お食事をどうぞ 1
まだ宿砦から出ません。
目覚めの最初に飛び込んできた光景は、金髪美女の微笑みだった。
わたしの目の前で、イヴリンさんが膝を揃えてしゃがみ込み、腿に肘を突いて頬に手を当てながら微笑んで私を見ている。どういう状況でしょう。
「おはよ」
「……おはようございます」
寝起きに突撃されて混乱しております。何とか夜は明けてるみたいなので、身体はちゃんと(?)男の子っぽくなってる。
「仲いいのね」
意味深ぽくイヴリンさんが言ってくる。
「へ?」
そこで気付いた今の態勢。
わたし、思いっきり隊長さんに寄りかかって寝てました!
「ごごごご、ごめんなさ……っ」
「シー。まだみんな寝てるから」
そう言ってイヴリンさんは、人差し指を唇に当てた。美人なのに可愛いなぁ。
慌てて口を噤んで離れるが、隊長さんは軽く俯いたまま微動だにしません。
「え、寝てる?」
かなり間近で喋っていると思うが、彫像のように動かない隊長さん。
鋭い眼光がないからか、隊長さんの顔の造作が良く分かる。引き締まったほっぺたに、高い鼻、薄めの口にキリッとした眉、濃い睫毛に縁どられた目。つくづく起きてる時の眉間の皺と眼光が残念だ。
いやいやいやいや。重要なのはそこじゃないよ、わたし。
「イヴリンさん。隊長さん、起きないですね」
「そうなの。この人、寝汚いの。どこでも勝手に寝ちゃうし、それで起きないのよ」
いつも苦労してるんだろうなぁ。笑顔が怖い。
「いつもはね、口の中に無理やり甘い物ねじ込むか、急ぎの時は殺気を発すると起きるの。気配に敏感なら、起こす声にも反応してほしいわぁ」
雑! 隊長さんの扱いが雑です。
「試しに起こしてみて。起きないから」
そう言ってまたニッコリする。わたしは一晩枕にしてしまった罪悪感からか、少し丁寧に起こしてあげることにする。肩を少し揺すって、控えめに声を掛ける。
「隊長さん、朝です。起きてください」
「……ん」
あれ?寝起き悪いんじゃなかったけ。ちゃんと反応しましたよ、隊長さん。
目が開いて、深い青の瞳がわたしを捕えた。
「昨日は良く眠れたか?」
穏やかに笑って、隊長さんがわたしに言った。
ちょっと、朝から鼻血が出そうです。何というか、気怠さを秘めた微笑みが少年少女の情操教育に悪い感じがします。
「……は、はい。おかげさまで」
しどろもどろになってようやく返事をすると、助けを求めるようにイヴリンさんに目を向ける。すると、まるで天変地異でも目の当たりにしたかのような驚きの表情を浮かべていた。そんな大げさな。
「隊長が一声で起きるなんて、今日は空からアイアンメイデンでも降ってくるのかしら」
いやいや、そんな拷問器具が降って来た日には、天変地異の方もびっくりですよ。血の雨が降りますよ。
隊長さんがく~っと伸びをする。そんな隊長さんをイヴリンさんはジトッとした目で見ている。どれだけ日頃の恨みがあるのか。
「隊長、本当は目ぇ覚めてたんじゃないんですか?」
「? ……いや。今起きたところだが」
隊長さんは不思議そうな顔をしてたので嘘は言っていないようだ。イヴリンさんは、更に考え込むような顔をした。そして、わたしのこともジッと見る。
「あ、あの。わた……僕、朝食の準備のお手伝いをしてきます」
イヴリンさんの不穏な空気に、逃げるようにわたしはその場を後にした。動揺して思わず一人称を間違えるところだった。
とりあえず、中庭にある井戸で顔を洗って髪を整えてから、朝食準備の当番の人と合流することにする。
都市部では水道が普及しているが、このような場所で修理に技術者が必要な施設を備えても、いざ壊れた時に使用できない可能性があるため、昔ながらの手動の井戸が活躍している。
井戸の周りはまだ早い時間のせいか誰もいなくて、わたしは冷たい水でさっぱりする。井戸水は冷えてはいたが、地下深くにあって身を切るような冷たさではなかった。
ふと、空を見上げた。昨日の雪が嘘のように晴れた空だった。気持ちのいい朝に、わたしは新たな旅立ちを祝福されているようで、気分良く厨房へ向かった。
厨房、というか簡易な竈がある部屋だが、そこに行くと、若い騎士さんが既に準備を始めていた。昨日はあまり挨拶をしていなかった人だ。綺麗な赤毛で、くせ毛なのかくるんと所々跳ねている。
「あ、おはようございます。良く眠れましたか?」
丁寧な言葉遣いで、ニコニコとあいさつをしてくれた。とても感じがいい人だ。
「おはようございます。お陰さまで良く眠れました」
目覚めはともかく、良く眠れたことは確かだ。うん、嘘は言ってない。
「あ、僕にも何か手伝わせてください」
先ほどの思い出を払拭するように申し出ると、騎士さんはパッと明るい笑顔になった。朝から爽やかな人だ。
「いいんですか? 嬉しいなぁ。昨日の夕食がとても美味しかったから」
そんな面と向かって褒められると照れます。
反応に困っていると、騎士さんはニッコリとして自己紹介をしてくれた。
「俺は、エリオット・ギリングスといいます。この秋に騎士団に入隊したばかりで、一番の下っ端なんです」
「僕は、ノアです。秋からということは、エリオットさんは、僕と同い年なんですね」
「ノアさんも十八歳なんですか? しっかりしているからもっと年上の人かと思ってました」
初めて言われた単語だ。「しっかりしている」って、なんて耳に心地よい言葉なんだろう。
昔あった奉公人に近い従騎士制度はなくなり、ほとんどの騎士は騎士学校を卒業するが、春が卒業の一般の学校と違い、騎士学校は半年早く秋の卒業となる。これは文官登用と時期が被らないようにということらしい。
だからわたしの卒業はあと二月ばかりだったのだ。単位は全て履修し終えているから卒業はできるが、卒業式には出席できないだろう。あ、やめよう。暗くなっちゃう。
エリオットさんの言葉にお礼を言いながら、朝ごはんの献立を考える。
「食材は何がありますか?」
「雪中行軍になるかもということで、栄養価の高い物が支給されたんです」
そう言って、荷馬車の方へ連れて行ってくれた。
通常の討伐や巡回の任務は、各自が数日分の食糧を持ってくるのだが、今回は宿砦からの救援であり、旅人の保護も視野に入れた物資を運んできたそうだ。先に騎馬だけ来てわたしたちを助けてくれたようだけど、雪で行軍が思うように進まなくて荷車はその後、夕方近くに到着した。そのため、食糧は豊富に揃っていた。昨夜もざっと見せてもらったが、暗かったし急ぎだったので、当番の騎士さんに簡単な説明を受けただけでちゃんと見ていなかった。
「バターにチーズに牛乳もある。卵にベーコン、小麦粉に塊肉、葉物野菜に果物にハチミツ。かなり豪華な食事ができますね」
「本当に!? いや、俺では茹でるのと焼くのしか思つかないよ。それも塩味」
ほぼ調理しないってことね。わたしはまったく気取らないエリオットさんに、ふふっと笑ってしまった。
「それも美味しいですけど、もう少し手を加えてみましょう」
「期待してます!」
ふと思いついたことがあって、わたしはエリオットさんに尋ねる。
「そういえば、朝食後準備出来次第ここを出ますよね」
「そうだね。雪は深いけど、日差しが出たら解けてくるし。多分その予定だと思うけど」
「そうしたら、朝食のついでに、昼食用の軽食も一緒に作っていいですか?」
言った途端、エリオットさんの緑の目に満天の星が輝きました。
「いいの!?」
「はい。ご迷惑でなければ」
「そんなこと言ったら天罰が下るよ!」
素材を分けて持ちながら(ほとんどエリオットさんが持ってくれたが)、他愛もない会話をする。かなり上機嫌なエリオットさんは、わたしなら腰を痛めそうな量の荷物を抱えていたが、息が上がることも無く調理台の上まで材料を運んだ。
「何を作るの?」
エリオットさんは、いつの間にか敬語を崩していた。その方が嬉しい。
「朝ごはんはシチューにガーリックトースト。お昼はサンドイッチでもいいですか?」
寒い時は、トロトロのシチューで温まると元気になるよね。
「何、その天国の献立……」
語彙が故障しているようだけど、まあ、嬉しいってことだよね。
「それでは、気合を入れて作っていきますね」
わたしは軽く腕まくりをして、さっそく調理に取り掛かった。
雪は、膝くらいまで積もった感じです。
掻き分けるほど深くもなく、かといって決して歩きやすくはない深さくらいのイメージです。
荷馬車は車輪型とそり型どちらにもなる仕様ですね。
事件なのか雪による閉じ込めによる救援なのか分からないため、物資をたくさん運ぶよ、という設定でした。