一人で生きていきます 2
本日2話目です。
その日は寒く、コートも踝までの学院指定のものを着て、マフラーも厚く巻いて髪もマフラーの中にしまっていた。しかもそのマフラーは、ノエルが「おそろい!」と言って押し付けて……ではなく、贈ってくれたものだった。
そのおかげで、何人かの後輩から兄と間違われて挨拶を受ける。
ノエルとは身長が十センチほど違うが、兄の華奢さとわたしの凹凸のなさがほぼ体型を同じにしているのは、乙女の私には結構ショッキングなことだ。女性らしさと言えば、長く伸ばした髪くらいか。亜麻色の髪は、兄にも劣らない唯一のものだった。
それも隠れているので仕方のないことだが、五人目に挨拶をされてさすがに疲れていた時だった。
「この女の敵! 私のものにならないなら、誰も愛せないようにしてやる!!」
突如後ろから叫び声がして振り返ると、見たことのない少女が顔を真っ赤にして自分に対峙していた。その少女からブワッと魔力が溢れ、何かの呪文と共に力がわたしに向かって解き放たれる。
こんな往来で魔術を放つのはご法度だ。咄嗟に後ろにいる人達にその魔術が当たってしまうと思い、避けずにそれを受けてしまった。
「これで、女を弄べない身体にしてやったわ!」
そう言った少女の目はギラギラしていて怖かったが、ふとその言葉に思いつく。
人違いじゃない?
そう言うこともできず、わたしは倒れた。
気が付いた時、まず目に入ったのは自分の部屋の見慣れた天井で、その次にノエルの泣きそうな顔があった。兄のその珍しい顔に手を伸ばそうとして少し身体の感覚が変わっていることに気付いた。何となく手が長くて大きくなっているような気がする。
「ノア!気が付いた。痛い所とかない?」
少しぼうっとするので、ノエルを見つめたあと頷く。
「大丈夫……ん?」
最初しばらく発声していないから声がしゃがれたかと思ったのだが、もう一度声に出してノエルを呼ぶと、その声は少し低くなってノエルに近いものだった。
「ノア、ノア。ごめん、本当にごめんね」
必死に謝るノエルに首を傾げ、ゆっくりと起き上がる。すると、少し見える景色が違って見えた。いつもより視線が高い気がする。お尻に何か敷いているのかな?
辺りを見回そうとすると、少し頭痛がして顔を押さえる。あれ? いつもより掌が固い?
そうして掌を見ると、ほんの少し節ばった感じになっていた。そしてそのまま視線が下を向くと、胸にその先が行き着く。
今朝まで、ささやかではあったが確かにあったはずのものが、そこにはなかった。
「え、ええええー!」
声が、低い。間違いなく低い。
混乱して、寝台から起き上がると、ふらつきながらもクローゼットに飛びついた。
「え、ノエル?」
鏡には、十八歳の女の子ノアではなく、兄と見紛う少年がいた。いや、ノエルよりも線が細くて髪が長いが、全体的に丸味が欠けて胸がペタンとなった姿はどう見ても少年だった。その少年が鏡の向こうで自分と同じ動きをする。
「む、胸がぁああ」
「最初に気にするとこ、そこ!?」
わたしも焦っていたし、ノエルも焦っていたのだろう。どうでもいいやり取りをした。
「何これ……。わたし病気なの?」
眩暈でフラッとしたのを、隣で支えてくれているノエルが複雑な顔をした。見れば、ほとんどノエルと身長が変わらない。着ているものもノエルの寝間着だ。
「ノア。とりあえず話を聞いて」
ノエルはわたしを落ち着かせようと寝台へ再び座らせる。隣に座って肩を抱くと、あやすように背中をトントンと叩く。
「どうやら君は、僕と間違われたようだ」
ノエルが言う話はこうだ。
実は数か月前からノエルは他領の貴族の令嬢から執拗に交際を迫られていたとのこと。貴族の友人のパーティで知り合った人らしい。いつもの軽いノリでおしゃべりをしていたが、あちらは随分とその気になっていたようだ。そして、ノエルの周辺を探るように出没し、いつしか周りにいる無関係の女の子にまで嫉妬して嫌がらせをするようになったとか。
えぇ。そんなの聞いてなかったけど……。
「一度、衛兵に届け出て、向こうの家にも訴えたんだけど、収まらなくてね。警備の者を増やして、兵団の巡回も増やしたんだけど、まさか君と僕を間違うなんて……」
つまりは、いくら迫っても自分のものにならないノエルに業を煮やして、自分を選ばないなら報復を、ということか。
「どうやら、僕が他の女性を愛せないように、……その、性別を失くす魔術を掛けた、みたいで……」
「……マジですか」
そのストーカーは、ノエルの容姿を損ないたくなかったらしく、少年寄りの無性を呪いに盛り込んだらしい。ある意味凄い呪いだ。
「じゃあ、ノエルの身代わりに呪いを受けたってことなのね」
そうじゃないかなぁ、とは思ってた。
それにしても、ノエルと似た声で、女性の言葉遣いに違和感を感じる。もう泣きたい。わたしの不運はどこまで続くのか。
でも、と思い直す。
「ノエルじゃなくて、良かった」
ホッとため息をつくと、ノエルが非常に変な顔をしてわたしを抱きしめる。
「馬鹿ノア。君は僕を責めていいんだよ」
頬っぺたどうしをぐりぐりとくっつけてノエルが苦しそうに言う。
ノエルこそ馬鹿だ。家族の無事に代えられるものはないでしょ。
その兄の腕をどうにか外しながら、ハッと気付く。
「その子は、今どこ?その子ならこの術解けるんでしょ?」
わたしは必死になる。だって、まだ恋の一つもしたことがないのだ。
それなのに、性別が無くなるってどういうこと!?
いつもは快活な物言いのノエルだが、言葉を紡ごうとして口を開くが、一度閉じる。その様子に不安になるが、ノエルの言葉を待つ。
「犯人の子は捕まえて説得して術を解かせようとしたんだけど、何故かその子にも術が解けなくて」
なんですとぉ!?
クラッとなったわたしをノエルが抱き寄せて頭を撫でた。
「ノアは一昼夜寝込んでいたんだ。それで、女神の月が出ている間は女の子に戻れるみたいだと分かったんだけど、月が消えるとまた戻ってしまうんだ」
隠しても仕方ないと思ったのか、ノエルは正直に話してくれた。
リリエンソールの夜空には、男神の月と女神の月の二つの月がある。そのうち女神の月は、夜中十一時から明け方にかけて出る月だ。そうすると、季節にもよるが、一日概ね五時間の程は女性に戻れるようだ。だが、一日の内のほとんどの時間は完全に少年のような体のまま。
まるで女神の月の神話のようだ。
太陽の神が、兄妹の月神の妹神を妻に望んだが、世の均衡のために相愛であるのを諦めて、そっと双子の青い月の兄神に隠れて世界を照らすようになった銀色の女神の月。
世の均衡が何かは神話なので詳しくは伝わっていないが、太陽神と月の女神は出会ってはいけないようだ。
会いたいという恋心を封じるために、太陽を見ないように兄の月が先に出て、太陽が沈んだことを知らせてから出てきては、太陽が昇る前に姿を消すのだ。
自分が女神とは言わないけど、本当の自分には真夜中にしか戻れないのだ。
わたしは久しぶりに泣いた。でも、声を上げることはできなかった。だって、ノエルはきっと自分のことを責めてしまうだろうから。
「大丈夫。僕が絶対ノアを元に戻すから」
涙を拭いながらわたしをあやすように抱いて、そう力強く言った。わたしはその言葉に頷くしかなかった。
兄はずっとわたしの傍にいてくれたけど、ふと思いついて泣き止んだ後に聞いてみた。
「そういえば、その子捕まってどうしたの?」
おそらく魔術の高等さとノエルを追い回せる暇と資金、情報網からすると高位の貴族と思われるが、それだと衛兵に突き出されてもお咎めなしになりそうだ。今後また同じことが繰り返されてノエルも性別が無くなってしまったら、アシュベリーの分家で平民とはいえ、この家の血筋が絶えることになったら大変だ。
ノエルを心配してそう言うと、兄はその麗しい顔に邪悪な笑みを貼り付けた。
「もちろん、二度とそんな気が起きないように、ちゃあんと説得したよ」
説得と書いて「きょうはく」と読む。そう聞こえるよ?
背筋がゾクッとしたが、それは気のせいではないだろう。おかげで涙なんて吹っ飛びました。
「ノア。まだ魔術の影響が抜けてないんだ。今日はもうお休み」
そう言って、ノエルはわたしのこめかみに口づけて、寝かしつけてくれた。
何か、ノエルがそっくりな外見のわたしにキスって、外から見たらすごく倒錯的な気がする。いや、そんなこと考えてる場合じゃないんだけど、意外と余裕だな、わたし。
わたしの頭の中には、これからの学院のことやサイラスのこととか、とにかくいろいろと駆け巡ったが、ノエルがトンと額に指を置くと、意識はスッと途切れた。
わたしが呪いを受けてから一週間。
往来で襲撃を受けたこともあり、わたしが事件に巻き込まれたのは周知の事実となっている。学院には呪いの詳細は伏せたままで、怪我と言う名目で療養することだけ伝えて休業していた。
体は元に戻らないが、それ以外はいたって健康だ。すぐに寝台に飽きて庭で鍛錬をすることにする。身体が少年寄りになり、これまでよりも動きがずっといい。力も増えて、もうこのまま冒険者になろうか、と真剣に考えた。
さらに二日すると、今度はサイラスから体調を心配する手紙が来た。
見舞いに来たいとあったが、遠方だし、まだ正式な婚約もしていないので心遣いだけ、と返事をする。本当にサイラスは何でわたしを貰ってくれる気になったのか不思議になるくらい出来た人だ。
家族以外に初めて認められた気がして悪い気はしないので、わたしが機嫌を良くしていると、何やらノエルは不機嫌になるので難しい。
更に五日経った頃、今度はアシュベリーの本家、つまりはサイラスの両親から手紙が来た。
どこから聞きつけたのか、わたしが結婚に不都合な呪いを受けたのではないか、と問いただしてきた。ついては、そんな隠し事をするような家とは伯爵家として婚姻出来ない、と言って婚約の申し込みを撤回したい旨を連絡してきたのだ。
どうやら今回の婚約の打診は、サイラスの意向で実現したものらしく、彼の両親はもっと条件の良い娘を一族から見繕っていたというのだ。わたしの事件は、サイラスの両親にとって渡りに舟だったのだろう。最初の手紙が届いてから、あっという間に破談という運びになった。
わたしは、サイラスを「親戚のお兄さん」くらいに思っていたので失恋というわけではないが、周りから見たらさぞかし醜聞として面白いことになっているのだろう。
やがて、昔の陰口を彷彿とさせる憶測や虚偽の噂が、わたしの耳にも入ってくるようになった。
本当、めんどくさい!
わたし自身はどうでもいいのだが、その興味本位な憶測や噂は、一族の分家にも関わらず優秀で裕福な我が家を妬むものもあった。わたし自身ではなく、家族を標的としたそれがどうしても耐えられない。
社会的地位のある家は、貴族でなくとも風聞一つで崩れる場合もある。両親の今の地位を狙う人間からすれば、わたしはとってもつつきやすい攻撃材料。そして、ノエルの台頭を妬む人たちも同じだ。
自分がこの家の足を引っ張るなら。
わたしは、ハサミを握って髪を掴んだ。
さようなら、女の子のわたし。
閲覧ありがとうございました。
第3話目も本日投稿です。