたいに素直に謝る。僕も何を言っているんだ。
でもノアは、すぐに持ち直すと笑って言った。
「じゃあ、今度はヴィクター君のために甘くないお菓子を焼くよ」
ノアは、僕との「今度」が嫌ではないのか。本当に今日の僕とのやり取りが楽しかったのか。
『僕のため』に何かをしてくれるのか。
「『次』は、僕に迷惑を掛けるなよ」
「え? ……うん!」
ノアが驚いたような声を上げたが、その後に嬉しそうな返事が聞こえた。
僕はその顔も見ずに去った。何故か、ノアの顔を見てはいけないような気がした。
エドワード様の部屋へ報告に戻ると、目敏く僕の持つ携帯食以外の包みに反応した。
少しの間その袋を見ていたが、ふとエドワード様には本当に珍しい優しい笑みを浮かべた。
「今日は、楽しかったかい?」
この人、僕以外の『影』も付けていたんじゃないか、と思うようなことを言った。
疑問を持ったが、すぐに殿下がニヤニヤと笑う。どうやら僕の表情が少し緩んでいたようだ。この僕が……。
そうか。僕は楽しかったのか……。
だが、たとえ本当のこととはいえ、こんなところで、この人に心を読まれるのは嬉しくなかった。
「……まあまあです」
語彙力のなくなった僕を見て、エドワード様は「そうか」とだけ言って笑った。
ヴィクター君がエモいですね。
下着でノアのどんな姿を想像したのやら。やっぱり思春期の男の子ですね。
それと、補佐官さんとはまた違ったツンデレの予感。
最後の方、一族の虐待を疑ってノアの心配をしていましたが、本人はそんな自分の変化に気付いていません。
感情のコントロールをしすぎて、ずっと麻痺していたものが、ノアの素っ頓狂で解け出しています。
感情は、諜報活動に不要なものかもしれませんが、殿下は「人見知り」を治したいとおっしゃってましたから、きっとヴィクター君にとっては不要ではないのでしょうね。
閲覧ありがとうございました。




