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妖精のかまど

作者: かるらえのり

 土や木や花の蜜の匂いにまぎれて、ほんの少しの甘い香りが僕の鼻腔をくすぐった。あまーいアップルパイの焼ける匂い。どうやらそれはこの森の奥の方から漂ってきているようだった。

「誰がいるのかな」

 僕はそんなことをつぶやきながら、もうすっかり僕の心を奪ってしまったその匂いに引きつけられるように歩みを進める。

 くんくん、くんくん。

 ママに「奥に入りすぎないうように」と言われたことも忘れて、無我夢中で進む。

 しばらく進むと、いっそう香りが強くなって、開けた場所に出た。小さなキッチンがあって、その隣には木で作った小さいテーブルやイスがあった。

 キッチンで誰かがアップルパイを焼いていて、ウサギや小鳥たちがテーブルのところにいる。僕の姿を見るとたちまち、席がざわつきはじめた。

「人間だ」

「あらまあ、ほんと」

「まだ子供みたいだねぇ」

 彼らは僕に興味津々なようで、こちら側に駆け寄ってきた。そのことによって僕が来たことに気づいた女の子は、「人間お客さんは久々だなぁ。いま、ちょうど2つ目が焼きあがったところなの。アップルパイはお好き?」

 と振り返って言った。動物たちも離れていく。

 僕と同じくらいの歳に見える、栗色の髪をおさげにした緑の瞳と赤いワンピース、白いエプロンの女の子。

 おそるおそるコクリとうなずくと、彼女はニッコリと微笑んで取り出したアップルパイを切り分け、そのうちの1つを僕にくれた。これだ、僕の探していたのは。シナモンとりんごとあまーいシロップのいいにおい。

「どうぞ」

「あ、ありがとう」

 あったかいストレート・ティーも注いでくれた。

「すっごく美味しいんだよ、さあおたべおたべ」

 近くにいた野ウサギが話しかけてきた。彼はアップルパイをナイフとフォークで食べていて、なんだかよく分からない感覚になった。

「作ったのはきみじゃなくてローザだろう?まるできみが作ったかのように話すのはどうかと思うのだが」

 と、少し離れたところにいた小鳥。

「そういったつもりはなかったんだけど」

 野ウサギは'ばつ'が悪そうに返す。

「あの子はローザっていうの?」

「いや、私たちが勝手にローザって呼んでるだけ」

 白と黒のぶち柄の毛をしたウサギが話に入り込んできた。

「きみはなんというんだい」

 僕はオリバーだよ。みんなにも名前はあるの?」

「うーん、あるっちゃあるけど、そんな小難しいものではないよ。それより、ローザのアップルパイはすごく美味しいんだ、冷めないうちに食べちまいな」

 野ウサギに促されて、アップルパイの先っぽのひとかけを口に入れる。

「~!」

 おいしい。その香りが口の中に広がる。あまくて、とってもおいしくて、本当においしすぎて何も言えないくらい。

「だろ? オリバー、おまえさんもすっかりローザのアップルパイのとりこになっちまったようだな」

 満足げに言う彼に、勢いよく何度も頷く。

「ローザ、この子がパイ美味しいって言ってくれたよ」

 ぶちウサギが明るい声でローザに呼びかける。するとローザは

「そうなの、ありがとう」

 と、ぶちウサギより明るい声でこれ以上ないほどに満開の花のように笑った。

 そのあとも、僕らはずっと話を続けた。


 ふと空を見る。いつのまにかそれはあかく染まり、「帰らなくてはいけない」という意味を僕に伝える。

「もう夕方だから、帰らなきゃ」

「そうなんだ、じゃあこれをどうぞ」

 いつのまにか話に加わっていたローザが、小さなカードを僕に渡した。これもまた、アップルパイの香りがする。

「これは何?」

「私たちを忘れないように」

 よく分からなかったけれも、ローザや他の動物たちは答えてくれそうになかった。

「バイバイ」

 僕がそう言って手を振ると、ローザたちもまた手を振り返してくれた。

そして、僕は家に帰るために歩き出す。かなり奥まで来ちゃったと思うから家まで戻れるかすごく心配だけど帰らないとママに会えない。なんだか怖くなって心臓が早鐘を打ち、手足が動きにくくなる。

 でもその不安はすぐに治まった。僕も家の赤い屋根が見えたから。ママのシチューのいい匂い。アップルパイもおいしかったけれど、やっぱりママのは特別だから。

「ただいまー!」

「おかえりなさい、オリバー。おじさんがニワトリをくれたから今日のシチューはお肉がいっぱいよ」

 と、ママの明るい声。僕はローザにもらったカードを大事にしている宝箱に入れるとすぐ、ママの方に行って手伝いを始めた。


 ――それから十数年が経っち、久しぶりに昔の物を片付けていたら、当時大切にしていた宝箱が出てきた。中にはいかにも子供の宝物のような、なんの変哲もない石ころだとか、紙でできたおもちゃだとかが入っていたが、その中にひとつ、他とは違う空気を纏っているものがあった。それは薄汚れた黄色いカードで、何か書いてあったようだが滲んでしまっていて読めなかった。アップルパイの香りがする。僕はなんだか懐かしくなって、その匂いを嗅いでいた。すると、

「オリバー、ありがとう」

 女の子の声が聞こえた。キャッキャッとさわぐ声も聞こえる。振り向くとそこには森が広がっていて、アップルパイをちょうど焼き上げた、あの時のままのローザと、あの時会った動物たちの面影を残したウサギや小鳥たちがいた。

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