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悪役地獄の管理官

作者: 明田いくみ

幼い頃はヒロインに憧れた。


かわいいドレスを着てキラキラしているお姫様から、ヒーローと肩を並べて戦うかっこいい女戦士。

負けることがあっても、諦めずに努力して、最後は必ず勝つのだ。

そんな一途で健気な姿に感銘を受けたのだ。


しかし、ある時ふと目に止めた。


──この人の方も一途で健気だよね?






「昨日のドラマ観た?いつもイヤミ言ってくる女がヒーローに言い負かされてスカッとしたよー」

「うーん……私はあの女の人の言い分わかるけどな。ほら、いつもヒロインって気になることがあったら上の空で仕事に手がつかないし、途中で人の尾行しちゃったりして、残業するじゃない?それでイヤミ言われたり、手伝ってもらえなかったりしても自業自得でしょ?」

「もー!ユリはまた冷静に分析して悪役贔屓!もっと物語を楽しみなよ!!」


アニメやヒーロー番組で悪役の魅力に気づいたユリは、それからどの物語を見ても悪役、当て馬など主人公サイドではないが物語を盛り上げる、主人公に花を添える存在に注目するようになった。

しかし、やはり幸せになるのは主人公で、悪役は大概痛い目に合ってしまう。どうにか悪役が幸せになる話はないのか……探して辿り着いたのが、フィクションの世界の悪役に転生して人生をやり直す物語だ。

ただ、こういった話は本来の主人公サイドがクズに描かれることが多く、結局主人公と悪役が入れ替わっただけの話で、今度は元主人公の方に同情してしまう堂々巡りになる。あまり深く考えないよう、程々に、社会人になった今も嗜む程度で楽しんでいる。

物語の楽しみ方は人それぞれ……同僚と感想を言い合うテレビドラマもそれなりに楽しんでいるが、伝わらない。

そんな自分は少し変わっているかもしれないと思いつつ、ユリ日々は平穏なものだった。





しかし、ある日突然、ユリの世界は一変した──














──気がつくと、ユリは不思議な場所にいた。


神社の正殿のような建物だが、装飾は赤や黄色等で鮮やかで、仏像や仏具といったものはなく、階段で登った少し高いところに置かれた机と椅子に腰かけた人物がユリを見下ろしている。

薄緑色の髪の涼しげな美青年で、その表情から感情は読み取れない。服装は神社の神主のような袴姿だ。


そんな青年がユリへ衝撃の言葉を告げる。



三間坂みまさか 郁里ゆりさん。あなたは地獄行きです」


「……え?」



呆然とするユリに青年は淡々と告げる。

「ここは地獄の入口。死後に地獄へ行くのか、どのような罰を与えるのか決める場所です」

「死後って……つまり……」

「ええ、そうです。あなたは死にました。そして、迷うことなくここへやって来ました」


青年の説明で、ユリは思い出した。


同期からの誘い──仕事帰りの居酒屋の帰り道で、一面真っ白に包まれたところがユリの最後の記憶だ。


その同僚は同期入社だが、ユリと一緒だったのは最初の二週間の新人研修だけで、別々の部署に配属された。お互い認識しているものの、異性というのもあって特に接点はなかった。だが、この春の人事異動で同じ部署になったことで話すようになり、よく休憩時間や会社帰りに愚痴を言い合う仲になったのだ。

話の内容は大概愚痴や相談。仕事をしない上司、学生気分の抜けない後輩、突然の思い付きで業務を中断させるお偉いさん……同期だから分かち合える!吐き出さなきゃ!飲まなきゃやってられない!


そうやってお互いに散々愚痴を吐き出して、スッキリしたとユリは思っていた。

彼がそこまで深刻に悩んでいるとは思わなかったのだ。


居酒屋を出て駅に向かう途中……まさか、踏切に飛び込むなんて──



「……でも……それで死んだとして……何で地獄行き!?」

「自殺は罪です。あなたは地獄で罪を償わなければなりません」

「待ってください!私は自殺なんてしてません!同僚を助けようとして、踏切に……!」

同僚が自殺しようとしていることを察したユリはすぐに非常停止ボタンを押した。しかし、電車は目前に迫っていて、同僚は動かない。気づけばユリは、同僚の元へ駆け出していたのだ。

「電車が迫っていると知りながら、自分で飛び込んだんでしょう?」

「だって!そうしないと、彼が……」

ユリは到底納得できず、必死に食い下がった。しかし、青年の表情は変わることはなく、ユリはこのまま地獄に行くしかないのかと諦めかけた、その時──

「では、こうしましょう」

青年が立ち上がり、ユリの元まで降りてきた。

「あなたにはここで働いてもらいます。その働きに応じて、あなた自身の行き先を選ばせて差し上げます。天国で穏やかに過ごすか、すぐにでも転生するか……あ、そのまま地獄で働いてもいいですよ?」

「……断れば?」

「最初に言ったとおり、地獄行きです」

実際の地獄がどのような場所かわからない。だが、罰を受けるべき死者が行く所なら、辛く、厳しい場所だろう。回避することができるのであれば、ユリに選択の余地はない。

「やります」

ユリが力強く告げると、青年は軽く頷いた。

「そうですか。正直、人手不足なので、助かります。早速働いてもらいたいので、職場に案内します。ちなみに、ここでは長ったらしい名前は不要なので、ただのユリと名乗ってくださいね」

青年はそう言うとユリに背を向けて歩き出す。

「今更ですが、あなたは何者なんでしょう?私に地獄行きを伝えてきたってことは閻魔様ですか?」

ユリは慌てて青年の後を追いながら、問いかける。知りたいことは山程あるのだ。

「私は裁定官さいじょうかんのシモンです。死者の行く先を決定しています。あなたが生きていた世界で言うところの裁判官ですね」

シモンと名乗った青年はユリの想像していた姿ではないが、やはり閻魔のような存在なのだろう。死んだら、ユリのように彼の元にやって来て、地獄か天国に行くのだろう。

「あの……踏切に飛び込んだ同僚ってどうなったんですか?彼もここに?」

どうしても気になるのが彼のことだ。踏切の外へ引き戻そうとしていたユリが死んだということは、一緒に電車に跳ねられた可能性が高い。

「それはあなたの知ることではありません」

「そんな……!」

「置いて行きますよ」

青年はユリの質問を突っぱね、どんどん先に進んでいく。この質問に答える気はなさそうだ。

「あの……私の仕事は何になるんでしょうか?」

ユリは移動しながら少しでも情報収集すべく、再び声をかける。さすがにこの質問には答えてくれるだろう。

「あなたには管理官の仕事についてもらいます」

「管理官?」

「主な業務はその名のとおり、亡者達の管理です。与えられた罰をちゃんと受けているか見張り、収容所で大人しくするよう世話をすることです」

つまり、ユリの生前の世界で言うところの刑務官だろう。


転生して人生をやり直す物語が好きなのに、まさか転生するどころか地獄行きで、そこで働くことになるなんて……。

しかも、死者の相手をするなんて、大丈夫だろうか?


やるしかないとはいえ、ユリの不安は募るばかりだった。




──曇天の広野の真ん中にそれはそびえ立っていた。


「あなたの職場はこのエリアです」

大きさも形も野球場のようだが、色は真っ黒で、隙間風だろうか

うめき声のようなものが辺りに響いていて、おどろおどろしい。

「といっても、これはこのエリアの地獄の収容所で、実際の職場はこのエリア一帯となります。それは同僚の方にでも案内してもらってください」

そう言ってシモンは大きな扉の横にある紐を引いた。カランカランと鐘の音が響いてすぐ、扉が開く。

「シモン様!こんにちは!」

「こんにちは。今日はここで働いてもらう人を連れてきました」

ユリ達を出迎えたのは、黒い着流し姿の青年だった。

「新入りっすね!どもども。このエリアの管理官のハザマです」

シモンと異なりこちらはにこやかで、切れ長でつり上がった目を細めて、ユリに話しかける。長い茶髪は後ろで縛られ、尻尾のように揺れていた。

「はじめまして。ユリと申します」

ユリはハザマに会ったことで、少し安心した。同僚がこんな親しみやすい人なら、何とかやっていけるかもしれない、と。

「さあ、まずはあなたの上司──長官に引き合わせましょう。今後は彼の指示に従ってください」

「鬼軍曹ですよ。まじ怖いっす」

ハザマの語る長官像に恐怖を覚えつつ、ユリは収容所の中へ入って行った。





鬼軍曹とは……文字通り鬼だった。


黒髪に、黒の軍服。色白の肌は顔以外は伺えず、手袋までしている徹底ぶり。瞳は鋭く金色に光り、目線だけで人を殺せそうだ。

何より目を引くのは、額の生え際ぐらいから生えた牡牛のような光沢のある角。言葉を発しようと開いた口からのぞく尖った牙。

──本物の鬼だ。


鬼のような男は、長官室に入ってきたユリ達に順番に目をやり、最後にハザマを睨み付けた。

「貴様、持ち場はどうした?」

「はっ!裁定官殿と新人を案内するため、一時離れております!」

「では、役目は終わったな。直ちに戻れ!亡者達が逃げたらどうする!」

「申し訳ありません!失礼します!」

ハザマは綺麗に回れ右をして、全速力で部屋を後にした。

威圧感たっぷりで、まさに鬼軍曹だ。特にだらけていたわけではないが、ユリは思わず姿勢を正した。

「レイ、あなたの新しい部下を連れてきました」

シモンは臆することなく、男に話しかけた。

「使えるのか?」

「まあ、生前はしっかりとした会社に勤めていたようなので、肉体労働はともかく、事務作業はそれなりに出来るんじゃないですか?」

「なるほど……」

レイと呼ばれた男はじっとユリを見つめた。面接官に見定められている状況だ。

この男が、ユリの上司となる長官だ。ユリが使えるかどうかの判断も彼が下すだろう。もしも使えないと判断されたら、このまま地獄で罰を受ける側に転じてしまうのだろうか?

長官がそのまま黙っているので、ユリは緊張が続き、どうしたらいいのかパニックになりかけたその時、勢いよく部屋の扉が開かれた。

バタバタと駆け込んできたのは、先程飛び出していったハザマだった。

「長官!五番が脱走しました!」

「ちっ!またか!」

長官が何もない空中に手をかざすと、そこに長身の長官より更に長い槍が出現した。

長官は開け放った窓の外に向かって槍を投げると、勢いよく飛んでいくそれに乗って行ってしまった。


「……ここでは槍って乗り物なんですか?」

「そういうわけではありませんが、彼はよく乗っていますね。ちょうどいい機会です。管理官の仕事を見学させてもらいましょう。ハザマさん、案内してください」

「承知しました!長官は南の方角に飛んでいったすね。多分、もう確保してると思うんで、急ぎましょう!」




草木の少ない広野の中で、岩を背にして顔の左に槍、右に鬼長官の手が突き刺さって逃げ場を塞がれた美女がいた。


……いわゆる、壁ドンなのに、ときめかない。


「貴様はいつになったら学習する?この俺から逃げられるわけないだろう?」

金髪縦ロールに派手な色のドレスで勝ち気な雰囲気の美女は、キッと長官を睨み付ける。

「う……うるさいわね!私がこんなところにいるなんて何かの間違いなのよ!早く元の世界に帰しなさいよ!!」

「馬鹿か貴様?だから刑期が五百年なんだ。とっとと独房へ戻れ!」

「うそっ……やだ……!」

長官は抜いた槍をそのまま美女に向かって薙ぎ払った。

美女の体は真っ二つになったが、血が吹き出ることはなく、靄のように揺らいで消えてしまった。

「……今のは、いったい……?」

「長官のあの槍は亡者をあるべき場所に強制送還することができます。今頃、あの亡者は収容所の与えられた部屋に帰っているっす」

状況についていけず、呆然としているユリに、ハザマが解説した。ユリは目の前で人が無惨に殺されたかと思って恐怖したが、違ったようで安心した。


「ハザマ!」

「はっ!」

死者を送還し終えた長官はユリ達の方へ振り向き、部下を呼び出した。

「この新人はお前が面倒を見ろ。しばらくは一緒に行動し、仕事を覚えさせろ」

「承知しました!」

長官はそれだけ言うと、スタスタと収容所に向かって歩き出した。

……帰りは歩きなんだ。

ユリが何だかガッカリしながら見送っていると、ポンッと肩を叩かれる。

「では、ユリさん。私はこれで。頑張ってくださいね」

最後まで何を考えているかわからなかったシモンは、ユリに励ましの言葉を残して帰っていった。

残されたのは、ユリとハザマだけだ。

「んじゃ、早速仕事に行きましょっか!」

長官に託されたハザマに案内され、ユリは新たな職場に向かった。






「ここはエリア十三。比較的新しい地獄で、通称悪役地獄です」

「悪役地獄?」

ハザマはユリに収容所を案内しながら、この地獄のことを説明する。収容所の中は長官や管理官の広々とした執務室の他に、たくさんの小部屋がある。通路側は全面鉄格子になっていて、中にいる人が丸見えだ。これはいわゆる独房で、ユリはここが地獄行きとなった死者達の牢獄だということが思い知らされた。

「人が物語を紡ぐごとに多種多様な世界が生まれる。物語には悪役というものが大概存在するでしょ?ここにはその世界で断罪された憐れな亡者達が収容されてます」

「物語って、その……乙女ゲームとかもですか?」

「もちろん!ユリちゃん、そういうの好きなんだ!」

おずおずとユリが尋ねたので、ハザマは彼女の趣味に勘づいた。ユリは気まずそうに頷くが、ハザマはニコニコと嬉しそうに笑っている。

「だったら、このエリアに配置されて良かったじゃん!そういうゲームの悪役達もうじゃうじゃいるから!とりあえず……」

いつの間にか砕けた口調のハザマはその場で立ち止まった。

「まずは手近な所から。ついでに情報の見方も教えるね」

ハザマが示した部屋にいたのは、黒いローブを着た大柄の男性で、長髪の黒髪でと影に隠れて顔は伺い知れない。

「たくさんの亡者を相手にするから、いちいち名前とか刑期とか覚えてられないんだよね。そこで、管理官はちょっと見たいなと思うだけで、そいつの情報が見ることができるんだ」

ハザマの説明だけでは、ユリは具体的な想像できなかった。

「百聞は一見にしかず。とりあえず、この囚人番号百七番さんから見てごらん」

「囚人?番号?」

「長官が自分の管轄の亡者は番号で呼んでて。確かに同じ名前が多いし便利かもって、管理官達の中でも番号で呼ぶようになってるんだ。地獄に収容される時にナンバリングされるから、それも表示されるようになってるよ」

ユリは言われるがまま、目の前の男をじっと見ながら、この人の情報を確認したいと念じた。

すると、目の前に液晶のようなものが現れ、画面に文字が綴られていく。


エリア13 No.107

生前名:魔王

概要 :冒険ファンタジーゲームのラスボス。村を襲い、国を滅ぼし、大量殺戮を行い、残虐の限りを尽くした。勇者によって討たれる。

刑期 :千年


「でっ……出たっ!」

「でしょ?次にそのお隣を見てごらん」

「百八番……悪の総督!地球侵略を目論んで、ヒーロー達に敗れる……」

「こっちの方を見てごらん」

「ヒロインを虐げて殺そうとした継母、国を乗っ取ろうと暗躍した魔女……」

「オレも最初は悪役地獄って意味わかんなかったけど、実際目の当たりにすると納得でしょ?あ、ちなみに地獄に来た亡者は生前の力を失うから、魔王とかも怖がらなくていよ」

物語で断罪されて死んだ亡者達が本当に地獄へ行って、同じ所に集められているとは思いもよらなかったユリだが、これは良いモチベーションになるかもしれない。怖がるどころか、ユリの気持ちは段々高揚していった。

「じゃあ、次は各刑場を案内するね」

「刑場……」

しかし、ユリはこの後、地獄を甘く見ていたことを思い知る。


「灼熱地獄──燃えるマグマの側でじっくり焼かれる刑場」


「飢餓地獄──視覚・聴覚・嗅覚を刺激するご馳走を目の前に、繋がれたまま動けない刑場」


「冷凍地獄──極寒の雪山に放り出されて凍える刑場」


ユリはハザマに実際に連れられ、様々な地獄を巡った。地獄に来るほどの死者がただ収容されているだけなわけがない。その罪状に見合った責め苦を受けるのだ。その責め苦は、目をそらしたくなるくらい辛いものだ。エリアとは様々な罰を受ける地獄とは別に、罰を受ける時間以外に死者を収容し、管理する所なのだ。

ユリの上がったテンションは急降下してしまった。

「大体こんな感じかな。亡者達は決められた責め苦を受け続ける者もいれば、その時々でいろんな地獄を味わう者もいる。そして、それ以外の時間は収容所内の独房で過ごす。万が一脱走したら、さっきの長官みたいに、管理官の持つ武器で独房へ強制送還できるからね」

「脱走者の元まで飛んでいったり?」

「あれは長官の勘というか……特殊能力みたいなやつかな?武器も色々あって、ユリちゃんの武器はこれね」

ユリの手に鞭が持たされる。競馬で使われるような細くしなやかな鞭だ。

「……長官は槍で、平の管理官は鞭なんですか?」

「ううん。武器は色々あるけど、一番使いやすいのがこれだからね」

生まれてはじめて武器を持ったユリは戸惑う。すると、ハザマがポンッとユリの頭を軽く叩いた。

「軽く触れるだけでも送還できるから、気負わなくても大丈夫」

ハザマの補足と励ましにユリは少し安堵した。

武器は携帯していなくても、念じれば手元に現れたり消したりできるということで、ユリは早速鞭を消してみた。これは便利だ。

「今日はここまでにしておこうか。いきなり地獄に来て、色々と気疲れしただろうし、ゆっくり休んで。明日からまたよろしくね!」

ユリは与えられた部屋に案内され、ハザマと別れた。先程まで見てきた何もなく冷たい独房と違って、管理官の部屋にはベッドに机、クローゼットもあり、質素だが温かみを感じた。休んでもいい場所に来て、一気に気の抜けたユリはそのままベッドに倒れ、熟睡してしまったのだった。




翌日、用意されていた服に着替え、ユリは管理官の執務室へ向かった。白の着物に黒の袴を履き、ヒールのない軽い靴で動きやすい。

「おはよう、ユリちゃん!今日もオレについてきてね!」

明るく迎えてくれたハザマと共に、担当する死者の元へ行こうとしたその時──

「また五番が逃げたぞ!」

駆け込んできた管理官の言葉に室内は騒然となった。またかという呆れと、長官にバレたら怖いという焦りと共に、そこそこの数がいた管理官達は一斉に捜索を開始した。管理官室はユリとハザマを残し、あっという間に空っぽになってしまった。

「ユリちゃんは近くを捜して。オレも長官に報告して合流するから」

「は……はい!」

ハザマの指示で、呆気に取られていたユリも慌てて飛び出した。



「……あら、初めて見る顔ね。何だか貧弱そう」

「外へ逃げたんじゃなかったんですね」

「これだけ失敗したら私だって考えますわ。建物内に隠れて、管理官達が外に捜索しに行ったら、手薄そうな方へ逃げるのよ」

ユリはハザマが来るまで手近な所を捜そうと、まさかと思いつつ、収容所内の物陰などを見ていた。すると、目当ての人物が本当に隠れていて、ユリは面食らってしまった。しかし、見つけられた死者は慌てることなく、ユリをじろじろ見て値踏みしているようだ。見た目通り、強気な美女だ。彼女は昨日も脱走し、長官の壁ドンのち強制送還されていた。

「ちょうどいいわ。あなた、私に協力なさい」

ユリは完全に五番に嘗められていた。昨日来たばかりの新人だから仕方ないかとユリは苦笑いしながら、一先ず五番の話を聞くことにした。

「逃げてどうするんですか?」

聞けば、彼女は常習犯だ。何がそこまで彼女を駆り立てるのかがユリは気になっていた。

「当然、元の世界に帰るのよ!私が裁かれるなんて間違いを正すのよ!」

ユリは彼女の情報を見た。名前はクローディア・ローゼンクロイツ。乙女ゲームの悪役令嬢だ。

「……元々は、高位貴族のご令嬢なんですね」

「そうよ、私は誇り高きローゼンクロイツ家の血を引く選ばれた存在よ!」

ユリはそのまま情報に目を通し、頭を抱えた。もっと色々知りたいと思ったら事細かに出てきた内容が凄まじかったのだ。

「それなのに、どうして処罰されなくてはならないの!?しかも地獄行きなんて……何かの間違いないなのよ!!」

「あなたは自分の婚約者と親しくする平民に嫉妬し、嫌がらせをしましたね」

ユリはじっとりと彼女を見据えて情報の確認をする。

「嫉妬なんて……ただ、身の程をわからせてあげようとしただけよ。平民ごときがやんごとなき方に近づこうとするから」

「挙げ句の果てに、亡き者にしようと人を雇い、襲わせた。そして失敗した彼らを召し使いに命じて、口封じに殺した」

「使えない者達は、処分して当然よ」

「そして、最後の手段であなた自身の手で平民を殺そうとして失敗し、捕まった。あなたは身分を剥奪されて修道院へ護送中、あなたが雇って殺した人達の仲間に襲われ、殺された」

「私は間違いを正そうとしただけなのに、何故このような目にあわなければならないの!?」

「そういうところです!」

彼女はやり過ぎた。最近のかわいい嫌がらせでも過大な罰を受けて同情を買うような悪役?令嬢ではなく、陰湿で苛烈なザ・悪役令嬢なのだ。いくら一途で嫉妬だったとしても、人を傷付け、ましてや殺そうとするなんて許されない。悪役贔屓のユリでもいただけない。

「五番……いえ、クローディア様!悪役令嬢というのは気高く、美しく、純粋なものなんです!」

ユリはずいっとクローディアに詰め寄った。クローディアは驚いて後ずさるが、ユリの勢いは止まらない。

「何故悪役令嬢がヒロインをいじめるのか?純粋だからです!ヒロインに婚約者を取られたくない。貴族だから平民を下に見るのが当然という選民意識もある意味純粋だからです。そういう環境で生きてきたのだから。でも、気高い令嬢だからこそ、分別も弁えなくては!殺そうなんて物騒なことは、いくらなんでもしてはいけないとわかるはずです!ヒロインへ詰め寄るのも真っ当なことを言うためなんです!ヒロイン自身も非常識が多いんですから!ですから、クローディア様!」

ユリは熱く語る自分にドン引きされているとは気づかず、クローディアの両手をがしっと掴んだ。

「清く正しく、我が道を行ってください!それでこそ、私の大好きな悪役令嬢なんですから!」

言い切ったユリは、クローディアの反応がないことではっと我に返った。クローディアは目を丸くして呆然としていた。

「あの……!私……」

「私があなたの理想の悪役令嬢とやらではないのはわかりましたわ」

ユリが慌てて弁解する前にクローディアが口を開く。

「説教するのかと思えば、ただ熱弁を奮って……何がしたいのかしらね」

暴走した自覚のあるユリに、クローディアの冷静な指摘が突き刺さる。クローディアの顔を見れず、ユリは俯いていく。

「でも、あなたは私を否定しなかった。名前を呼ばれたのは久しぶりだわ」

続いた言葉が意外に穏やかな調子だったので、ユリは恐る恐る顔を上げた。

「仕方ないわね、戻ってさしあげてもよろしくてよ」

クローディアは微笑んでいた。勝ち気な見下すような笑みではなく、穏やかな、柔らかい笑みだ。

「え……いいんですか?」

「あなたみたいな管理官がいるなら、もう少しいてあげてもいいと思ったのよ。あなたの言う悪役令嬢とやらについて考えてさしあげるわ。ほら、さっさと戻しなさい」

脱走しているはずの死者から命令される管理官はおそらく初めてではないだろうか。ユリはクローディアの不遜な態度に苦笑した。

しかし、ユリは彼女の笑みを見ていて思う。彼女は自分を認めてほしかったのではないか。嫉妬に駆られた罪人としてではなく、クローディアという存在を見て話を聞いてほしかったのでは。意地になって後戻りできないのも悪役令嬢によくあるパターンだ。

何はともあれ、クローディアの気が変わらないうちに送還しようとユリは鞭を出現させた。

「痛いのは嫌よ。あなた達の武器で攻撃されたら怪我はしないけど、痛みはあるの。あの化け物は本当に容赦がないから嫌いだわ」

鬼長官と脱走常習のクローディアの因縁は深そうだ。ユリはしかめっ面になってしまったクローディアの肩にそっと鞭を押し当てた。すると、クローディアは大人しく目を閉じ、靄のように消えてしまった。


「よくやったな、新人」


突然の背後から声をかけられ、ユリは飛び上がった。

ユリが振り返ると、そこには強面の鬼長官とにこやかな先輩が立っていた。

「いつからいたんですか?」

「ユリちゃんが五番に詰め寄ってるあたりからかな?すごい熱弁で、つい様子を見てたけど、無事に確保できて良かったね」

ハザマは声を弾ませ、ユリを労った。

「その五番だが、刑期がいくばくか減ったようだな」

そう言った長官が手を翳している辺りには、クローディアの情報が表示されていた。ユリも見てみると、確かに先程見た時より五十年程刑期が短くなっている。

「ユリちゃん、お手柄!」

「どういうことですか?」

「悪役達はとても長い刑期が課せられます。しかし、彼らが生前の行いを悔い、心から反省することで減刑され、最終的に輪廻転生の輪に戻ることが許されます」

長官の後ろからひょっこり顔を出したのはシモンだった。ユリの状況を把握しているということは、彼もいつの間にか来て様子を伺っていたのだろう。

「彼女はあなたに諭され、少し考えを改めることが出来たみたいですね。よくやりましたね」

相変わらず感情は読めないが、シモンに言われて、ユリは素直に嬉しかった。クローディアは自分がきっかけで良い方向へ変わり始めたのだ。

「大概の亡者は地獄の責め苦を受け続けるうちに反省し、減刑していくものだが、中には意固地になって頑なな者もいる。そういう意味では今回のお前の熱意は有益なものだった」

長官からも誉め言葉をいただき、ユリは背筋が伸びた。

「だが、いくら好みのものだからといって、亡者に肩入れするものではない。我々はあくまで管理官。亡者を監視する立場だ。それだけは忘れないように」

一変してじっと見下ろしながら諭されて、ユリの気持ちは萎れてしまったが緊張は弛ませない。やはり迫力のある上司だ。

「──三間坂郁里」

ふいに名前を呼ばれ、ユリの胸がドキリと跳ねる。

「私はエリア十三管理長官の藜尚レイショウだ。改めて、よろしく」

長官改めレイショウはユリに手を差し出した。その顔には笑みが浮かんでいて、思いの外柔らかいものだった。

ユリは何故かドキドキと治まらない胸の高鳴りを隠して、レイショウの手を取った。




──色々疑問はあるし、不安もたくさんある。


でも、この地獄で悪役達の相手をする管理官という仕事は、案外楽しくやれるかもしれない。



ユリは湧いてきた希望を胸に、管理官としての一歩を踏み出したのだった。



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